流罪
流罪・・・刑罰の一つで、罪人を辺境や島に送る追放刑のこと。
耳ざとい商人たちの多くいる街をでて、半月ほどたってようやくこの村に着いた。
途中で乗合馬車を利用していたりもしたが、これほど歩き通しとは予想もしていなかった。今回やってきた村は交通の便が悪く、渓谷に位置しているうえに、冬は雪深く周囲に目立った名物もないことから『忘却の谷』なんて名前で呼ばれている場所だった。
俺が生まれたこの国は、取り立てた争いこそないものの、水面下では玉座をかけてずっと椅子取りゲームが行われてきた。王の側室や隠し子こそ数えきれないものの、直系で後継ぎとなれるのは第一王子と第二王子で、彼らが生まれて数十年。周囲の思惑や欲望渦巻くさまは、平民ですらわかりやすいものだった。吟遊詩人を語る俺としては、この話題に事欠かない国で歌の題材は選び放題だった。様々な王族のスキャンダルや、悲恋。それこそ国の英雄たる騎士たちの武勇伝を歌っては、新たな話を広めていく。
―――悲恋を紡げばご婦人方が涙をこぼし、英雄の活躍を語れば酔っ払いたちが拳を上げる。
少々子ども受けを狙ったような歌や、金言溢れる歌はシラケさせてしまい不人気だが、感情的なご婦人と酔っ払いほど金払いが良いものもそうはいないので、さほど気にしないようにしている。
数ある中なかでも、国民たちの一番の関心ごとである玉座争いは、聞かせてくれと乞われる機会も多い。吟遊詩人としてずっと増やしてきた歌は今では数え切れず、随分とアレンジを利かせて歌っている同業者にも出くわしたことがある。
「こんな片田舎の人間なんて、審議なんて知りようがないから別にいいだろう」
なんて言っていたやつには、さすがに腹が立って殴ってしまったのも苦い思い出だ。
俺はずっと「人に少しでも情報を伝えるのが、我々の仕事だぞ」と言われてきたし、それを使命と考えてあこがれてきた。
そんなこんなで、生まれた時からつづく長い戦いが、数年前に第一王子が即位することで終結し、この祝福ムードを少しでも広めるべく旅してきた。
吟遊詩人たるもの、町から離れれば離れるほど情報が滞り、そういう場所にこそ俺のような人間が話を聞かせにいく意義があると考えている。
……だが、その道のりはあまり長かった。数日ずっと一人で森を歩きとおした時など、だれとも会話できないのは苦痛だった。つい聞かせる相手のない歌を歌ったのは、吟遊詩人としてのプライドでも動物除けでもなく、孤独に耐えきれなかったからというのは聞かせたくない話だ。
祖父の代から吟遊詩人であったという俺は、祖父や父がそうしたように、成人とともに実家を飛び出し旅してまわっている。もともと閉鎖的な村の生まれだった祖父は、偏った考えや村の風習に耐え切れず、村を飛び出しずっと旅してまわる中で吟遊詩人になる道を選んだのだという。
そんな祖父も30代のころに、足を悪くしてからは居を構えたという。だがそれと引き換えに、ずっと祖父の歌を聞かされてきた父がその後を継いだ。史実についての物語を広めるため、のどを大切に保護していた人で、子どものころからずっと歌って聞かせてくれていた。
父に昔、「どうしてそんなに好きな吟遊詩人をやめてしまったか?」と、聞いてみたことがある。すると返ってきたのは「お前の母さんに出逢ったから」という、なんとも拍子抜けする言葉だった。
昔から母さんの実家は楽器屋を営んでおり、「母さんの奏でる音楽は、どんな父さんの言葉より雄弁だった」といまだに語るほど、その腕にほれ込んでしまったらしい。確かに、母さん側のじいさんは腕がよく、俺が初めて自分で買ったUの字型の竪琴は、数年たっても現役のままだ。今は亡き母方のじいさんが、これを買いたいといったときの言葉を思い出す。
「弦を張り替えたり、手をかけてやれば一生どころか、お前のガキにも使えるようにしている」
「いや。まだ嫁さんすらいないし、子どもが弾きたがるか分からないし……」
「何言ってんだ。お前の親父もそのまた親父さんも、いまだに歌うたってやがるのに、そうそうその血が薄れるわけないだろうが」
「そ、そうかな……」
「俺の可愛い一人娘を持っていくって言ったときは、あの腑抜けた顔をぶん殴ってやろうかと思ったが……。それだけ音楽に情熱を傾けられるんだと思えば、タコ殴りは勘弁してやろうかという気持ちになった」
