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真夜中に咲くガランサス  作者: 一ノ木深緑
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第五話 刎頚の友

 長瀬誠と大学時代の友人である佐伯浩太は高円寺の庚申通りにあるたこ焼き屋「丸たこ」で卒業式振りに再会を果たしていた。

「やっぱここのたこ焼きが1番すよ、店長」佐伯はたこ焼きを頬張りながらたこ焼きを焼く店長に人差しを立てて言った。

「ふたりで来るのは久し振りだね。長瀬くんは大学の人たちとよく来るからね」店長の丸岡はたこ焼きを転がしながら言った。

「卒業式の打ち上げ以来っすね」

「何、そんな忙しかった。それともうちよりうまいたこ焼き屋見つけちゃった」丸岡はわざとらしく意地悪く言った。

「んなわけないじゃないですか、ここがナンバーワンたこ焼き屋っすよ。いや、ほんと忙しくて全然来れなかったんすよ」

「忙しいのに来てくれてありがとよ。ほい、これサービス」そう言うと丸岡はイカ焼きをふたつテーブルに置いた。

「おー、イカ焼き! あざす、店長!」佐伯は屈託のない笑顔を見せて言った。

「ありがとうございます」長瀬は佐伯の笑顔に違和感を感じていた。

「ゆっくりしてってよ」

 ふたりはイカ焼きにソースをかけ「やっぱこれだよな」と言いながらあっという間に平らげた。イカ焼きを食べ終えて、佐伯は本題とばかりに表情を変え言った。

「それでその人はどうなったんだよ」

「それ以降は全然警察からも連絡ないし、教授も何もなかったみたいな感じだしさ」

「いやいや、教授怪しすぎでしょ。自分の担当してた患者っていうの、その人が殺人を犯して何も音沙汰なして。絶対なんか絡んでるでしょ」佐伯はジョッキに残っていたビールを飲み干した。

「教授もショックなんじゃないか。担当してた方が殺人事件を起こしてさ、大学でも対応が正しかったのかって絞られてるみたいだし、メディアにも割と取り上げられて、疲れてんだよ」

「誠はほんと優しいよな。そんな優しい誠にお願いがあるんだけどさ」佐伯はわざとらしく急に猫撫で声で言った。

「なんだよ、お願いって」

「事件の事でインタビューさせてくれ。頼む」そう言うと佐伯はテーブルに両手と頭をつけた。

「久し振りに連絡があったと思ったら、そういうことか。それは流石に無理だよ。そんなことしたらおれは即退学だよ」

「だよなぁ」佐伯は肩を落とし項垂れた。

「すまん、無理なお願いしちゃって」佐伯は空になったジョッキを手に取り、店長に同じものを注文した。

「俺にそのネタっていうのか、そんなこと頼むなんて珍しいよな。YouTube、うまくいってないのか」

「そんなところだ」


 佐伯浩太は大学卒業後、テレビ制作会社の内定を蹴り、有名ユーチューバーである「ナギサックス」のアシスタントになった。アシスタントをやりながら、その有名なユーチューバーにバズる動画の極意を教えてもらい、そのノウハウを武器に一年後、つまりこの時期には自らユーチューブチャンネルを開設し、そして、バズりにバズって自分も有名ユーチューバーの仲間入り! というのが佐伯の計画だった。だが、未だに自分のチャンネルはなく、アシスタントとして懊悩とした日々を過ごしていた。

 佐伯は人を楽しませること、人の笑顔を見ることが何よりも好きだった。将来は多くの人を笑顔にできる仕事をしたいと思っていた。

 きっかけは中学生の頃に見た深夜の若手のお笑い芸人が出ていたテレビ番組だった。当時、佐伯は友達と遊ぶこともほとんどせず、サッカー部でとにかくレギュラーになるために必死で練習をする日々を送っていた。しかし、練習の成果は現れず、レギュラーにもなれずに学年が上がっていき、ついには後輩にレギュラーを奪われ、三年生になる頃にはレギュラーになることを諦めかけていた。そんな時にふとそのテレビ番組を見た佐伯は久し振りに涙を流しながら腹が捩れる程笑ったのだった。番組が終わると、佐伯は身体が軽くなったように思えた。笑って肩の力が抜けたのだろう。そのおかげか、余計な力が抜けた状態で練習に励んだことで三年の最後の公式試合でレギュラーを勝ち取ることができた。もちろん毎週欠かさずその番組は見続けた。そして、佐伯の中である想いが生まれた。「俺も人を笑顔にする仕事をしたい」そう思うようになったのだ。

