13人間になっちゃった
「え、え、え? なにこれ」
私は自分の姿を見おろした。
視界には普通に人間の腕と手があって、足も見える。これはもしかして……。
「私、人間になってる……?」
びっくりだ。でも少し前までは人間だったので、違和感はないどころか逆にしっくりくるかも。
「すごい、すごいね! シンシア! おっきくなった!」
「一体どういうことだ」
目の前には大喜びでぴょんぴょん飛び跳ねるリュクスくんと、困惑した様子のお父さん。
二人のこの反応からして、竜が人間になるのは一般的ではないのかな。
それならどうしてこうなった?
前世が人間だから?
異世界からきたから?
よく分からないな……と首をかしげた時に、私ははっと気づいてしまった。
みるみる間に自分から血の気が引いていき。
ついで、一気に全身が茹で上がる。
「っひ、い、いやぁぁぁぁぁはぁだぁかぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
人間になった私は、全裸だった。
いや、竜のときも全裸だったけどね? 違うじゃん!
広々とした野外で、素っ裸で立っているなんて恥ずかしいうえに痴態を晒して申し訳ない。
急いで隠したけれど二本の手だけじゃ隠しきれない。
「あー……シンシア。これを着なさい」
お父さんが上着をかけてくれた。
有り難く袖を通すと太ももまですっぽり隠れてくれた。これで一安心だ。
「ふぅ。助かった。有難うお父さん」
「いや……え、本当にシンシアなのか? え? どうして竜が人になった?」
「さあ、何でだろう。不思議だね?」
お父さんは混乱している。
私も混乱している。何もかもわけがわからない。
「ぼくは! ぼくはすてきだとおもう!」
リュクスくんはすんなり受け入れて喜んでる。さすが幼児は順応が早い。
ところでリュクスくん、足にまとわりつかないでくださいますか。下着ないのでちょっとめくれ上がるだけでまた痴女になってしまうのですよ。
それにしてもお父さんの服はぶかぶかだな。
いくらなんでも大人が着ているにしては布があまり過ぎているし、目線の高さからしても、もしかして私、人間にしても子供の姿なのかな。
「うーん……お父さん。私、何歳くらいに見える?」
「何歳? ええと……九……いや十歳くらいじゃないか」
「なるほど、十歳くらいかー。二十うん歳から推定十歳へと夢の若返りを果たしてしまったのね」
「は?」
「ううん。こっちの話」
若返り……いや赤ちゃん竜から十歳児になったんだから成長したともいえるのかな。
とにかく人間になった私の髪は、腰に届くほどまでに長い真っ直ぐな黒髪だった。
疲労と手入れの時間のなかった前世と違って、触るとツルツルさらさらで絹糸みたい。
ふと気になっておでこを触ってみると、額の竜石はそのままあった。もう光ってはいないけれど。
リュクスくんのお父さんが聞いてきた。
「なぜこんなことになった」
「分かんないよ、お父さん。こんなの初めてだし」
「ん? おとう、さん? さっきから私のことをお父さんと呼んでいるな……?」
いまさら怪訝な顔をされた。
そっか、ずっとお父さんと呼んでいたけれど、そういえば私の父ではなかった。
本当の名前なんだっけ、カタカナの名前って覚えにくいんだよね。
「えーと、お父さんじゃ……だめ?」
「う……まぁ、構わないか。シンシアはうちの子で間違いないのだしな。うむうむ」
ジイっと見上げながら首をかしげると、ちょっと照れたみたいな顔で了承してもらえた。
よかった。名前完全に忘れたから本当によかった。
あとでこっそり誰かに聞いとこう。
とにかくシャツ一枚のままではどうにもならないと、私たちは足早に屋敷へ帰ることにする。
お父さんはこれから城へ仕事に行かなければならないということで、別行動だ。
屋敷へ帰るこの馬車に乗っているのは私とリュクスくん、それにトマスさんの三人。
もう一台、使用人が何人か乗った馬車があとから続いている。
「シンシア、シンシア、きれいだねぇ。かわいいねぇ」
「ありがと、リュクスくん。誉め上手だねぇ」
「ふふふ。こえもきれいだねぇ。てんしみたい」
馬車の中、口元に両手をやってくすくす笑いがとまらない様子のリュクスくん。
