第5話 新宿コロニー
かつては有名百貨店だった巨大廃墟に、行き場を失った人たちが身を寄せ合っていた。
人が大勢いると知れた最初こそ大きな安堵を覚えたものの、いざ足を踏み入れてみると決して安心できる状況でもないとわかった。
まだ隅々まで見たわけではないが、さながら屋内に作られた難民キャンプといった様相だ。
灯りは懐中電灯が頼りのようだ。節約しているのだろうか、とにかく暗い。
先生の説明ではおよそ300人が暮らしているらしいが、人々はみんな怯え、疲れ切っていた。
5階に上がるとそこは一見何もない広大な空間だった。集会室と呼ばれているらしい。
そこに某有名フライドチキン専門店の創業者に似た白髭の男性がいた。
神崎先生が事情を説明し僕からも自己紹介をすると、男性は柔らかく微笑んでくれた。
「住人が増えるのは嬉しいことだ。よろしく頼むよ晴人くん」
白河謙一郎さん68歳。最高齢というだけでまとめ役を押し付けられたと謙遜しているが、もともと小さな会社の社長さんだったらしく、神崎先生が「お歳で決まったわけじゃありませんよ」と笑っていた。
もうひとり、一緒に出迎えてくれたちょっと眠そうな顔の女性が伝野彩香さん。どう見ても神崎先生より年上だが、17歳だと自己紹介してほほほと笑っていた。
「臨時会議を開こう。伝野くん、大人だけ集めてくれ」と白河さんから言われ、自称17歳の伝野さんが部屋の隅に向かった。
そこにはマイクが置いてあった。
「館内放送。臨時の会議を開きます。お手隙の大人の方は5階集会室にお集まりください」
スピーカーから、さっきとは別人のような驚くべき美声が滑舌よく出力された。もともとアナウンサーか何かだったに違いない。
同時に、電気が来ているのかという驚きもあったが、聞けば電源は電気自動車のバッテリーなのだそうだ。他にガソリン式の発電機もあるが、どちらも貴重なので滅多に使わないらしい。
50人ほどが集まった。
神崎先生が、穂香ちゃんと警備隊5名の死亡を報告した。そして深々と頭を下げて謝罪した。
「私のせいです。穂香ちゃんを死なせてしまったのは。申し訳ありません」
小さな悲鳴とどよめきが広がったが、先生を責める者は誰もいなかった。
それどころか亡くなった警備隊5名に対して「正直せいせいした」「天罰だ」という声があがったので驚いた。訃報を嘲笑されるとはよほどの嫌われ者だったのだろう。
また、この世界の住人は人が死ぬことに慣れている。そうも感じた。
狂っているのではない。ほとんどの人が死に絶えたなかでの生き残りなのだ。死生観が根底から覆ってるのは当然だろうと想像した。
ここで誰かが質問をした。
「人喰イを倒す新兵器を試しに行ったんですよね。どうでしたか」
「なんだっけ、赤面ビーム?」
「それだそれ」
「一度ここで見せてもらった時は暖かいピンク色の光で、武器になるとは思えなかったけど」
亡くなった穂香ちゃんという子も赤面ビームのスキルを持っていて、すでにお披露目済みなのだそうだ。
視線が集まると、先生は恋と僕を呼んだ。
「大型の人喰イを1体、このふたりがたぶん人類で初めて消滅させました」
驚きを含んだ大歓声が上がった。
「見たかった!」「ついにやった!」「ざまあみろ!」異様なほどの喜びようから、いかに今まで一方的に襲われ、抑圧されていたのかが想像できた。
興奮した皆の歓声につられて「なにごとか」と次々人が集まり、あっというまに200人を超えたように見えた。
「もっと詳しく」という要望も当然あったが、恋が「機密事項なので話せません」と事務的に遮った。ブーイングの嵐になり、キレた恋が「うるさいわね! 秘密だって言ってるでしょ!」と抵抗した。
神崎先生がくすくす笑ってこっちを見たので、ジーパンの件は僕から正直に報告した。
一瞬きょとんとしてから、集まっていた皆が一斉に爆笑した。
恋の顔がまた赤く輝いた。
顔から赤い炎が燃え上がるや、細く収束するとともに輝きを増した。
今回はビームというほどではなかった。感情の度合いによって火力が変動するらしい。同じネタを何度も使うのは難しそうだ。
