第6章 - マケラ
「「黒い髪の悪魔を殺せ! 」
「川の底に沈めてしまえ!」
「奴のアレをちょん切れ!ちょん切れ!ちょん切れ!」
怒号の声が、徐々に健次の意識を取り戻させていた。敵意と怒りに満ちた群衆が彼を取り巻いていた。彼らは健次を恐れているようにも見え、毛嫌いしているようにも見えた。が、ほとんどがただ混乱して騒いでいるようだった。卵や小石を投げつける者もいた。
「お願いです、やめて下さい。僕は人間です、化け物じゃありません… 」
健次はなんとか和平的な交渉を試みたが、その弱々しい声はあっという間に激怒の海へと飲み込まれていった。立ち上がって逃亡を図ろうとしても、男たちは健次をたやすく地面の上へと押し戻してしまう。そしてほとんどの民衆は、その手に、干し草用の大きなフォーク型の熊手や、鍬や、斧などを持っていた。
それはまるで、いつでも健次を挽き肉にする準備をしているかのようだった。
「モーゲン神父様がいらっしゃった!」
誰かが大声でそう叫ぶと、群衆は速やかに二つのグループに分かれて道を開けた。彼らは突然、模範的な市民のように静寂になり、そして青いローブマントをまとった男性が、健次の前に現れた。
その神父がここに来ただけで、あたりの空気が厳かで沈静さに包まれたようだ。
神父は灰色の髭をたくわえ、厚い眼鏡をかけていた。その手には熊手などの代わりに、厚い皮製の本を持っていて、その表紙には何かの瞳のような絵が描かれていた。健次は何となく、この男がこの街の強力な宗教的指導者であるのが感じられた。民衆が彼を神父と呼んでいることからも、そうであるとわかった。
また彼の白髪交じりの髪が、他の者よりも成熟していることを感じさせた。
「モーゲン神父さま、どうか私のためにお裁き下さい。」
川沿いで会った女性が涙を流しながら言った。
「この…変質者が、川のどこからともなく現れて、裸で、私と私の幼い娘に暴行しようとしたのです。どうか、その正しい報いとして、彼の眼をえぐり抜き、彼の性器を切り取るお裁きを。そうすれば彼はもう二度と、性交したり無垢な乙女を脅かしたりできませんから!」
「俺たちが証人だ、彼女の言ったとおりだ!」
健次をこの場所へ連れてきた4人が、背後で同調して叫んだ。
「まあ待ちなさい、神の子らよ。」
モーゲン神父は片手を上げ、民衆をなだめた。
「聖帝を前にして、いかなる悪や不当も正しい裁きを逃れることはできない。であるから、私としては両者の立場から話を聞く必要がある。判定を誤ることは悲劇であろう。」
(この人物は理性的に話ができる。ひょっとして、チャンスかもしれない。)
健次は秘かに望みをつないだ。とはいえ、魔女狩りが行われた暗黒時代を思い起こさないわけでもなかったが。審議もなければ、証拠もない。彼らが欲しているのは、ただ処刑をする理由なのだ。
「彼を教会の中へ。」
モーゲン神父が告げた。
「聖帝マケラの眼をもってすれば、どんな虚言も彼の判定を逃れることはできない。 」
「え?」
健次には、わけがわからなかった。だが、二人の男が前に出てきて、健次を地面から引っぱり上げた。そして彼らが教会の建物にたどり着くまで、群衆は彼らの後に続いて歩いた。モーゲン神父が、止まれという合図を送った。
「では、この少年を私に委ね、裁定を待っていなさい。 」
「神父様の仰せのままに。」
モーガン神父に連れ立った健次は、教会の中へと歩いた。神父はドアを閉じ、カーテンを閉めて、誰にも中の様子がうかがい知れないようにした。健次は、祭壇にはきっと金属製の十字架がかかっているのだろうと思っていたが、その代わりにあったのは、虹彩が炎の輪になっている、大きな金色の眼だった。それが天井真下のステンドグラスになった窓に配置してあった。
その眼は、まるで健次の魂をじっと見ているかのようだった。健次の立っている場所の、ずっと上のほうから、本当に誰かが見ているように感じられた。
