3 海豚 河豚 サーファー
川の上流部にダムができ、海に砂が流れ込まなくなった。海岸線は年々やせ細る。この町にはもういい波は立たないのかもしれない。もう一度海が見たくなった。
「すいません、磁石に引き寄せられるように君の方に引き寄せられてしまったんだ。一緒に海、見に行きませんか?」
男は言った。
「行きません!」
女はきっぱりと言った。
「ずいぶん久しぶりにお会いしましたね。今日はいい天気だ」
「久しぶり?どこかでお会いしましたか?」
「前世で会ってる」
「ハァ~?あ、そう。それじゃあ」
女は立ち去ろうとした。
「イルカの写真撮りたいんだ。君、モデルか何かでしょ?」
「モデルじゃないけど写真やってる。何で分かった?」
「イルカみたいに絵になる顔だから」
「フーン、わけ分らん。イルカほんとに見れるの?」
「見れるよ。一緒に見に行ってくれる?」
車の中で男は言った。
「私は今まで世界中の美しい女性と付き合ってきた。アラビアのベリーダンサー、アルジェリアのベルベル族のラクダのキャラバンの隊長の娘、トルコのクルドの肉屋の娘、ケニヤのマサイ、フランスのニュースキャスター、アイルランドの教師、ベルギーの修道女、アメリカのカウガール、メキシコのピラミッドの土産物屋の娘、ボリビアのコーラ売り、ペルーの考古学者、ニュージーランドのマオリ族、オーストラリアのアボリジニー、シベリアのイヌイット、どこかの国の首長族、・・・」
「それどこの国の人?」と女が言った。
「後で調べとく。雲南省の猫族、ラオスの女兵士、インドの市会議員、ウズベキスタンの女性町長、その他にも世界中のたくさんの美しい女性たちと愛し合ってきた。でも君は今まで出会った女性たちの中で一番きれいだ」
「首長族、タイ北部カレン族の女性」
女が携帯を見ながらそう言った。
二人は潮見坂に来ていた。寒い冬の海岸、ウェットスーツを着たサーファーたちが小さい波を奪い合っていた。それはちょうど波打ち際で戸惑うイルカの群れのようだった。
海岸の駐車場には鉄骨でできた物見櫓があり、頑丈そうな階段が上へと続いていた。櫓の上に誰もいないことを確かめてから、二人は階段を登って行った。
途中、風が女のスカートを捲り上げようとした。
「ヤバイ、見えるじゃん」
女が言った。
「どうぞ、姫!」
男は女に背を向けてしゃがんだ。
「あっそう?じゃ、遠慮なく」
男は女をおんぶして階段を登り切った。男の息は切れ切れだった。
「オー、いい眺めじゃん」
女は言った。空は青く、海も青く、風は冷たかった。
「海もきれいだけど君もきれいだよ、って今年何人くらいに言われた?」
「まあ、それなりに」
女は言った。まだ1月の初めだった。
「ところで、イルカいるかい?」
男が聞いた。
「さっむ~!もう降りよう」
女が言った。
「降りる前に宣誓しときたいことがあるから、ちょっと付き合ってくれない?」
男が言った。
「宣誓?宣誓って何?」
男は女の手を取り宣誓のポーズを取った。
男は突然、水平線の向こうまで届きそうな大きな声でこう言った。
「宣誓!私たち二人はこれから大きな船となり、雨の日も風の日も雪の日も槍の日も、共に手を取り合い、人生という名の荒波を乗り越えて行くことを、ここに宣言します!」
塔の下で多くのサーファーたちが二人を見上げていた。
「ちょ、ちょっとー!いきなり大声で何バカなこと叫んでんのよー!!」
女はあわてて言ったが、塔の上は狭く、隠れる場所はない。
「君も一緒に宣誓しない?」
男が言った。
「一人でやってれば!」
男はポケットに入れておいたクラッカーを一人で鳴らした。
「クション、さっむ~!」
女は言った。
「外は寒いけど、君の笑顔は太陽のように温かくて救われる」
男は歯をカチカチ言わせながらそう言った。
「さっむ~!」
女は言った。
「降りよう」
男が言った。登ってきたときと同じように男は女をおぶって階段を下りた。
「海の豚、って書いてイルカだよね。豚しゃぶ一緒に食べに行こうか?」
男が言った。
「河の豚、って書いて何て言ったっけ?」
女は聞いた。男は嫌な予感がした。
「イワシじゃないかな、ハハハ」
男は言った。
「フグじゃなかった?絶対フグだよ。よしっ、フグ鍋食べに行こう!」
女が言った。
男は少し間を置いてからこう言った。
「あなたとならば、どこへでも」
いつも通りの下らない夜だった。