 高校に入り、佐伯は人を楽しませることができるものに手当たり次第取り組んだ。バンド、演劇、自主制作映画、お笑い、ダンス、いろんなことに本気で挑戦をした。人を目の前にパフォーマンスを行い、そこで見ている人たちが笑顔になったり、ゲラゲラと笑ったり、拍手をもらったりしたことで、さらに佐伯は人を楽しませることへの欲が深まっていった。芸人になりたいという訳ではなかったが、特にお笑いに関する探究心は日に日に強くなっていった。

 佐伯は大学に進学すると同時に茨城県の北部から上京をした。大学は自分が住みたい街の近くにある大学を選んだ。そんなことは親にも担任の先生にも言っていない。そこはお笑い芸人が多く住む町、高円寺だった。

 佐伯は引越しの初日から高円寺がお笑い芸人の街だと実感した。改札を潜り、北口を出ると目の前に広場がある。そこにはいつもどんな時間でも人がいて、酒を飲んだり、ギターで弾き語りをしていたり、演説をしたりしている人たちがいる。まさに演芸の街だと感心していると前からテレビ見てみたことある芸人が普通に歩いてきて、佐伯は度肝を抜かれたことをよく覚えている。引越しをして間もない内は、家を出て下手をすると数歩歩いただけで芸人に出会した。そんな毎日を過ごしているうちに芸人たちとの邂逅は佐伯にとってはごく普通の光景に変わっていった。その普通が佐伯には心地よかった。自分のすぐ近くに人をお笑いで幸せにできる人たちがいるのだと思うと。

 大学二年になる頃、佐伯はYouTubeにハマっていた。彼は、テレビではなく、あくまでも素人が画面の中で自由な発想で面白いことをしているということに、まず衝撃を覚えた。その頃には佐伯はあまりテレビを見なくなっていた。中学から毎週欠かさず見ていたテレビ番組を見ることも隔週になり、1ヶ月に一回になり、半年に一回になり、段々とテレビ番組を見る機会が減っていった。いつのまにか、その番組も最終回を迎え、最終回くらい見ておかないとなと、義務というべきか情というべきか、久しぶりにテレビでその番組を見たが、なんの感情も湧き出てこなかったのが、少し寂しいと佐伯は感じた。

 佐伯はYouTubeにハマる中、今アシスタントをしているナギサックスのチャンネルをたまたま知った。

 ナギサックスのチャンネルは主にはバラエティのジャンルに括られ、実験系や実証系などと言われるものだった。佐伯はナギサックスのチャンネルを見ていて、中学の頃に見ていたお笑い番組を見ていた時の感情を思い出していた。今、テレビで世の中的にとか倫理的にできないことをナギサックスが見せてくれているように思えたのだ。

 大学三年になり、周りは就職活動を始め、佐伯もそれに習い、就職活動を始めた。第一志望はテレビ業界の制作だった。就職と考えると、今後の人生と結びつくため、テレビ業界に対する気持ちはすでに薄くなっていたが、どこかに所属して作品作りに携われればとそんな軽い気持ちで就職活動に挑んだ。しかし、案の定、佐伯の気持ちは見透かされていたのか、内定を貰える会社はなかなか現れなかった。漸く、四年生の秋に佐伯自身は見たことのないテレビ番組を作る制作会社から内定をもらうことができたが、佐伯の気持ちはどこか違う方向を向いていた。自分がやりたいことはこういうことなのだろうかと、自問自答を繰り返す日々が続き、冬が来た。

 それは運命の出会いというものだったり、人生の岐路といっても過言ではない出来事だったかもしれない。バイトを終え、高円寺の庚申通りを過ぎて早稲田通りを渡ったところにある居酒屋、ボカン亭のカウンターでひとりで飲んでいると、中学の時に夢中で見ていたあのテレビ番組に出ていた芸人がそこへ入ってきたのだ。その芸人は徐に佐伯の隣に座り、晩酌を始めた。佐伯は芸人に気遣い、知らないふりをしながら、酒を飲み続けた。すると、唐突に芸人が話しかけたものだから佐伯は飲んでいた酒を少しだけ吐き出してしまった。

