第8話 狙撃
コロニー内があわただしく動いた。
誰もが身を伏せて息を殺した。
可哀想に、幼い女の子が泣いている。
神崎先生と恋そして僕は8階監視フロアまで階段を駆け上がった。
後ろから白河さんの「頼みます」という声が聞こえた。
8階では南の窓に監視員のほとんどが集まってある方角を注視していた。
窓辺に駆け寄ると、見えた。遠い南東の廃墟の中で、明らかにビルとは異なる黒いシルエットが動いている。
たとえるなら3本足のキリン、といったところだろうか。
すぐそばに東京タワーがほぼ無傷で立っているが、それを超える全高だ。
胴体はずんぐりと丸く、長い首の上の頭も肥大して、そこからクラゲの触手のようなものがだらりと伸びている。
闇のように黒い身体、痙攣するようにブレる輪郭、そして乳白色のひとつ目。これらはどうやら人喰イの共通点らしい。
距離は5キロほどか。こちらに向かっているわけではなさそうだ。
が、監視員のリーダー名倉さんが神崎先生にぼそりと告げた。
「探索チームが今あのあたりにいるはずなんです」
神崎先生が顔をしかめた。「まずいわね」
探索チームと言われて玉虫の顔が浮かんだ。
トランシーバーを装備しているが、通話するには遠すぎるらしい。
「恋、ここから届くかしら、赤面ビーム」
「うーん。昨日の感じだと全然無理って気がしますけど」
「試してみましょう。あいつに命中させるイメージをしっかり持ってみて」
「はい。問題は……」
そうとも。赤面ビームは出そうと思って出せるものではない。
ふたりが僕を見た。
うまいこと恋を赤面させろというのだ。
「わかった。恋はとにかくあいつを狙ってろ」僕はそう言って知らずに腕組みしていた。さて、どうしたものか。少し悩んでから。
「お前さ、小学生相手に本気で喧嘩とかどうなん」
昨夜の宴会での一幕を指摘してみた。
「普通じゃんそんなの」
睨まれた。あ、普通なんだ。
神崎先生が不安そうな横目で僕を見た。
しょうがない。確信は無いが一か八かこれを使ってみよう。
「あのとき屁こいたの恋だろ」
恋と小学生との喧嘩の結末は誰かのおならだった。
僕の耳にまでプウと聞こえた。
「誰だよ屁こいたの!」「臭!」と子供達が笑いながら逃げ出して一件落着となったのだ。
結局犯人はわからなかったが、ひょっとしたら恋ではないかと思った。
「違うって言ったでしょうが!」
蹴られた。脇腹を抱えて床を転がるはめになった。
「さては春人くんネタ切れなのね」
「す……すみません」
神崎先生から冷静に困惑されて謝るしかなかった。いや、そうは言いますけれど難しい任務ですよこれ。
誘導役を先生が引き受けてくれた。「じゃあ、恋、人喰イをよく狙って」
恋は両手を、狙撃銃に取り付けられたバイポッドのように伸ばして窓辺につけた。
窓といってもガラスは消失しており、大きな窓枠があるだけだ。恋の長い髪が強風に舞い、逆光を受けて輝いた。
神崎先生は恋の背後に立つと身体を寄せて腕を回し、耳元で囁いた。
「恋、大好きよ」
「へ……ッ!?」
そうきましたか先生。
僕がやったら殴られるに違いないが、ここは先生が賭けに勝った。
恋の顔が赤く染まった。
炎が噴出するや一点に集束し、目映いピンク色の光の弾丸となって発射された。
弾丸はまっすぐに人喰イに向かう。が。
命中しなかった。
「それた?」
「いえ、あと少しのところで消えたように見えました」
双眼鏡を覗いたまま名倉さんが悔しそうにそう言った。
周囲の監視員たちからも「ああ」「惜しい」というため息が漏れ聞こえた。
さすがに5キロは遠すぎたのだ。
「せ、先生、冗談はほどほどに」恋がまだ少し赤い顔でぎくしゃくと抗議している。先生は「伏せて」と鋭く叫んだ。
人喰イを見れば、ゆっくりとこちらを振り返るところだった。
みんなあわてて伏せた。
僕は柱に身を隠した。
そっと顔を出して人喰イの様子を探ると。
胴体部分から太い触腕が伸び、地上の何かを拾い上げ、そして。
「なんか投げた!」
逃げる間などなかった。
新宿コロニーを直撃したそれは八階の天井付近を斜めに貫き、床に刺さって止まった。
監視員たちから悲鳴があがった。
「大丈夫!?」
粉塵に咳き込みながら、先生があわてて見回す。
飛んで来たのはコンクリート製の電信柱だった。
痛みにうずくまる監視員が数人いた。破片が当たったようだ。
「くっそう!」
恋は怒り心頭の顔を人喰イに向けたが、すでに赤面は解けている。
僕はあるネタに蓋をしていた自分を内心で責めながら、監視フロアにいる全員に尋ねた。「誰か、鏡持ってませんか」
「鏡?」
神崎先生が怪訝な顔をしながらも、ウエストポーチから小さな鏡を取り出して渡してくれた。
一方人喰イは。
こともあろうに東京タワーを引きちぎって掴み上げていた。投げる気だ。
僕は鏡を恋に渡して大声で言った。
「鼻毛出てるぞ」
恋は鏡で自分の鼻を確認して、そして悲鳴を上げた。
「キイヤアアアアアアアアアアア!」
光と轟音がフロアを揺るがした。
人喰イが東京タワーを投擲するのと、その頭部を光が撃ち抜くのは同時だった。赤面光弾の威力は凄まじく、頭部どころか人喰イの全身を吹き飛ばして地上に金色の大きな花火を咲かせた。投げる瞬間の最後のコントロールを誤ったのだろう、東京タワーは新宿コロニーのそばに立っていた専門学校のビルを倒壊させた。そして僕は。
「大声で言うことないでしょッ!」
半泣きの恋からビンタされて気を失っていた。
ちょうど日没の頃、玉虫たち探索チームの7名が疲れ果てた様子で帰って来た。
やはりあの人喰イに襲われていたらしい。九死に一生を得たと感激し、赤面スナイパー恋にあらん限りの感謝を伝えていた。玉虫などはもうぼろぼろと涙を流していた。
それにしても、顔の向きだけで5キロ先の的に当てられるものではなかろう。目で見据えることで照準が合うと考えるのが自然だ。その点は便利だな。僕が頭の片隅でそんなことを考えていると、神崎先生がやってきた。そして「今日もお見事だったわ。もうあなたは恋のそばから離れないで」と言われてしまった。
白河さんもにこやかな笑顔で「それがいいね」と頷き、こう宣言した。
「神崎先生あなたもですよ。あなたがた3人で『人喰イ対策チーム』です」
『人喰イ対策チーム』か、なるほど。
僕はともかく、神崎先生は赤面ビームの開発者のようだし、人喰イについて誰よりも詳しいようなので当然の人選だった。
「まあとにかく、あらためてよろしく頼むよ恋」
仲直りしたいと思って右手を差し出したが、恋は「ふんッ」と口をとがらせてそっぽを向いた。
神崎先生が笑いながら僕を弁護してくれた。それでも意地を張る恋にとうとう白衣のポケットからお菓子を取り出した。
「仲直りしたらチョコパイあげる」
子供扱いですか。
「え。嬉しい。しょうがないなあ春人、許してあげるわよ」恋が雑に握手をしてきた。効果てきめんすぎるだろ。横で白河さんが笑っていた。
そして僕もチョコパイをもらった。
今まで食べた中で一番美味しいチョコパイだった。