親愛なるサイコパス様
親愛なるサイコパス様。
あなたはとても愛くるしい子供でした。先天性の疾病を持った心臓のせいでしょうか、とても儚く、色素も薄く、出来のいいビスクドールのような美しさは人を引き付けてやまない怪しい魅力を漂わせていたものです。
でも私は、あなたのその美しさの裏にある異常性に気づいてしまったのです……
村上家に生まれた男児は三人。
長兄の誠は健康そのもの。幼い頃から体格が良く、温厚な性格であった。
末弟は渉。彼も丈夫な性質で、ひょうきんで明るい子供であった。
そして件の中兄は肇。彼だけが生まれつき心臓に病を抱えて生まれた。ペースメーカーを入れて日常の生活に支障は無いが、運動の制限や数年に一度の電池交換のための手術など、『第一級障害者』の認定を受けている。
それが彼の人生を決した……とは思えない。
一般的に真ん中の子は気難しいだの、変わり者だなどと言われるが、マコトは自分の弟に関して言えばそれはあながち間違いではないと思う。病気の子は大事にされるがゆえに我儘だとも言うが、彼に限定すれば全くもってそのとおりだ。だがそれは生まれ順や病気のせいなどではなく、ハジメが持つもともとの性質だったのではないだろうか。
天真爛漫で明るい兄弟の間に挟まれて、彼だけは明らかに毛色が違った。
まず趣味趣向がマニアックにすぎる。兄弟が絵本を好み、マンガを好む年頃のころには科学雑誌と歴史書が彼の愛読書だった。ゲームをさせれば批評家気取りで攻略知識をひけらかし、小学校の教師相手に真っ向から議論を挑む。このとき、彼の危険性に気づくべきだったのかもしれない。
……理性の裏に隠されたずるがしこい残虐性に……
マコトはこの弟を可愛がっていた。普段は温厚で通っている兄が、弟がいじめられたと聞けば下級生のクラスに乗り込んでいじめっ子達をシメて歩く。二学年も上の、しかも発達優良児のマコトに小突かれた子供達はどれほどに恐ろしかったことだろう。
多少の我儘にも目をつぶった。というか、「体が弱いから」といわれれば従わざるを得ない。命にも関わるのだと思うと恐怖心ばかりが先に立つ。
それでも可愛がっているということと、馬が合う合わないは別問題だ。マコトのよき相棒はイタズラ好きで子供らしい馬鹿々々しさを兼ね備えた末弟のワタルだった。
「にいちゃん、蛙とりに行こう!」
屈託の無い笑顔でにっこりと笑われては逆らえるわけが無い。だがハジメへの気遣いもある。
それゆえにマコトは弟達二人共に等しく接しようと努力した。もちろん拙い子供の気遣いゆえに上手く行かないこともあったが、少なくとも努力はしていたのだ。
だが、その努力を決定的にぶち壊す出来事が起こった。理由も思い出せないほどに小さな諍いに端を発する、悪夢が……
子供部屋で弟達が突然に喧嘩を始める。小学生同士のことだ、理由など聞くまでも無い。
「やめろよ」
いつもの気安い様子で仲裁に入ったマコトはワタルの様子がおかしいのに気が付いた。静止を振り切って暴れまわり、もはや兄の言葉さえも聞こえていない様子だ。
(まずいな)
とっさに頭をよぎったのは村上家における喧嘩の罰則事項。
鷹揚な両親は兄弟げんかそのものを禁じるようなことはしなかったが、ハジメに関してはペースメーカーの入っている下腹部への攻撃は禁止。電線を通された腕を引っ張ることも禁止であった。
(おそらく、そんなことすら忘れているだろう)
体の弱い弟を庇おうと兄は末弟の体を押さえ込んだ。そのとき……
「痛ううううっ!」
次の瞬間に目に映ったのは、末弟に刺さろうとしていたコンパスを受け止めて深く抉られた自分の手の甲だった。流れる血を止めるため、そして痛みを逃すために傷口を強く噛む。
「くううううううっ!」
異変を感じた母の足音が聞こえる。とっさに隠すことが出来たのは小さく穴の開いた自分の掌だけだった。
「何してるの! 喧嘩にこんなものを持ち出すのはルール違反でしょ!」
コンパスを取り上げて母が叫ぶ。
「だって、僕は力じゃワタルに勝てないモン! 殺さなきゃ殺されるっ!」
たかが兄弟げんかごときで殺すだの殺されるだの、物騒な言葉が飛び出すその異常性に震えながら傷を隠してしまったのはなぜなのだろう。そして見ていたはずの末弟も母に真実を告げようとしないのは……少なくともハジメは、自分が兄に傷を負わせたことなど気にも留めていない。
末弟がどのような攻撃を仕掛けようとしていたのか、それによって起こりうる自分の命の危険をとうとうと母に説く声を聞きながらマコトは思った。
(こいつとは、出来れば関わりあいたくは無い)
自分が病弱であることをまるで免罪符のように掲げ、目を輝かせて説得を試みる姿はかつて無いほどに生き生きとしている。これが彼本来の姿だとしたらいじめられるのも納得だ。
マコトは今までのいじめの原因を、病弱を理由にした強者による謂れ無き弱者たたきだと思っていたのだが、小生意気に顎を上げて演説ぶる弟には弱者の影すら見えない。むしろぶちのめしてやりたいほどの苛立ちを感じる。
この態度に煽られて「いじめっ子」に堕とされた者がどれほどにいたのだろうか……
(俺も道具に使われた?)
理屈ではなく本能が警鐘を鳴らす。
この日からマコトとハジメの距離感は変わった。表面上は何の変化も無く、今までどおりに仲の良い兄弟に見えたことだろう。だが心の奥に薄い壁が張ったような……腹のそこからの信用というものは、もはや二人の間には存在しない。
その証拠に、マコトはいじめっ子をシメに行くことをやめたのだった。




