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狂人への手紙を・・・  作者: アザとー
狂気を内包する者たちへ
8/8

 母は比較的自由に子供たちを育てた方だ。もちろん、彼に対しても必要以上の庇護を与えた訳ではない。表で泥んこになって遊び、自転車で遠出して迷子になったときも一緒に居たはずだが、その記憶は彼の人生から切り捨てられた。

 当然だ。座敷牢に閉じ込められ、他の兄弟の遊びを遠くから眺めるだけの哀れな病人の裏設定としては出来の悪すぎる過去なのだから。

 そして、三歳までに死ぬと言われたほどの病人であることを現実とするべく、彼は行動した。あちこちで病院やペースメーカー会社相手に喧嘩を売り歩いたのだ。おかげで市内の病院では入院をお断りされるほどの要注意人物となったのだが、父母にとっては単なる気狂いの奇行としか映らなかった。

一歩引いた位置に立てばこの行動の意味は瞭然である。彼は「死にそうだ。もう助からない」というドラマチックな設定を欲しがっただけだ。ところが医者は彼の筋書きのとおりには動いてくれない。

「心電図や心音も正常です。念のために薬を出しておきますが、症状が治まったら服用をやめても問題はないでしょう」

もちろん、彼が欲しい答えではない。だから激高する。

「俺はこんなに苦しいんだから、どこかに原因があるんだ! それが見つけられないのはお前がヤブだからだ!」

その後はネットで漁った付け焼刃の知識と病名をつらつらと並べて自分が思い描いた最高にドラマチックな台詞を言わせようとする。もちろん、「あなたの心臓は、もうあまり長く持たないでしょう」をだ。

しかし相手はプロである。きちんとした知識と検査の数値を、素人ごときが覆せるわけが無い。だから余計にヒートアップして、自分の望む言葉を得ようとペースメーカー会社にまで喧嘩を売るハメになるのである。

住居にしても、一度だけ地元を離れて他県に暮らしたことがある。数ヶ月とたたず実家に逃げ帰り、やっと最近になって市内での一人暮らしを始めたようだが。

さて、唐突ですがこの行動の理由を答えてください。ここまでお付き合いくださった方にはいささか簡単すぎるだろうか。


――母は、俺の一人暮らしを許してはいない。旅立ちの日に向けられた冷たい眼差しに囚われ続けている。

 そう、こうしている瞬間にも母は俺を縛っているのだ、心理的に! 

 その証拠に夜毎の電話で事細かに、一日の出来事など探ってくる。

 いい加減、カンベンしてくれ……


 ところが、実際には電話は鳴らない。「あれ?」と思った彼が痺れを切らして電話すれば件の役者たちはご機嫌で、居酒屋などに繰り出しているのである。

「俺が電話するのが解かっているのに、どうして家にいないんだ! 病弱な息子を心配する母親の情という、ごく当たり前の感情すらないのか!」

 現実世界の人物を役者としか捕らえていないから、相手の生活リズムなど許せない。演出家の意のままに動かぬ役者など、怒鳴りつけられて当然なのである。

 それでも離れて暮らしていれば、父母には束縛されない、心安らかな時間が許されたことだろう。それでは駄目なのだ。

 彼が地元に帰ったのは役者たちのアドリブが多くなったからだ。もちろん、病弱な息子を心配して監視しようとする母親の圧力という、素敵な筋書きを隠れ蓑にして。

 かように彼の人生は自作自演の繰り返しに満ちている。


 さて、この行動の全てを彼は意識的に行っているのだろうか。

 否。彼にとっては無意識よりもさらに根深いところにある本能的なもの。根源であり、当たり前のことであるがゆえに、歩くのに「足を動かす」と意識しないのと同じレベルなのである。

 考えてみれば人生とは自作自演の繰り返しだ。誰にだってなりたい自分や、理想の自分を思い描く瞬間はある。夢想の中では無双な俺様なんてイタイ妄想に苦笑することもあるだろう。

 だが我々は、どちらが現実でどちらがファンタジーかを知っている。肉体と心の間に存在する壁を越える術など無いことを自覚している。

 だからこそ夢を諦めたり、少しでも望む自分に近づくために現実の中で足掻いたりするのだが……彼にはその垣根が無い。物語の世界などは全く愚かな嘘っぱちであり、この現実こそが自分がプロデュースするに相応しいファンタジーなのだ。

だから迷妄する。

 我々が創造の中で主人公に与える能力、設定。それらを有するのは彼の世界ではただ一人、彼のみである。物語が主人公を中心に描かれるのは必定。ならば現実とは舞台であり、その存在の全ては小道具であるべきだ。作法としてはなんら間違ってはいない。

主人公が病弱でそれゆえに母親の庇護に潰されるどろどろの愛憎劇なんて、筆力さえ足りれば俺だって書いてみたいものである。

 だが、現実は決して思い通りになどいかない。実在の人間たちは台詞などしゃべりはしない。それが彼には理解できない。

 いや、台詞を引き出すために策を弄するなど、無意識のレベルではむしろ我々よりもよく解かっているのかもしれない。それでも、そんなことは些少だ。

 演出家の意図しないシーンが挟まれたのなら、カットすればいいだけの話だ。

 だから彼は嘘をつく。もちろんそれは他人から見ての嘘であって、本人にとっては決定された進行どおりの真実なのだから、初対面の相手にそれが見抜けるわけは無い。

「姉は一種の女傑でね、体も大きく、喧嘩も強く、俺が子供の頃は気を失うまでグーで殴られたモンですわ」

「病弱な弟を殴り倒すなんて……ひどいお姉さんですね」

 確かに兄弟げんかで殴りあったことはある。それでも、常識的な範囲でだ。

 以前、彼の知人に言われたことがある。

「名のあるレディースだと思っていました」

 かように嘘はどこかで綻ぶものであるが、それすらも彼には些少。

 収録の済んだシーンになど用はない。まだ続いているシーンなら演出を重ね足せばいいだけの話……

 そうして壮大にして勇猛な物語が紡がれてゆく。

「ペースメーカーの会社に電話『してやった』んだけどさあ、ろくな説明も出来ないバカで、俺みたいな『素人』より物を知らないってどういうことよ? 仕方ないから他社製品との相違についておしえて『やった』んだけどさあ……」

 その電話の相手はお気の毒だ。どんな会社なのかを量ることはできないが、もしかしたらただの電話番ということも考えられる。なのに会社の権威と威信を知らぬうちに肩代わりさせられて、さもさも会社そのものが無能であるかのようにふれ回られるのである。そして彼は、生命に関わる機器を扱いながらも粗悪品を提供する悪しきメーカーに真っ向から立ち向かう、正義の人という役回りだ。

 その物語に好むと好まざるとに関わらず組み込まれ、演出どおりの人格を求められる。これが彼に対する嫌悪の正体であり、彼の中で『正義そのものである自分の言葉に逆らい、粛清を受けた反逆者』の役を割り当てたなら、それはきっと完遂される……それこそが彼に対する恐怖の正体だ。

 だから俺は今日も電話の音に怯える。相手を刺激しないように誘導する消耗感と、出来の悪いシナリオに付き合わされる恐怖感に……


 自分が気狂いかもと不安を抱いたことのある御仁、あなたはかくも華麗に『現実』を越えることができますか?


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