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真夜中に咲くガランサス  作者: 一ノ木深緑
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第一話 端倪

 鈍色の雲が今にも落ちてきて、世界を潰してしまいそうな、そんな空模様だった。


 男は鞄からピルケースとペットボトルの水を取り出し、震える手で薬を口の中に放り込んだ。そして、ペットボトルの水を勢いよく喉に流し込み、男は深く息を吐いた。

「早かったな。待ったか」

 男が振り返ると男の友人が挨拶代わりに光らせたペンライトを振っていた。

「まぶしいよ」

「いやー、気持ちが抑え切れなくてさ。お前もそんな陰気臭い顔してても案外楽しみにしてんじゃないの」茶化すように男の友人は言った。

「楽しみってわけじゃないけどさ」

「けどなんだよ」

「誘ってくれてありがとな」

「なんだよ、改まって。水くせなぁ。お前のその痩せ細った身体とあの散らかった部屋を見たらなんかできねかなって思っただけだよ」

「それで、アイドル」

「そうだよ。アイドルは病んだ心に刺さるぞー。俺も幾度となくアイドルに助けられたもんだよ。アイドルは薬みたいなもんだな」

「薬ねぇ。冷たっ」男の頬に一粒の雨が伝った。


 ライブハウスの中はすでに多くの客で埋め尽くされていた。男と友人は前方に行くことを諦め、ライブハウス後方の壁に寄りかかっていた。

「そういえば、今日のライブってなんてアイドル」

「あれ、言ってなかったっけ。ソルシエールってアイドルだよ」

「ソルシエール。有名なのか」

「ある意味有名ちゃ有名だな」

「ある意味ってどういうことだよ」

「お前、最近テレビとかネットとか見てないもんな。このソルシエールってアイドルのメンバーはさ、いろいろあった子たちが集まったアイドルグループなんだよ」

「なんだよ、いろいろって」

「俗に言うスキャンダルを起こした子だったり、メンバーの中に病気の子もいたりしてさ。そいう子たちが集まって再出発しようっていうコンセプトで始まったアイドルなんだよ」

「へぇ、そうなんだ。曰く付きのアイドルなのか」

「言い方よ。曲聞いたら絶対お前も人生変わるぞ」

「んな、大袈裟な」

 辺りを見ると身動きが取れないほどの客がライブハウスを埋め尽くしていた。どこか異様な雰囲気が会場に流れる中、会場は暗転し、低音のよく効いたSEが流れ始めた。客たちはそのビートに合わせて手拍子を始めたり、メンバーの名前を叫んだり、歓声があちらこちらで上がっていた。男の友人も飛び跳ねながらペンライトを振り「あいかー!」と叫んでいる。

 やがてSEが止まり、それと同時に客の歓声も消え、静寂が辺りを包んだ。男の耳の奥底で残響が蠢いていた。

 スポットライトがステージを照らすと、ステージ袖から静かに女の子たちが現れた。静寂は保たれている。男の耳の中の残響は続く。

「ソルシエール、始めます」真ん中に立つ女の子がそう告げると、スピーカーからディストーションの効いたギターイントロが会場を響かせた。そこに、ドラムとベースが重なり、最後にサイケデリックなシンセサイザーが疾走感のあるメロディーを鳴らした。

 客たちはお互いに体をぶつけ合い、叫び、ペンライトを振り回している。

 ステージ上の彼女たちは髪を振り乱し、激しく、可憐に舞っていた。そのアイドルの中のひとりに男を蠱惑す眼差しを向ける女の子がいた。男もじっとそのアイドルを見つめていた。

 1曲目の演奏が終わる。

「いいだろ、ソルシエール」友人のペンライトを握る手に力が入っていた。興奮しているのだ。

「なんか思ってたのと違って驚いてる。なんかもっとアイドルアイドルしてるのかと思ってた」

「だろ。このギャップがいいんだよ」

「じゃあ、早速次、新曲行きますね」そう、アイドルの子が告げると、客たちは太い声を会場に響かせた。

「この曲は九十年代のメロコア 、スカコア、ハードコア、ミクスチャーが盛り上がっていたその当時に活躍されていたたバンドの方が書き下ろしてくれた曲です。その当時の想いや、そういった音楽が廃れてしまった哀しさ、そして、私たちの再起にかける想いがこの曲に詰まっています。それでは聞いてください」アイドル全員がマイクを口元に近づけ、息を吸い込んで言った。

