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「遅いッ――――五分の遅刻です」
「すいません。本当にすいません」
「レディと待ち合わせるときは、五分前に待ち合わせ場所についているのが基本――――紳士の嗜み、世界の常識です。ワールド・スタンダードですわ」
〝海上都市新東京〟に幾つかある港の一つ――――〝新横須賀港〟で待ち合わせをしていたヴィヴィアンとミライは、顔を合わせるなりヴィヴィアンのお小言から幕を開けた。穏やかな波が打ち付ける波止場にヴィヴィアンの険のある声が響き、潮風とともに流れていく。
「本当にごめん。待ち合わせの場所に、三十分前にはついておくつもりだったんだけど、場所がよく分からなくて、地図を見ながら探し回っていたら迷っちゃって」
ミライは心から申し訳なさそうに頭を下げた。日本人を代表するかのような深々と頭を下げる仰々しい謝罪方法に、ヴィヴィアンはぎょっとした。そして自分の思慮の浅さを思い知らされた。
「そんなに謝らなくても結構です。わたくしのほうこそ、あなたがこの海上都市を訪れてまだ間もないということに配慮するべきでした。それと、私は別に怒っているわけでもありません。言ってみただけですわ」
そう言われて、ミライはおそるおそる頭を上げた。
「よかった。またヴィヴィアンを怒らせたら、どうしようかと思ってんだ」
「はぁ、あなたはまたそんな無防備な顔をして。殿方ななら、もっとシャキッとしたらどうです? 全く、こちらまで気が抜けてしまいますわ」
ヴィヴィアンは溜息をついて困ったように言った。
「さぁ、行きますわよ。せっかくの時間が無駄になってしまいます」
「はっ、はい」
ヴィヴィアンは徐に波止場を歩き出し、ミライもその背を追った。
「どこに行くの?」
「まぁ、ついてからのお楽しみです」
そう言って連れてこられた場所は、新横須賀港の埠頭に数多く並んだ灰色の建造物。まるで造船ドックのように大きな建物の中だった。
「皆さん、準備はよろしくて?」
建物の中に入ってヴィヴィアンが声をかけると――――
「お嬢、いつでも準備はできてますよ」、「お嬢好みの、バリバリピーキーなチューニングにしておきました」と、野太い男たちの声が響いた。
ドック内にはたくさんの人たちが忙しなく動き回り、そして数多くの整備用の機材が並んでいた。山吹色の整備服を着て働いている男たちは、〝ネクサス・スーツ〟の整備班たちだった。
「皆さん、せっかくのオフなのに、お仕事をお願いして申し訳ありません」
「いいってことですよ、お嬢」
「こっちも、最新のデータで限界までチューニングできるんで助かります」
「しかしお嬢が男を連れ込むなんて、夜の空中戦闘機動も攻め攻めですねー」
「ええ、このお礼は、いつか必ず――――って、最後っ? そこのあなたっ? 何を言っているんですか? 夜の空中戦闘機動ってなんです? 切り刻みますわよ。それに、このわたくしが殿方を連れ込むなんて不埒な真似、撤回なさいっ」
最後のほうを、顔を真っ赤にして捲し立てるように言ったヴィヴィアン。しかし整備兵たちは慣れた様子でゲラゲラと笑いながらも、テキパキとスーツの整備に従事していた。
「お嬢だって年頃なんだから、男の一人や二人」
「そーそー、そんな美人が台無しですぜ」
「そんなんだから、中尉様は残念美人って言われるんだ」
「皆さん、わたくしのことを好き勝手に言ってくれて――」
四方八方から言いたい放題に言葉が飛び交い、その一つ一つにヴィヴィアンが応戦していく。ヒステリックな声を上げて整備班の男たちを叱りつけるその姿には優雅さも気品もまるでなく、年頃の少女そのものだった。
「全く、もう、これだから男性というものは、下品なスケベ猿ばかりなんですから。さぁ葦舟ミライ、早くこれに着替えなさい。時間が無駄にって――――ちょっと、あなた? いったい何を笑ってるんです? その憎たらしい笑みを、今すぐけしなさーい」
ヴィヴィアンが憤慨して声を上げた。
☆
「坊主、お前さん〝スターソード〟の新入りだろ?」
「はい。葦舟ミライです。よろしくお願いします」
ヴィヴィアンがドッグ内に用意された簡易個室で〝ネクサス・スーツ〟に着替えている最中、整備班の一人がミライに声をかけた。
「俺は整備課、第二整備班、整備長の一文字シンだ。ヨロシクな」
一文字シンと名乗った整備長は日に焼けた肌をした大柄な男性で、往年の映画俳優のようにハンサムだった。彼は律儀に頭を下げたミライを見下ろした後、無精ひげの生えた頬をさすってから逞しい手のひらをミライに差し出し、ミライは差し出された手を握った。
