空の絵本
ある日・・・昔、母が亡くなるまでやっていた
「書庫の管理の仕事」を、前任者の「結婚退職」と言う理由から
私が、引き受ける事となった。
数年振りに訪れる書庫、レトロな雰囲気の外観は相変わらずで
変わった事と言えば・・・
隣に隣接した「機械の修理屋さん」の店員が
「一元様御断り」のおっさんから
愛想の良い、車椅子に乗った若くて綺麗な美人さんに
なった事くらいかもしれない
私は、修理屋さんの女性に挨拶してから書庫に入る
書庫に入ると・・・そこは昔のままで、懐かしい紙の匂いがした
思わず、母を思い出し涙ぐんでしまう
古くなった紙の香りが、とても心地よかった。
週に一度だけの仕事、私は張り切って早速
埃取り用の羽毛の毛バタキを片手に、書庫の中を探索して回る
入り口付近の、持ち込まれたばかりの物を保管する棚
奥に連なる蔵書の棚は、綺麗に管理されていた
最後に、読書用に設置されている
机とソファーの近くの、お気に入り専用の棚を見に行った。
そこで、私は本棚の中に・・・
光沢がなくなり、白く擦り切れ厚紙の灰色を覗かせて
少しづつ「崩壊」の一途を辿る
厚みの薄い、水色の絵本と出会う
私の記憶に、こんな本の存在は無い・・・
きっと、母が死んでから持ち込まれた物なのだろう
私は、その本に何故かとても興味を引かれた。
擦り切れた背表紙では、タイトルも作者も分からない
手に取ると、背表紙は簡単に千切れバラバラになっていく
私は、床に落ちてしまった背表紙を拾い上げてから
絵本の表紙に目を落とす
表紙の中央上の部分には「空の絵本」と書かれ
作者名は、持ち主が何度も手に取って読んだのであろう・・・
紙が傷んで読み取る事ができなかった。
水色の表紙には、所々に白い綿が描かれていた
そして、タイトルの下には人形が1つだけ描かれている
外目からは、本の内容は読み取れない
私は、その絵本を修繕がてら読んでみる事にした。
修繕道具は、昔と変わらずに同じ所に保管してあった
私は、新しい背表紙の材料を集め・・・
本のページの補強用にスポイドに水糊を仕込み
糊を乾かす為のドライヤーも準備する
私は万全の態勢で読書用のソファーに座り
絵本の表紙に手を掛けた。
表紙と中のページを繋ぐ
色画用紙も、水色で白い綿の模様・・・
そう、時々見掛ける事がある古き良き「空と雲」のデザイン
でも・・・ここから既に、傷んでいる
私は、準備していたスポイドを手に取り
慎重に折り目に沿って、薄く糊を塗り・・・ドライヤーで乾かす
この作業を、最後のページまで続けなければならない程に
絵本は痛んでいた。
最初に捲る絵本のページ
タイトルの下に、今まで気付く事ができなかった
サブタイトルを見付ける事ができた
表紙を良く見ると、表紙にも書いてあったであろう場所に
微かな文字の痕跡が見て取れる
「空の上で、空の下の貴方を愛しています。」
本の持ち主が、その部分に何度も触れたのであろう
印字が悪く掠れたのではなく・・・
その部分の文字は、何度も指でなぞった様に少し汚れ擦れている
その下で・・・
ピンク色のハートを抱きかかえる人形の絵が微笑んでいた。
絵本の本篇が始まる水色の最初のページ
・『死んだら、空っぽになる為に空に帰る』・
と、書かれた文字の下には・・・
額に・・・三角の白い物
頭の上には・・・黄色い輪っか
背中に・・・白い翼
が、追加された人形の絵が描かれている
何か・・・宗教が、色々混ざっていそうな雰囲気はするが
取敢えず、人形は死んだのかもしれない
続く隣の水色のページ
・『空に帰りたいから、後ろ髪を引かれない様に・・・
私が 軽く成る為に、私の事は 忘れて欲しい』・
と、書かれ・・・
人形の絵は消しゴムで適当に消したかのように所々消え
嬉しそうに微笑んでいる
私にはまだ、この絵本が・・・
何処へ向かい、誰に向かって書かれているのか分からなかった。
絵本を捲った先の次のページ
・『後ろ髪引かれない様に・・・』・
灰色に切り替わる背景、暗い顔の人形
隣のページでは・・・
・『貴方には、幸せだった時の思い出だけを
憶えていて欲しい』・
鈍色の中、人形は笑いながら泣いていた。
私は次のページが気になり
補修もそこそこに次のページに進む
・『泣かないで、空っぽになれない戻()もどれないのに』・
背景はオレンジ色に変化し・・・
人形は、苦しそうにしていた
・『空に帰りたくない、逢えなくなる忘れたくないよ・・・
それでも私帰るから、貴方の事を愛してるから』・
オレンジ色の中・・・
人形は紅いハートを抱え、泣きながら微笑む
支離滅裂になってきた内容に、私は溜息を吐いた。
次に捲ったページは紺色だった
見開きに、同じ色のページが続く絵本の中
・『幸せを願いたいんだよ・・・』・
悲しげに笑う人形は・・・何となく、天使に見えた
・『貴方には、笑っていて欲しい幸せになって
私の分生きて』・
絵本の中、祈りのポーズをしている人形は・・・
死の宣告を受けた、死に逝く者がモデルなのだろう
私は、絵本の内容を理解し・・・少し悲しくなった。
捲った先は初めての白いページ
・『死んだら、空っぽのなる為に空に帰る』・
どのページより白く薄く描かれた人形の絵が悲しい
・『傍に居られないから、傍に居ても君を救えない・・・
貴方が軽くなる為に、私の事は忘れて欲しい』・
何かを訴える様な、人形の目は・・・
何処から見てもこちらを見ている様な気がした。
次に開いたページの色は黄色
・『君を道連れにしない様・・・』・
暗く描かれた人形の表情に何か意図はあるのだろうか?
