第九話 唾棄
新里亨が自宅で首を吊って、どのくらいの時間が経ったかはわからない。
新里摩耶が彼の自宅の部屋に入った時、彼はロフトへ上がる階段の上段に紐を括らせて、首を吊っていた。それを見た摩耶は台所にあった包丁を取り、ロフトへ続く階段を駆け上がって、その包丁で新里亨が吊るされた紐を切った。紐が切れたと同時にドスンという音が部屋に響いた。
摩耶は兄の心臓の音を聞くために胸に耳を押し当てたが、心臓の音は聞こえなかった。彼女の心拍数はたちまちのうちに上がっていった。
彼女はすぐに救急車を呼んだ。電話をスピーカーに切り替え、彼女は兄に跨り、心臓マッサージを始めた。体重を掛け胸をリズムよく押す。胸を押す度にカポンだとポコンだという音が新里亨のどこからか鳴っていた。電話の向こうから聞こえる声に答えながら、彼女は心臓マッサージを続けた。
一分も続けるうちに摩耶の呼吸も荒くなっていった。そして、彼女の額からはポタポタと汗が新里亨の顔に滴り落ちた。
まだ救急車は来ない。心臓を押す力が段々となくなっていくのを感じるが、兄を死なせるわけにはいかないと、彼女は必死に心臓マッサージを続けた。遠くで救急車の音が聞こえる気がした。
「お兄ちゃん、死んじゃダメ」摩耶は自分がこのまま倒れてもいいと思いながら心臓マッサージを続けた。時間が永遠に感じる。早く来い、救急隊。お兄ちゃんが死んじゃう。
ドンドンドンドンドン。摩耶がドアを叩く音の方に振り向くとすぐにドアが開き、救急隊が部屋の中へ入ってきた。
「代わります。心マ開始します。1、2、3、4」
摩耶は救急隊と心臓マッサージを代わった瞬間に床へと倒れ込んみ、荒々しく呼吸をした。
別の救急隊は摩耶を心配する声かけをしながらAEDの準備を始めた。
「AED準備完了。服を脱がせてパットを貼り付けます」救急隊は手際よく、服を脱がせ、AEDの電極パットを胸に張っていく。
救急隊による心臓マッサージは続けられていた。
「お兄ちゃん、死んじゃダメだよ」摩耶の目から涙が落ちる。
「受け入れ先が決まりました」外からもうひとり救急隊が叫んだ。
「それではこれから彼を病院に連れていきます。妹さんですか」
「はい」
「では、一緒に救急車に乗ってください」
救急車に乗せられた後も新里亨の心臓マッサージは続けられた。
病院に到着すると看護師と医師が出迎え、そのまま新里亨は処置室へと連れて行かれた。
「私たちはこれから消防署へ戻りますが、あなたは大丈夫ですか」救急隊のひとりが優しく摩耶に声をかけた。
「はい。たぶん大丈夫です」摩耶の身体は震えていた。
「お兄さん、きっと大丈夫ですから。これ使ってください」そう言って救急隊のひとりは摩耶に毛布を掛け、走って救急車へ戻っていった。
しばらくして、処置室から看護師と医師が出てきた。医師に一緒に処置室に来るように言われ、言われるがままに彼女は処置室に入った。
新里亨は静かに眠っているようだった。
「命は取り留めました。しかし」医師が表情を曇らせ続けた。「後遺症が残ると考えられます」
「後遺症」
「はい。低酸素状態にあったことから低酸素脳症で意識が戻らないかもしれません」
「それって」
「俗に言う植物状態になる可能性があるということです」
「兄はこのままずっと眠ったままということですか」
「いえ、それはまだわかりません。これから治療を続けることで意識が戻ることも考えられます」
その後、新里亨はICUに移された。ICUに彼が移ってすぐ、浦沢彩月が病院に到着をした。
「摩耶ちゃん」浦沢は新里摩耶を見つけるとすぐ駆け寄り、彼女を抱きしめた。
「彩月さん、お兄ちゃんが」そういうと嗚咽を漏らした。
新里亨は、ICUに入ってから数日後に、医師から意識が戻る可能性は低いと言われていたのにも関わらず奇跡的に目を覚まし、その後、一般病棟に移った。
しかし、彼は目を覚ましたものの、以前の彼ではなくなっていた。身体の一部に麻痺が残り、また、まったく話をすることができなくなっていった。覚醒はしているが、常に虚な表情をしていた。まるで魂が抜けたというのだろうか。ただ、食事を出されれば食べることができるし、排泄も自分の意思で行うことができた。
