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顔合わせ

雪の残滓も消え去り、春が来ました。

まだ肌寒いですが、春が来ました。

二階の空き部屋もとい物置部屋に行けば、窓から日本一の山がくっきり見えるハズの快晴の日。

寝起きの様相で階段を降りていくと、何だか心配になるくらい、にこやかな…いや、にやけ顔の母と対面した。

彼女の頭にも、春が来たのかもしれない。

いつもならば、またこんな時間まで寝て。とボヤかれる時分である事を自覚している。嫌な予感しかしない。登りきった太陽のように晴れやかに、穏やかに、何を言われても聞き流す心積りで階段を更に降る。

恐る恐る顔色を伺えば、予想に反して何故か嬉しそうな母。

正直なところ、早くここを過ぎ去りたい。

トイレは一階にひとつ。足元には最後の一段。

目の前の母を越えなければ、この切羽詰まった生理現象を鎮める事が出来ない。

「あの…、トイレ…」

「おはよう」

「…はよ」

怒ってる、のか?

表情だけはニコニコしているので、そりゃもう引き攣った笑みとか目が笑ってないとかでなく、まさしく満面の笑みなので、逆に怒っているのか何なのか分からない。

そんな事よりトイレに行きたい。

「…なんか、あったの?」

黙っていても埒があかないと判断。説教だったら聞きたくないが、背に腹は変えられない。

「今晩はご馳走だから、ちゃんと着替えて来てね!」

それだけ言うと、母はリビングへと引っ込んで行った。それだけ、なのか。

そんなに気合を入れて言うような内容だっただろうか。

よく分からない。

ご馳走だから着替える?何だか面倒くさいが、たぶん肉でも食いに行くのだろう。

ひとまず塗り壁が退いてくれたので、間一髪トイレに駆け込む事が出来た。

焼肉…いや、しゃぶしゃぶかなぁ。

良いお肉を想像すると、自然と顔が綻ぶものだ。

母の表情も、そこら辺が関わっているのだろう。そういう事にしておこう。


◇◆◇


母さんが病気で逝去したのは、俺が五歳の時だった。

闘病する母さんに何かを感じるよりも、奔走する父さんに対して不憫に思う気持ちの方が強かった幼少期。母さんに甘えた記憶は無い。そもそも甘えさせてくれるような人ではなかった。

病気の自分が可哀想。

その一心で荒れる母さんを、健気に看護する父さんには幼いながらに同情心さえ芽生えた。

この人が早く居なくなれば。

父さんが悲しむから口には出さなかったが、冷めた目をして母の死を望むような子供になってしまった。思い返すまでもなく親不孝この上ない。

母さんが亡くなって、気が抜けた父さんを支えるのが、自分の役目なのだと決意した幼心は未だ健在である。

だから、父さんが再婚の話しを切り出した時は、少なからず動揺した。

「いやー、本当に美味しい!嵩人たかひとも食べてみろ、口の中で溶けるぞ」

だがまぁ、こんなにはしゃいでいる父さんを見たのは初めてで、そうさせてくれる女性が次の母親なんだなと思うと、それほど悪い気はしない。

「まだまだお肉来るからねー。ほら紗千乃さちの、箸が止まってるわよ」

近々妹になる娘さんは、この顔合わせで初めて再婚の件を聞かされたらしい。

戸惑っているのか人見知りなのか、一言も発すること無くただ座って肉の焼ける様を見つめている。

「明日から働いてもらうんだから、体力付けないと!」

容赦なく小皿に肉が盛られていく。その体力の使い道が部屋の片付けらしいから、余計箸が進まないようだ。

次の火曜日、俺の父親と彼女の母親が婚姻届を出しに行く。

果たして今後この家族で、上手くやっていけるのだろうか。


◇◆◇


肉は美味い。

特にあの店の肉は、本当に美味い。蕩ける極上カルビには刻み山葵が最高に合う。タンは肉厚で柔らかく、レバーもふわふわで食べやすく、特上ロースに至っては本当にロースなのかと疑いたくなる程に美味だ。

しかしその味も、心境次第で変動する事を私は初めて知った。

再婚だなんて。しかも息子付きだなんて。そんでもって今の家で一緒に住む事になって、隣りの物置部屋で息子が…同い年の男子が生活するだと?

家に帰り着いてやっと、何で先に言ってくれなかったのかを問い質してみれば

「早く起きて来なかったあんたが悪い」

と来た。

なにも当日じゃなくても良かろうに。

もっと早く伝える事だって出来、ないか。ないな、あの人の仕事量半端ないもんな。

私は部屋に引き篭もってるもんな。

顔を合わせるのは、トイレに降りた時にばったりくらいだもんな。

なんだよ私が悪いのかよ。あぁ悪かったよ。

くぁぁあああ部屋片付けないと…。

一人、パソコンの前で思考を纏め、起動スイッチを押したくなる指を引っ込めて部屋を出る。

廊下の突き当りが自分の部屋。すぐ横の扉を開ければ、問題の隣室に入る事が出来る。

中には、捨てなければいけない彼是が山積みだった。

要らない服が詰まったゴミ袋。使えなくなったパソコンパーツ。何故か通販で買った健康器具。床に積まれた漫画本。他にも布団やら姿見鏡やら、あらゆる物がごちゃっと押し込められている。

取り敢えず、ゴミ袋の中身はゴミなので外に出そう。

そんでもって窓を開けて空気を入れ替えつつ、カーテンの埃を適当に払って。布団も干しておかないと。

この春から高校二年生になる私達だが、誕生日が一月早い向こうがお兄ちゃんになるらしい。

この部屋に来るのか。

嫌だな。上手く付き合っていける気がしない。


◇◆◇


男所帯のマンションを引き払う前、部屋に来た業者は引越し屋では無く買取り屋だった。

生活家電はあちらに揃っている上にグレードも高く、持ち込むような物は殆ど無い。

身の回りの物を纏めてみれば、ワンボックス車で片道分程度の量となり、交通費を考えてみても宅急便すら高くつく計算となった為、こうしてレンタカーで高速道路を走っている。

「崇人、お前本当に高校は変えないつもりなのか?」

他に話題が無いのかと突っ込みたくなる内容に、思わず口調も沈む。

「その話し何回目だよ…。電車で四十分とかサラリーマンには割りと普通なんだろ?別に大した事ないよ」

「お前分かってないなぁ。朝の四十分は過酷だぞ」

そうは言っても。

「だからって、編入するのもダルいし…」

「それもそうだなぁ」

案の定、本気で編入を勧めている訳では無いようだ。

確かに家から徒歩圏内の高校と聞くと、何とも魅力的な選択肢ではある。

とは言え、だ。今の学校だって通えないほどの距離ではないし、わざわざ妹…と同じ学校に通い始めるとなると、注目度も高まって面倒くさい。

「平和に生きていたい」

「え…。そんなに大掛かりな問題だったか?」

大掛かりと言うか。

「面倒くさい」

「はは。最後はいつもそれだな」

高速道路を降りて下道を進み、知らない街並みをただ眺める。

時が経てばこの辺りも、見知った土地へと変わるのだろうか。


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