シゴトおわり
三題噺もどき―さんびゃくろくじゅうはち。
ガチャン――
後ろ手に閉じた玄関の扉。
誰もいない真っ暗な部屋の中に、やけに大きく響く。
狭い玄関には、一足だけ靴が出しっぱなしになっていた。
―これも捨てなくては。
「……」
その前に風呂に入りたい気分だ。
汗をかいたせいで、全身がべたついている。
手の汚れは落としては来たが、未だについているような感覚が残っている。
服は着替えているから平気ではあるが……頭に匂いがついているようで。
何より鼻の奥に匂いがこびり付いてならない。
「……」
鍵を閉めたことを横目で確認し、靴を適当に脱ぎ捨てる。
捨てる靴…と思いもしたが、体は言うことを聞かない。
生理的嫌悪をどうにかするほうが先だ。
「……」
風呂の前に道具の片付けもしなくては。
色々と合ったせいで、現場でそこまで手が回らなかったのだ。
―自分の汚れた体を綺麗にしていたらそこまでの時間が無くなっただけなんだども。
「……」
仕事をしている以上、汚れるのは当たり前なんだから、その癖をやめろと何度も上司に言われた。
無理なので、無理といったが。
「……」
それでもまだ、こうやって仕事をくれるあたり、あの人も良く分からない。
お人よしなのか、おせっかいなのか。
単純に腕を買われているだけかもしれないが……そうは思いたくない。
正直、この仕事自体嫌々しているのだ。
無駄に経験が豊富なせいで、体が慣れていて、手際がいい。そこを無駄に買われてしまっているのだ。
―嫌々やった結果、手際が良くなっただけなモノを、いいモノとして買われても嬉しくはない。
その手際の良さを、もっと別のことにでも生かせたらよかったんだろうが。
「……」
今日の仕事なんて特に最悪だった。
「……」
物心ついた時から、この世界にいたから、分かってはいたはずなんだが。
今の上司(体を洗うことに文句を言いつつ許してくれる)についてから、めったになかったものだから、少し忘れていた。
忘れているふりをしていただけかもしれないが、元より私はそういう性格なのだろう。
この年になって知るとは。
「……」
数年前にたまたま拾ったとか言って連れてきた子供が一人いた。
任せるよーとか言って投げ出されたその子。
歳もかなり離れていた上に、そも子供に接したことすら零に等しかったので、それなりに戸惑いはした。
まぁ、でも上司からの命令である以上捨てるわけにもいくまいと、それなりに育ててはみた。
最初は突き放そうとも試みはしたが、それも無駄な努力に終わったのだ。
―それはまぁ、目的があったからだと今ならわかるが。
「……」
数年かけて、仕事ができるようにまでなった。
1人でも平気だろうと、上司に言われるようにまでなり。
やっとお役御免かぁなんて思いながら。
今日の朝、1人で向かう仕事に送った。
その数時間後に、緊急だと言って上司に呼ばれた。
「……」
そして、1つの仕事を渡された。
「……」
私が生きてきたこの社会では、秘密なんて持っていて当たり前。
あの子も、何かしら訳アリのようだったけど、当たり前だったから無視していた。
秘密なんて、誰でも持っている。
両の手じゃ足りないくらいの量を。
「……」
裏切りだって日常茶飯事。
罪悪感なんてものはないし、裏切られる方が悪い。
「……」
だから、今日あったあの子の裏切りも。
日常の一コマでしかない。
数年かけて出来上がった関係を崩すのに、苦労も何もない。
赤子の手をひねるよりも簡単だ。
「……」
上司に渡された仕事は、裏切り者の撤去。
完全消去。
育てたその子を、その手でと言われた。
出来るのは、私しかいないから仕方ないんだけど。
「……」
全く、あんなに教えたのになぁ。
かくしごとはばれないようにしろって。
そうじゃないと私が手を出さないといけないかもしれないって。
ここまで隠し通したくせに、どうしてここで尻尾を見せたんだか。
―それとも、あの上司はそこまで知っていて泳がせたのか。まぁ、おかげであの子の通じていた場所は消せたからよかったのかもしれないが。
いい上司ではあるが、どこまでも裏の人間なのだ。
「……」
いいか。
もう、終わったことだ。
今は、自分のことをいたわろう。
向いてもないくせに、ここでしか生きられないなんてなぁ。
「……」
風呂場を通り過ぎ、リビングへと向かう。
必要最低限のものしかない部屋。
一台のベッドがある。
床には客人用の布団。
「……」
その上に、ハリネズミの人形か座っている。
何も映していないビーズの瞳は、真っ暗だ。
あの子が初めてねだったから、あげた。
元々他人のものではあるが、もう使われることもないものだし。
「……」
ハリネズミの上に、持っていた鞄を置く。
中身は着替えた服。
赤く染まった布が入っている。
それは、裏切り者のモノ。
お題:ハリネズミ・秘密・裏切り