「皆さんは、ヴィヴィアンのこと〝お嬢〟って呼ぶんですね?」
ミライは整備班たちの用意してくれたネクサス・スーツ〝零式〟を身に纏いながら尋ねた。
「ああ、俺は呼ばないが、俺も含めたここの野郎どもとヴィヴィアンは付き合いが長いからな。昔から、お嬢様扱いをしないと直ぐにご機嫌が斜めになっちまってな。そこでうちの誰かが機嫌を直してもらうのに〝お嬢〟って呼び出して、まぁそこからだな」
「長い付き合いですか?」
「そうだな? 早めに落ちちまった英国を後にしたヴィヴィアンが国連に引き取られて、その後は色々な国をたらい回しになりながら怪獣と戦い、最終的にヴィヴィアンが十歳の時に日本に落ち着いて、そこからの付き合いだな」
「……………………」
「昔からプライドの高くて、おまけに傲慢で高飛車ときて、ずいぶん手を焼かされたもんだよ。気に食わないことがあるとわがままを言ったり、整備に文句をつけたり、理不尽なことで怒鳴ったり。まぁ、一人住み慣れた故郷を離れて遠い異国でやって行くんだ、舐められないようにって――――気を張るのも分からなくはないけどな」
「あの、今の話、僕が聞いてよかったんですか?」
「何だ、聞きたくなかったか?」
困ったように尋ねたミライに、一文字シンが尋ね返した。
「いえ、聞けて良かったと思いますけど、許可もなく勝手に聞いてもよかったのかなって」
「別にいいだろ? ヴィヴィアンには口止めはされてないし、人の口に戸は立てられねーんだから。こういう軍みたいな閉鎖的な組織の中じゃな、楽しみといえば他人の過去の話やスキャンダルぐらいなもんだ。うちの奴らなんか、他人の過去で賭けをやってるぐらいだぜ?」
「そんな、人を過去で賭けなんて、めちゃくちゃな」
ミライは戸惑ったように言った。
「まぁ、過去なんてたいてい悲惨なもんだ。特に、こんな時代じゃあ、尚更な。ヴィヴィアンだけじゃない。ここにいる奴らの過去だって悲惨なもんだよ。だから、少しでも笑いに変えちまった方がいいんだよ。話して笑って言られっていうのは、まぁ生きてるってことだ」
一
文字シンが、遠い場所を見つめながら語った。その虚しげな表情だけで、この一文字シンの過去がどれだけ悲惨なものだったのかを、ミライは伺い知ることができた。無精ひげの生えた顎を撫でる彼の左手の薬指には、指輪がつけられていた。そのどこか寂しげな薬指の指輪は煤け、そしてくすんでいた。
「いいか、坊主? 女の過去の一つや二つ、黙って背負えないような男に価値なんかねーんだよ。つまんない過去の話なんかで、いちいち狼狽えんな。どうどうと受け止めて、黙って知らない顔をしておけ」
「はい」
ミライは背筋を伸ばして返事をした。
「ヴィヴィアンのこと、よろしく頼むぜ。もしも、次の出撃で傷物になって帰ってきたら、無事に帰って来れなかったら――――承知しねーからな。覚えておけよ」
「――――はいっ」
自分なんかに一体何ができるのか、ランキング上位のヴィヴィアンの役に立つことなんか出来るのか、そんなことは分からなかったけれど、ミライは背筋を伸ばして返事をした。
「あなたたち、そんな真面目な顔をして何を話しているんですか?」
そこへネクサス・スーツ〝アヴァロン〟を身に纏ったヴィヴィアンがやって来た。深い青一色の、流線形の美しいスーツ――――戦闘用の兵装は全て外しているので、訓練の時よりもだいぶすっきりとして見え、ヴィヴィアンのスレンダーな身体のラインがくっきりと浮かび上がっていた。そしてヴィヴィアンは長い白金の髪の毛を全て後ろで結いあげ、後頭部で一纏めにしており――――長くほっそりとした白いうなじが露わになっていた。
「何をまじまじと見ているんです? このスケベ猿」
「すいません」
「さっさと行きますわよ? ほら、ついてきなさい」
ヴィヴィアンは少しだけ頬を紅潮させて、つんと顔を背けて歩き出した。
「お嬢行ってらっしゃい」
「今日もばっちりきまってますぜ」
「ブイブイ言わせちゃってくださいよ」
整備班の声援がヴィヴィアンの背に張り付いた。そしてミライもヴィヴィアンのあとに続いて歩き出すと、一文字シン以外の整備班のメンバーがミライを取り囲みひそひそ話でこう告げた。
「旦那、お嬢が髪を結いあげている時は、本気の証んなんでさ」
「ばっちり夜の空中戦闘機動を決めちゃってくださいよ」
「お嬢のマニューバは高速ですからね、旦那も負けてられませんよ」
「男は早さよりも持久力っす」
整備班のメンバーが何故か親指を立ててミライを見送ってくれたが、その意味をミライはまるで理解していなかった。