「すまんすまん、いきなり声かけたから」

「いえいえ、大丈夫です。こちらこそすみません」

「お兄さん、学生さん」

「はい。今、大学四年です」

「ほんなら就職先とか決まっとん」

「はい、なんとか」

「どんなとこで働くか聞いてええ」

「全然いいですよ。はい。あの、一応テレビ番組の制作会社です」

「ほんまかいな。なら近いうち一緒に仕事するかもな」

「あ、はい」

「あれ、もしかして僕のこと知らん」

「いやいやいや、知ってます知ってます。もう中学の時から見てましたから。なんならファンですから」

「にしては、テンション低いなきみ。さては、なんか悩みでもあるんやな。ほんでここでひとりで飲んでるんやろ。図星やろ」

「悩みというんでしょうか。なんというか」

「言うてみ。隣に座ったご縁や。相談乗ったるわ」

「まじですか。ありがとうございます」

「ほんで悩みはなんや」

「僕、ホントはユーチューバーになりたいんですよ」

「ほー、今時というかなんという。テレビはあかんか」

「あかんというわけではないんですが、今、僕がやりたいことをやりたいんです。テレビの世界に入ると、きっと僕のやりたいことができるのはずっと先で、そしたら今僕が面白いと思っていることは、その時には面白くないものになってるかもしれないじゃないですか。今、僕が持っている今伝えたいことを伝えたいんです。伝えたいというか、人をそれで楽しませたいんです」そう言い終わった瞬間に、ああ、テレビで活躍する人にこんなこと言ったら嫌われちゃうかなと思った。

「熱いな、きみ。きみみたいな若い熱い子がテレビ業界に入ってくるとテレビも今よりもおもろくなると思うんやけどな。でも、今やりたいことは今やるべきや。おれもそうやった。今しかできひんおもてお笑い始めたんや。結果的ではあるけど、今もお笑い芸人を続けてる。だから、あん時の俺の選択は間違ってなかったんやって思う。まぁ、失敗してても次で成功すればいいや。要するにやりたいことをやらへんという後悔を背負いながら生きてくいうんは辛いで。せやから、自分が思ったように生きるのが一番や」

 佐伯は黙って頷きながら芸人の話を聞いた。そして、決めたのだ。

 その翌日、内定先に内定辞退の連絡をした佐伯は、ナギサックスにSNSで連絡を取った。アシスタントになりたいことを伝えたが、あっさりと断られた。しかし、佐伯は諦めず、SNSで想いを送り続け、時にはイベントなどに直接会いに行き、想いを伝えた。しかし、非情にも時間だけが過ぎていき、あっという間に卒業式を迎えた。

 卒業式が終わり、友人たちはこれから始まる新しい道への不安と期待を交じらせた表情で別れを惜しんでいる中、浮かない顔をしていてのは佐伯だった。

「おいおい、なんだよその顔は。卒業だぞ。もっとめでたくいこうぜ」声を掛けたのは長瀬誠だった。

 長瀬は大学院に行くことが決まっていた。

 長瀬と佐伯は軽音サークルで知り合った。佐伯はいろいろと掛け持ちでサークル活動をしていたこともあり軽音サークルに顔を出すことは稀だったが、お互いがベース弾きということもあって、すぐに打ち解け、自然とサークル外でもつるむようになったのだ。大学が終わるとよく高円寺に行き、何をするでもなく古着屋などを冷やかし、夜になると佐伯の家に行き、安い酒とつまみで夜を明かした。

「おまえはいいよ。進路が決まってるから」

「まだあのなんとかっていうユーチューバーにアタックしてんのか。他のユーチューバーじゃだめなのか」

「ナギサックスな。だめ、ぜったいダメ。おれが目指すところはあそこなの。だから絶対あの人のアシスタントになるまで諦めない」

「まぁ、その意志の強さがあればなんとかなるか」

「成る!」

「じゃあ、とりあえず飲み行くか、丸たこからのボカン亭」

「行くか!」

 その夜、ふたりともベロベロに酔っぱらい、高円寺の庚申通りを歩いていると佐伯の携帯が鳴った。SNSの通知だった。

「もう卒業おめでとうメッセージはお腹いっぱいですよーと」そう言いながら佐伯はポケットからスマホを取り出し画面を見つめた。画面を見つめたと思ったら急に立ち止まり、佐伯はそこから動かなくなってしまった。佐伯はスマホの画面を凝視していた。

