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第10話 つらい日常と非日常

 日常生活は楽しいことばかりではなかった。


 ある日、意を決して6階の掲示板を読む事に時間を費やしてみた。


「この人を探しています。誰か知りませんか。なんでもいいから情報ください」


 尋ね人の貼り紙が大量に並んでいた。

 犬や猫に関する貼り紙もたくさんあった。

 写真付きのものも多く、まだ平和だった頃の人々の笑顔や明るい暮らしぶりが伺えて切なくなった。

 並行世界から来た僕が尋ね人に答えられるはずはないのだが、僕としてはこの世界にも自分がいたのかどうか、手がかりが得られればと期待したのだ。

 だが、目を通しているうちに予想通りの感触を掴んでしまった。

 ほとんどなんの情報もないし、稀に書き込みがあっても無事を知らせる内容ではなかった。気が滅入るばかりだったので、半分以上を残したまま見るのをやめてしまった。


 しんどい気付きといえばもうひとつ、さすがにこんな廃墟での300人の共同生活は、全員仲良くとはいかないようだ。

「穀潰しがいる」だの「ルールを守らないやつがいる」だのさまざまな不平不満が聞こえて来た。

 ようするにみんなストレスが溜まっているのだ。

 喧嘩が起きることも度々あった。

 さっきも女性フロアで掴み合いが起き、白河さんが仲裁に入っていた。


「しんどいですよね。辛いですよね」


 仲裁というよりも、自分のことのように悲しむ白河さんに、それまで暴れていた女性がわあと声をあげて泣いていた。


 またある日。

 玉虫がかなり状態の良い大型バイクを拾って、手で押して帰ってきた。


「整備すりゃあこいつは走る! たぶん! そしたら(れん)ちゃんと二ケツするんだ!」


 と嬉しそうだ。バイクのことはよく知らなかったが面白いので眺めていたら、排気量がどうだとか、直列4気筒だとか猛然とバイク講義が始まり「それを渡せ」「そっち持ってろ」といろいろ手伝わされた。


「ところで恋ちゃんさ。誰か好きな人いるのかな」


 作業しながら、また恋の話題になった。

「さあ、聞いたことがない」と答えた。

 実のところ、恋に誰か好きな人がいるのかどうか、それは僕も探りたい部分ではあった。

 赤面ビームのネタになると思ったからだ。

 だが、恐くて聞けなかった。

 ここはほとんどの人間が死んでしまった世界である。そんな質問をしても、ただ恋の悲しい記憶を呼び起こすことにしかならない気がした。そのまま伝えると玉虫は作業の手を停めて、わざわざ僕の目をじっと見て「それな」と静かに同意してきた。


 こんな世界だ。玉虫も大切な人を大勢失ってきたに違いない。


 その後はふたりとも黙ってバイクの整備に没頭した。


 しょんぼりが続いたあとに、少し気の晴れる話題もあった。

 朝の定例会で恋がこんなことを言い出したのだ。


「みんなで話し合って白河さんにリーダーになってもらって、ここの名前を『新宿コロニー』って決めた日があったじゃないですか。あれからもうすぐ1年なんですよ」


 出席者が感慨深げにどよめいた。「早い」「もうそんなになるのか」

 白河さんも「早いね」と頷きながら「ちょっと多めに食糧を出して、1周年記念パーティーでもどうかね」と提案した。


 賛成の声が一斉にあがった。


 僕にその重みは実感できないが、あんな化け物が現れる世界でよく1年生き延びたなと率直に思った。


 パーティーのアイデアがあれば遠慮なく提案してほしいと白河さんが話しているとき、階下から男性がひどく緊張した様子で駆け上がってきた。


「人喰イです」


 やばい。赤面させるネタが無い。

 恋はすかさず鏡で身だしなみをチェックしていた。


 数名の監視員に案内されて神崎先生と恋、そして僕の3人が目撃地点である新宿コロニー南玄関に行くと、道路のかなり先に見える交差点の真ん中にそれが立っていた。

 4本脚のフクロウのような姿をしている。僕は資料映像でいろんな人喰イを見ていたがそのどれよりも小さく、人間よりもやや大きい程度だった。ただ、例の乳白色のひとつ目が、体のわりに大きいと感じた。