浦沢彩月と摩耶は時間を作って毎日病院を訪れ、出来る限り新里亨の看病を行った。
一方で、摩耶自身は兄の自殺の現場を見てしまったことで心に大きな傷を負ってしまったようだった。時々、突然泣き出したり、叫んだり、かと思うとぼんやりと長時間空を見つめていたりすることがあった。後に、医師からは心的外傷後ストレス障害と診断された。
浦沢は摩耶のことも心配だったこともあり、しばらくは一緒に暮らそうと提案をした。新里兄妹の両親は既に亡くなっており、親戚も昔から疎遠だったおかげで、家族と呼べるのは、摩耶には亨、亨には摩耶しかいなかった。摩耶は浦沢と一緒に暮らすことになった。
摩耶は「兄の亨が自殺をしました」と大学に伝えていた。ただそれだけを伝え、その後は一切大学とは連絡を取ることをしなかった。自殺をしたと言えば、死んだと思うのは当然だろうと大学側が思うだろうと摩耶は考えたのだ。
摩耶の思惑通り、大学は新里摩耶からの報告で、新里亨が自殺をしたことについて調査委員会を立ち上げた。摩耶と浦沢はその調査委員会が自殺の原因を突き止め、復讐をする標的を差し出してくれるものだと信じていた。しかし、大学が立ち上げた調査委員会が摩耶の自宅に郵送してきた調査の結果は到底彼女たちが納得いくのもではなかった。
摩耶と浦沢は送られてきた紙っぺら一枚の結果を見ながら、彼の自殺は隠ぺいされたのだと、彼女たちの中で燎原の火のごとく燃える怒りが湧き上がったのであった。
そして、摩耶は浦沢に言った。
「復讐しましょう」
「そうね」
ふたり心に悪魔が宿った瞬間だった。
浦沢彩月と新里亨が出会ったのはふたりが同じく大学院の修士二年の時であった。浦沢は当時、新里とは別の大学でてんかん発作についての研究に励んでいた。ふたりとも修士論文を書き始め頃で、その論文の一部を学会で発表することになっていた。その学会でふとりは出会ったのだ。
浦沢はその時にはすでに博士課程に進むことを決めていたが、自分の研究の着地点がまだ定まっておらず、学会に行けば様々な研究を知ることができ、自分の研究の着地点のヒントがあるかもしれないと、学会に参加したのだった。
学会は論文を要約したものをAゼロサイズのポスターで発表するポスター発表や講義室などで行われる口頭発表が主になる。
浦沢は学会のプログラムに目を通し、どんな研究が発表されているのか確認をした。興味があるものにはチェックし、ポスターを見に行き、口頭発表もいくつか聞いた。しかし、自分の研究に繋がるものは見つけることはできなかった。意気消沈した浦沢が帰り支度をしようとしていると、背後から声をかけられた。
「すみません、この耳栓試してみませんか」振り向くとなんのてらいもない笑顔で耳栓を両手で差し出す新里亨がいた。
「耳栓ですか。いえ、結構です」学会には福祉や医療関係などの業者の出店もある。浦沢はその営業だと思ったのだ。
「ちょっとだけでいいので話を聞いてください。これ、ただの耳栓じゃないんですよ」
「どう見てもただの耳栓じゃないですか」
「じゃないんですよ。聴覚過敏の研究から生まれた、オーダーメイド式の耳栓なんです」
「聴覚過敏。オーダーメイド式の耳栓。いよいよ怪しくなってきましたね」
「五分、いや、一分ください。説明します」そう言うと新里亨は聴覚過敏とオーダーメイドの耳栓について説明を始めた。
最初は「変なのに捕まってしまったな」と聞く耳をもたなかった浦沢だったが、新里の説明を聞いているうちに、もしかすると自分の研究にも繋がるのではないだろうかと思うようになたった。
「私はてんかん発作に関する研究をしているんですが、てんかん発作はある音によって誘発されて起こることもあるんです。つまり、そのオーダーメイドの耳栓をてんかん発作がある人に使ってもらえば、てんかんを抑えられる可能性があるということですかね」
