昼夜逆転 ~過去の記憶 後編~
こちらは、先に投稿した話の、サイドストーリーになっております。
長くなったため、前、後編に分かれております。
ニンゲン国に潜入しだして、数日経過した。
そろそろ成果を出さなければと、焦りだしたころにそれは起こった。
「はぁ、はぁっ……」
俺と行動を共にしていた悪友が、敵国にバレて捕えられてしまったのだ。
すぐに助け出そうにも、相手も獣人ということもあり警備は厳重で、悪友の安否すら判明しない。焦って焦って、一つ騒ぎを起こすしかないかと思ったところで、俺は頭を殴られるような衝撃を受けた。
「あら、貴方はどこの所属の方かしら?」
「あっ、なたは……?」
丸々と驚きに見開かれる瞳は、澄んだ湖面を思わせる青さだった。
緩やかにウェーブした髪は右肩で一つにまとめられ、きらきらと輝く稲穂のような美しさだ。肌も驚くほど白く、背は俺の胸あたりまでしかない。何より、この魅惑的な香りだ。本能を揺さぶるような香りのままに、抱きしめたい衝動を何とかこらえる。
どうして、こんな夜更けに廊下を一人で歩いているのか。
疑問は尽きないが、それまで以上に彼女の存在に惹かれてしょうがなかった。これは、以前に岩国にいった時に、微かに感じた感覚と似ている。
「私?私は、少し暖かいものを頂きたくて、厨房まで行こうかと思っているの」
俺は名前を尋ねたつもりだったのだが、相手は都合の良いように解釈してくれたらしい。
これからどこへ行くつもりなのかと、丁寧に教えてくれた。よくよく眺めてみれば、彼女は厚手のネグリジェに上着を羽織った姿をしている。いくら厚手とはいえ、フラフラ出歩く姿ではない。少し恥ずかしげにしている姿にも、ぐっとくるものがあり唾を飲む。
ガラにもなく、ここ数年で一番緊張していた。
「さい、きんは、侵入者があったと聞きます。一人歩きは、不用心ですよ」
「えぇ、そうね。だからなるべく大人しくしていようと思ったのだけれど、体が冷えて眠れなくて……」
「それに一人じゃないわ」と、彼女が向けた足元に目をやると、確かにそこには小型犬がいた。敵国の者だというのに、その犬はこちらを見て愛嬌をふりまいている。この犬に彼女が守れるのか甚だ疑問だし、どうやら怪我をしているらしい。どこか見覚えのある包帯の結び方に気をやるが、すぐに彼女へ目線を戻す。
「怪我をしたのですか?」
「えぇ、父とちょっとね……」
伏せられた瞼には、やる瀬ない思いが込められているようで、それ以上訪ねることはしなかった。変わりに、俺は咄嗟に別の話を口にしていた。
「では、私が厨房までご一緒しましょう。ただ、申し訳ありませんが、まだ王宮に慣れていない新人故、道に迷ったらすみません」
「えぇ。それじゃあお互いに、今夜のことは内緒にしましょう?」
くすりと笑って、口元に指を持っていく姿は猛烈に可愛らしかった。
自分はこんな所で、何をやっているのかと思いながらも、可愛らしい彼女の傍を離れたくない。手にしていたランタンを受け取り歩き出す。
ドキドキと脈が速くなり、どうすれば彼女の情報を引き出せるのか頭をひねる。
正直、一瞬捕えられた仲間のことを忘れかけた。申し訳ないとはもちろん思うが、罪悪感も合わさり冷静さが失われてしまっている。うずうずとする耳や尾を出さないように、必死すぎてなかなか集中出来ない。
「ところで、騎士服を着なれている様子だけど、貴方はそれで新人なの?」
「え、えぇ。ずいぶん遅咲きなんですが、これでも優秀なんですよ」
仲間を助けやすいように、わざとこの国の騎士服を着ていたのだが、今となってはその判断が正解だったと分かる。
騎士であることに変わりはないし、この服も盗んだもので偽物ではない。……だというのに、理知的なその青い瞳は、真新しくない服をいぶかしんでいるようだ。敏い彼女に苛立つよりも、なんて観察眼があるのだと惚れ惚れする。