「なんだ、母ちゃんからお祝いの自撮りエロ画像でも来たか」

「うるせー、アメリカの母ちゃん使ったいじりみたいなやつやめろ。それどころじゃない。遂にきたよ、誠」

「なにが」長瀬はヨロヨロと佐伯に近付きスマホを覗き込んだ。

 佐伯のスマホの画面にはナギサックスから「明日からうちの事務所に来てくれ」と記されてあった。

 ふたりは深夜の庚申通りで抱き合って喜んだ。

 翌日、佐伯はナギサックスの事務所へ行き、正式にアシスタントとしての生活が始まった。憧れのユーチューバーと仕事ができることで最初は浮き足立っていたが、想像以上の過酷さを知るのはすぐのことだった。

 佐伯が一番驚いたのはナギサックスの人間性だった。動画では見せない裏の顔というのだろうか、それを知ってからというものナギサックスへの憧れというものは徐々になくなっていった。しかし、動画は斬新で誰も見たことのない企画を考え、作品を作り、YouTubeにアップすると毎回すぐに百万再生以上はされてしまうのだ。

 ナギサックスの人間性。人の心がないというのだろうか。人の心を感じ取ることができないというのだろうか。だから、自分の利益だけを考え、他人をその道具として利用する。それがナギサックスだった。だからアシスタントがよく変わるとその界隈では有名だった。佐伯に連絡が来たのも、アシスタントが辞めたから、その補充のために、ナギサックスは佐伯に連絡をしたのだ。

 パシリなんてものは日常茶飯事で、ナギサックスがやりたくないことはすべてアシスタントが行う。家事ももちろんアシスタントが行う。ナギサックスが腹減ったと言えば、何かアシスタントが作るが、口に合わないと食器ごとアシスタントへ投げてくる。動画撮影中、何か足りなければアシスタントが走る。ナギサックスが求めていたものと異なればまた走らされる。真夏の焼けるような日も、電柱が凪倒れるくらいの台風の日も、佐伯は走った。これがきっと今後の自分にプラスになる経験になるんだと信じて、過酷な日々を耐えた。しかし、佐伯は自分がおかしくなっていることに気づき始めていた。世界の色が以前よりも薄く、狭くなっていていることを。


 長瀬誠に会う数日前のことである。

「お前、あの人を食った事件に関係してる大学に知り合いいるよな」ナギサックスが唐突に言った。

「あ、はい」

「あ、はい、じゃねぇよ。わかるだろ」ナギサックスはソファーに座り目の前のテーブルを蹴飛ばした。

「というと」

「ほんとてめーは頭が回らねーな」ナギサックスはテーブルにどかっと足を乗せて言った。

「その知り合いに事件のこと聞いてこいよ。これは再生数伸びるぞ。早く行ってこい」

「わかりました」佐伯は事務所を飛び出し、すぐに長瀬に連絡をした。

 しかし、佐伯は長瀬にインタビューを断られ、意気消沈しながら事務所に戻り、「ダメでした」とナギサックススに告げると、彼は飲んでいた瓶ビールを佐伯に投げつけた。瓶ビールは佐伯の額に直撃し、そこから血が滴った。

「てめぇ、ふざけんなよ。この前買ったばっかのペルシャ絨毯だぞ。弁償な。給料から減らしておくからな」

「すみません」佐伯は額を抑えながら謝った。額を抑える手の隙間から血が滲んでいた。

「で、なんの収穫もなかったのかよ。おまえマジでクビにすんぞ」

「いえ、あの、容疑者の人たちは事件を起こす前にCDを聞いていたらしいんですよ」

「なんだそれ、どういうことだよ」

「いや、よくわからないんですけど、とにかく事件を起こした人は全員何かの音楽を聞いて、事件を起こしたと警察を話していたそうです」

「じゃあ、おまえそのCD持ってこい。それで検証すんぞ。もしその話が本当なら、そのCDを聞いたやつは頭がおかしくなって人を食っちまうってことだよな。おもしれー。よし行ってこい」

