きれいな青
晴美は図書館で雑誌をパラパラめくっていた。
この図書館の雑誌コーナーは結構充実していて、好みの雑誌が何冊もあるので、晴美はまずここで内容をチェックして、じっくり読みたい記事があるときだけ本屋に買いに行くことにしている。
その日は、なぜかいつもは読まない雑誌に目が留まった。
海外セレブとか、高級ブランドとか映画スターのゴシップとかが乗っている情報誌だ。
今月はデビュタント特集だった。お金持ちの御曹司や令嬢方が社交界にデビューする舞踏会のことをそう呼ぶらしい。
現代版おひめさまってやつか。おとぎ話の世界だなあ。パラパラめくりながら晴美は思った。しがない会社員の自分とはかけ離れた世界だ。
パリやロンドンやウィーンの豪華なホールや階段で、きらびやかなドレスを身にまとった令嬢たちが思い思いのポーズを決め、抱負を語っている。
世界平和に貢献したいとか、弁護士になりたいとか。女優になりたいとか。
ふと、令嬢たちの一人に見覚えがある気がして、晴美は頁を繰る手を止めた。
誰だっけ。知り合いのはずはないが、誰かに似ている。勝気そうな顔立ちとくっきりとした眉毛が特に。
でも、誰に?その疑問は、名前を見て解けた。
プロフィールには、日本の有名な自動車会社を立て直した社長の令嬢とある。
ああ、そうだ。あの会社の。晴美は目を閉じた。
短大2年の夏休み前に、晴美はその自動車会社の子会社から内定をもらっていた。
普通の事務職だけれど、世界的な自動車会社の人事の人に認められ、その一員になるんだという誇りというか、愛社精神のようなものがわいていて、短大への行き帰りに、その会社の車を見るだけでうれしくなったりした。いろいろな車種も覚えたりした。
会社には仲の良かった先輩がすでに、営業事務として勤めていたから、よく話を聞いたりしていた。仕事内容も簡単で、営業の人たちのために書類をそろえたり、お客様にお茶を出したりするらしい。まあ、先輩の話は8割がた同僚でもある彼氏ののろけ話だったが、職場や仕事の様子もうかがい知ることができた。
突然、本社の社長に外国人が就任した話も、この先輩から聞いた気がする。
社員となったら自分たちも会うことがあるかもしれないから、ボンジュールくらいは言えるようになろうと冗談を言い合った。
夏休みの卒業旅行はオーストラリアで、なかよし5人組で楽しんだ。
前途洋々で世界はすべて私の思いのままになるような気がしていた。
女の子って何でできてる?砂糖にスパイスに素敵なもの全部!!
夏休み明け、コストカッターと呼ばれたその外国人社長の采配で、子会社でも大規模リストラが行われることになったそうだ。十月一日に行われるはずだった内定式は延期され、新卒採用も見送られることになったという内容の、そっけない文書が10月半ばに届いた。それきり、その会社とは縁が切れた。
就職活動はもう一度やり直しだった。
就職課に駆け込んで、急いで紹介してもらったが、求人のピークはとっくの昔にすぎており前回スムーズに行ったのが嘘のようにはかどらなかった。送った履歴書は、おためごかしの文書付きで送り返されて、面接まではなかなかこぎつけられず、ようやく今の勤め先である不動産会社に就職が決まったのは、年が明けてからだった。
そういえば、あの年の夏に帰省したとき、成人式の話になった。一生一度のことだから着物を買いましょうという母と、一生一回のことだからいらないという晴美の意見は平行線だった。父と弟の意見を入れて、振袖一式をレンタルして、家族で写真を撮ろうということに話はまとまった。ネットでレンタル振袖をあれこれ検討した結果、青い地に花毬模様のに決めたが、10月になって内定取り消しで、とても成人式を祝う気になれず、キャンセル料がかかる前にキャンセルしたのだった。
雑誌の中で、社長令嬢はとてもきれいだった。ウェーブのかかった真っ黒な髪はゴージャスに結い上げられ、真珠のピンがいくつも飾られていた。
ビスチェドレスは、青だった。
とてもきれいな青
晴美がレンタルしようと思っていた振袖と同じ、きれいな青。
晴美は目に涙がこみあげてくるのを、こらえた。
この令嬢は悪くない。きれいな青いドレスを選んだのも偶然だ。
晴美への当てつけなんてありえない。向こうは晴美の存在なんて知る由もない。
もちろんそれぐらいわかっている。
ただ、私の運が悪かった。不況の時期に就職しなくてはならない、めぐりあわせが悪かった。
いや、もともと成人式に着物なんか着たくはなかった。
美容院で着付けやヘアセットの予約なんかも面倒だし、高いし。
今の会社も気に入ってるし。
でも
要するに、自分で思うほど、私はさっぱりあきらめられていないのかもしれない。
晴美は震えながら深呼吸し、雑誌を片付けると足早にその場を後にした。