「真夜中に咲くガランサス」

 スラップベースからのイントロ、そこへ四つ打ちのバスドラムが加わる。さらに、ハイハット、そして、スネアのリズムが客たちの体を揺らす。そのまま、囁くような彼女たちの歌が乗っかり、重なる音がループする。

 突然、男はぐるぐると会場が回っているような感覚に陥った。

 十六小節それが続き、十六小節目の最後、突如音が止まり、二分休符が入る。

 パンと破裂音が鳴る。何が破裂したのかわからない。実際に何かが破裂したのか、自分の頭の中の何かが破裂したのか、男は混乱していた。

 客たちはお互いに体をぶつけ合ったり、肩を組んだり、手を上げて身体を揺らしたり、あちらこちらで咆哮があがっている。

 そんな中、男は口を大きく開け、眼は白目を向いていた。友人は男の様子に気づかず踊り散らかしている。

 男は次第に手が震え出し、頭を左右に大きく振り始めた。そして、奇声を発し、ステージ目掛けて走り出した。男は客たちを突き飛ばし、柵を乗り越え、アイドルの前に立ちはだかった。男は一瞬だけ口角を上げ、そして、次の瞬間、男はアイドルの首元に噛みつき、首の皮を噛みちぎった。アイドルが持つマイクが首の皮が引きちぎられるぶちぶちぶちぶち! という耳障りな音を拾った。

 アイドルはなにが起こったのか分からず、暖かく感じる首元に手を当てた。その手を見ると、手は赤く染まり、首から肩、そして胸元へ温かい血が流れ落ちた。

 男はアイドルを見つめながら口を大きく動かし、彼女の首の皮を咀嚼していた。

 彼女漸く我に返り、「いやー!」と叫んだ。マイクがそれを拾い、キーンとハウリング音が客たちの耳に突き刺さった。

 音楽が止まり、他のアイドルたちの叫び声が連鎖する。マネージャーらしき男がステージ袖から駆け出してきて、男に飛びかかった。マネージャーと男はステージ上に転がり、揉み合っている。それに寡勢しようと客席にいた客たちが次々と柵を越えてステージに上がってくる。男は客たちに羽交締めにされて身動きが取れなくなっているが、笑みを浮かべながら咀嚼を続けていた。

 首の皮を噛みちぎられたアイドルは他のメンバーに連れられて楽屋に運ばれていた。彼女の意識は朦朧としていた。タオルで止血をするが、すぐにタオルは赤く染まっていく。客席の方で「救急車」だとか「警察」だと叫び声が聞こえる。他のアイドルたちは血で染まっていく彼女をただ見ているしかなかった。

「おい、おまえなにやってんだよ!」男の友人が取り押さえられている男に近づき言ったが、男には彼の声が届いていないようだった。

 彼は取り押さえられ、それを振り解こうと必死にもがく男を静観するしかできなかった。

「きゃー!」楽屋の方から複数の叫びが聞こえた。それと同時に楽屋で何かが倒れる音や「やめて!」「来ないで!」と叫ぶアイドルたちの声がステージ上まで聞こえた。

 その叫び声が推しのアイドルのものだと気付いた男の友人は反射的に楽屋へと駆け出していた。

「あいかちゃん!」楽屋に入るや血の臭いなのだろ、それが彼の鼻の奥を突いた。

 フロアには首から血を流し倒れている女の子がいた。その血でフロアが血の沼のようになっている。その女の子は陸地に打ち上げられた魚のようにビクンビクンと身体を痙攣させていた。

 彼は彼女が自分の推しだということに気付くと、すぐに駆け寄り、うつ伏せになるあいかを抱き上げた。

「しっかりしてよ、あいかちゃん」彼女の首の肉は抉られ骨が見えていた。そこから止めどなく血が溢れ出る。

 彼は周りを見回した。楽屋の隅で怯えている女の子たち、そして彼女たちと対峙してステージ上で男に首を噛みちぎられた女の子があいかの首の肉を咀嚼をしながらじっと彼女たちを見つめていた。

「どうなってんだよ」彼は目の前の不気味な光景に震えが止まらなかった。

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