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第1話 トラックにはねられるという出会い

 中学時代からのゲーム友達である渡辺からリアルに誘われ、久々に電車に揺られて来た新宿はうんざりするほど賑わっていた。少なくとも駅周辺は長らく人々が外出を控えていた影響など皆無のように見える。道行く人の楽しそうな様子は僕には別世界の出来事のように感じられた。


 待ち合わせ場所であるハンバーガーショップに現れた渡辺も満面の笑みだった。その隣に座る女性を彼女だと紹介してますます笑顔になった。

 聞けばオンラインゲームで知り合ったそうだが、感染対策の不織布マスクを外して見せてくれた顔は渡辺によく似ていて、ふたりとも互いにデレデレである。

 特に彼女さんは、体質なのだろう、照れるとすぐに顔を真っ赤にするのが印象的だった。名前は桃華さんといった。

 さすがにこの明るい話題に対して薄いリアクションでは申し訳なく、僕としてはうまく驚いて祝福したつもりだがちゃんと振舞えたかどうか。


 バイトがあるからと桃華さんだけ先に席を立つと、渡辺は声を潜めて品のないトークを始めた。


「桃華ちゃん真っ赤だったろ? すごい照れ屋なんだ。キスしただけで顔から火が出る勢いでさあ!」


 やめろ馬鹿そういうプライベートな話は聞きたくないと黙らせた。

 その後は渡辺の買い物に付き合ってヨドバシカメラへと足を運び、賑わう店内をぶらぶらと歩いた。

 以前の僕なら新商品をあれこれ見るだけで楽しかったはずだが、やはり心の中の何かが機能を止めているらしい。誘ってくれた渡辺の手前、楽しんでいる演技をするありさまだった。


春人(はると)も早く彼女作れよ! そしたらダブルデートしようぜ!」


 別れ際渡辺はそう言って笑い、地下鉄への階段を下りて行った。


 結局のろけ話を聞いて買い物に付き合っただけの数時間だったが、僕を元気づけるために誘ってくれたのは間違いない。最後の笑顔には僕を心配する気遣いが混じっていた。


 時刻は午後4時を少し回ったところ。

 人混みに疲れたので帰りは少し歩くことにした。下北沢のアパートまでは無理としても、とりあえず渋谷を目指してみる。


 乾いた風が9月半ばにしては冷たかった。

 世界を一変させた新型コロナ騒ぎはようやく収束に向かっているが、僕を含め、道行く人々は当然のようにマスクをしている。

 繁華街から離れるにつれビルの規模も小さくなり、テナント募集の貼り紙が目立つようになってきた。感染症対策のあおりを受けて店舗が撤退したままになっているのだ。

 やがて見覚えのある雑居ビルにさしかかった。

 1階は小さなラーメン屋で、2階には中古ゲームソフト屋が入っていたはずだ。何年か前に渡辺と来たことがある。今やもぬけの殻だった。

 立ち止まって眺めれば閉まったままのガラス扉に僕の姿が映っていた。

 身長、体重、顔も髪型も、驚くほど特徴のない23歳無職の全身だった。

 服装も上下無彩色で地味なことこのうえない。

 空っぽのビルの境遇が自分に重なって思わず長いため息をマスク越しに漏らした。


「確かに……このままじゃ良くないよな」


 さっきの元気な顔が頭に浮かんだ。

 渡辺はあいかわらずだったし桃華さんは優しくて可愛らしい女性だった。

 僕はくるりと来た道を振り返り、神様、どうかあの二人を幸せにしてやってくださいと心の中で手を合わせた。

 ついでに「僕にもいい出会いがありますように」と試しに願ってみた。

 が、さすがにこれは棒読みが過ぎた。

 まあ自分のことはどうでもいいやと苦笑して再び渋谷方面へと向き直った。


 トラックと出会った。


 運転席のおっちゃんがスマホから顔を上げて僕に気付いたがもう遅い。

 僕はただ全身に力を込めて、顔を背けるので精一杯だった。


 きいい、どん。


 ブレーキ音に続いて、有無を言わせぬ物理衝撃が全身を襲った。


 僕は宙を舞い、地面に激突し、転がった。まさかこんなに簡単に人生を終えることになろうとは。さようなら渡辺と桃華さん。行きつけの弁当屋のおばちゃん。床屋のおっちゃん。買ったまま積み上げたゲームたち。それから……


 別れを告げるべき相手を思い出そうとしているうちに、死んでいないことに気付いた。


「あれ?」


 ぶつかったのは確かだ。実際あちこち痛い。だがたいしたことはなかった。

 地面に手をついて半身を起こし、自分をはねたトラックを振り返って目を疑った。


 さっきのトラックがいない。代わりに白い軽トラがそこに停車していた。運転席からロングヘアの若い女の子が慌てて、かつキレ気味に降りてきた。年齢は僕と変わらないだろう。身長もほとんど同じ。ジーパンに白Tシャツ。その上から賑やかなワッペンだらけのアーミーなジャケットを着ている。赤い野球帽を後ろ向きにかぶっていて見るからに活発そうな、僕とは真逆の服装だ。