「いや、でも、どうやってそのCDを手に入れるんですか」

「それを考えるのもてめーの仕事だろーが! さっさと行ってこい、くず!」

「は、はい。すいません」また佐伯は事務所を飛び出していった。

 事務所を出て、歩きながらそのCDをどうすれば手に入るのか考えていた。額の血はまだ止まっていない。佐伯は持っていたタオルで出血しているところを押さえながら住宅街を歩き、長瀬から聞いた話を思い出していた。


「じゃあ、俺から聞いたって絶対に言うなよ。それを約束できるならひとつだけ教えてやってもいいことがある」

「わかった。絶対に誠から聞いたとは言わない」

「警察が言うには事件を起こした人たちは皆、事件の前に何か音楽を聞いていたんじゃないかって言ってたんだよ」

「その音楽ってなんだよ」

「どうもうちの板垣教授が渡したCDらしいんだよ」

「つまり、板垣教授に渡されたCDを聞いて、事件を起こした人たちは人を食ったってことになるのか」

「でも、板垣教授は警察にそのCDを聴かせてるんだよ」

「その音楽を聴いた警察は」

「俺もその場にいたけど何も起こらなかった。アイドルの音楽みたいだったな」 

「アイドル。なんか意外だな。なんかもっとサイケデリックな音楽かなんかかと思ったけど、アイドルの歌なんだな。それで、誠も警察ももちろん教授もその場で殺し合うみたいなことはなかったと」

「なかったからこうやって話せるわけだな」

「そりゃそうだ。で、そのCDはどこにあるんだ」

「教授が持ってるらしい。なんでも、希死念慮が強い人に渡してるって教授が警察の人に話してたよ。なんでも弱った心にアイドルの楽曲っていうのはいいらしい。そんなこと言ってたよ。研究会でエビデンスだなんだって言ってる教授がそんなこと言い出したのに俺は驚いたけどな」


 佐伯はスマホで明和大学の相談室に電話をした。

「すみません、佐伯浩太という者です。こちらで相談に乗ってもらえると聞いて電話をしたんですが」

「佐伯さま。どなたかからのご紹介でしょうか」

「そちらの学生さんの長瀬誠さんです。大学時代の友人でして」

「あー、長瀬くんの。相談したい内容はどのようなものになるでしょうか」 

「今、ちょっと病んでて、死にたいというか、どうしたらいいかわからなくて」 

 電話の向こう側が一瞬だけ静まりかえった気がした。何か電話の向こうで確認しているようだった。

「本日、相談室へは来られますか」

「はい、すぐ行けます。三十分後には到着できると思います」

「三十分後ですね。少し待ち合室でお待ちいたただくかと思いますが、よろしいでしょうか」

「はい。構いません」

「では、お待ちしておりますので、お気をつけてお越しください。何かあればまた連絡をください」

「わかりました」

 電話を切った佐伯は少し肩の荷が降りた気がした。死にたいと言ったことは嘘ではなかった。ナギサックスのアシスタントになって、何度も死にたいと思ったことがあった。これはきっと心の病いだろうと自分でも気付いてはいた。しかし、夢を叶えるためにはそんな弱さに蓋をして、辛い事に耐える他なかった。


