ヘイトリバース・アンチリバース
父と母を亡くしてから、イコは母の妹である魔法少女・スズノに面倒を見てもらっていた。
……と言っても皆を助ける一流魔法少女__今人気の奴で言えば「天下ノ天使(セラフィム)」のシェロ__の様に変身は出来ないし、魔法も「癒しの鈴で人々の気持ちを穏やかにする」と言うしょぼいモノだ。なので気持ちを昂らせてなんぼな軍には入れず、政府直属の特別警察の巡回役……もとい雑用係として働いている。
「……じゃあ行ってくるね、イコちゃん。お昼は作っておいたから、お腹空いたら食べといて。あと……自殺しようとしないでね、何も両親がいなくなったからって」
「分かってる……でもスズ姉、早く行かないと遅刻するんじゃないの?」
時計の針は8時になる寸前だった。スズノの出勤時間は8時である。女同士で子供を生むのが当たり前になったこの国で、男女の間から生まれたイコを守るため、政府に目を付けられにくい場所にこの家はあった。そのため通勤にも2時間ほど掛かる。魔法少女の脚力を使えば間に合うが、勤務以外の用途で魔法を使う事は法律で禁止されている。
……つまり、どう足掻いても遅刻だ。
「あわわわわわわ!!どど、どどどどどうしよう!!ち、遅刻したら私どうなるの!?クビ!?」
「……あー、あんまりよく寝てたもんだから……休むってメール送っておいた。スズ姉、全然有給使わないでしょ」
ぼんやりとベーコンをかじっていたイコは、スズノの目を見ると力なく微笑んだ。
両親を失い精神を病んでも、イコの他人思いな性格は変わらなかったのだ。
「……ありがとね、イコちゃん。じゃあご飯食べたら、久しぶりに二人でどっか行こう!」
「……うん」
オレンジジュースをずこー、っとストローで吸い終えると、イコはまた力なく微笑み、頷いた。
スズノは生まれてこの方実家暮らしで、二人の祖母は他界してもういない。イコが来るまでは一人暮らしだったそうだ。
祖母の部屋は事情があって立ち入り禁止らしく、結婚する前に母が使っていた部屋をイコは使っていた。
パジャマを脱ぎ、丁寧に畳んで置いておく。
……手首には、おびただしい数の赤黒く乾いた線があった。
「……うん」
それを愛おしい目で見つめた後、イコは壊れ物を扱うかの様に撫でる。
……イコは、よく言えば少し変わった、悪く__つまり一般人の立場から__言えば、頭のおかしい人間だ。
自分を愛してくれる人がいない限り、自分は永遠に傷つかないといけない。そう彼女は思っている。直そうにも直らず、スズネの知らない所でイコは毎晩手首を切っていたのだ。
そんな傷をひとしきり撫で回した後、イコはカーディガンを羽織った。
「イコちゃーん、もうそろそろ行くよー」
「はーい」
少し前までの慌ただしさとは一変し、のんびりとした声でスズネがイコの名を呼ぶ。
そんな彼女にイコはしっかり返事を返し、準備が出来るとすぐ玄関までやってきた。
……そして自らの傷を感じさせない様な明るい声で、
「じゃあ、行こう!」
こう言うのだった。