「少年よ、名前は? そして、どこから来たのだ?」モーゲン神父は穏やかに問いかけた。彼の声は気遣いに満ちていた。
「け…健次です、神父さん。日本から来ました。」
「そうか、聞いたことのない場所だが… 。だが、それよりも重要なことは、彼らの話が本当かということだよ、ケンジ。本当にあの女性たちに、何かしようとしたのかね?」
「違います!」健次は叫んだ。「大きな誤解なんです。服は盗まれました。変な二人の男の子たちがいて、一人は太っていて、もう一人は背が高く、兄弟のようでした。そして僕のシャツやズボンを盗ったんです。本当です、神父さん。この世界に来たときは、ちゃんと服を着ていました。誰かにわいせつ行為をするつもりなんて、全くありません。」
「きっとジャクソン兄弟のことだろうて…。」
モーガン神父にはわかったらしい。
「やつらは不用心そうな旅行者を見つけては、盗みを働いておる。それに、明らかに君は、プライム人には見えぬ。健次君、教えてくれるか。どうして君の目と髪は黒いのだね?」
「僕は…、生まれたときからこうです。日本人なら皆、髪も目も黒い色をしています。もちろんおしゃれするために、髪は染めたり、カラーコンタクトを入れて目の色を変えられるけど。」
モーガン神父はその話をじっくり聞いてから、健次の頭を手でポンポンと軽く叩いて言った。
「よろしい、君が呪われたりしているのでなくてよかった。君が生まれたときからそのような姿なら、それはおそらく神のご意思だ。それに君の話によれば、君はあの始末に負えないジャクソン兄弟の被害者のようだ。彼らの悪行はここでも知られているから、群衆を鎮めるのは、たやすかろうて。」
(はあ?)
健次は用心深く尋ねた。 「あのう…、それだけですか?他に無実を証明するとか、しなくていいんですか?」
「いやいや、君が無実なのはわかっておるよ、健次君」モーガン神父は、自信たっぷりに言った。「わしはこの教会で30年間、相当の数の罪人を見ておる。会えばわかろうて。 この‘おしゃべり’全部が判決のための審議だったのだ。皆には、後で伝えておこう。」
神父の言葉が、健次の心を揺さぶらせた。彼は正しい。この神父が唯一まともで、当てにできる。
「それじゃあ…神父さん。もしかして、服を分けてもらえますか?」健次は、おそるおそる訊ねた。
「盗まれちゃったんで、裸で外を歩きたくないんです。何でもかまいません、覆えるものなら。ほら、特に、その…」モーガン神父は口元を結び、確信を込めて言った。
「ここで待っていなさい。教会に寄付された中に、君のサイズに合う衣服がある。」
健次を教会用の長座席に残して、神父はそれらを取りに出て行った。つかの間の安堵、健次の頭の中に、たくさんの疑問が積み重ねられた。もし健次が適切に問えば、神父は健次が家に帰れるチャンスをくれるだろう。健次にはそう思えた。
ほんの少し経った頃、モーゲン神父が2枚の衣類を持って戻って来てくれた。一枚は破れと染みだらけ、もう一枚は、きれいでまだ新しそうだった。
神父が訊ねた。
「それでは、健次君…。君に提案したいことがある。もし君がそれを受け入れてくれるなら、わしは君に、食べもの、住むところ、もっといい衣類を提供してあげよう。だが、もし君が断るなら、残念だが、慈善行為として認められる最低限のものしか与えられない。」
「それって、僕をテストしてるとかですか?」
健次は尋ねた。この神父の突然の提案は、まるで、あの“金と銀の斧”のお伽話のように聞こえたからだ。
「君がそう言うなら、そう言えるかもしれない、健次君。本当のところはな、わしは門弟を探しておるのだ。わしも、もう50代だ…。しかし、この村には神学に興味を示す者は誰もおらん。実際、彼らのほとんどは読み書きもできんのだ。だが君は、ずいぶん頭の切れる若者のようだ。もし君が聖帝マケラに信心を誓うなら、君が次の神父になるため、教示と訓練をしてあげよう。」
「 マ…マケラ?」
