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「語辺の家は戦前から存在する豪邸でね……

「ご先祖様は商業系の稼業を巧妙に駆使して戦争をくぐり抜けたらしい……

「中でも戦時中の女性頭領、語辺 日向は、周囲の民衆からの非難の目を背負いながらも、必死に駆け回って戦争から語辺家を守り抜いた……

「守り抜いた、と言えば聞こえはいいけど、実際にはお金を注ぎ込んで戦争に行かなくていいように取りはからってもらったの……

「彼女は一家と家系を守ろうとした……

「民衆の妬みや恨みからか、日向はそれはもう酷い死に方をするんだけど、彼女のおかげで語辺家は戦争を生き延びたの……

「生き延びた、形だけ……

「財産はほとんど失われたし、残ってるのは当時から変わらない豪邸だけ……

「しかも、語辺家には呪いがかかってるんだっておばあちゃんが言ってた……

「日向が語辺のお家を守るとき、他の語辺の血筋の男は誰も手を貸さなかった……

「非難を浴びることへの恐れと、守られる側の立場に甘えて、逃げ隠れてた……

「その恨みから、語辺家の男は早死にする……

「おじいちゃんもお父さんも、わたしは顔を知らない……

「おばあちゃんは、じきに呪いが解けるって言ってた……

「そのおばあちゃんが二年前に死んじゃって……

「ちょうどその頃なの……

「全部、狂い始めたのは……

「私の存在が消え始めたのは……



     卍



 語辺の話はこうだった。

 おばあちゃんが死んだ日から、見えない何かに守られるように、不幸なことが一切起きなくなったという。

 ペットボトルが空中で跳ね返ったり、雨が自分にだけ降らなかったり。

 しかし、いくら非現実的なことが起きても、誰もそれをおかしいとは言わなかった。言ってはくれなかった。

 おかしなことはまだ続く。

 自分でもわかるほどに段々口数が減り、表情が減り、そして存在感が消えていった。みんな、いつしか彼女に気がつかなくなり、その存在を忘れていく。

 見えない力に押さえつけられるように性格が縮こまっていくのがわかったが、自分ではどうすることもできなかった。

 奇怪な現象に慣れた頃だったため、いじめらているわけではないのがわかっていることが唯一の救いだった。

 さらに年々、高熱で休むことが増えた。高一から高二にあがるのも、出席日数がギリギリだったほどだという。

 医者に行けばただの風邪と診断される。明らかに風邪の域を超える熱を出しているのに、原因は不明。病弱な体質なわけでもない。

 僕はこの話を聞いた時、いや、もっと前、それこそ出席確認で語辺の名前が呼ばれなかった日から、これは十中八九言霊絡みだと践んでいた。

 僕が、霊感が一切無いはずのこの僕が、論理化に巻き込まれていなかったからだ。異変を異変として捉えられていたからだ。

 言霊絡みだからといって僕が彼女を助ける義理はないし、変にややこしい家庭の問題に手を出したくもない。

 語辺だって、初めて異変に気づいてくれる人に会って喜んでいただけで、救ってくれることを期待してはいないだろう。

 だけど彼女は別れ際にぽつりと、本当に小さな声で呟いたのだ。「私の何がいけなかったのかな」と。

 違う。それは違う。彼女は何も悪くは無い。

 大人に遊びを中断させられた子どもが自分に責任を感じないように、普通に生活を送っていだけの彼女が罪を感じる必要などない。あってはならない。

 その罪はそんな状態を作り出した第三者のものであり、語辺知夏に背負わせていいものではない。

 僕の中で、人の内部へと踏み込まないポリシーと、偽善的な利己心がぶつかり合い、そこに中途半端な言霊師の孫としてのプライドが相成った結果、一つの結論が生まれた。



     卍




 この扉を開くのは何年ぶりになるだろうか。

 祖母の部屋だ。死んだ、祖母の、部屋。

 遺言で、死んだ日からずっとそのままにしてある。

 何一つ、変わらぬまま、眠っている部屋。

 ドアノブを回し、それから鍵を入れる。

 母は建て付けが悪くて開かないと言っていたが、実際は違う。

 こうしないと開かないのだと、祖母が教えてくれた。

 扉を押して中に入ると、部屋は散乱としていた。

 床中に散らばった和紙が、その下に眠る畳を完全に覆い隠している。

 部屋の隅々に重ねられている和紙の山は埃をかぶり、薄暗い部屋の雰囲気を一層懐かしいものにしていた。


 扉近くの本棚から、一冊の辞書を手に取る。

「索引……仮名……血筋……真名」

これがこの部屋の説明書だ。

 だからそのままにしてあるのだ。

 どこに何があるか、それを崩さない為の、祖母の遺言。

祖母は母と仲が良かったが、僕にしかこの部屋の使い方を教えなかった。

 母が見えない物は信じないタイプの人だったからだ。

 祖母……と言えば語辺。

 祖母の死とともに次第に消えゆく彼女の存在。

 守られるように、囲われるように消えゆく語辺 知夏。

 チャイムが鳴るまで過去を話す彼女の声は、今にも消え入りそうだった。

 祖母から始まる語辺の異変に、祖母の力を借りる僕……僕は、縁は大事だと自分に言い聞かせて、本当は彼女に踏み込む言い訳にしているだけかもしれない。

 ……だとしたらなんだ?答えは変わらないだろう。

 例え偽善であろうとも、言霊にかかる部分全てを暴き、あわよくば彼女を救ってやりたいと願った。

 感じる必要のない罪の意識から解放し、持ち主の元へと返すと決めたのだから。


 そして、僕は気が付かない。

 いつの間にか、語辺家を紐解く物語にずるずると引き込まれていることに。





     卍



「真名……?」

「ああ」

 帰路。

 本来なら語辺の帰り道と僕の帰り道は全然方向が違う。

 僕は今日、語辺の家にお邪魔しようと思うのだ。

 変な意味ではない、言霊師の血筋としての、ささやかな助力というか治療というか……。

「生まれる前、母親のお腹の中にいるときにつけられる、魂の名だよ。今名乗っている名前は生まれた後につけられる仮名なんだ。語辺は自分の真名を知らないか?」

 語辺は黙って首を横に振る。

「そうだろうなぁ…。最近は真名をつける人の方が少ないだろうし。

 呪詛をかけたりするときは真名を使うんだよ。仮名は上っ面の名前だから、仮名を書き込んで呪いをかけても効かない。魂の名前、真名を使って呪いをかければ、割と簡単に呪いがかかる」

