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七月二十九日――――○五○○。
怪獣〝トーキョージュピター〟への、殲滅作戦行動。
オペレーション〝バイバイ・ジュピター〟開始まで、あと二時間と迫っていた。
太平洋沖には、すでに〝ネクサス〟の航空母艦であり、旗艦でとなる『ジョージ・ワシントン』と、〝イージ・スステム〟を搭載した『こんごう型護衛艦』、『あたご型護衛艦』の三隻が、所定の位置についていた。三隻とも、自衛隊が国連軍に編入される際に〝ヴァリス〟へと提供された艦であり、これまで度重なる戦闘の度に何度も改修しているため、すでに歴戦を潜り抜けてきたような風格を備えていた。
航空母艦の発進前、作戦行動前最後のブリーフィングを終えた葦舟ミライが、航空母艦デッキからまだ薄闇に包まれた〝旧東京〟の方角を眺めていた。吹きつける潮風は優しく、まだ太陽の上っていない群青色の空はどこまでも凪いでいた。こんなにも穏やかな空の下にいるのに、この空のどこかには怪獣がいて、自分たちの世界をめちゃくちゃにしているなんて、そしてたくさんの子供たちが命を懸けて戦っているなんて、何だか信じられないと―――――――ミライは思った。
まるで現実感がなさ過ぎて、まるで実感が湧かなかった。
「これから、僕は戦場に出るんだな。そして、怪獣と戦って。僕は――――――」
「ミライ君、そんな顔をして怖いのかい?」
「ハルカ君?」
すると、いつの間にかミライの隣に立っていたハルカ・ディスカバリーが、優しく声をかけた。二人とも〝スキン・マトリクス〟を纏っていた。というよりも、出撃前の〝ネクサス〟の全員がその姿で待機をしていた。
ハルカの片手には、やはり古ぼけた文庫本を握っていた。
「それとも、長門司令に言われたことを気にしているのかい?」
そう言われて、ミライは思い出した。
航空母艦『ジョージ・ワシントン』が出撃する前、長門イソロクに司令官室に呼ばれたのは、葦舟ミライと、ハリカ・ディスカバリーの二名だけだった。司令官室に座した長門イソロクが、ミライに向かってはっきりと告げた。その言葉はあまりにも衝撃的だった。
ミライは首を横に振った。頭から長門イソロクの言葉を追い払った。
「大丈夫、別に気にしてないよ」
ミライは隣に並んだハルカに心配をかけないように、明るい表情を浮かべてそう言った。
「それより、ハルカ君こそ大丈夫なの?」
「僕かい?」
ミライはハルカのことを学園や訓練で見かけたことはなく、初めて出会ったあの時を除くと、ブリーフィング以外では顔を合わせることもなかった。
「一度も訓練に参加していなかったし、僕はハルカ君の能力も知らないし」
「僕は普通のネクサスとは少しだけ違うんだ。殲滅行動がはじまれば時期に分かるよ」
ハルカは赤い瞳を妖しげに輝かせて、唇を三日月のようにしてミライを見つめた。
「だけど、本当にミライ君はおもしろいな」
「僕が、おもしろい?」
「ああ、そうだよ。だって、君は今、他人のことを思いやっていられるような余裕はないはずだろう? 君自身のことで本当はせいいっぱいのはずだ。それなのに僕のことを心配してしまう。ああ、ミライ君は面白いよ。いったい、君はどんな役を演じたいんだい? やっぱり、君も〝英雄〟になりたいのかい?」
ハルカの異様な雰囲気に呑み込まれて、ミライは何を言えばいいのか分からなくなってしまっていた。目の前の白髪赤眼の少年によって、ミライの心の中に辞書の言葉が、全て書きかえられてしまったみたいだった。
「大丈夫だよ、ミライ君――――〝臆病者は死ぬ前に何度も死ぬが、勇敢なものはただ一度だけ死を味わう〟。君は英雄になれるさ」
ハルカは手に持っていた文庫本『ジュリアス・シーザー』から言葉を引用して見せた。
「ミライ君、良く聞いてくれ。〝VK領域〟は可能性の世界だ。そして君が創る新しい世界だ。ミライ君、いったい君はどんな世界を望むんだい?」
天使の微笑を浮かべる、人を唆す蛇が笑っていた。
これから舞台が始まるとでもいうように。




