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――――○六○○。
いつの間にか、ハルカ・ディスカバリーが消えていた。夢か幻のように。真夏の世の夢のように。
「そろそろ、時間だな――――」
出撃準備のために、ミライは空母の中に戻ろうと踵を返した。すると、そこに伊号マヤが立っていた。彼女は短く切った黒髪を潮風に靡かせて、冷たい赤い瞳でミライを見つめている。そんな姿が、どことなくいじらしくて儚げだった。
「あなたは、どうしてここに残っているの?」
そして、そう尋ねた。
「どうしてって?」
「あなたは、ここにいるべき人じゃないって、この場所を立ち去るべきって、そう伝えたはず。今からでもこの作戦を降りるべきよ」
伊号マヤは無表情のまま、抑揚のない声で言った。ミライはそんな頑なな伊号マヤを見つめて、どこか穏やかな気持ちになっていた。
「ありがとう、伊号さん」
「どうして、お礼なんていうの?」
「分からない。けど、何となく伊号さんが僕のことを心配してくれているのかなって、そう思ったんだ」
伊号マヤは何も言わなかった。
「僕は、この場所を去らないよ。伊号さんの言う通り、僕はここにいるべき人間じゃないのかもしれない。でも、僕はここを去らない」
ミライも、頑なに言った。
「どうして?」
「何となく。僕さ、ここが好きなんだ。ここにいたいって、そう思うんだ。だから僕はこの場所を立ち去らない」
――――僕自身が、そこにいなくても。
最後の言葉を呑み込んで、ミライは清々しくそう告げた。ミライは伊号マヤに、彼女が〝旧東京〟の、〝首都決戦〟の唯一の生き残りだということを尋ねたい気持ちもあったが、それを今この場で尋ねることはしなかった。
「ありがとう、伊号さん。僕、先に行くよ」
「ちょっと待って――――」
すれ違うミライを、伊号マヤが引きとめた。まるで何かに縋りつくかのように。
「HAL-Ca・Discovery――――ハルカ・ディスカバリーには、気をつけて」
そして、静かに警告した。
「気を付けるって、ハルカ君を?」
「あの男は敵じゃないというだけで、味方じゃない」
人を唆す蛇のような赤い瞳とは違い、伊号マヤの冷たい炎のような赤い瞳が、彼女の言葉が真に迫っていることを告げていた。
二人の話は、そこで終わった。
艦内に戻って行く葦舟ミライの背中をじっと見つめながら、伊号マヤは一人呟いた。
「こんなところが居場所なんて、ホント阿呆。だけど、ぜったいにあなたは死なせない。あの悪魔の好きになんてさせない」