 即ち、語辺の存在が消えかかるという異変は、彼女の真名を使ってかけられた呪いだと判断したわけだ。語辺のおばあちゃんが、なんらかの理由で彼女にかけた呪いだと。

 祖母の書物から絞り出した答え、僕ごときでは頼り無いが、一つの可能性つぶしにはなるだろう。

「おばあちゃんが……わたしに呪いを……?」

 語辺の表情は、さらに薄弱に沈んでいる。

「あくまで推測……だけど、可能性としては高い。語辺のおばあちゃんなら真名を知っているだろうし」

「そう……だね……」

 沈み込んだ語辺を励ます言葉を探し始めたが、見つける前に彼女の足が止まった。

「ここ……」

 そこには、文字通りの豪邸があった。



     卍


 古い造りの豪邸、語辺邸。

 敷地がとにかく広く、彼女の案内なしには迷うこと間違いなし。

 どこか寂しげな庭園が至る所にあり、ぼんやりと明るい照明がそれらを照らしていた。

 だが、ここにもやはり色が無い。

 色彩が薄い。

 薄暗い。

「昨日休んだのは、お母さんがわたしを病院に連れて行ったから……」

 語辺家の実質的当主にあたる、知夏の母、語辺 朱理(あかり)への挨拶を終えた僕たちは、語辺祖母の生前の部屋へと向かった。

「朝起きたら顔色があまりにも悪かったから……だって」

診断結果はやはり、健康そのものだったそうだ。

 疲労が積もっているのだろうと言われ、昨日一日は休んだ……と、語辺は言った。

「ここが……」

「うん、おばあちゃんの部屋」

 部屋の扉は開け放たれていた。

 中は、僕の祖母の部屋のような理路整然とした散乱の仕方ではなく、ただ単に散乱としていた。

 床に転がった外国語の本やら、さびれた窓の錠前やら、大量の折り鶴やら……部屋一面散らかっている。

「……片付けよっか」

 今回ばかりは僕も、語辺の消え入りそうな声色が相応しい場面だと感じた。



     卍



 結論から言おう、決定的なモノは見つからなかった。

 成果は、謎の古びた鍵が一つ、歴代の当主の名前が刻まれた分厚い本が一冊、そして異様な量の折り紙。

「本の間に挟まってたとしたら、見つからないな」

「うん……。おばあちゃんは読書家だったから、本の量はすごくて」

「とりあえず変わったものはこれだけか」

 鍵、本、折り紙……

「この鍵は?」

「わからない……けど、蔵の鍵だと思う……」

「蔵?」

「家の裏に蔵があるの……。見る?」

「頼む」

 蔵なら何かあるかもしれない。

 朱理さんの許しを得た僕らは、家の裏に建つ蔵へと向かった。

 蔵は一軒家ほどもある巨大なものだった。

「古くから伝わる骨董品とか……よくわからないものがいっぱい入ってるらしいよ……」

 骨董品……言霊と直接関わりはないが、念が籠もりやすい物ではある。

「何かありそうだな……。語辺はこの蔵に思い出はないのか?」

「……入ったこと、ない」

 語辺の額に小さな汗の粒が見て取れる。

 無理をさせてしまっているのはわかっているが……まだ何もできていない。可能性潰しさえも。

 語辺は鍵を南京錠に差し込み、回し――

「……だめ、開かない」

