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入院中に知り合った人の口利きで新たな職を得たと聞いた。だが今までの経歴を考えれば、いつまで続くかも怪しいものではある。それでも一通りの収束を向かえたと思いきっていた今月の初め、その電話はかかってきた。
「この前、姉ちゃんと喧嘩みたいになっちゃったからさぁ~」
回らないろれつ、数ヶ月前を二、三日の『この前』と思っているような口ぶりは、間違いようもない、
「あんた、酔っ払っているの?」
「ああ、うん」
「羨ましいね~。こっちは今から仕事なんだけど?」
「ああ、うん、ごめんね。そうそう、喧嘩しちゃってごめんね~。でさあ、今日は……」
「『今から』って言わなかったか?」
「ああ、解かってる解かってる。それで、姉ちゃん家ってさ~」
「本当にもう出るから!」
その日は本当に急いでいたこともあって難を逃れたのだが、それからも三回ほど電話はかかってきている。そのいずれもが会話にもならないほどばかばかしいやり取りなので、細かなことは書くまい。特徴だけを抜き出してゆこう。
まず彼は、うちの子どもたちと話したがる。『いいおじさん』を演じるための小道具なのだから、さだめし大事に思っていることであろう。ただし、うちの子供たちはそんな叔父に辟易している。
一番の要因は拘束時間だ。何か対策を講じないと、二、三時間は平気で話す。長時間を次々に話題を変えて聞かすならまだしも、同じような内容、重要とも思えない話題、そして性質の悪いからかいの三つ揃えでは、聞かされるほうはたまったものではない。
そう、彼が欲しいのは会話をする自分を演じるのに必要な役者であって、絶対に相手の人間性など認めないのである。
「妹ちゃん、中学校の制服きゃわいいな~、なめなめ。って言っておいて~」
もちろん、娘は嫌がる。最上級のセクハラオヤジ風の口調で、しかも酒でれろれろした発音も不快感を煽ると知ってのことではないかと、勘ぐりたくもなる。
おまけに決めつけが半端無い。
「姉ちゃんは怖いな~。怖い怖い。俺なんかがっくがくしちゃう」
アザとー、大人しくはないが人当たりのいいことで知られている。おまけにドジっ子性能もほのかにあったりして、怒らせたら怖かろうとは言われても、彼が言うような「怖い」という評価を受けたことは無い。それこそ「お前に俺の何がわかる」と言ってやりたい。
このクダまきが三十分以上続く。小ばかにしたような節回しは、飲み屋で繰言を吐く親父のほうがナンボかマシである。
そして恐ろしいことに、彼はこれが大人の会話なのだと思い込んでいるらしい。要するに、『酔って女の子をからかう余裕な俺』を演じたいのだ。
もちろん余裕で流すのも大人のスキルと解かってはいるが、子供たちにとって親よりもよき理解者だとでも言いたげな口をきかれれば、本能的な怒りがわくのも必定。
「マリサメが言っていたんだけど、妹がばあちゃんに似ているってさ」
つい先日の言葉であるが、反撃に味をしめたアザとー、すかさず突っつく。
「おかしいな。マリサメは絶対そんなこと言わないよ」
「言ってたって。親なんか子供の……」
「そうじゃなくて言葉の順番だな。マリサメとの関係性を考えるなら、ばあちゃんが妹に似ている、と言うことはあっても逆は考えられんだろう」
「ああ、うん?」
深く考える時間を与えてはいけない。
「そういうちょっとした順序の間違いが誤解を招くんだぞ」
沈黙が聞こえたら、今度は少し声を柔かく。
「そんな、会話の理路が成り立たないほど呑んだのか? 少し寝たほうがいいぞ」
「うん」
「俺もまだ家事があるからな。切るぞ」
受話器を置いたものの、次の電話は30分後にかかってきた。
「さっき言い忘れたんだけど、お宅の息子さん、PSP買ってさあ……」
バイトもしていない息子にそんな金があろうハズは無い。「ええ、知らなかった~」「あ、ごめん、言い間違えた~」な会話がすでにリハーサル済みなのであろう。
そこで俺は、一番突拍子もない行動にでた。
「はあ? そんな金、やってないんだけどっ! 万引きかっ!」
がちゃんと受話器を叩きつける。
効果はすぐに出た。折り返しかかってきた電話は幾分正気を取り戻している。
「誤解させちゃったみたいだけど、買ったのは俺」
あほうめ。こっちは素面だったのだから、酔っ払っているお前のほうがどうしたって分が悪いのだよ。
ところが彼はそうは思わない。「ごめんね」「うん、いいのよ、うふふ~」と言うシナリオは、すでに彼の中で消化済みだ。
「でもさあ、俺と通信してくれればいいのに、あいつちっともゲームしないから……あ、お母様が厳しいから、ゲームはダメなんですよね」
「高校生がゲーム云々など、知ったこっちゃ無い。ただ、あいつにも高校生の生活があるから忙しいんだろうよ」
「いえいえいえ、あなたさまはあ、しっかりしてらっしゃいますからあ? 俺なんかセキニンないけどぉ、親としての責任?」
「『知ったこっちゃ無い』の意味も解からないほど酔ってんのか。切るぞ」
「あ、待って待って待って! 本人と直接話す~」
それから小1時間は話していただろうか。解放された息子はポソリと言った。
「なんか、コンピューターのことは俺に聞けとか、数学系の大学がどうとか言っていた」ここで常人は騙される。親身になって相談にのってくれるいい人なのだと。
彼に必要なのは『俺にアドバイスされる人間』であって、それは自分のドラマの小道具である。だからアドバイスの全ては張りぼてだ。ネットで仕入れた最新情報を通ぶって説明しているに過ぎない。
相手の状況やレベルを考えないのだから、進路の情報などではとんでもない学校名を言う。最難関有名校が出たかと思いきや、不登校児対象のミニスクールが出てきたりするのだから一貫性が無いようにも思えるだろう。
だが、一貫性はある。「一般的ではない、奇をてらった情報」だ。よりドラマチックな演出を求めた当然の結果とも言える。
そして実家の両親は、そのドラマにがっつり組み込まれているからこそ彼の本質に気づくことすらない。
「あの子はあの子なりに子供たちが可愛くてやっていることなのよ」
当然だ。反撃の術を持たぬ、大事な大事な小道具なのだから。
――俺の家系はいわゆる気狂いの家系と言うやつだ。母親は病的なほどに腺病質で、それに引きずられるように父親も壊れていった。姉や弟はそんな母を嫌い、遠く離れた地に住処を求めたがゆえ、凡庸な人生と言うものを手にすることが出来たのだろう。
だが、俺は母の愛と言う幻想の、壱個の虜囚に過ぎない。
生まれつきの疾病を持つ俺に対する母の執着と庇護は、他の兄弟たちに許された自由と言うものの一切を俺に禁じた。生まれたときから、何一つ、ただの一かけらもだ。
それゆえに俺は……発症した。我が家に連綿と伝わる厄介な病を……
と書けば出来のよい中二病の人格設定にも見えようが、これを現実の設定としてしまった男、それが彼である。
そして、それを現実世界で演じるだけの才と運を彼は持ち合わせているのだ。




