肆
「あら、おばあさまのお部屋は見終わったの?」
朱理さんはお仏壇の前に座っていた。
目尻に、泣きはらした跡がある。
「日向様にね、お怒りを鎮めて下さるようにお願いしたんだけどね……」
「その日向様について聞きたいことがあるのですが……」
一瞬驚いた顔をした朱理さんは、しかしすぐに微笑み、僕を畳の部屋に案内した。
「もう時間がない。率直に聞きます。日向様はどのように亡くなられたのですか?」
「日向様は……あくまで聞いた話だけど、ものすごい高熱を出して、亡くなられたそうよ。さながら平家物語の清盛のごとく……」
やはり……日向は知夏と同じようにして死んだのだろう。
下がらない原因不明の高熱、戦時中の民衆からの怨念。
知夏が浴びているのは日向の怨念ではない。当時の民衆の怨念だ。
しかし……わからないことがある。
なぜ語辺 日向は、怨念を受けたのか?
呪いや守護をかけるには、強い念と真名が必要不可欠。
民衆はどうやって日向に呪をかけた……?
「あの……日向様の真名ってわかりますか?」
朱理さんは悲しそうに首を横に振る。
「歴代の語辺家当主の真名帳があるけど……ごめんなさい、語辺家当主以外に見せてはいけない決まりで……」
「ですよね……」
そりゃそうだ。他人に真名を見せるやつはいない。
「色々ありがとうございました。そうだ……白黒の折り紙鶴を知りませんでしたか?」
「折り鶴……?たしか……ちぃの部屋に……」
手がかりの中、最後の一つがやっと引っかかった。
卍
鶴は机の上に飾られていた。
羽にシワができている。知夏は見たのだろう、自分の真名を。
「ごめんな、語辺」
僕は語辺の意志にのっとって、中に書かれた文字を読ん――
そうか。
そういうことか。
だから篭の鳥だったんだ。
だから救得は守りたかったんだ。
だから彼女は呪を受けたんだ。
わかったことがある。
語辺 日向と語辺 知夏、おそらくこの二人の真名は同じ――
日向
彼女は真名をそのまま名付けられた、当時の語辺家への怨みをそらすためのスケープ・ゴートだったのだ。
卍
祖母に言われたことがある。
救う手立てを手に入れることは、救える人が増えることであると同時に、救える人と救えない人がはっきり分かれるということでもある。
一度力を使えば、それは一生ついて回り、救えない人を見て苦しむことになるのだ、と。
それが嫌なら力なんて欲するな。それでもいいのなら求めろ、と。
言霊は人を傷つけるだけではない。守り、救い、癒すこともできる。
ただ、祖母はもう一つ言った。
助けられる力がそこにあって、助けられる者がそこにいて、そこから逃げ出したとき、それは、その後悔と苦悩は一生ついて回る、と。
僕の祖母の部屋、押し入れの最奥部にしまってある木箱を開く。
入っていたのは、一本の筆と手紙。
手紙にはただ一言、『姓へ。それでいい』とだけ書かれていた。
僕は、自分と向き合わねばならない。自分の意志で踏み越えたのだと、これからも力を使い続けるのだと認めなければいけない。
これから語辺がするように。僕よりもずっと辛い思いをしなければならない彼女のために。