5不思議なゆめ
リュクスくんの部屋の大きな姿見鏡の前にちょこんと座り、私は今更ながら自分の姿を確認していた。
写っているのは艶々の黒いうろこに覆われた、丸っこい体型の赤ちゃん竜。
大きさは生まれたての人間の赤ちゃんより、心もち小さいくらいかな。
良い子な私は行儀よく四本の足をそろえてきちんと『おすわり』している。
さらに背中には羽がはえていて、手足には小さいながらも鋭い爪。
そして赤い瞳の少し上。
おでこの位置にはムーンストーンのような乳白色でつるりとした堅い石が埋まっていた。
いわく、このおでこの石が竜の魔力の源らしい。
竜石と呼ぶのだとか。
魔力があるということはこの世界には魔法があるということ。
とっても興味があるので、ぜひとも習得したい。
竜に魔法が使えるのかは謎だけど。
「きゅーう」
あーんと鏡にむかって口を開けてみる。
牙もあるし、やはり私は竜で間違いない。
しかし竜にしてはあまりにも非力で、移動だってよっせよっせと必死に四本の足で歩いた十歩がリュクスくんの一歩なくらいに遅くて小さい。
丸々としているし堅いうろこに覆われていることもあってか体重は人間の赤ちゃんより重めだとか。
竜に生まれたことは別にいい。
格好いいし、成長しても働かなくてもいいなんて素敵でしかない。
ただ今の所ちいさくて力も弱くて、頻繁に睡眠が必要で、ご飯はミルクのみ。
赤ちゃんだからしかたがない。
しかたがないのだけどもどかしい。
だって中身は成人した人間なのだ。
何もかもに手を借りなければならないのは、気持ちがしんどい。
「きゅう……」
私はため息を吐きながら自分の背後の壁を見上げた。
大きな窓があるけれど、この体ではどれだけ背伸びしても外をみることができない。
せっかくの異世界をまだほとんど見ていないのだ。
「きゅうきゅう」
自由に外へ出してもらえない窮屈さ。
今の私の状況って、誘拐とか軟禁っていうものなのだと思う。
でもリュクスくんからしたら私は大切なペットであって、迷子にならないように外に出さないのも、人間のごはんじゃなくムゥムのミルクだけ与えるのも私を思ってのことなのだ。
「きゅう…」
優しい男の子に大切されている現状。
穏やかな日々は過労死するほどストレスの多かったついこの間までの人生からすれば夢のよう。
それでも私はここでの生活は望まない。
人間の感性からか『飼われる』ということに、とても抵抗があるのだ。
「まぁシンシア、どうしたの? なんだか黄昏ているわね。背中に赤ちゃんらしくない哀愁がただよってるわ」
いたわるような柔らかな声音と同時に、後ろからふわりと抱き上げられた。
護衛のトマスさんのような豪快な抱き方とも違う。
リュクスくんのようなたどたどしい抱き方とも違う。
お母さんが子供にするような、安定感があって優しいこの抱き方は乳母兼、侍女のマリーさんだ。
「リュクス坊ちゃまがいないから、寂しいのかしら」
今、リュクスくんは別室に教師が来ていてお勉強中だ。
さみしいとは特に思わないけれど、彼のいない部屋はとても静か。
「いい子いい子。シンシアはいい子ね」
落ち込んでいた私を慰めようとしているのだろうか。
マリーさんは椅子の上に座り、膝の上に私をのせた。
長いおさげ髪が前へ垂れてきて、私がくすぐったがると「ごめんなさい」と笑って後ろへはらってくれる。
それからとんとんと優しくお腹を叩く。
さすが十九歳にして二児の母でありリュクスくんの乳母役も勤めているだけあって慣れている。
他の人にされる赤ちゃん扱いは複雑だけれど、マリーさんにされるとこそばゆい気分になっちゃうな。
マリーさんはゆっくりゆらゆらゆらしてもくれて、これは寝かしつけられているのだろうと分かった。
朝に起きてから三時間もたっているし、赤ん坊はそろそろまた睡眠の時間のようだ。
「きゅう」
「ふふ。シンシアは眠るときにグズらなくてとても楽ね。竜だからかしら」
あぁ、寝る時間になるたびにぐずっちゃう子いるよね。
幼いとまだ寝ること自体が上手くなくて、すうっと睡眠に入れないもどかしさと気持ち悪さから泣いたりしちゃうんだ。
眠たいのに眠れないと、機嫌が悪くもなるよ。
でも私は中身は大人だから。眠りに入りづらいことはあっても、それでグズって泣きわめいて困らせたりはしないのです。
でも体は赤ちゃんだから、睡眠はたくさん必要なのですが。
「……そうね、眠れるまでおとぎ話でもしましょうか」
いいね。お話ききたいな。私は丸まって目を瞑りながらも耳を傾けた。
「昔々、この世界には竜がたくさんいたの。今よりずっとたくさん。人間と同じくらいに数がいて、空を見上げるとかならず竜が飛んでいる光景が見えるほど、世界は竜の天下だった。……でもね、竜の額には魔力がたくさんある竜石がはまっているでしょう?」
うん、私のおでこにも石がはまってる。
「強い磨力を秘めた竜石は、強い魔導具の作成材料として最適だったから、欲した人間によって竜が狩られ殺されてしまって、数がとても減ってしまったわ」
「きゅ?」
え? 寝物語としては重い話が始まったな。
「そんな時、一匹の美しい竜が王の前へ舞い降りた。周囲の兵たちは復讐かと思い剣を振り弓を射いたけれど、血を流しながらもその竜は一切攻撃せず、ただ王を見つめ続けた」
ひえ、痛い……切られて射られて血まみれの竜とか、絶対なりたくない。
「しばしして王は問うたわ。お前は何をしにここへ来たのかと。すると竜はなんと麗しい乙女へと姿を変え、人の言葉を話しだしたの。殺された竜たちの悔しさを、悲しみを訴え、お願いだからもうやめてくれと願った」
「きゅう」
マリーさんは、ゆらゆら私を揺らしあやし続ける。
「心打たれた王はそれを聞き入れたわ。もうこの国で竜を殺さないと約束した。そして竜の美しさと、強く清らかな心根に恋をしたの。王と竜は永く添い遂げ生涯をともにした」
「きゅう?」
えぇ? その竜、自分の仲間をたくさん殺した相手の代表とよく添い遂げられるな。
私はむりかも。
「……だからこの国の王族はね、竜の血を継いでいるの」
え、王様が竜の子孫なの?
思わず瞼をあげた私に、マリーさんはくすりと笑う。
「おとぎ話よ。本当に竜が人間の姿になったなんて信じている人はいないわ」
なんだ。うっかり期待してしまった。
「さぁ、もう眠りなさい。リュクス坊ちゃまが戻ってくると、ゆっくりお昼寝はむずかしいでしょう?」
そうね。それにそろそろ眠気も限界だ。
マリーさんの膝の上で私は前足で自分の顔をこしこし擦る。
ついで大きくあくびをしてから、また体を丸くして横になり眠る体勢に入るのだった。
……――――夢を見た。
手足を鎖に繋がれ泣いている、大人の女性がいる夢を。
真っ黒な髪はとても長くて、流れ落ち白い床につき、広がっている。
泣いている彼女の前に立つ豪奢な服を着た男が、いびつに笑いながら言った。
『お前さえ我のもとに居続けるのならば、他の竜は見逃してやろう』
涙を流しながら頷いた彼女の髪の隙間からは、額に埋まった七色に光る竜石がのぞいていた。