助手席にも女性が座っている。こちらは白い眼帯に白衣だ。いや、それよりなにより景色が一変していた。あたり一面瓦礫だらけだ。大地震でも起きたのか、それとも津波に襲われたのか。ていうかどこなんだ。いや、わかった。ここは……


 瓦礫の中に面影を見つけて確信した。場所としては実はさっきと変わっていない。新宿から渋谷方面へと歩いていたあの道のあの場所だ。ただ、何があったのか、すべてが滅茶苦茶に破壊されていた。持っていたはずの手荷物も見当たらない。変わっていないのは僕の服装と、しぶとく口を覆っているマスクくらいのものだった。


「なんだこれ」


 めまいがするほどの不安に襲われながらかろうじて声を絞り出すと、軽トラから降りて来たロングヘアの女の子がものすごい剣幕で怒鳴ってきた。


「バカッ! 死にたいの!?」


 近付かれたことで服装に違和感を覚えたが棚に上げておく。

 明るい色のストレートロングヘアはさらさらで、風によく揺れた。

 そしてスタイルが良く、小さめの顔も綺麗可愛くてアイドルのようだ。

 ただし今は、それが鬼のように歪んでいた。


「どっから来たの! 名前は!? なんとか言いなさいよ!」


 こっちも急激に不愉快になってきた。聞きたいことは山ほどあったが反論が口をついて出た。


「そっちこそまず謝れよ。歩行者はね飛ばして逆ギレとかありえないだろ」


 怒鳴ったりはしない。冷静な抗議だ。もともと感情が爆発するタイプではないが、最近は特にそうだ。


「はああああああッ? 歩行者優先とかいつの話よ! ルールに守ってもらえる世の中なんてとっくの昔に終わってんのよッ! それに何そのマスク! 風邪でもひいてるわけ!? 軟弱者なのッ? キーッ!」


 ますますキレ散らかしてきたアイドル顔のその言葉にハッとなった。いつの話? そうとも。同じ場所なのに景色が違いすぎる理由はそれだ。僕はきっとタイムスリップをしたのだ。そう思い至って言葉を失ったとき、いつのまにか軽トラから降りていた白衣に眼帯の女性がなだめるように言った。


「レン落ち着いて。この人、飛び出してきたわけじゃないわ」

「え」

「瞬間移動したみたいに、いきなり車の前に現れたのよ。あなたはよそ見していたようだけど」


 よそ見してたんかい。レンと呼ばれたロングヘアのアイドル顔をもう一度睨みつけてから、僕は助手席から現れた白衣の女性をしげしげと見つめた。

 こちらは疲労困憊といったありさまだった。服装から察するに女医先生だろうか。だが土砂災害にでも遭ったように全身ボロボロだ。

 喧嘩中の僕たちふたりに比べると年齢はひとまわり上に見える。美人だし声も大人っぽい。


「瞬間移動?」


 レンがきょとんと唇を尖らせる。

 せっかく綺麗可愛いのに馬鹿っぽい顔しやがって。ここは女医先生のほうが話がわかると判断し、核心に触れるはずの質問を投げた。


「僕は京野春人。2022年から来ました。ここは今何年ですか」


 女医先生は全部わかっているかのような穏やかな瞳で、思いもよらない言葉を口にした。


「はじめまして春人くん。私は神崎雅美。実はここも2022年よ。どうやら、あなたにとっては並行世界だけどね」


 またもや頭の中をひっくり返された気分になり、めまいを覚えた。

 並行世界!?

 小説でなら読んだ事がある。違う歴史を歩んだもうひとつの世界だ。

 なるほど、こっちの世界では新型コロナは発生しなかったとみえる。代わりに新宿が壊滅するほどの何かが起きた。


「並行……世界……!」


 レンも驚愕し、信じられないといった表情で神崎先生を見つめている。そして「それってなんですか」と質問をした。もういいや、こいつ置いていこう。僕はマスクを外してポケットに突っ込みながら、神崎先生に新しい質問をした。


「僕のいた世界もいろいろあったけど、街は壊れていません。これ、何が起きたんですか」


 周囲の瓦礫を見渡すことで「これ」の意味を伝えた。だが、神崎先生が答えるよりも先に、奇怪な音がどこからともなく響き渡った。


 それはザトウクジラの歌声によく似た、聴く者をひどく不安にさせる叫び声だった。


「!」


 レンと神崎先生があわてて後ろを振り返った。僕にとっては正面だ。

 暗くなりかけた空を背景に、巨大な漆黒のシルエットが隆起していく。ここからの距離は100 メートルほどだろうか。漆黒はあっという間にビルのように大きく膨れ上がった。

 腕なのか触手なのか、そのように伸びた何かが男性と見える人間をひとり握りしめているのが見えた。

 神崎先生が黒い巨体を見上げ、怒気を含んだ声で言った。


「人喰イ」


 人喰い? 触腕に掴んでいるあの人を今から喰うというのか。

 あまりにも現実離れした出来事に僕は、そいつから目をそらすことができなかった。

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