文句があるなら
新婚旅行の行先は、亜由美のたっての希望でフランスになった。昔から『ベルサイユのばら』という少女漫画のファンだそうで、仏蘭西革命あたりは妙に詳しい。
マリーアントワネットにルイ16世、ロベスピエールにサンジュスト。大学の第二外国語もフランス語で、簡単な日常会話くらいならできる。
まあ、隆としては長期休暇の取れたことだし、ちょっと海外に行ってみたいというていどで、行先は何処でもよかった。
というわけで、友達からはフランスで一番うまかったのはクロワッサンで、フランスパンはバサバサで飲み物無しでは食えない代物だったらしい、みたいな半端な知識を仕入れていた。そんなあるひ、隆の部屋でごろごろくつろいでいた明美が、スマホを隆の前に突き出した。
「これこれ。たっくんところの社長さんじゃない」
隆がのぞいてみると、確かにそうだった。
本社の社長は外国人だ。MRビーンに顔も名前もよく似ている。
「正確に言うとうちの社長、じゃなくて。うちの本社の社長だけどな」
「いいなあ。ヴェルサイユで結婚式だって。ほら、みんな18世紀の衣装を着て式を盛り上げた、だってよ。この盛り上げた髪の毛とか、パニエで広げたドレス。映画の『マリーアントワネット』の世界にあこがれてだって。あの映画私も大好き。色使いがすっごく良かった。マカロンも大好き。このケーキすごいよね。人の高さくらいあるよ。」
ひとしきりほめた後、明美はため息をついた。
「でもさ。なんかずるくない?」
「何が?」
「すっごくたくさんリストラされたんでしょ。工場も閉鎖になったし。ずいぶん保養所もなくなったし。宮殿借り切ってパーティするお金があればもう少しどうにかなったんじゃない?おまけに、このひとら再婚同士らしいし」
それは言わないお約束。だがそういう声もあった。同業他社の社長の年棒は3億ぐらいなのに、その外国人社長は10億円以上もらっているという噂だ。仕事は変わらないだろうに3倍以上だ。それに、海外にいくつも豪邸を持っていて、その家賃は会社もちだとも。
自分のような下っ端が何を言ったところで変わらないが。
「まあ、いいじゃん」
「なんでそう他人事なの?隆の会社のことじゃん。記事にはさ、自動車会社が寄付したから、ここで挙式できたって書いてあるよ。ずるいじゃん。だってこんなにたくさんお金を払ってるんだから、働いてる社員に還元してくれたっていいじゃん。なんでいい思いするのがこの人たちだけなの?リストラしただけじゃん。それ以降別に何にもしてないじゃん。ずるいずるい」
「俺に言われても」
「くやしい。私もこういう結婚式したかった。私がやりたかったことみんなやってる。ずるいよ、再婚なのに」
明美は足をばたつかせた。
「私と勝負してほしかったよ。ベルサイユ愛の勝負。絶対負けない」
「勝負?ベルサイユ愛?それ、どうやって量るの」
「とりあえずクイズを出し合う。勝った方はベルサイユでパーティする権利をもらえるの」
「相手に何のメリットもないじゃん」
「じゃあ、ベルサイユ宮殿の入場料タダにしてもらう」
おい。なんかすっげー値段下がったぞ。隆は苦笑した。
「俺が決めることじゃあねえし」
「わかってるわよ」
明美は鼻を鳴らしてしばらくスマホをいじっていたが、ふと手を止めた。
「いま、このひと私を挑発した」
「しねーよ。だいたい、それ去年の記事だろ」
「いいや。目がいっていた『文句があるならベルサイユにいらっしゃい』って。よって、この奥さんのあだ名はポリニャック夫人だ」
「誰それ」
「ベルばらの悪役。馬車飛ばしてひき逃げしたのに謝らない嫌な女『文句があるならベルサイユにいらっしゃい』とかなんかいって立ち去っちゃうの。ムカつく」
「へえ」
「それにさんざん王妃に取り入って、何億円もの金を貢がせたのに、革命が起きたらさっさと外国に逃げたの。」
「へえ」
隆の気のない返事など、明美が気にする様子はなかった。
「そうだ。デュバリー夫人もいいな。このひとはルイ15世の愛人でね、王様が死んだあと、革命のさなかにフランスに戻ってきたんだよ。
「なんでまた」
「しらない。どうも宝石かなんかを置き忘れていたから、取りに来たらしい」
「そんで?」
「捕まってギロチンいき」
「へえ」
明美は悪そうな顔で笑った。
「くふふふ。私の恨み思い知れ」
何を言ったところで、相手にはノーダメージだ。
とりあえず新婚旅行の行先は変わらなそうなので、隆は安心した。