聞けば、彼女はこの国の王女であるらしい。
もちろん利巧な彼女が、そんなことを口にしたわけではない。ただ、ここ数日王族の予定や動きを思い起こせば、その謎も解ける。羽織っている服は、使用人の物には見えない。肌艶もよく綺麗に磨かれ、とても労働者のものとは思えない。顔の特徴から言えば、彼女はこの国の第一王女かもしれない。
「それでは、案内ご苦労様」
「―――っいえ、もったいないお言葉です。こちらこそ、ご一緒できて光栄でした」
ぼうっとしているうちに、厨房までついてしまったらしい。
中からはわずかに光が漏れているから、きっとまだ誰かいるのであろう。ここで別れた方が利口だと分かっているのに、離れがたくて口をつぐむ。
「……そういえば。捕まった獣人さんは、一番奥の牢に今夜移されたと聞いています」
「そうですか」
どうして、彼女がそんな事を言い出すのか分からず息を飲む。
まさかここなら安全だと判断して、不審者だと人を呼ぶつもりなのだろうか?そんな浅知恵を笑うかのように、ふっと彼女は目元を緩めた。
「どうやら尋問の末、頑丈だと聞いていた獣人さんが弱ってしまったらしいのです。お仲間の方も、絶好の機会を逃すとは考えにくいですし、今夜は新月。どうぞ、騎士様もお気を付け下さいね」
優しく微笑んだ彼女の真意は、熱に浮かされた状態では予想も出来ない。
きっと彼女は俺の番いで、俺の『正体』にも多分気づいている。それがどうして、こんな助言めいたことを口にするのか。一刻も早く逃げた方がいいのに、この足は床に縫いつけられたかのように動かない。
「私の愛犬がこの前、どなたかに怪我の手当てをされて帰ってきましたの」
「そう、ですか」
「えぇ。人見知りで、悪意を持った人には近づかなくて、父にすら懐かないのによっぽど嬉しかったのでしょうね。何度も、尋問部屋に近づこうとしたりして……」
「…………」
明らかに、こんな場所で悠長に話している場合ではない。
それは確かなのに、蝋燭の光に揺らめく彼女の瞳から目が離せない。
「愛犬の恩人に、『ありがとう』と伝えてくださるかしら?」
「―――貴女様が、望むのであれば」
すっとランタンを持っているのとは逆の手を取り、口づける。
俺の心は、この日から彼女に捕らわれたまま、戻ることはなかった。
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初めての出逢いから、十数年が経過した。
あれから、俺は無事に仲間をとりもどし、「よく王女の愛犬を手当てした」と酒をおごってやった。そんな奴も今は所帯持ちで、子どもも二人いる。ニンゲン国は徐々に衰退し、今となっては領土も減った。
俺は、彼女に逢いたいがために、何度もニンゲン国に行っては姿を探した。
時には、武勲を立てて褒美にすると言われ。時には、いっそ攫って逃げてしまえばよいのではないかと単身で。そんな事を繰り返しているうちに、相手も俺の狙いに気付いたのだろう。
無理やり、他国に第一王女を嫁がせようとしたから、全力で阻止した。
我々獣人は、番いの何たるかをみんな知っている。番いに出逢える幸運、確かにそこにいるのに、一緒になれない絶望。わが獣犬国のみならず、獣猫国や獣鳥国、はては岩国など獣人に明るい人間までも、俺に対して同情的だった。
何度狂いそうになったかしれない。何度、自ら命を断とうとしたかしれない。それでも何とか生きてこれたのは、彼女が誰の物にもならず、凛と出逢ったころのままでいてくれたからだ。
「イザァ、もうこんな風に危険を冒してまで、逢いに来ないで」
「いいえ。貴女の姿を見れないほうが、俺の心をズタズタに引き裂き命の危険を呼ぶのです」
「イザァ、貴方は獣人の中では英雄なのでしょう?そのまま自国で過ごして」
