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共同霊園:2020.6.19

2つ上の兄が亡くなって、10年が経った。

…いや、この表現は正確ではない。

17年前、私が12歳の時に、5つ上の兄が忽然といなくなった。

10年前に失踪宣告を受け、現在に至るというのが正しい。


――失踪した当時は父、母、姉と私、家族それぞれがそれぞれなりに憔悴した。

捜索願を出し、駅前でビラを配った。それなりの額を払って、探偵にも依頼していたようだ。

ビラ配りは兄の恋人や友人たちも手を貸してくれた。

最初の1年は、当時の兄の担任の先生も含め、30人近くが協力してくれていた。

時が経つにつれ、少しずつ人数が減っていった。

兄の友人たちの大半が大学に上がり、地元から出ていく人が増えた。

もうその時点で、捜索を手伝ってくれていたのは兄の恋人と親友2人、合わせて3人まで減っていた。

彼女らには彼女らの未来がある。父と母は彼らに、もう手伝いには来ないで欲しいと言った。

あれは説得じゃなく、懇願に近かった。

私自身は兄のことはすごく好きというわけではなかったが、さすがに消えてほしいなどとは思っていなかった。



そして10年前、手がかりすらも一向に見つからないまま、兄は法的に故人となった。



兄が消えた7年間で、家族はみんな疲弊していた。

父と母は言い争いが多くなり、既に夫婦ではなくなっていた。

自宅だったはずの家は売りに出し、それでもいつか兄が帰ってくることを諦めきれずに、母と姉とで近くのアパートに住んだ。

都内に就職が決まり、まっとうな手続きを経て出ていく姉に母がかけた言葉は、

「ちゃんと連絡取れるようにして、急にいなくならないでね」だった。


兄の"死亡"後しばらくして、私も就職を機に独立した。

別れてはしまったものの、父はしっかりと養育費や学費を工面してくれていたので感謝している。

家族はみんなバラバラになったが、母とは連絡を取り続けている。

孤独にすると命を絶ちかねない不安が消えなかったからだ。

今のところ存命だが、会うたびに老け込んでいる気がする。


今日は伯父の法事で久しぶりに集まった。

伯父には子どもがおらず、私たちみんなに良くしてくれた人だったので、父も母も出席したようだ。

最期まで兄のことで塞いでいる両親を励ましていたし、父と母が離婚したのはこの伯父が亡くなった後の事だった。

離婚直前はギスギスしていた両親だが、時間が経って落ち着いたのか、ぎこちなくも普通に会話していた。


帰りの道中で一人になったとき、不意にメールを1件受信した。

文章のほとんどが文字化けしていた中で、読み取れたのは文末の1箇所だけ。


"キーチロー"


失踪した兄の名前に見えた。

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