 人喰イは交差点の真ん中に突っ立ったまま、しばらくの間その目をいろんな方角に向けていた。目の大きさもその都度収縮したり開いたりを繰り返している。

 いかにも何かを探しているといった様子だ。

 その目がこちらに向かって揺れたのでみんなあわてて身を隠した。


 冷や汗が吹き出す。

 見られたのではないだろうか。


 注意深くそっと顔を出して交差点を見ると、人喰イは姿を消していた。

 離れたか。それは良かった。

 戦わずに済むならそれにこしたことはない。

 ホッとため息をついた僕たちの。


 すぐ真横にそいつが立っていた。


「うわあ!!」


 悲鳴をあげて全員ぎょっと後ずさった。

 至近距離にもほどがある。密着といっていい。

 人喰イはあの乳白色の目でこちらを見下ろしている。

 そして跳躍した。

 殺されると思ったが、そいつは僕らから離れ、今度は新宿コロニーの外壁、3階あたりに脚を突き立てた。

 割れたガラス窓に脚の1本を突っ込んで遮光カーテンを引きちぎり、体を折り曲げて建物内部をまさぐるように覗き込んでいる。中からみんなの悲鳴が折り重なって聞こえた。


「……偵察?」


 神崎先生がつぶやいた。

 同感だ。人喰イにそんな役割分担があるとは初耳だが、だとしたら、見られた以上絶対に仕留めなくてはならない。

 その瞬間、人喰イの体の上部で翼が開いた。

 こいつ、飛ぶのか。


春人(はると)くん!」

「はい!」


 神崎先生の声から「逃がすな」という意味を汲み取って恋を確認した。しっかり人喰イを睨みつけている。いいぞ。僕もネタを選んでいる場合ではなかった。


「恋、初めてのキスはいつだ?」

「ふえッ!?」


 ひどい動揺が返ってきた。驚いて僕を見るその表情から、悲しい思い出ではなさそうだと直感した。よし、畳み掛けよう。


「相手はどんな人?」


 急速に恋の顔が赤く染まった。

 人喰イが飛び立った。ここから離れる気だ。まずい。僕は恋にとどめを刺した。


「キスはどんな味だった」


「いやあああああん!」身悶えする恋の顔面が火を吹いた。動揺しすぎだ。狙いが定まっていない。「恋! 人喰イを!」

 あわや取り逃がすかと思われたが、あたふたと振り回された赤面ビームがなんとか人喰イを切り裂いた。金色の火の粉と不気味な叫び声を放って人喰イは大量の白い灰となり、風に舞って消えた。

 やれやれ危なかった。


 この戦闘でひとつ発見があった。珍しくふらついた赤面ビームがビルの残骸に当たったのだが、鉄筋コンクリートの壁を破壊することなく素通りしたのだ。

 人体をすり抜けることは身をもって体験済みだったが、建物も同じらしい。

 厳密に言えば僕は暖かさを感じたし、ビルの残骸も光を反射してピンクに染まっていたので、その程度の接触はあるようだ。ただ『破壊力』は人喰イにしか作用しないものと、僕は脳内で結論づけた。

 これによって、たとえば壁ごしに人喰イを撃つなど戦法が増えることになる。


「ナイスー!」「さすが対策チーム!」

 どっと歓声が起きたので見れば、遮光カーテンを開いて、建物の中から大勢が僕たちを称えてくれていた。

 その中で、玉虫だけはひとり魂が抜けたような顔になっていた。


 僕は僕で混乱していた。

「相手はどんな人」と尋ねた時、恋が助けを求めるようにある人物を見たのだ。その視線の先にいたのはただひとり。

 確かめるつもりでゆっくり振り返ると。


「お見事」


 神崎先生がいつもと少し違う微笑みを浮かべて立っていた。


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