第9話 クルックー
新宿コロニーでの日常が始まった。
新しく設置された人喰イ対策チームの一員になったことで、僕も名実共に居住者になれた気がした。
「恋のそばにいることが仕事」だと説明すると玉虫は「うらやましい」だの「春人はずるい」だの延々と文句を言ってきた。
だが、やつらはそうそう現れるものではなく、対策チームが日頃できることは何も無かった。
このあたりはすでに「食べ尽くした土地」で興味が無いのだろうと神崎先生は分析していた。
先生は赤面ビームを誰もが使える武器にしようと日々その方法を探っているようだった。
そういえば赤面ビームはどうやって開発したんですかと尋ねてみたが、先生はわざとらしく悩んでから「内緒」と意味ありげな笑みを浮かべただけだった。
恋は毎朝屋上で鳩に餌をやり、日中は他の部署の手伝いをしたり子供たちと遊んだりして過ごし、夜は日誌を書いて寝るという暮らしだった。そのノートをたまたま近くで見る機会があったが、ピンクを下地に可愛い鳥のキャラクターが描かれた、女子高生が使いそうなファンシーな表紙だった。
恋はずいぶんと子供たちから慕われており、その近くにいたせいで僕もすっかり懐かれてしまった。
いつぞや恋と喧嘩していたあの子たちだ。特によく遊びに来るのは男の子ふたりと女の子ひとりの3人組で、名前を将、明、未来といった。なんとなく将来が楽しみな名前で「元気に育てよ」と親目線になったりした。
僕はいざという時に恋を赤面させる係なので、常に行動を共にしておくのが理想的なのだろうが、四六時中一緒にいたらストーカーだ。日頃は屋上か8階で監視の手伝いなどをして過ごすようにしていた。
毎週月曜日の朝は定例会議が開かれた。
自称17歳の伝野さんの耳を疑うような美声がスピーカーから流れ、それを合図に人が集まってくる。
僕が入居して初めての月曜日こそ避難訓練の説明や実施で濃密な会議になったが、たいてい大きな議題はなく、そのせいだろう人の集まりも良くはない。
今回も律儀に集まったのはせいぜい30人といったところで、顔ぶれもだいたい決まっていた。
なんら発言することのない玉虫が毎回出席しているのが面白かった。この男はいつも恋の顔だけをうっとり見つめていた。
そんなとある月曜朝の定例会。
決まりとなっている各部署からの報告が終わって、議長の白河さんが「他になにかありますか」と発言を募ると、普段見かけない小柄で白髪混じりの男性居住者が挙手した。
「食いてえんだよ、焼き鳥が」
阿久津秀雄さん52歳。独身。仕事の後の酒と焼き鳥が生き甲斐だったらしい。こんな世の中になったので諦めていたが今朝夢に見てしまい、しかも食べる直前で目が覚めたせいで辛抱たまらず会議に出席したそうだ。
残念ながら新宿コロニーで精肉を入手する術は無く、動物性タンパク質は缶詰や干し肉が頼りだが、阿久津さんはあくまでも新鮮な鶏肉を串に刺して焼いて食べたいのだという。タレではなく塩がいい。そして断然炭火だ。脳裏に焼き鳥が浮かんでいるのだろう、説明する表情は恍惚としていた。
30人ほどの出席者の全員が「残念だがそれは無理だ」とざわめいた。
そこに、阿久津さんがこう付け加えた。
「屋上に、鳩がいるだろ」
議長の白河さんの隣で書記を担っていた恋が目を剥いて立ち上がった。
「いません」
「いるだろ」
「いませんよ。見たんですか」
「見たわけじゃないが、毎朝鳴き声が聞こえてくる。知ってるんだよ。恋ちゃんさ、最近毎朝鳩に餌やってるよね」
阿久津さんの提案に賛同が相次いだ。
「そうか! 鳩を食べればいいじゃないか!」
「俺も食いたいわ」
「俺も」
「私も」
「良質なタンパク質が必要なんだ俺たちには!」
「そうだそうだー!」
定例会の出席者のほとんどが立ち上げって声をあげた。
玉虫だけがひとり「焼き鳥食いたいけど恋ちゃんを困らせたくない」という葛藤で右往左往していた。
恋が必死で反論する。
「いないってば! それにたぶん、鳩なんて食べても美味しくないわよ! 白河さん、もう閉会しましょう!」
白河さんが上の空で答えた。
「焼き鳥食べたいなあ」
恋の身体が斜めに傾いた。
しょうがない。おそらく僕以外誰も気付いていないであろう恋の特技をここで明かすか。
「みなさん、ちょっと待ってください。恋が言うとおり、屋上に鳩なんていません」
出席者の目が僕に集まった。「出たな婚約者」「じゃああの鳴き声はなんなんだよ!」「彼氏気取りかよ!」口々にそう言われた。彼氏気取り発言は玉虫だ。
僕は真顔で答えた。
「あれは全部、声真似です」
「……へ?」虚を突かれたみんなが言葉を失くす。
初めて屋上で恋を見たときのことである。
恋は鳩に餌をやりながら、実は鳩語で会話していたのだ。
いや、あまりにも似ていたので耳では判別がついていない。だが2羽の鳴き声が聞こえているのに、実際に屋上に来ていた鳩は1羽だけだった。つまり。
「恋、みんなに聞かせてやれ。おまえの特技、鳩の真似をッ!」
恋はオマエナンデ気付イタという目で僕を見ていたが、この場を切り抜けるにはそれしかないと腹をくくったのだろう。
「クルルル……クルックー、クルックー」
死んだような顔で突っ立ったまま、鳩の声真似を始めた。
いやはやクオリティの高さよ。もはや人の姿をした鳩だ。
本人は無表情を努めているが実は恥ずかしいのだろう、顔から火が出た。赤面ビームとして発射されるほどのエネルギー量ではないようだ。だが、顔そして頭、いや、結局身体全体がピンクの炎に包まれた。
「クルックー、クルル、クルルルルルル」
僕はみんなに向き直って恋を紹介した。「お待たせいたしました。鳩の丸焼きでございます」
「本物の鳩がいない証拠にはならない」という反論を誰もが抱えていたはずだが、僕と恋の熱意に呆れたのだろう。彼らは困惑しつつもこう答えるしかなかった。
「ごちそうさまでした」




