第15話 人喰イ侵入
下口め、まさか人喰イを案内してきたというのか。
やつらを相手にそんなことが可能なのか。
獅子型人喰イは例の鯨のような唸り声を上げ、突如跳ね上がって建物の中腹あたりに激突してきた。
轟音とともに足元が揺れた。ガラスの割れる音もした。
人喰イはそのまま壁に取りつき、頭を建物内に侵入させた。
下口の怒鳴り声が聞こえた。「俺が先だって言っただろう! あの女二人と爺を勝手に食ったら許さねえぞ!」
狙いは神崎先生と恋と白河さんか。しつこい逆恨み野郎め。
こうしちゃいられないと僕は屋上を離れ、階段を下りた。
8階監視フロアを見渡してみたがすでに誰もいなかった。
無数の人喰イに包囲されたのだ、そりゃ逃げるのが正解だ。
僕だけがひどく逃げ遅れていると気付いて急に不安になった。
さっき獅子型人喰イがこの建物に首を突っ込むのが見えたが、あれは何階だろうか。僕はこの階段でどこまで下りられるのだろうか。
様子を見ながら慎重に下りた。5階までは問題なかった。
念のため5階フロア全体を見回すがやはり誰もいないようだ。
さっきまで打ち上げを楽しんでいたはずの白河さんたちの姿もない。照明もほとんど消されて薄暗かったが、遮光カーテンが全開になったままで、周囲の様子がよく見えた。人喰イの群れによる包囲はさらに狭まり、人喰イ同士の隙間がほとんどなくなっていた。距離が近くなってわかったが、包囲網を形成している人喰イはどれもビルのように巨大だった。
僕は階段を下りる前にまずしゃがんで顔を下げ、注意深く4階の様子を覗き見た。
女性専用フロアだが、やはり人の気配はない。
避難訓練の成果が出ていることを感心した。訓練通りなら全員地下駐車場に集まっているはずだ。
誰もいない代わりに、獅子型人喰イが窓の外に貼り付いて、顔だけ建物内に入れてこちらの様子を探っているのが見えた。
僕は瞬時に顔を引っ込めたつもりだったが、それでも気付かれたらしい。
咆哮と同時に鉄筋コンクリートの砕ける音、そして室内のさまざまな生活用品が吹き飛ばされる音が聞こえた。まずい。入ってきた。
あわてて5階に戻るが、集会用に広々と開けた空間になっていて隠れる場所がほとんど見当たらない。
ところどころに立っている太い柱の陰に身を隠すか、あいつが階段を上がって来たら、入れ替わるようにエスカレーターで下に逃げるか。
ふと情報管理室が視界に入った。
いつもなら恋が日誌を書いている頃だ。
まさか、シャワーを済ませた恋が戻って隠れているなんてことはないだろうな。
と思った瞬間、真下から突き上げる衝撃がきた。床が一瞬浮いて、そこにいた僕はたまらず転倒した。床が崩れ落ちるかと思ったが、大きな亀裂が入ったもののなんとか持ちこたえている。
あわてて走ったら位置がバレると理解した。この真下にいるらしい獅子型人喰イに悟られぬよう足音を消して情報管理室を目指した。
情報管理室には誰もいなかった。
釘バットもなかったが、これは先日、恋が下口を殴ったあとで「汚れた」と嫌悪し、何区画か先の瓦礫の山に捨てたからだ。
まあいい、とにかく隠れよう。
机の下に入ろうと椅子を引いたとき、折り畳んで立てかけてあったパイプ椅子にうっかり触れてしまった。
やばいと手を伸ばしたが間に合わず、パイプ椅子は床に倒れて盛大な物音を立てた。
バレた。次の瞬間、また真下から衝撃がきた。轟音とともに机や棚が宙に浮いた。机は倒れ、引き出しが開いて中身を床にぶちまけた。
見覚えのある物がバサリと落ちた。
恋が日誌をつけている、あのピンク色のファンシーなノートだ。それが今、ページを開いた状態で目の前にあった。
紙面が視界に入ってすぐに違和感を覚えた。
なんだ。日誌にしては様子が変だ。少し読んでみる。
「これは……」
日誌の正体がわかったその時、崩れかけていた床が下から再び突き上げられて吹き飛んだ。階下から獅子型人喰イが頭部を突出させていた。乳白色の目がぐるんとこっちを向いた。
僕は恋のファンシーノートを手に取り、全力で床を蹴った。
走る先はたった今決まった。
電気系統が生きているかどうかは賭けだ。
背後で人喰イが這い上がってきたのがわかった。その途端僕の身体は有無を言わさぬ圧倒的な力で弾き飛ばされた。
何メートルも吹き飛んで壁に激突した。
脳震盪で視界が揺れた。
人喰イに横殴りにされたのだ。
いきなり喰らいつくのではなく、まずは獲物を絶望させるのが奴らの習性だったなそういえば。
ナメるなよ。僕は口の中から生還した男だぞ。
恋のノートは。無事だ。良し。よろと立ち上がり、目的の場所を再び目指す。足首に痛みを感じたが関係ない。そしてまた衝撃が、さっきとは逆の方向からきた。
「ぐあ!」
今度は危うく窓から転落しそうになった。
なんとか5階フロアにしがみつき、よじ登る。
身体中痛い。
ノートがない。
あわてて探せば、ちょうど目的の場所に落ちていた。
「いいぞ。そこで待ってろ」
いろんな痛みを全部無視して最後のダッシュをした。
人喰イの前腕がまたしなるのが見えた。咄嗟に頭から飛んだ。身体のすぐ下を人喰イの腕が通過した。間一髪で目的地に着いた、というか激突した。
そこは自称十七歳伝野さんの特等席だ。
すがりつくように腕を伸ばし、マイクの電源スイッチを入れた。
ブンと、通電する音が聞こえた。
足元に落ちているノートを拾い上げながら叫んだ。
「恋、聞こえるか! 春人だ! 僕が今どこにいるかわかるよな!」
スピーカーから自分の声が出力された。
途中で配線が切れていなければ、全フロアのスピーカーから僕の声が流れているはずだ。
マイクを握ったまま振り返れば、獅子型人喰イが口を大きく開けて襲いかかってくるのが見えた。
ボリュームを最大にして叫んだ。
「今からおまえが書いた、ポエムを朗読する!」
はあ?という恋の悲鳴がどこか遠くに聞こえた気がした。そして衝撃とともに、僕はまばゆく輝くピンクの光に包まれた。