 相談室の待合で暫く待っていると佐伯の名前が呼ばれた。

「第一相談室にお入りください」待合室の受付から声がかかり、佐伯は待合室を後にした。

 第一相談室のドアをノックすると、中から男性の声でどうぞと返ってきた。ドアを開けると中には板垣教授が椅子に座っていた。

「どうぞ、そこに座ってください」

「失礼します」

「長瀬くんの知り合いだそうですね」

「はい。誠、いや、長瀬さんがここで相談員をしていると聞いていたので」

「長瀬くんとはいつからのお知り合いですか」

「大学の時ですね。バンドサークルで一緒だったんです。そこからです」

「そうでしたか。それで、今日はどんなご相談を」

「えーと、なんと言いますか。仕事で少し悩んでいまして」

「どんな仕事をされているんですか」

「ユーチューバーのアシスタントです」

「ユーチューバーというのはYouTubeに出ている人のことですか」

「そうです」

「すみません。そういったものをあまり見ないもので」

「いえいえ、まだまだマイナーな仕事ですから。うちの親とかもやっぱり心配してて、いつまでそんなこと続けるのって定期的に連絡をくれます」

「アシスタントと仰られてたので、上司の方との関係はあまりよろしくないですか」

「そ、そうですね」いきなり核心を突かれ、この人は人の心が読めるのかと驚きながら佐伯は答えた。

「毎日その方と顔を合わせなくてはいけなくて、お辛いでしょうね」

「はい」板垣教授が自分の気持ちを代弁してくれている、そう思った。

「それで、自殺を考えてしまうと」

「え、あ、はい」自殺という非現実的な言葉を聞いて、佐伯はハッと我に返ったように思えた。そして、CDのことも思い出し、ナギサックスの不機嫌な時の顔が浮かんだ。

「自殺を考えてしまうほどお辛いのですね」

「はい。いま、とても辛いです。朝、職場に向かっている時とか、仕事中とか帰り道とかで、このまま死んだら楽になれるかなって考えることが多くなりました」嘘ではなかった。駅のホームで電車を待っている時、通勤時に見える七階建てのビルの屋上を見たとき、紐を括って体重を掛けても大丈夫そうな自分の部屋にある健康器具を見たとき、生活の様々な場面で自分が自殺することを想像することが増えていた。

「提案なのですが、その方と一度お話ししてみるというのはいかがでしょうか。佐伯さんが今思っていること、感じていることを、その方にお伝えをするんです」

「そんなこと今の僕ではできないですよ。そんなこと考えただけで死にたいって気持ちが増します」

「でしたら、お薬を出します。まだ治験段階のものですが、緊張をほぐしたり、何より希死念慮、つまりその自殺願望を取り除いてくれるというデータが出ている薬です」板垣は持ってきたアタッシュケースの中から、カプセル錠の薬を取り出した。

「あの」

「なんでしょう」

「副作用とかそういったものってないのでしょうか」

「薬の種類で言えば抗うつ薬になりますから」と言い、一般的な抗うつ薬の副作用の説明を板垣はし、話を続けた。

「とりあえず、一錠だけ話し合いの前に飲んでください。それと」板垣は今度はアタッシュケースの中からCDを取り出した。

「ポータブルCDプレイヤーってお持ちじゃないですよね」

「持ってないですね」

「このCDはおまじないといいますか」

「おまじない」

「そう、おまじないです。アイドルが歌ってる曲なんですが、これを聞くと力が湧いてくるという人がたくさんいるんです」

「聴くだけで力が湧くんですか」

「不思議な話ですけど、実際そうなんですよ。なので、薬を飲んで、話し合いの前にこれも聴いてください。きっとうまくいきますよ。CDプレイヤーはお貸しするので、どうぞ」

 佐伯はカプセル状の薬、CD、CDプレイヤーを受け取ると、すぐにナギサックスの事務所へ戻った。ナギサックスの事務所の前まで行き、板垣から渡された薬をペットボトルのお茶と一緒に喉の奥に流し込んだ。そして、CDをCDプレイヤーにセットし、イヤフォンを耳に差したところで、事務所のドアが開いた。開けたのはナギサックスだった。

「こんなとこで何やってんだよ。おい、それもしかして例のCDかよ」

「あ、はい」

「やればできんじゃん、佐々木」

「佐伯っす」

「あ、なんでもいいよ。それよこせ。これからこれ使って生配信すんぞ。5分で用意しろ」

「わかりました」

 佐伯は生配信用にカメラとマイクと照明、それとCDを聴くためのパソコンを凪サックスに罵られながら用意した。

「用意できました」

「よし、じゃあツイッターとインスタで告知しとけ」佐伯はナギサックスに言われた通りにSNSでこれから生配信をすることを告知した。


 『今日夕方5時からヤバい生配信やります。おそらく伝説の生配信になると思うので、お見逃しなく! いま、話題の人食い事件に関連する動画です。この事件の真相知りたいやつは絶対見逃すな!』 