「確かに、その可能性は大いにありますね。すみません、この後ってお時間ありますか。ちょっと研究についてお話ししませんか。すぐポスターを片付けますので」
「はい、是非」
こうしてふたりは出会い、その後、時々、お互いの研究の話をするためにふたりで会い、次第に研究のこと以外でも会うことも多くなっていった。
順調にお互いの研究も進んでいき、ふたりの関係も時間が経つに連れて親密になっていった。時々、新里摩耶も一緒に食事をしたり、研究の話しに加わったりすることもあった。
その後、新里亨は博士課程を修了すると、同じ大学でポスドク、つまり任期付で研究員を続けることになった。一方、浦沢は博士課程を修了し、他大学で准教授として新しい生活をスタートさせていた。それから約一ヶ月が経ったゴールデンウィークが開けた頃、新里亨は誰にも自分が抱える不安や苦悩を打ち明けることなく首を吊った。
新里亨が自殺未遂をして半年が経った頃、彼が所属していた明和大学がポスドクの募集を開始したのを見計らって、浦沢彩月はすぐに板垣にアポを取った。するとすぐに面談の日通りが決まり、坂垣と会うことになった。
「あちらの大学さんにはすでに話をされているのですか」
「はい。板垣教授の下で研究がしたいということを伝えてあります」
「浦沢さんのような優秀な方が抜けてしまうとかなりの痛手ではないのでしょうか。私からも一方入れておきますよ。横の繋がりは大事ですからね」
「お手数おかけしまして、申し訳ありません」
「いやいや、とんでもない。あちらでは准教授をやられていたのに、こちらに来るとなるとポスドクという立場になってしまいますが、そこも大丈夫でしょうか」
「問題ありません」
面談後、早々に大学から翌年度からポスドクとして研究に励むようにという旨の手紙が浦沢の元へ届いた。そして、浦沢は准教授として勤務していた大学を辞め、新里摩耶と共に復讐の計画を開始した。
浦沢は、研究生という立場で次年度を待つことなく板垣の研究室に入れないかと申し出ると、すんなりと研究室へと入ることができた。浦沢は早く新里亨を自殺に追い込んだ人間を見つけ復讐をしたいという欲に駆り立てられていた。
表では板垣と共に研究をしつつ、裏では新里亨の自殺の原因を探る生活が始まった。当初、難航するだろうと思われた犯人捜しは予想に反して、すぐに板垣のパワハラやアカハラ、そして飯田智子によるいじめが新里亨の自殺の原因であることが明らかとなった。教えてくれたのは、後輩の面倒見が良い久保田聡であった。
久保田は研究室のルールや、板垣の機嫌の取り方、各学生の特徴など、そして最後に新里亨のことを教えてくれた。
「M2の時だったかな、なんか急に新里さんオシャレとかに気を使うようになったんですよ。それで気になって聞いてみたら、顔を赤くして真面目な顔で『恋をした』って言ったんですよ。そんなこと普段言わない人だからなんか笑っちゃって。そしたら笑うなって怒られましたけどね。それから時々、新里さんにその恋の行方を聞くようになったんですよ。当時、その相手の方とは結婚を考えていると言っていました。でも、博士課程に行くことになって結婚を諦めなきゃいけないかもと悩んでいました。本当は修士課程が終わったら教員に戻って、その方と結婚をしたいと考えていたみたいで。でも、板垣教授に博士課程に行くよう言われてしまったから。新里さん、そういうのうまく断れない人なんですよね。人がいいんですよ、ほんと。それで、博士課程に行ってからはなんか様子が段々と変わっていったんですよ。新里さん、自分の研究とかで忙しいのに、他の学生の研究もやっちゃうんですよね。言い方があれですけど、新里さんの性格を利用して特にこき使ってたのが飯田智子でした。彼女のデータの集計、解析、論文の校正とかを新里さんがやっているのをよく見かけました。それでたちが悪いのが、新里さんがミスをしたりすると罵声を浴びさせたり、ひどい時にはマウスとか新里さんに投げたりしてましたからね。一回、僕も飯田に注意をしたんですよ。それで一旦はそういうことはなくなったんですけど、しばらくするとまた今度は陰でこそこそやるようになったんですよ。それは後から僕も知ったんですけどね」