 鍵は蔵の鍵じゃなかった……?

 いや、その鍵は南京錠のに違いない。

 なぜなら、鍵は鍵穴とぴったり合っているからだ。

「ちょっと貸してもらっていいか」

 力を強める、違う。弱める……も違う。

「ご先祖さま、鍵のスペシャリストだったり……?」

「……全然」

だとしたら…。

 鍵づくりは鍵屋に頼む。忘れると困るはずだから、難しい加工は出来ない。…………逆か。

 鍵を逆に回す。

 カチッと、いとも簡単に開いた。

「……行こう」

 語辺はしっかりと頷くと一歩踏み出――バサッ。

「語辺っ!?」

 無理をさせすぎたかもしれない。

 前のめりに倒れ込んだ語辺の呼吸が荒い。

「と……とりあえず朱理さんを」

「いい!」

 語辺にしては珍しく……叫んだ。

「大……丈夫……だから。ちゃんと……確かめ……させて……!」

「何を言」

「おばあちゃんの!」

 語辺の悲鳴にも似たさけびが夕方の風に乗る。

「おばあちゃんの真意を……確かめさせて……!」

 症状の悪化は真相に近づいている証拠だろう。どんな結果が待ち受けていようと受け止める、語辺の目はそう言っていた。

 僕は自分が既に、語辺 知夏と深い関わりを持っていたことに今更気が付いた。やっぱり、信念一つ守るにしても詰めが甘い。

 両開きの扉を開いた蔵の中、白く、真っ白に浮き立った物が、暗がりの中に頓挫していた。

「鳥かご……?」

 鐘のような形をした、抱きかかえるほど大きな鉄製の鳥籠が、白い紙に包まれて置かれている。

「それ……」

「語辺!無理して立つな!」

「大丈……夫……」

 ふらつく身体を扉で支え、荒い呼吸を吐きながらも、語辺は立っていた。

「紙を……」

 言われるまま白い紙を剥がす。

 そこにあったのは――白地に黒の、折り紙鶴。

 そうか……折り紙……檻神……。

「語辺、おばあちゃんは……お前を守りたかったんだ」

「守りたかった……?」

 折り紙は檻神。

 檻の中に語辺 知夏の真名を閉じ込めた。呪いや災厄から守るために。その存在が消えかけてしまうほどに、強く、白く、堅く、守り抜くために。

「おばあちゃんの……過保護っ……」

 語辺は弱々しく笑った。笑えた。

「もう守ってもらわなくても大丈夫か?語辺」

 語辺は弱々しく微笑むと、何も言わず、檻に手をかけた。

「大丈夫だよ、おばあちゃん」

 鳥籠の鍵が開く。


「おかえり、わたし」


 風が吹いて、知夏という鶴が鳥籠から舞い降りた。

 語辺知夏、表情(いろ)を取り戻した少女は、僕に倒れ込んで泣いた。

 夕焼け空だった外は、いつの間にか薄暗くなっていた。






 語辺 知夏に関わった話は、とりあえず一段落だ。

 だが完結ではない。

 最初に述べた通り、この物語は成功例ではあっても成功談ではない。まだ終わりではない。

 失敗談でなくてはならないのだ。

 二日後のことだった。

 語辺 知夏が、今まで以上の熱を出して倒れたのは。








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