第18話 転落
薄暗い地下駐車場に残っているのは十数人だった。
先生の姿が闇に消えるのを呆然と見送ってから、みんな我に返った。
最初に口を開いたのは夏村さんだった。
「……弔おう」
白河さんと菊池さんの遺体を男性数人掛かりで仰向けにし、手を胸の前で組ませて、まぶたを指でなぞった。そしてふたりの顔をハンドタオルやハンカチなど、持ち合わせた布で覆った。
誰からともなく手を合わせた。
僕は動揺を無理矢理抑え込み、次に何をするべきか理詰めで考えていた。
襲撃してきた人喰イは全滅させたつもりだが絶対とは言いきれない。もし1体でも逃していたらあとからもっと多くの人喰イが襲ってくるだろう。
その場合、連中はもう僕らをただの獲物とは思っていないはずだ。赤面ビームという厄介な武器を持った、すみやかに喰らうべき敵だと認識しているに違いない。質量ともに桁違いの、戦闘に特化した大軍勢が攻めてくると予想できた。
それをみんなに話し、そして夏村さんに全員のさらなる避難をすすめた。
「新宿コロニーを捨てて、なるべく離れた他の場所に今すぐ避難するべきです」
「そうしよう。春人くんは来ないのか?」
「僕は……」
先生が去って行った新宿地下迷宮を振り返って言った。
「先生を追いかけます」
「私も」
すぐに恋が同意した。同意するなり恋はポケットからヘッドライトを取り出し、迷宮の闇の中にひとりで走っていった。
「俺も行くぜ」
玉虫も駆け寄ってきた。さらに「俺も」「私も」と声が続き、結局ここに残っていたほぼ全員が神崎先生捜索に参加してくれた。
夏村さんも神崎先生の身を案じていたが、誰かが他のみんなを避難させなければならない。「よし、じゃあ一旦お別れだ。行き先を決めたらここに書いておくよ」夏村さんはコンクリートの壁を叩き、そして小走りで地上階へと向かった。
「夏村さん!」
「ん」
つい呼び止めてしまった。正直、安全な場所などもうどこにもないという予感があった。夏村さんもきっとそれはわかっている。
「また、演奏聞かせてくださいね」
笑顔を作ってそう伝えた。
夏村さんはもちろんだと笑い、腹をぽんと叩いて走り去った。
神崎先生の捜索は2~3人ずつの5チームに別れて行うことにした。
ただし僕はひとりで出発だ。先行した恋と合流してチームを組むことになっている。
夜の地下迷宮は真っ暗だった。
ヘッドライトを点灯させた。
恋に呼びかけようと息を吸ったそのとき「先生ー! どこですかー!」という恋の声が遠くに聞こえた。
立ち入り禁止区域の方からだ。
亀裂が多く地底湖もあって危ないので、普段は誰も近づかない。
なるほど、先生が人目を避けて隠れるならうってつけの場所だと思えた。
恋とはすぐに合流できた。
何か手がかりはと聞いてみたが恋は首を横に振るだけだった。
引き続き、ただ先生に呼びかけながら、一緒に暗闇を歩いた。
僕の頭の中では、いつだったか先生が言った「私を灰にして」という言葉がぐるぐる回っていた。
無理な相談だ。できっこない。
少なくとも今はまだ、先生は理性を繋ぎ止めている様子だった。
なんとかあそこから、元通り人間の姿に戻す方法はないだろうか。
「灰にして」
考えていた言葉が実際に耳に聞こえてぎくりとした。
先生の声だ。その細い声は憔悴しきっていた。
恋も立ち止まった。
頭に付けた小型ヘッドライトの光量は少々頼りない。それを右へ左へと向けて先生の姿を探した。
見つけた。
てっきりどこか物陰に身を隠しているものと思っていたが、そうではなかった。
うつむけた額を壁面につけて、壁に向かって立っていた。
両腕を身体に巻き付け、何かに抗うように身体を揺すっている。
さっきとは違い、外見はもはや全身が人喰イ化していた。
「春人です。恋も一緒です」
そう声をかけて返事を待った。
先生の動きが止まった。
ゆっくりとこちらを振り返った。
乳白色の目で僕らを捉えると、姿勢を低く落としながら唸り声をあげた。
それはもう、先生の声ではなかった。
「先生、私です。恋です。一緒に帰りましょう」
恋がすがるように話しかけた。
先生はひときわ大きく吠えると、恋に向かって触腕をしならせた。
「恋!」
守ろうとしたが間に合わなかった。恋は触腕に捕われ、乱暴に投げ飛ばされた。
「あぐっ!」
ごんという音がして、恋は倒れたまま動かなくなった。跳躍した先生がその上に覆い被さるように着地した。もともと亀裂だらけだった床がその衝撃に耐えきれず、がらがらと崩れ落ちた。
恋と先生がまとめて僕の視界から消え、大きな水しぶきが上がった。
暗くて見えないがこの下は水だ。
僕は迷わず、後を追って飛び込んだ。
水中は恐怖そのものだった。
冷たくて真っ暗だ。足が届かない。頼りは恋が頭に付けていたヘッドライトだ。暗闇の中で光を見つけるのはそう難しくないはずだと祈った。
だが、水の濁りがひどい。
自分の手すら、すこし顔から離すと見えなくなった。視界は20センチあるか無いか。
何も発見できないまま肺に入れた酸素が足りなくなり、一度浮上しようと思ったとき、ようやく濁った水の向こうにぼんやりとLEDの光を見つけた。
息苦しさを我慢して必死で水をかき分けた。
辿り着く。
手を伸ばして触れたそれは。
ただ、ヘッドライトのみだった。恋の頭から外れていたのだ。
詰んだ、と絶望した。
そのとき。
微かに聞こえた。
水中で気泡が発生した音だ。
手を伸ばせば、人の肌の感触があった。恋だ。がむしゃらに抱きしめて底を蹴り、一気に浮上した。
「ぶはああ! ぜえ! はあ!」
頭がくらくらする。息が限界で、僕自身も危うく溺れるところだった。
必死で足がかりを見つけ、水から這い上がった。
意識の無い恋の身体は重かったが、火事場の馬鹿力というやつだろうか、我ながら尋常でない筋力を発揮した気がする。
恋を水から引っ張り上げてそのまま仰向けに寝かせた。
あごを少し上向きにしてやると、形の良い唇が薄く開いた。が、覚悟していたとおり呼吸が止まっていた。
「恋! 起きろ! 恋!」
反応が無い。あの恋が、死のうとしている。
離れた場所に黒い影が浮上するのが、視界の端に見えた。人喰イと化した先生が水から上がってきたのだ。こっちを見た。
考えている暇などなかった。
僕はただ無我夢中で、恋の口を自分の口で覆った。




