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44恋って複雑



 サラサさんが来てからあっという間に一か月がたった。


 彼女はずっと公爵家の人みんなに我が儘な態度を取り続けている。

 それでもリュクスくんもお父さんもおおらかに対応しているのだけれど、やはり使用人たちからは不満が漏れだしてきてはいた。

 屋敷の雰囲気が少しずつ悪くなっている気がする。

 

 突っぱねた態度をとるサラサさんの気持ちも考えてしまうと、私は強く反論できなくて中立的立場な感じだ。

 一か月も変わらずに周りと距離を取り続けるのって、精神的にもしんどいはずなのに。

 そんな周囲のピリピリした空気にくたびれつつある日々の中。

 花の日の夜に、私は赤い屋根の屋敷でカインと会っていた。

 

 今日カインが持ってきてくれたのは、林檎酒だ。

 グラスに注いだそれに角切り林檎をいくつか落とすと、林檎のさわやかな甘さを含んだ香りが鼻に届く。

 瑞々しい林檎、おいしそう。

 なんだかアップルパイ食べたくなっちゃったなぁ、なんて思いながら、私は口に入った林檎をしゃくしゃく食べつつ、林檎酒ものみつつ近況を話していた。


「ビッティ伯爵家は海に面していて、海外との交易が盛んな重要な領地だ。実のところ、私の婚約者候補にも考えられていたくらいだ」

「へぇ。やっぱりすごいんだ。お父さんが断る選択肢を取らないはずだよね」


 爵位は王家や公爵家と比べると何段か落ちるけれど、国にとっては重要で、一目置かれた家らしい。


「……あのね。私はただね、リュクスくんに強く当たるのが、いやなの」


 私にとってリュクスくんは守るべき子。

 どんな事情があるにせよ、彼に意地悪をしないで欲しいんだ。


「でも、とうのリュクスくんの方から寄って行っちゃうんだよねぇ。サラサさんのほうはむしろ「近寄らないで!」って感じなのに。もー!」


 めげずに毎日毎日、一緒におかしを食べようとか、日向ぼっこをしようとか、お散歩に行こうとか誘いに行っている。

 そのたびにきつく当たられているのに、リュクスくんの方はきょとんと眼を丸くするだけだ。


「あの子、ちょっと、にぶいというか、空気が読めないと言うか……誰にでも警戒心なく寄ってっちゃうのはどうかなって」

「ある意味一番大物だな。しかしまさか平民と恋仲になるとは。気が強く奔放な令嬢だと聞いてはいたが、そこまでとはな」

「カインからしてもびっくりなの? そんなに、平民と貴族が恋をするって変なこと?」

「変ではない。人が人を好きになるのは当然のことだ」


 だよね。私もそう思う。


「……だがな。貴族の者は、生まれながらに家の為に、なにより国の繁栄の為に尽くすという責任感をもつように物心がつく前から育てられる。婚姻もその為。それが常識だと根底に植え付けられている。だからたとえそぐわない家柄の者を好きになっても、普通はその人に完全に溺れてしまう前に、これ以上は駄目だと、距離をあけて踏みとどまるようにするものだ」

「サラサさんは、踏みとどまらないで恋仲になってたっぽかったけど」


 カインはひょいと肩をすくめた。


「真逆に、障害があるほどに燃えるタイプの人間だったということだろう」

「なるほど」

「まぁ女遊びが好きで、貴族平民問わず美しければ手を出す男もいる。結婚なんて面倒だと、責務全部を放り投げて旅に出る者もいたりする。人間なんて千差万別だ」


 理性で踏みとどまり、家柄にふさわしい人と一緒になる。

 それが一番普通で常識的な行いだとしても、中には常識外の行動を取る人もいる。


 サラサさんは、恋する心をとめられなかった。

 貴族の娘であり、駄目だと分かっているのに、平民の男性と恋仲になってしまった。


「やっぱりちょっと、悲しいね」

「シンシアは先週も先々週も同じことでため息を吐いていたな」

「だって、家の中がどんどんピリピリしていくんだもん! しんどいよ」


 私の再びのため息に、カインは少し悩むみたいな顔をした。

 どうしたの? と首を傾げて視線だけでうながすと、彼は苦い顔をして話し始める。


「いや……わざわざ教えて余計な悩みを増やすべきでも無いと思うんだが、秘密にしているのも後々で影響がでそうだしな……」

「うん?」


 私が目を瞬くと、カインは少し口籠ってから小さな声で告白した。


「数日前に、情報が入った。……サラサが嫁いだ少しあとに、失踪したらしいんだ」

「失踪って誰が?」

「ダンという男がだ。しかもビッティ伯爵家の家財をいくつか持ちだしている。彼はあの家の庭師だったらしいな。――駆け落ちの準備をしているのかもしれんと、ビッティ伯家が必死に行方を捜している最中でな。手配書もまわってるんだ」

「……手配書」


 手配書なんて、まるで罪人あつかいだ。

 いや、物を盗んで逃げたんだから罪人なのか。

 もしかして盗んだものをお金に換えて、駆け落ち資金にするつもりなんだろうか。


「聞いている感じだとシンシアは恋愛肯定派のようだ」

「そ、そうでもないよ? 政略結婚が悪いものだとは思ってない。この国の文化に異論を唱えるつもりなんてないよ」

「だがサラサ嬢には同情している。恋人と一緒になれたらよかったのにと思ってる」

「……まぁ。よく一人で泣いてるし、可哀相だなって……」

「もしサラサの恋人が、本当に駆け落ちする準備を整えて迎えに来たら、シンシアは応援してやるか? 協力するか?」

「え、えぇ……? 何その質問」


 たしかに愛する二人が引き裂かれるなんて悲しいことだと思う。

 でも――……。


「分からないよ」


 私は手の中の林檎酒を見下ろした。


 琥珀色の液体の入ったグラスに、自分の顔が映っている。

 それがひどく情けない表情をしているように見えた。


「もしかするとさ、サラサさんが幸せになれるのは、その愛している庭師のダンさんの隣なのかもしれないね」

「そうかもな」

「サラサさん、ダンさんのことが本当に好きなの。竜の私にはいろいろ思い出を話してくれるの。……でもね。リュクスくんもお父さんも、サラサさんを家族として迎え入れようと頑張ってるの……。それにダンさん、犯罪者になっちゃったし……、うーん……私、分からないよ」


 どれだけ跳ねのけられても、お父さんとリュクスくんの二人はサラサさんへ手を伸ばすことをやめようとしない。

 優しくて、強くて、ちょっと抜けている親子が私は好きだ。

 彼らの歩み寄りが、駆け落ちによって無駄になってしまうのは少し悲しいような気がした。

 でもサラサさんとダンさんという、好きな人同士が引き裂かれている現状も悲しいのだ。

 

 だから分からない。

 どちらの応援もできる気がしないとしか、返事のしようがなかった。

 どっちつかずでとても中途半端だな、私。


「……そうか、分からないか」

「うん」


 

 貴族社会で生きてきたはずのカインは、私を責めなかった。

 

 私たちは静かに、ちびちびとお酒を交わす。

 毎週のこの時間は、大人なのか赤ちゃんなのか、人間なのか竜なのか分からない私が、ただ素の私であれる時だ。




 ……できるのならばダンさんが迎えにこないまま、ゆっくりサラサさんがハイドランジア家になじんでくれればいいのに。

 なんて言うのは、きっと私の我が儘なんだろうなぁ。


 と、私は少し沈んだ気持ちで考えながら、ころりと口に入ってきた林檎をしゃくりと噛んだ。




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