「いいえ。運命の番いである王女様に忠誠を誓った俺には、称号など何の意味も持ちません」
何度忍び込もうとも、彼女が『国を捨てる』と言ってくれたことはなかった。
父王の傲慢さを嘆き、年を重ねた自らを自嘲することはあれど、俺に対して恨み言の一つも漏らさない。そんな気高い彼女が、愛しくて誇らしくて大好きだった。
何時の頃からか、彼女が一人になる瞬間は皆無になり、たった一瞬の襲撃でその指に触れるのが精いっぱいになってきた。本当はもっと近くで、そのきらめく瞳を見つめたい。それなのに、警備の隙を突くのは難しく、気付けば彼女の周りがニンゲン国のなかで一番安全な場所と化していた。
彼女が他のならず者に傷つけられないのなら、それが一番だ。
自らが終始守れない今、この守りの固さは悪くないものだとすら思っていた。
―――彼女の父王が、自分の娘に剣を突き立てる瞬間を見なければ。
俺は、何時ものように彼女を自国に連れて帰ろうと、玉座近くに姿を現した。
謁見中の家臣は逃げ出し、彼女の傍にもいつもより人が少ない。きっと廊下や侵入経路を固めるあまり、踏み込まれた後のことは考えていなかったのだろう。彼女と出逢ってから鍛え上げた感覚は、いまではかつての上官をもしのぐものだった。「これならいける」と間合いを詰めたところで、何をトチ狂ったのか王が剣を振り回し始めた。
ギラギラと装飾された剣になどあたるはずもなく、たまたまよろめいた王は、よりにもよって俺の大切な番いに怪我を負わせて血を流させた。
「っっ!」
一気に血が、逆流したのが分かる。
王が王女へ口にした、「すべてはお前のせいだ!汚らわしい獣人に奪われるくらいならばここで死ねっ」という言葉も、憎たらしくて胃がむかむかした。
「死ぬのはお前だっ!」
「イザァっ!おやめなさいっ」
彼女がとめるのも一瞬遅く、ご立派な髭は宙を舞い、高そうな服が血に染まった。
きゃーきゃーと叫びながら、侍女が逃げていく。王女の手当てをする者がいなくなるではないかと足を向けかけた所で、剣を持ったままの腕をつかまれ動きを止めた。
「私の傷は大したことないから、落ち着きなさいイザァ!」
「そ、んなこと、言っても……血が、」
「ほら、見た目以上になんてことないわ。数々の戦場を戦い抜いてきた英雄が、これくらいの傷でうろたえないでちょうだい」
「でも、でも、医師を……」
「そうね。今の侍女はよくできた子だから、きっとお医者様をすぐ呼んできてくれるわ」
ざっくりと切られたように見えた腕は、幸い骨など見えていなかった。
戦場で得た応急処置で、何とか彼女を助けようとするが、終始愚王がうるさく喚いていて気が散ってしょうがない。先ほど切り付けた時に、急所を外してやって損をした気分だ。
「うるっさい!静かにしないと、本当に息の根を止めてやるぞっ」
いくら彼女の父親でも、俺の番いを傷つけたのだ。ただで終わらせる気はない。
今度こそ本気で、この国を潰してやろうと、ふつふつと怒りが湧いてくる。
「三日だ。三日間だけやるから、それまでにこの国を解体しろ」
「そんな、無茶を言うな!第一、お前ひとりに引けを取るほど、この国は、」
「中枢まで腐っていて、こんな時に騎士一人割って入ってこようとはしないじゃないか。王女一人守れないこんな国、とっとと潰してしまえ」
この国の未来を憂いていた王女には申し訳ないが、これ以上こんな所に彼女を置いておけない。悲しげに伏せられたまつ毛が揺れて切ないが、もうこちらも我慢の限界だ。
「王女様、もう……俺は我慢するのをやめるぞ」
昔よりも不自然に白く痩せた手を握り、もたもたしている内にこんなにも彼女を苦しめていたのかと猛省する。
