第12話 カミングアウト
下口をどうするべきか。
縛られた本人を前にして議論となった。
本来なら通報するところだが、この世界に警察はいない。
処刑と永久追放で意見が割れた。
多数決では永久追放が多かった。
一番恐い思いをしたはずの神崎先生もその意見だった。
それを見て、迷っていた恋も追放に手を挙げた。
最終的には白河さんがそれを言い渡した。
「関東から出て行きなさい。もしまたここへ戻るようなことがあれば、そのときは許しません」
白河さんの左右では玉虫などの体格の良い男性たちが武器を構え、下口に無言の圧力を向けていた。
取り押さえられる際に袋叩きにあった下口は顔面を腫らして血も滲ませており、さすがにもう実力行使の選択肢は無かった。
「わかったよ。関東から出る。だから縄をほどいてくれ」
縄を解くと、下口は背を向けてよたよたと歩き始めた。
そしてすぐに足を止めて半身だけ振り返らせた。
「だが、おまえらのことは一生恨んでやる。それを忘れるなよ」
白河さんが一歩前に出た。
毅然と言い放った。
「貴様ごときから恨まれても、なんとも思わんッ!」
初めて見る白河さんの怒りだった。下口の表情が消えた。
ペッと唾を吐くと、それっきり振り返ることなく歩いていった。
実は僕の内心は、こんな下口とかいうやつのことなどどうでもよくなっていた。
ただただ、神崎先生の左目が心配だった。
あのあと先生はすぐに眼帯をつけていて、いつもと同じようにふるまっている。
恋は知っていたのだろう。
だが、他のみんなは? 白河さんは?
わからないので僕も今は黙っているしかなかった。
下口騒動が落ち着いた夜になってから、ようやく僕は先生から呼ばれた。
「春人くん、屋上で話しましょ」
恋も一緒だった。
他の居住者が屋上に上がってこないよう、8階で白河さんが『新兵器実験中につき立ち入り禁止』のパネルを持って座ってくれるとのことだった。白河さんは目の秘密を知っているようだ。
夜の屋上は風が冷たかった。
この世界に夜景など無い。代わりに星が奇麗だったが、今夜はあいにくの雲によって覆われていた。
「ごめんなさい。なかなか切り出せなくて」
言いながら、先生が眼帯を外した。
人喰イの目だった。
先生が話してくれた経緯はこうだ。
それは1年半前のこと。
まだ街の形を残していた八王子市が人喰イの群れに襲われて、神崎先生は逃げ惑う人々の中にいた。
転倒した見知らぬお婆さんを助けようとして、左右から2体の人喰イに襲われた。
鎌のような腕による攻撃を間一髪避けると、頭上で2本の鎌が激しく衝突し、火花を散らした。
その瞬間、左目に激痛が走った。
人喰イの破片、小さな小さな、針の先ほどの破片が目に刺さったのだった。
その後なんとか生き延びて新宿に辿り着き、この新宿コロニーが設立された頃、左目に異変が起きた。
少しずつ、目の中に闇が広がり始めた。
「そして今これよ。でも悪さはしないから、怖がらないで」
怖がることで先生の心を傷つけてしまうと思った。だから僕は気持ちを切り替えた。
大丈夫。人喰イのような目をしていても先生は先生だ。
「すみませんびっくりしちゃって。もう平気です。痛みは無いんですか?」
痛みなどの不快な症状は無いらしい。
それどころか、ある日この目の思いがけない効能に気付いたのだという。
「人喰イがどういう存在なのか、理解できるようになってきたのよ」
最初に感じたのは人喰イの欲求だった。
やつらは絶望感を欲しているらしい。
高等な生命体ほどそれが強くなるそうで、だから人間が好物なのだという。
不意打ちで喰らいつくのではなくまず触腕で捕獲して生きたまま口に運ぶのも、つまり絶望させるためなのだそうだ。
逆に、人喰イが何を忌諱するのかもわかった。
感情の爆発。ただし、怒りや悲しみではなく、未来に向かう明るい感情だという。
恥ずかしがる、照れるといった感情もその範疇に入るそうだ。
先生は人喰イのこの弱点をどうすれば突けるのか、考えに考えた。
それは自身の目に巣くった人喰イとの内なる対話だった。
地球上の理論では遠く及ばない概念的思考で頭の中が破裂しそうになった。
やがて、膨大な試行錯誤がひとつの果実となってすとんと胸に落ちた。
反撃の必殺技の、いわば設計図だった。
残念ながら先生の身体の中では、この設計図からは何も組み立てられはしなかった。
素養が必要だと気付いた。
人喰イの左目で見れば、その素養を持つ者が判別できた。
穂香と恋だった。
では、どうすればこの設計図を彼女達に渡すことができるのか。
ぴんときて思わず僕は呟いた。「それが、キス。だったんですね」
先生が微笑んだ。「そういうことよ。穂香ちゃんと恋にはもちろん全部話して承諾を得たわ。そしてあくまでも医療行為として口づけをね、させてもらったというわけ。白河さん以外には誰にも打ち明けていないからよろしくね」
神崎先生が常に白衣を着ている理由もなんとなくわかった気がした。
なるほど。
それにしても興味深い話だ。
ざっくり言えば、人喰イは絶望を好み希望を嫌がるというわけか。
おや?
「鼻毛出てると言われて希望を感じたってこと?」
恋に尋ねたら頭をはたかれた。
先生によれば、あれは赤面ビームの品質としてはギリギリだったという。
結果として人喰イを倒せたものの、先生が期待している本来の赤面ビームから実はかなりズレていると笑われた。
「他に、なにか人喰イに関してわかったことはありますか」
先生は少し考えて「蟻に似ているかも」と答えた。
「群れ全体がひとつの意思をもった巨大生命体という感じかしら。どこかにその中心がいるのを感じるわ」
「あ、女王蟻!」
「へえ、それは私も初耳ですよ」
恋も身体を前のめりにした。
「女王さえ叩けば、全体が死ぬということですね?」
これはビッグニュースだ。
そういえば、女王蟻を失った働き蟻の大群は、目的を失って同じ場所をぐるぐると歩き続け、やがて力尽きるという話を聞いたことがある。
無数に現れる人喰イを全部倒すなど現実的ではないと思っていたが、初めて一発逆転の可能性が見えた。
「先生凄いじゃないですか! 救世主ですよ!」
「救世主になるのはあなたたちよ。それに、女王の居場所を見つけ出さなきゃ。そのために私はこの目を利用するの。だから……赤面ビームをうっかり私に当てないでね」
理解した。
そうか、さっき恋が赤面ビームを却下したのも、先生に当たる危険があったからだ。
待てよ。当たったらどうなる。
先生の目は元に戻るのか、それともその部分を失うことになるのか……
背筋が冷たくなった。
「先生、目に入ったそれは今でも成長してるんですか」
先生は少し躊躇してから。
「ええ。いつか私は人喰イになってしまうのかもしれない。その時はゴメンね春人くん、恋」
僕らの手を握って言った。
「私を灰にして」
僕は言葉を失った。
恋は「嫌です」と声を絞り出して。
先生にしがみついて泣いた。