「ああ、そうだった。」 モーガン神父は、笑って言った。「君は我々の信仰になじみがないんだったね。そのとおり、マケラはこの太陽の下にあるもの全てを創造したのだよ。いや、太陽すら創造したのだ。彼は寛大で慈しみ深く、存在するもの全ての頂点におられる。健次君、もし君が私の言うとおりにしてくれるなら、もはやこの街の誰も君を傷つけないことは約束しよう。そして私が年老いて世を去った後は、彼らは君を崇めるようになるだろう。それからの君は食べるものや住む場所に困ることもない。どうかね?」
このありがたい提案は、新しい人生を始めるのには素晴らしく思われた。ここは健次にとって未知の新世界だ。そして食べ物と住み家は生き抜くためには重要だ。健次はそのことをほんの少しの間考えた。そして、答えた。
「すみません、神父さん。それはできません… 。日本に帰らないとならないんです。僕を待ってる家族がいるんです。それに僕はもともと宗教活動には熱心じゃないし、実際、お坊さんがお経を唱え始めると眠くなるんです。だから、ごめんなさい。」
モーゲン神父は、落胆のため息をついた。「わかった。おそらくことを急かしすぎたようだ。いつか君の気が変わることを望んでいるよ、健次君。それでは今のところは、この着古されたシャツと、ズボンと靴だけを与えよう。」
「それで充分です、神父さん。」
それらの衣類を身に着けると、突然つま先から首までの全身がかゆくなった。すべて羊毛で出来ていて、それに明らかに洗濯が必要だった。
モーゲン神父は健次の肩に手を置き、命を下した。「さあ来なさい。告訴人たちに会って、この争いごとを終わらせよう。」
それから彼ら二人は、外で今や遅しと待っている群衆に会いに出て行った。まだ彼らの表情には嫌悪が感じられたが、モーゲン神父は手を高く上げると、大きな声でこう告げた。
「判決は下った。この若者は無実である。彼が衣服をまとっていなかったのは、ジャクソン兄弟が彼の所有物を盗んだからであり、決して不埒な行為を働こうとしたのではない。それゆえ、我らが主マケラの名の下に、判定として無罪を言い渡す。そして、この少年に偏見的な行為を行うことを禁ずる。彼が黒い髪と目をしているのは生まれながらであり、疾病や呪いなどのためではない。」
健次を咎めていた女性は押し黙ったが、彼女の目はまだ赤く染まったままだった。
村人たちは、まるで裁判所の陪審員かのように互いに顔を見合わせると、最終的に一人が皆を代表して言った。
「みんな、聞いたな。モーゲン神父様が、この少年に罪はないと申されたのだ。さあ、仕事に戻れ。噂話や怠慢などするより、やることはたんまりあるぞ。」
そしてそのとおり、群衆は、ミツバチの群れが分散するかのように、散り散りに去っていった。健次を訴えていた家族も、この判決に不服を言うこともなく立ち去って行った。突然の静穏が教会の周囲に戻った。
「マケラの家は、いつでも新門徒を歓迎しておるよ。忘れないでくれ。」
神父は健次への最後の別れの言葉としてそう言うと、教会の扉を閉めた。
それから健次は街の辺りを少し散策しながら、この地域の建築物について少しの間、注意を傾けていた。健次が、縄跳び遊びをしていた兄妹二人のところを、横切るまで。
妹の方がつまずいて転び、兄の方は立って笑っていた。そして最後には、兄はいくつかのおもちゃを持って来て、それらで妹が痛みから気を逸らせている間に、擦り傷に息を吹きかけていた。
それはまるで、健次自身と葵を見ているかのようだった。彼らはいつも二人で、離れることはなかった。学校では、多くの人が健次が妹を過保護にしすぎると懸念していたが、この兄妹を結び付けている見えない絆を、彼らには理解できなかった。
葵は健次にとっての魂の延長上であり、彼が守りたいと望む純粋で美しいあらゆるものだった。
だが葵はもう、いない。彼の手が届かない遥か彼方にいる。おそら
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