ここしばらくずっと沈んだ様子だった彼が楽しそうでなによりだ。
リュクスくんの笑顔は私の心をほんわかさせてくれる。
「……マリーとははうえにも、みせたかったな」
その直後にちいさく呟いた言葉と、わずかに伏せられた緑色の瞳の奥にはやっぱり寂しさが浮かんでいたけれど。
私は真っ直ぐに前を向いたまま、静かに隣へと声を掛けた。言っておかなければならないことがある。
「……ねぇ、リュクスくん」
「なあに?」
「私、リュクスくんに飼われるつもりなんて無かったんだよね。いつだって早くあの屋敷を出たいって、タイミングをはかってた」
「っ、うそ!」
リュクスくんの体が小さく跳ねたのが分かった。
きっと不安そうな顔をしているのだろう。
それでも隠していたくないから、私は話を続けることにする。
「しんしあ。しんしあはうちのこ、いや?」
「いや……っていうかもっと別の場所に行ってみたかったんだよ」
思わず小さく笑いが零れて、正面から、隣に座る彼の方へと視線を移した。
目に映るのは、幼い男の子。
まだ四歳になったばかりの、たよりない子ども。
前世での「せんせい、せんせい」って声が頭に響く。記憶とかぶって、思い出してしまう存在。
「遠くを見てみたかった。自由に外に出たかった……閉じ込められるのが苦しかった。でも、君が大事になっちゃったからね」
「え」
「お母さんやマリーさんの代わりにはなれないけれど、リュクスくんが大きくなるまでは一緒にいるよ。今、そう決めた」
「……おおきく、なっちゃったら?」
「大きくなったら、私なんて必要なくなるよ」
「ならない!」
私はつい苦笑がもれた。
今はきっと本気で、ずっと私と一緒に居たいと思ってくれているのだろう。
でもね、人って成長して、先へ進んでいくものなんだよ。
だから私が護らなくても、すぐに一人で歩けるようになるんだよ。
友人が出来たり、恋人が出来たり、たくさんの人と知り合ったり。
そうして世界が広がる中で、幼い頃から繋いでいた人の手は自然に離れていく。本当にごく自然に。
だから、それまで。
それまでだけ一緒にいる。
「やだ、ずっと、ずっといっしょがいい!」
「……だめ。大人になるまで」
「そんなぁ」
やだやだってリュクスくんはずっと駄々をこねていたけれど、どうせすぐに彼から離れていくようになるよね。
だって私は元保育士だから。
子どもっていうのは成長して巣立つものなのだと、よく知っている。
いままで何百人もの子供たちを見送って来たんだもん。
「卒園しても遊びにくるからね」って言ってても来てくれるのなんて大抵一、二回だ。手紙だって同じくらいでやりとりは終わる。
そのあとはぱったりと遠のいてしまうもの。
私にとってどれほど大切な存在であっても、あっという間に、私は子供にとっての『思い出』になる。
だから子供とずっと一緒になんてありえないと、分かってるのだ。
「きっと君から離れていくに決まってる。だからずっと一緒はあり得ないんだよ」
「ありえる!」
叫ぶリュクスくんの必死さに、私はやっぱり苦笑を返すしかない。
人はいつか離れていくもの。
――前世の父も母も私を捨てた。
誰一人、身内はいなかった。
誰一人、ずっと一緒になんていてくれなかった。
園児たちだってあっというまに私から離れていった。
だからリュクスくんの「ずっと一緒にいたい」も、私は信じられない。
* * * * *
……―――とある神殿の奥。
人気のないその場所に不似合いなほど、ずいぶん立派な墓がそこにたっていた。
突然、なんの前触れもなく墓石が軋み、小さなヒビがピキッと入った。
誰の耳にもはいらないほどほんの小さなその音は、繰り返し何度かつづく。
そうしてピキッ……ピキッと入った墓石のヒビの隙間から、やがて黒い靄のようなものがあふれだしてきた。
黒い靄は、意志をもっていた。
『ヤット、カエッテキタ』
『ワタシノ、ツマ』
『ワタシノ、リュウ』
『コン……コンド、コソ』
黒い靄は大きな大きな禍々しい塊となり、やがて空へと消えて行った。
まるで何かを探しに行くかのように。
残された墓石に刻まれた文字は、かつて禁忌を犯し歴史書から抹消された、昔々の王の名前。