 生配信開始1時間前にはSNSのリツイートやいいね数は十万を超えていた。

「みんな期待してんぞ、これ。やべぇ、なんか興奮してきた」ナギサックスはSNSの反応を見ていつも以上に興奮しているようだった。

 午後5時ちょうど、生配信が開始された。

「どーも、ナギサックスでーす! みんなSNSのリツイートとか、いいねありがとうね!みんなもやっぱあの人食い事件は気になるよね。俺はね、独自のルートからある衝撃の事実を突き止めたんだよ。やっぱ、警察じゃないけど足使って探さなきゃだめだね。そのお陰でヤバいネタ掴んだんで、これから話していくね」

 佐伯はカメラの後に立ち、パソコンで視聴者のコメントを確認していた。

『ナギサックスさすが!』

『解決させちゃうんじゃない』

『その行動力に脱帽』

『凄い推理力!』

 ナギサックスに対する賞賛のコメントがひっきりなしに画面の中を流れていっている。佐伯はそのコメントを見てナギサックスに対する苛立ちを募らせていた。

「真相の前に。この事件のことをまだ詳しく知らない人のためにちょこっとだけおさらいをしておくな」ナギサックスはウインクをひとつして人差し指を立てた。

 視聴者がどんどん増えていき、画面には視聴者からのコメントが次から次へと流れていく。

『じらすねぇ』

『ウインクで目眩しました』

『その人差し指だけでも愛おしい』

『真相早く知りたーい』

 佐伯は毎回視聴者からのコメントを読んでヘドがでそうになるのだ。

「まてまて、そう焦らせるなって。まず、最初の事件はアイドルがファンの男に食われたってやつな。あれは衝撃的だったよな。で、次が、息子が父親を食ったやつな。親を食うな、まじ。食っていいのは脛だけだって。脛も齧る程度な、ははは。で、最後が会社の社長が従業員を食ったやつな。あれ何人食ったんだっけ。四人だか五人だったよな。いや、腹減りすぎでしょ、社長。ははははは」ナギサックスは下品に笑い飛ばしていた。

「それで、ここからが本番ね。お、視聴者がもうすぐ百万人じゃん。じゃあ、百万になったら事件の真相を話そうかな」そういうとナギサックスは椅子に踏ん反り返り、画面を眺めていた。

 それから数分もしないうちに視聴者は百万人を超えた。

「おおおお、百万きたね! ありがとうね! じゃあ、事件の真相発表しちゃうよ!」ナギサックスはそう言うと、画面外からCDケースを取り出した。

「これ、わかります。CDです。見りゃわかるか。これが事件の真相。なんと三つの事件に共通していたのが、このCDだった訳。どういうことか説明するな。人を食った犯人全員がこのCD、一番最初のアイドルの事件の時はそのライブで流れていた音楽を聴いて、頭がおかしくなって人を食ったってことだ。みんなついて来てる。コメント止まってるよ。まぁ、そんなこと本当にあんのかって話しだよね。だからここでナギサックスが実証してみたいと思いまーす」

 画面がコメントで溢れている。

『まじかよ』

『じょあ、聴いた俺たちも人食いになっちゃうってこと?』

「いやいや、そんなことあるわけないじゃん。大丈夫、大丈夫。聞くのは俺だけ。ちゃんと俺だけヘッドホンをして君たちには聞かせないから」ナギサックスがコメントに返答した。

『よかった』

『いや、逆に聞ききたいけどな』

 様々なコメントが画面に流れている。

 ナギサックスはCDケースからCDを取り出し、パソコンにセットした。

「それじゃ、実証スタート!」ナギサックスはマウスをクリックしてCDを再生させた。

「なんか、ロック調でアイドルアイドルしてない感じ。今のところなんともないね」ナギサックスはヘッドホンから流れる音楽を身体を揺らしながら聞いていた。

「割といい曲だね」

 佐伯もヘッドホンを付けCDの音楽を聞いていた。ナギサックスと同様に曲を聞いても自身にはなんの変化も感じることはなかった。しかし、曲が進み、間奏のギターソロが始まると、佐伯の心臓がドクンと大きく鳴った。すると視界に光る点が点滅しはじめ、佐伯は瞬きをしたり、目を擦ったりしたが、その点滅は消えることはなかった。更に突然、身体全体が痺れるような痛みに襲われ、またひとつ心臓がドクンと鳴ると、佐伯は意識を失った。しかし、意識を失ったと言ってもその場で倒れたりする訳でもなく、白目を抜き、口をだらしなく開け、身体は脱力しているようだが、立っていることはできていた。