「いや。じいちゃん俺の倍くらい腕太いのに、それでめちゃくちゃに殴られたら父ちゃん死んじゃうよ」
「お前も、俺の店をゆくゆく継ぎたいと思っているなら、これくらいにしろ」
力強く、己の腕を見せてきた祖父のそれには、年齢に似合わない血管がいくつも浮かんでいた。この時のじいちゃんの瞳は、これまでにないほど真剣だったとだけ、ここに記しておく。
父さんの旅用のマントをもらい、真新しいをつば広の帽子と鞄を手に旅へ出た15歳のころ。
まさかこんな辺鄙な場所で、幼女に絡まれるとは到底想像もしていなかった。
『忘却の谷』近くにある村の人間はみな穏やかで優しいのだが、どうも場所柄、現在の情報が入ってきにくいらしい。村の広場で、数年前から話題の『王子の衰退物語』を歌って聞かせたら、みんな面白いほど食いついてきてくれた。この国は十年ほど前から王族間で諍いがあり、傲慢な第一王子と病弱な第二王子で派閥を作ってずっと小さないざこざを繰り返してきた。だが、三年ほど前にとうとう第二王子が謀反の罪でとらえられ、第一王子が王位を継いでようやく国が落ち着いてきたところだった。
もちろん、国民たちのもとに新しい王の存在は周知されている。
だが、詳しいことなど知る由はなく、俺が聞かせる物語によって、ようやく何が起きて今回の王位継承に至ったのか知ることになったのだ。
広場できかせた中でも、一人の少女がいたく気に入ってくれたらしく、「泊まる場所が見つからないなら、うちのパパとママにお願いしてあげる!」と、家まで招待してくれたのだ。
「ねぇ、もっと王子さまのお話をして?」
目をキラキラさせながら、話をねだる少女に苦笑する。
どうやら彼女は、俺の聞かせた物語のファンになってくれたらしい。特に気に入ったのは、今回目玉の『今は追放された元王子』の話で、諸説あるためにあまり深く語られないそれが余計目を引いたらしい。
「正確には、『元』王子様だけどね」
「いーのよ、そんなことは!」
椅子の上に立ち、ベチベチ机をたたく姿に「こらっ」と母親から怒られてもへこたれずこちらを見つめる力が弱まることはない。
普段から、そんなに子どもに好かれる性分ではないのに、いったいどうしたというのか。このリビングとも呼べない、小さな机のある部屋に通されてから、ずっとこうして質問され通しだ。大人向けの悲恋や哀愁ものばかり好んでいるせいで、すっかり酒場で歌うことにも慣れた身としては、こんな普通の食卓は尻の座りがどうも悪い。
「この子にしてみれば、宿代がわりに話を聞かせろってことかな……」
俺のつぶやきを拾ったのか、少女の父親が苦笑して返してくる。
目の前で笑って座っているばかりで、助けてほしいが無理らしい。娘に甘い父親は、この小さな娘さんを止める気がないようだ。
いまだに少女は、期待に満ちた眼差しでこちらを見つめてくる。大人たちの酒で濁った眼差しに睨まれることはあっても、星空を散りばめたような輝きに照らされては普段の憎まれ口もでてこない。
「君は……」
「あたしのことは、レディって呼んで!」
「小さなレディは、とても綺麗な瞳をしているね」
まるで、かの国の王族を思わせる瞳は、明け方の夜空のようだ。
この子の父親も同意見なのだろう。娘を褒められて、嬉しそうに膝の上へ載せていた。
「ありがとう!あたしのひいおじいちゃんと、おんなじ色なんだって。ね?パパ」
「そうだね。うちのお姫様の瞳は、キラキラしていてとても可愛いよ」
「あら?私の青い瞳を綺麗だといってくれたのは、嘘だったの」
「いやいや、まさか。静かな湖畔を思わせるその瞳は、思わず引き込まれそうになるほど美しいよ」
「あー、ママばっかりずるい!」
頬を膨らます少女をみながら、両親は優しく微笑んでいる。
少女の母親が持ってきてくれた暖かなお茶を、お礼をし慌てていただく。この家に招かれてから、ずっと少女に質問詰めにされて喉がカラカラだったのだ。
正直、この人の好い家族に泊めてくれるといわれたときは、なんて幸福なのかと感謝していた。この村は小さすぎて、まともに宿屋らしいものもなく、村長の家など俺みたいな流れ者が泊めてもらえるわけがないと、野宿を早々に覚悟したほどだ。
そこに、クリーム色の髪の少女がやってきて、「もっと、王子さまのお話して?」と言ってくれたからこそ、今があるのはわかっている。
だが、こんな風に終始ラブラブな夫婦の様を見せつけられると、独り身にはいささか辛いものがある。一人口を引きつらせるのに気づかず、少女は再びこちらを見て笑いかけてくる。