一方、板垣は飯田以上に新里を奴隷の如く酷使していたようだった。板垣の仕事の雑用から始まり、研究データの収集、解析、仕舞いには論文の執筆までもすることもあったようだった。まるで論文のゴーストライターである。ゴーストライターなだけに論文執筆者名に新里の名前は載ることはなかった。まさに骨折り損だった。
他にも、相談室で相談員としての業務も新里は任されていた訳だが、新里が受け持つクライエントは板垣や他の相談員が手に負えず、一癖も二癖もある者を彼が担当させられていたのだ。時に面談中に罵声を浴びさられることもあれば、暴力を振るわれることもあったという。
クライエントからクレームが入ると、板垣に呼び出され、長時間に渡って叱責を受けることもあったのだ。それでも新里は自身の研究に寝る間も惜しんで取り組んだ。新里がそこまで努力をして博士論文を書き上げようとした背景には結婚を考えていた人がいたからであった。そう、それは言うまでもなく、浦沢彩月のことであった。博士課程という長いトンネルの先に光が見えていたからこそ彼は心身を摩耗させながらも研究を続けたのだ。
明和大学で博士課程を修了するためには、大学から指定された必要な単位を取り、博士論文を書き上げ、それを受理され、そして審査に通らなければならない。
博士論文は大抵いくつかの研究がまとまったものが博士論文となる。
博士論文を大学に受理されるためにはいくつか条件があった。まず、学会誌に論文を最低でも三つ掲載されること。もうひとつは、学会で研究もひとつ以上発表することであった。
学会誌に論文を掲載されるには、論文の査読、つまり審査が必要になる。その審査が通過するまでに一年も掛かることもある。そうなると三つの論文を学会誌に掲載するとなると、同時進行で異なる研究を進めていかなければ、三年という期間で博士課程を出ることはできないのである。博士課程に在籍する学生は四年生や五年生は当たり前のようにいて、明和大学では最大で七年まで博士課程に在籍することができるが、それを過ぎると除籍になってしまい、それまで積み上げてきた研究は水の泡となってしまうのだ。
無事に論文が学会誌に掲載されると、今度はそれらの研究を博士論文としてまとめ、大学の審査を受けることになる。それが通って漸く博士課程が修了となるのだ。
新里亨は見事三年で博士論文を書き上げ、地獄のような毎日から抜け出せると安堵した。
彼は大学で研究をしていく中で大学で働くこと、つまり、研究を続けながら学生たちに教鞭を取ることにも興味を持つようになっていた。彼は博士論文を執筆する傍ら、他大学の採用試験を受けていた。
大抵の大学の採用試験には指導教官の推薦状が必要であった。坂垣にその推薦状を依頼する訳だが、彼は決していい顔はせず、必ず小言と共に推薦状を新里に渡した。
新里は忙しい合間を縫って面接を受け続けたが、卒業までにひとつも内定をもらえた大学はなかった。いよいよ、卒業目前となった頃に板垣から呼び出しがあった。新里はため息を付き、板垣の研究室へと向かった。
話しの内容は要は大学にポスドクという立場で残れというものであった。新里は「わかりました。四月からまたよろしくお願いいたします」とだけ言い、研究室を後にした。研究室を出ると廊下は暗く、廊下の先を見たが、その暗闇は永遠に続いているように彼には見えた。
新里亨の遺書などはなかった。しかし、生きる意味などない絶望を感じ、自殺を選んだことは確かな事実であった。
浦沢彩月が研究生として、板垣の研究室に入った頃にはすでに飯田が新里亨の研究を引き継いでいた。浦沢が初めて参加した研究会で、あたかも飯田が初めから自分がやってきたこととして、研究発表しているのを見た瞬間は吐き気を催した。浦沢は彼らの弱みを握るまで、そして彼らを自分の手の中で転がせるようになるまでは大人しくしておこうと考えていた。
