18 下らなさのその先とか
海岸線を冬は南、夏は北。
移動は自転車、寝るときはテントで寝袋にくるまって。
男は今はもう税金を払っていない。年金も保険も車も何もない。海で魚を釣り、貝をとり、わかめをとったりして暮らしていた。流木で仏像や女性像を彫り、海辺の公園で売ることもあった。たまにしか売れなかったが、それでもサーファーや旅行客が面白がって買っていくこともあった。
魚も貝も海藻も、すべて乾燥させて食料にした。天日干にして食べた方が栄養価が高まる。砂防林などで取れるキノコやヤマイモ、むかごなども天日で乾燥させて食べた。保存が利くのが都合が良かった。火を使うという面倒なこともしなくて済むのが気に入っていた。海岸の近くの砂地で、ジャガイモやサツマイモも勝手に育てた。売れるほど良くとれた。
夜は公園の駐車場の隅っこや海岸の松林の中にテントを張って眠った。波の音が子守唄代わり、よほどの雷雨でもない限りうるさいと感じることはなかった。朝は早くから起き出して海岸沿いの道を歩いた。死体を見つけることが何度かあった。最後は美しい場所で終わりにしたいと思うのは、世代と文化を越えて共通のものだ。
ある日いつものように海沿いを歩いていると、打ち捨てられた大きなビニール袋から黒い毛が覗いている。気色悪いなと思いつつ袋の中を確認すると、大きな黒い犬の死骸だった。どうしてこんな人が大勢歩くところにわざわざ。重かったが人目に付かない所に袋を移動させた。
車上荒らしに窓ガラスを割られた車も何台か見かけた。いい波に乗って気持ちよく海から上がってきたところで自分の車の窓が割られているのを見たら、その人は何を思うのだろう。神の采配についてでも考えざるを得ないか。
男はもう年老いた。死期を悟ると、男は着ているものを全部脱ぎ捨て、海に泳ぎだして行った。南へと南へと。
波の上で天の川を見上げながら、男は死んだサーファー仲間のことを考えていた。
男がサーフィンを始めたきっかけは・・・波が呼んでいたから?それもあるのかもしれない。それが理由ならシンプルでクールで。
例えば少しでも長く生き続けるために、男にはどうしてもサーフィンが必要だった、というのはどうだろう。サーフィンに出会う前の男は、生活からなるべく無駄を排し、最小の元手で最大の利益を稼ぎ出そうといつももがいている毎日だった。だがそれだけではどうしてもうまくいかないことが男には分かってきていた。そんな時に男はサーフィンに出会った。寒い冬の海の中で、何人ものサーファーたちがアザラシのような格好に見えるウェットスーツを着こんで、小さい波を奪い合っているのを見たとき、何てバカバカしいスポーツなのだろうと思った。だがその反面、そのバカバカしさがとても貴いことのように思えたのだ。自分も一生懸命バカをしなければならない、と男は思ったのだ、その時は。
サーフィンを通じて仲間も何人か増えていったが、冬のある日にそのうちの一人が自殺したことを知った。サーファーのようにいつも陽気で何も考えてないように見える人種でも、自殺しなければならない時が来るのか、と男は思った。
夏の大三角形のデネブ、ベガ、アルタイル、眼鏡がなくても明るく見える。視力が徐々に回復していくみたいだった。