・『貴方には、笑っていて欲しい悲しまないでよ
一人で逝ける様』・
描かれた微笑む人形を凝視して私は考える
子供向けではない絵本の内容が、誰の為の物なのか・・・
勿論、答えをくれる者は・・・存在しない。
吐息が漏れる・・・
私は途中から、本の補修の事をすっかり忘れている事に気が付いた
一先ず、最初に補修を省略した
補修をしていないページに戻って補修をする。
もう一度、見返す事になったページには
良く見ると・・・濡れて乾いた様な傷んだか所が多く存在していた
この本の持ち主は・・・
この絵本を見ながら泣いたのだろうか?
私はやっと戻ってきた読み終えたページを捲り
オレンジ色のページを見ながら、絵本の補修をする
・『死んだら、空っぽのまんまでも君を待つよ』・
オレンジ色に混ざる様に描かれた人形に表情は無い
・『空の上で待ってる、最期の時寂しくない様・・・
貴方がいつか来る時に、私の事を思い出してよ』・
何かを諦めた様な、愁いを含んだ表情の人形に
作者は何を託したのだろうか?
修復を終え、残り少なくなったページを捲る。
・『皆で逝こ迷わない様に・・・』・
ピンク色のページには和らいだ表情の人形がいた
・『貴方とは、幸せだった時の話をしよう
準備しておいてね』・
ふと、思う・・・自分には、最期の時・・・
この人形の様に笑顔で待っていてくれる者がいるだろうか?
これから、そんな相手に出会えるだろうか?
母を思い出し、頭をふって
何となく、今はいない気がしてちょっとさみしくなった。
最期の見開きページを捲る
・『愛しき者へ この先、世界へ残される君に
私から、貴方への愛を贈る
空の上で、空の下の貴方を愛しています。』・
水色に戻った文字だけのページ
隣のページには・・・
ピンク色のハートを抱きかかえる微笑んだ人形がいた。
私は無言で補修し
裏表紙と中のページを繋ぐ本当に最後の部分でちょっと泣く
「空と雲」のデザインの色画用紙の部分に
・『私も空の上で、空の下のアナタを愛しています。』・
作者と違うイニシャルが「To」と「Fromm」に並んでいた
この本はやはり、誰かが誰かに贈った物だったのだろう・・・
私は、絵本が此処にある経緯を想像して微笑んだ。
直接、会った事は無いのだけど
私に書庫の管理を委託してきた相手は・・・
そっけないだけの生き物ではないらしい、そう思えるようになった。
私はこれ以上、本の状態が悪く成らない様
慎重に最後の仕上げに掛かる
時の劣化で崩壊していく背表紙の代わりに
本を読む前、事前に準備していた似た色の製本テープを
本の高さより少し長めにカットして
本の上下になる角の部分に、補強用の細いビニールテープを入れ
テープの真ん中・・・
背表紙になる部分に本と同じ高さ、太さの板を貼った物を
シワにならない様に絵本の背に新しい背表紙として貼り付ける
気持ちとして・・・
水色のテープに白くタイトルと作者名を印字して貼り
絵本に、半透明な紙のカバーを掛けて
最初にその絵本と出会った場所に、ちゃんと戻しておいた。
翌週、私が書庫に出勤すると
読書スペースにの机の上に小さな・・・
でも、とてもかわいいデザインの「ユニコーンの置物」と
その下には、私宛の手紙が置いてある
手紙には・・・
・『えほんをなおしてくれてありがとう
おきものは、おれいです。うけとってもらえたらうれしいです』・
と、書かれていた。
手紙には何度も書いて消した後が見え
「ユニコーンの置物」は、私が趣味で集めている物だった
こんなに嬉しかった事は、今まで無かった気がする
此処の仕事を、臨時の仕事だと考えていた私は・・・
絵本の持ち主との繋がりを大切にする為に
この仕事を手放さない事に決めた。
私は、まだ会った事も無い
子供であろう、「空の絵本」の持ち主に恋をしたのかもしれない。