「それで、王子さまはどうなったの?」
「元王弟は、今から4年前に王都から追放され、秘境の地で拘束されているらしい」
「パパ、ついほーってなに?」
「お城にいちゃいけません。出ていきなさいって、言われたんだよ」
「えーっ、それじゃあ、王子さまが可哀そう!」
頬を膨らませた少女は、まるで自分のことのように怒っていてほほえましい。
一度は言葉を濁してみたのだけれど、聡い彼女にはすぐに気づかれ結局事実を教えるしかなくなった。もっとも、俺自身知っているのは追放されたことまでで、流された地ではやり病にかかって死んだとも、豪遊の果て盗賊に襲われ殺されたとも言われている。
俺自身、さんざん甘やかされてきた生粋のお坊ちゃんが、追放されたド田舎でまともに暮らせて行けるとは思わない。そこいらの騎士連中でさえ、都会生まれの奴は遠征先でギャーギャーわめいているのを見かけるほどだ。やれ、娯楽がないだの飯がイモばっかりだの。文句を言い始めたら、一向に止まらない。
非常に不本意なことに、そういう連中が酒場で金を落としてくれるから、切っても切れない存在なのがなおのことに悔い。
「じゃあ、こぉそくってなに?」
「うーん、こうやってギューッとすることかな?」
「きゃー、ママ助けてぇー」
キャッキャと楽しそうな笑い声をあげる娘の頬に、両親が挟むようにして頬ずりしている。
正直、あまりに幸せそうな様子を見て、羨ましすぎて「親父に楽器の作り方教わろうかな……」と、一瞬よぎった考えにそっと蓋をした。
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深夜、泊まらせてもらっていたリビングのソファから、むくりと起き上がる。
少し肌寒くなってきた気温では、どうも借りた毛布一つでは薄すぎたらしい。寒さでトイレへ行きたくなった。「こんな物しかなくて、申し訳ないけれど……」と奥さんに渡されたから、本当に余分なものはなかったのだろう。野宿だって慣れているし、屋根があるだけでありがたいとわかっているから文句などない。
さほど裕福なわけでもないだろうに、残り物とはいえ食事もふるまってくれたし、さっきの質問攻めのことを含めても、良い人達に出会えたものだと神に感謝したくらいだ。
「おや、トイレですか?」
「えぇ、ちょっとお借りできればと」
「良いですよ。終わったら安物ですが、ちょっと付き合ってくれませんか」
「ホットワインですか?いいですね。ご相伴にあずかります」
深夜にもらう誘いとしては、最高すぎて笑顔でかえした。
お世話になっている身で、少々厚かましいかと思うが断る言葉は出やしなかった。
カップの中から立ち上がる湯気のにおいから、普段飲んでるワインがだいぶ薄められた安物だと思い出す。
衛生の観点から生水なんてとても飲めたものではなく、この国では昼間からワインを飲むことも珍しくはない。もちろん度数こそ抑えられているが、普段飲んでいるものがどれほど質の悪いものか思い出し、明日以降がつらくなりそうだ。
「こんなにもてなされて、申し訳ないなぁ。これ安物のワインじゃないですよね」
「まぁそうですね。でも妻はここまでの度数の高いものは好みませんし、こうやってつまみも用意してくれたから、ちゃんと許可はもらってますよ」
「奥さんと娘さんは、寝たんですか?」
「えぇ。特に娘はあなたの聞かせてくれた歌が、思いのほか気に入ったらしくて大興奮してましたが、ようやく眠ってくれました。まぁ、私もあなたほどの実力なら、王都へいけばお抱えの吟遊詩人にしたいと、望む声は多いと思いますが」
自分の実力を買ってくれているようで、くすぐったいとともに非常にうれしい。
つい熱いワインをグビリと飲んで、「うまくいかなければ、場末の酒場で歌うこともできずに、酔いつぶれてるかもしれないけれど」なんて言葉を聞き逃した。
「えっ、何か言いましたか?」
「いいえ?そんなことより、さっきの話ですがね」
「さっきの話ですか?」
「はい。元王子さまは、きっと城になんて何の未練もないし、案外楽しく暮らしているかもしれないと思うんですよ」
にこりと、人畜無害な笑みの中に込められた思いをつかみかねて、首をかしげる。