浦沢は板垣と飯田の弱みを握るために独自の調査を始めると、すぐに板垣と飯田が不倫関係にあることがわかった。
新里摩耶はふたりを尾行し、ホテルに入っていくところを写真に撮った。そして、それを板垣の自宅に送りつけたのだ。
間もなくして、板垣は離婚が決まり、療育費と慰謝料の支払いが命じられた。飯田も同様に慰謝料の支払いを命じられた。本来ならば、指導教員と学生の不倫が明らかとなれば、板垣は懲戒免職、飯田は退学となるわけだが、ふたりは何事もなかったかのように大学に残っていた。大学側がふたりの不祥事を内内で処理したのだ。あの時みたいにだ、しかし今回は、その便宜を図ったのは浦沢自身であった。そんな生温い罰でお前たちの罪は許される訳はないと彼女は次の計画に移った。
浦沢は明和大学に移る前から希死念慮を抑制する新薬開発プロジェクトの主要メンバーであった。彼女はてんかん発作に関する研究をしていたが、てんかん発作がある人は鬱の症状が多くあることや、鬱病と自殺の関連性が多く報告があることから、彼女はてんかん発作と鬱病、そして希死念慮の関連性に焦点を当てた研究をしていた。それらの関連する論文が評価され、プロジェクトのメンバーに選ばれたのだった。
このプロジェクトは総理大臣の直々の要請でもあった。
総理大臣である緒方龍太郎はある時から希死念慮を持つよになり、いくつかの抗うつ剤で治療を行ったが、良くなるばかりか、日に日に悪化していっているようだった。そして、何度も自殺を図っては、未遂に終わっていた。
彼はその辛さを実感し、彼と同じく希死念慮で苦しむ人たちを救ってあげたいと新薬開発プロジェクトを立ち上げたのだった。
彼は服薬治療と共にカウンセリングを受けていたわけだが、そのカウンセリングを担当していたのは、臨床心理士でもある浦沢彩月であった。浦沢はカウンセリング中に彼と自殺の原因について考えることに時間を費やした。そして、ある時、その答えが出た。自殺を無くすには、自殺の原因を排除すればいいのだと。
浦沢は板垣と飯田が進めている聴覚過敏の研究が新薬開発に必要なのだと学長に論じ、彼らが大学からいなくなれば明和大学からノーベル賞を出せるチャンスを逃すだろうと諭したのだ。その後、板垣と飯田は浦沢の推薦で新薬開発プロジェクトのメンバーとなった。こうして浦沢はふたりにとって頭が上がらない存在とあった。
板垣と飯田は浦沢の命令通りには新薬の開発に携わった。ふたりはこのような光栄なプロジェクトに参加できるなんてと浮かれ、そして、もしこのプロジェクトがうまくいけば、大金が入るかもしれないと心躍らせていた。
しかし、ライブハウスで起きたアイドルの女の子が食い殺された第一の事件が自分たちが開発を進める新薬が原因で起きたと知ると、自分たちの研究は何か恐ろしいことに加担しているのではないかと板垣は疑うようになった。
二件目に起きた訪問介護事業所で人が食われた事件を知ると、いよいよ板垣と飯田は浦沢彩月に真相を問いただした。しかし、浦沢は「あなたたちは何も考えず私の言う通りに研究を続ければいいの。治験していれば事故は起こるわ。このことについて上は何も言っていないの」と一蹴した。
てんかん発作は脳内の電気信号が何らかの原因で同時に過剰に発生すると、その部位の脳の機能が乱れ、脳は適切に情報を受け取ることや命令ができなくなり、体の動きをコントロールできなくなる。また、てんかん発作は音や光で誘発されることがあると言われている。つまり、ある特定の光を見たり、音を聞いたりすることでてんかん発作が現れることがあるのだ。
聴覚過敏の研究をしていた新里亨は聴覚過敏がある人たちが不快と感じる音のデータを収集していた。その中で、不快な音と感じる音は人それぞれ違うという結果が導きだされた。
研究は順調に進んでいたかのように思えたが、ある実験の時に事故が起きた。その実験に協力をしてくれた成人男性の中でてんかん発作を持っている人がいたのだ。ある周波数の音を聞いた途端にその男性は身体を硬直させ、眼球が左方を向き、次第に手足が小刻みに震え出したのだ。新里は驚き、すぐに装置を止めた。するとすぐに彼の発作は消失した。