「なんで言うのようッ!」ピンク色の光を放ちながら恋が恥ずかしそうに僕の頭を叩き、皆がまた笑った。
「そういえばその男の子は」
「生存者がいたのね」
僕に視線が集まると、神崎先生が紹介してくれた。
「京野晴人くん。恋の婚約者よ」
僕と恋が同時に「違います」と否定して、また皆が笑った。
今日はいろいろと意味深い日になった。少しいいものを食べないかと誰かが言うとあっというまに賛同が広がり、食事の準備が始まった。
カセットコンロと鍋がたくさん並び、インスタントラーメンがてきぱきと調理された。
肉や魚の缶詰もいくつか開封され、ひとり1杯ならOKという白河さんの許可でアルコール類も運ばれてきた。
まず最初に穂香ちゃんに黙祷を捧げた。
全員が静かに祈り終えると、警備隊5名に関してはまったく触れないまま人喰イ撃破を祝う食事会となった。
「久々のご馳走だな」「ラーメンにネギ入ってるじゃん」と皆嬉しそうだ。
いつのまにか小学生くらいの子供たちも集まっていた。「ビーム見せろ」と絡まれた恋が本気で言い返して喧嘩になっているのが見えた。
「本当は17だけど」と笑いながら伝野さんが缶ビールを飲んでいた。
情報室の隅の一画がパーテーションで区切られているのが見えて「なんだろう」と見ていたら、そばに座っていた年配の、夏村さんという優しそうな男性が教えてくれた。
「あれは情報管理室と呼ばれてる。きみの相方、恋ちゃんの持ち場だ」
恋の持ち場が情報管理室? 似合わないなあと言う感想が顔に出てしまうと、夏村さんも「似合わないよね」と自分の腹をぽんぽん叩いて笑った。
夏村さんは男性フロアの責任者なのだそうだ。優しくて頼りになる、そんな第一印象だ。
食事会がお開きになると2階男性フロアに僕を案内し、空いているおすすめベッドを教えてくれた。それは2段ベッドの下段で、上には玉虫という珍しい苗字の、見た感じ僕と同世代の若い男が寝転がっていた。
苗字に似合わず、僕よりもずっと大きな逞しい体躯と鋭い眼差しの持ち主だ。年齢も少し上かなと感じた。
実はさっきの宴会中ずっと僕を値踏みするような視線を送ってきていて、少し怖かったのでなるべく目を合わさないようにしていた。
続いて夏村さんは小さなヘッドライトをひとつ僕にくれた。
そしてコロニーならではのルール、カーテンを開けてはいけないことや、なるべく静かに暮らすことなどを簡単に説明してくれた。
「じゃあ、今夜はこれで。また明日にでももっと詳しく案内するよ」と笑顔で言い、夏村さんはまた自分の腹をぽんと軽く叩いて去っていった。なんだか可愛い癖を持っていらっしゃる。
夏村さんの姿が見えなくなると、上段から玉虫が顔を出して僕を睨んだ。
「晴人、だったか。さっきの話本当かよ、恋ちゃんの婚約者だとかいう」
うん? ああ、なるほど。そういうことか。
合点がいった僕は笑いながら「神崎先生の冗談だよ。恋とは今日会ったばかりだ」と答えた。途端に玉虫の表情は和らぎ、上機嫌になった。
「ほーう。そうかそうか。だろうな。うんうんうん」
僕はベッドに横になりながら「あの子のことが好きなんだ」と話題を拾ってやると、玉虫はニッコリ笑った。
そして恋がいかに可愛くて素晴らしいかを延々と語り始めた。
とんでもない一日だった。
人類滅亡後の並行世界に転移した。
人喰イという化け物に喰われかけた。
恋に出会った。
そういえば女の子の胸に触ったのは生まれて初めてだ。まさかあれほど情緒もへったくれもないファーストコンタクトになろうとは。いや、あんなもんノーカウントだと記憶から抹消することにした。
ふと渡辺と桃華さんの顔が浮かんだ。
この並行世界にもあの二人はいたのだろうか。そして仲良く付き合っていたのだろうか。
もうひとりの僕もどこかにいたのだろうかと、いろんな不安がよぎっていった。
不安といえばもうひとつ、実はさっきの赤面ビームの時、神崎先生が眼帯で覆った左目を手で押さえて少し後ろに下がるのが見えた。
それが小さなトゲとなって、心の隅に刺さっていた。
ベッドの上段では玉虫が恋への想いをまだ語っている。
それを聞きながら、僕は寝たふりをしようと目を閉じた。