この男は、こちらが心配になるほど人がいい。一泊だけなら泊めてくれると言われたときは、「もしかしたら、何か裏があるのではないか」なんて、疑っていたがその様子もない。この辺鄙な村の中では、まだ豊かな部類に入るだろうが、他人を養えるほど財力があるとも思えない。もしかしたら、もとはそれなりの家出身だったが、訳あってこんな生活をしているのかもしれない。顔立ちだって整っているし、娘とおそろいのクリーム色の髪は、陽に透かしたら黄金色に染まりそうだ。
例えば、あの仲の良い奥さんとの結婚を反対されたから、『駆け落ち』したとか。
正直、そんな過去でもなければ、あれだけ人前でいちゃついていた説明にならないだろう。是非とも明日は、人前でいちゃつかないでほしいものだ。ある程度、自分の考えに納得したところで、男の言葉に返事をする。
「元王子?嗚呼、貴方も娘さんのように、第二王子びいきなんですね」
「んーというより、妻が第二王子に思い入れがあるようで、私が否定的な発言をすると、すぐに私が好きな人を馬鹿にするなって怒られるんですよ」
「そこまでですか」
本当のところ、彼の言葉に言うほど衝撃は受けなかった。
温厚な第二王子を推す声は一定数あったし、今回の謀反だって、周りが勝手に盛り上がっていただけで、第二王子自身は巻き込まれただけだという話まで出ていた。
「都会の人間は悪く言うかもしれませんが、田舎だって悪くないものですよ。例えば、ここだって」
「嗚呼。確かに、」
「城の殺伐とした雰囲気からすれば、ここの人たちは嘘のように心優しく素直ですし。古狸と女狐の巣窟で、愛憎渦巻く無駄な夜会になんて出なくてもよくなりますし、いいことづくめですしね」
何か彼の言葉に引っかかるものを覚えたが、その正体に気づくことはないままグラスを傾ける。あまりアルコールに強いたちではないから、コップ半分くらいで酔いが回ってきてしまったようだ。
「あれー?なぁんか、都会を知っているよーな、口ぶりですね」
「そうでしたか?」
「えぇ、俺も多少街にいましたがぁ、流石にそこまで、精通しているわけじゃないのでぇ、そんな風には言えません」
「そうですか。では、ぜひ『元王子』は流罪となった先の場所で最愛の人を見つけて幸せに暮らしたと、あなたの物語に付け足してください」
「分かったりましたぁ、そういう終わりも素敵ですねぇ」
「お願いしますよ?わざわざ『昔の知人』から貰ったとっておきを、開けてきたんだから」
「あぁー、どうりで旨いはずですねぇ。飲みやすいからぁ、ついつい進んじゃいますよぉ」
「気に入っていただけたようで、良かった。『残してきた仲間のため』にも、ぜひハッピーエンドを広めてください」
「はっぴーえんど!それはいいですねぇ。最近はぁ、悲恋ばかりだと気が滅入るとぉ、酒場でも敬遠されてしまうのでぇ。ぜひとも、歌わせていただきたい!」
「えぇ、頑張ってくださいね」
その言葉を聞いたが最後に、俺はそのまま眠りに落ちた。
そして、翌朝俺は頭を抱えることになる。どうやら酔っても記憶を失わないたちらしく、昨日言われた言葉の真意を測りきれずに混乱した。動揺のあまり、彼の顔をよく見れなかったほどだ。
「おじさん、ばいばーい。また村に来てねー」
「せめて、お兄さんにしてくれ……」
切ないつぶやきは拾われることもなく、笑顔で手を振る人々を背に村を出た。
考えれば考えるほど、色々なことが思い出される。
確か二代前の王は、最も深い青色の瞳を持つとされていた。それこそ、『明け方の夜空』のような、色だったと。おまけに現在の王は小さなレディやその父親のように、クリーム色の髪色だった。正反対の性格をしている王子たちだが、髪色だけは唯一同じだと揶揄されていたから、間違いようがない。陽に透けるとキラキラして素敵だと、実物を見た年頃の娘たちはキャーキャー騒いでいた。
―――以上のことから、俺はとんでもない人に泊めてもらい、なおかつとんでもないお願い事をされたらしい。
正直、この予想が本当ならば、質素な家に暮らしすぎだし、あんな庶民的なのもいただけない。いくら旦那とはいえ、元王子に皿を洗わせていた奥さんも、只者ではないだろう。どうせなら「もっと高いと言っていたワインを飲んでおけばよかった」とまで思って、元王子と酒を酌み交わした事実に青ざめる。
その事の大きさに気付き喚けたのは、二日酔いが治って村から遠く離れた森の中でのことだった。
次話は、ドラゴンと彼に突然気に入られた女性のお話です。