その男性は実験協力前に提出する情報提供書にてんかん発作があることを書いていなかったのだ。本来であれば、てんかん発作がある人には実験を行ってはならないという倫理規定があったが、情報提供書に記載がなかったことでこのような事故が起こってしまったのだった。
この事をてんかん発作の研究している浦沢彩月に伝えると、「当事者の男性は辛い思いをしたけど、これは奇跡的な発見かもしれない」と彼女は言った。
浦沢はその時のデータを見せてくれないかと新里に頼んだが、新里は「それはさすがにできない」と断った。
新里亨が自殺未遂をし、彼の研究が板垣と飯田が引き継いでいると知った浦沢は、明和大学に移り、板垣と飯田を新薬開発プロジェクトに招き入れた。そうすることで新里亨が残したデータをなんの不正もなく見ることができるようになったのだった。
浦沢は本来は彼が偶然発見したてんかん発作を誘発する周波数の音のデータは、てんかん発作を抑えるための研究に利用するつもりだったが、新里亨が板垣や飯田による壮絶な虐めが原因で自殺を図ったと知った彼女は、そのデータを復讐のために使おうと強く決心したのだった。
新薬の開発は基礎研究、非臨床試験と順調に進んでいった。次の工程は治験と言われ、実際に被験薬を人に投与し、その有効性と安全性を確かめるのである。これには複数のプロセスがあり、まず、少数の健康な成人を対象にした「第一相試験」、次に少数の患者を対象とした「第二相試験」、最後に多数の患者を対象に大規模に試験を行う「第三相試験」がある。第二相試験時に、ライブハウスでの人が人を食う事件は起きたのだ。
その事件が起こるニヶ月前の深夜、古着屋の店長である元橋玄と新里摩耶は高円寺のパル商店街を歩いていた。
摩耶は浦沢彩月の指示で元橋玄に近づき親しくなっていた。それは、彼に人が人を食うように覚醒をさせる曲を作ってもらうためであった。
ある日、新里は元橋に自分の知り合いが曲を作ってほしいと言っているから作ってくれないかと持ち掛けた。元橋はそれを可愛い彼女のお願いを断るわけにはいかないとあっさり受入れた。
数日後、元橋の自宅ポストに封筒が届いた。その中身を確認すると札束と手紙が入っていた。手紙には「ここに書かれてある周波数で曲を作ってください。それから、間奏のところで必ずこの音で不協和音を入れてください」そう書かれてあった。
「曲作りは進んでる」
「もうちょいだね。あとは、わざとあの不協和音を曲の中に入れるっていうのがなかなか難しくてさ。違和感なく仕上げないといけないからさ」
「そこが重要だからよろしくね」
「変な注文だよな。そんな気持ち悪いことわざわざ曲の中に入れるなんて。それにどんな人たちがこの曲を歌うかも先方は教えてくれないんだろ」
「玄ちゃんはそんなこと気にしなくていいの。言われたことをやってればね。いいお金もらってんでしょ」
「それ言われちゃうとなぁ。でも紹介してくれてありがとな。今、また曲作りをできて楽しいよ」
「レコーディングはやっぱりカナダに行くの」
「そうだな。あいつの力がないとこの曲は完成しない気がするんだよ。なにより、あいつとまた音楽をやりたいしな」
「バンドって解散した後もそうやって続いてるんだね」
「バンドっていろんな解散の仕方があるんだよ。おれもたくさんのバンドが解散するところを見てきたよ。メンバーたちが仲悪くちゃって解散するのもあったし、ヴォーカルだけメジャーデビューするから解散したバンドもあったな」
「玄ちゃんのところはどうだったの」
「おれたちは、おれが古着屋やりたくなったから解散したの」元橋は笑いながら言った。
「うそでしょ。ほんとはなんで解散したの」
「摩耶と出会ったからだよ」
「ちょっと! ちゃんとほんとのこと言ってよ」
「また今度な。で、今日は泊まっていくのか」
「うん」
摩耶と元橋は腕を組み新高円寺の方へ歩いていった。