 佐伯の様子に気付いたナギサックスは、そばにあったボールペンを佐伯の顔に投げ付けた。ボールペンは佐伯の顔に当たったが、何の反応も示さなかった。

「みんな、ちょっとごめん。アシがぼーっとしちゃって」そう言うとナギサックスはパソコンの音声をミュートにして、画面上から消えた。

 視聴者が見ている画面にはナギサックスの部屋の壁が映されて、そこにコメントが流れていた。

『どしたー?』

『大丈夫かー?』

『アシくーん大丈夫ー?』

 突然、画面が大きくズレた。カメラに何が当たった衝撃で画面がズレたのだ。

『喧嘩でもしてんのかー?』

『おーい』

『事件とかやめてくれよー』

『おー、なんかそれっぽくなってきたね』

『これがリアルっしょ』

 視聴者からのコメントが傾いた画面にどんどん流れてくる。すると突然、その画面に映る壁に血飛沫が飛び、ナギサックスの部屋の壁を赤く染めた。

コメントの数が一斉に増える。

『血!』

『こえー!』

『これ、まじなやつ?』

『通報した方がいいんじゃね?』

『アシがナギサックスに食われた?』

『まじでやばいやつじゃね?』

 更に大量の血が壁にかかり、視聴者からのコメントで画面が溢れかえっている。

 数分間、画面は静止画かのように何も変化が起こらなくなった。視聴者のコメントだけがひっきりなしに流れている。そこに「ドッキリ」と書かれたプラカードが画面上に現れ、すぐにナギサックスも画面上に現れた。

「テッテレ〜。どっきりでしたー! みんなビビったっしょ!」

 視聴者からのコメントは安堵の声のものが多く流れている。

「まんまとひっかかりましたね。これこれ、これがエンターテイメントですよ! ちょっとハプニングもあったけど、今回のドッキリは大成功ってことで! これは明日ヤフーニュースだな。ははは」

 ナギサックスの目の前には白目を抜いて口角を上げた佐伯が立っていた。視聴者には佐伯の姿は見えていない。

「いや、そのハプニングっていうのさ、アシがぼーっとしてて、俺が機転を利かせて、ドッキリの段取りすぐ変えて、俺が画面の見えないところで食われた演出を自分でやったわけ。我ながらこの判断の速さを天才だなと思ったよ、ははは」ナギサックスが笑っているとカメラが倒れたのか画面が真っ暗になり、音声だけが視聴者には聞こえていた。

 ドタン。何かが壁に当たる音が聞こえる。

「なにやってんだよ」ナギサックスの怒鳴る声がパソコンの真っ暗な画面の中で響く。

 更にドンと何かが当たる音する。

「佐々木てめー!」ナギサックスの怒鳴る声で音が割れる。

「いっ!」

ドンドンドンドンドン何かがどこかに当たる音が暗い画面から聞こえる。

「くちゃくちゃくちゃくゃくゃ」

 ドタンバタンと何かが当たったのか、落ちたのか、暗い画面は暗いままである。

 ドンドンドンドンドン。

「くちゃくちゃくちゃくゃくゃ」

 真っ暗な画面から不気味で耳障りな音だけが聞こえてくる。

「くちゃくちゃくちゃくゃくゃ」

 すると、突然画面が明るくなり、目の前に顔を血で真っ赤に染めた佐伯が現れた。

 コメントが流れる。

『だれこいつ?』

『これ血?』

『これもドッキリ?』

『手が混んでますね』

『なに食ってんだコイツ』

『ナギサックスはどこいったんだよ』

 佐伯はカメラの画面を見つめながら何かを食べていた。しばらく咀嚼してから咽喉を鳴らして口の中の物を飲み込んだ。そして、佐伯は画面からいなくなり、画面の見えない部分から何かを引き摺る音が聞こえた。その音が段々大きくなり、音が止んだ瞬間、画面の上から何かが落ちてきた。画面に佐伯が再び映り込み、そして目玉を抉り取られ、鼻のあった場所には穴がふたつだけあり、口は耳の方まで裂け、耳は両耳ともない男の顔を彼は画面に映した。画面にそれが映った瞬間、画面は真っ暗になった。配信は強制的に運営側に切られたのだった。

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