彼女が攫われないようにと、俺が逢いに行くたびに警備はもちろんのこと、人の目に触れないようにされていたのは知っていた。それによって彼女がふさぎ込むことも多く、笑顔が曇っていることも分かっていたのに、見て見ぬふりをしていた。元々敏く、行動派の彼女にしてみれば、軟禁状態の日々はさぞつらかっただろう。
これまでそんな彼女を憐れみつつも、他の雄に取られないことに安心していた。
こんな風に城の奥深くに位置していれば、王女に手を出そうとする者はさらに減るだろうと喜んですらいた。
「これまで辛い思いをさせてしまった分だけ、幸せにするから」
「イザァ、私にはこの国が……」
「この野蛮な獣人がっ!そんな役立たずの娘のために、この儂を傷つけ追って」
「―――王女、俺はもうこれ以上君が傷つくのを、見たくはない」
あんな男の言葉にも胸を痛め、国民のためにあろうとするのがたまらなく腹立たしかった。
涙こそ見せてはいないが、今にも泣きそうな瞳を、見つめ続けられずに手を伸ばす。
肩を一度震わせた彼女は、伸ばした手を避けて抱き着いてきた。
予想外の行動に戸惑いつつも、しっかりと彼女の背と腰に手を回す。
「貴方に出逢ってから、私の人生は大幅に狂ってしまったわ」
「すまない」
「今頃は第一王女として、この国のために政略結婚をして……好きな勉強をすることもなく、作り笑いをしながらご婦人方と優雅にお茶しているはずなのに」
「そんなっ、日々を望んでいるなら、俺は……」
どんな力を使っても、彼女に与えてやりたい。
少し難しいかもしれないが、人間を毎日家に招いてもいいし、獣人の国が嫌なら俺が人間の国で暮らしても良い。彼女が予想していたものとは違うかもしれないが、可能な限り希望に添おう。俺がただ望むのは、「王女の傍に居れることだけだ」と口を開こうとしたところで、呆れたような息が胸にかかった。
「―――本当に不本意ですが、どうやら私は悪い獣人に絆されてしまったようです」
「悪い獣人……?」
「えぇ。まさか自分でもこんな気持ちになるとは意外でしたが、もう私がこの国にできることもないようですし」
すっと王女が、斜めに目をやり父王を見た。
俺もついつい目線をやると、面白い程に青ざめてぶるぶる震えている。それを見てようやく、彼女が俺を選んでくれたのだと気付いた。
「あら、まさか獣人を泣かすことになるとは、思いませんでしたわ」
自分でも気づかないうちに、溢れだした涙は止まることがなかった。
常であれば不快でしょうがない貴族たちの香水も、王の喚き声も、気にならないほど心が震えた。そんな気持ちのままに、彼女に抱きつき涙を流す俺は、さぞ迷惑だったろう。それにもかかわらず優しい彼女は、ずっと満足するまで抱きしめ続けてくれた。
その後、俺は彼女を連れたまま逃亡。
どうやら諦めきれずに、彼女の国の者が刺客を放ってきたりもしたが、彼女さえ手に入れば怖いものもないし、問答無用で対応させていただいた。それが、回りまわってニンゲン国という世界で一、二を争う大国の半数近くを殺した大悪党ということにされていたのには驚いたが。きっと、獣犬の国の者が、ようやく番いを得た俺へのはなむけとして、わざと邪魔されないように事を大きくして広めてくれたのであろう。そんな自分の悪評が、後の者にとってプラスに働けば良い。
……たとえ、今後人間の番いを見つけた獣人がいても、邪魔されることのないように。
これまで番いを得られなかった獣人たちが、少しでも最愛の存在に逢える機会が増えることを心から願っている。何せ、獣人たちより人間の方が数は多いのだ。今後、俺のように人間の中で番いを見つける奴は、増えることだろう。
こうして、俺は『悪獣』として、後世に語り継がれることになったのだった。
いや、まさかサイドストーリーの方が、本筋より長くなるとは思いもしませんでした。
設定を考えている時に、嫌に楽しくなってる自覚はあったのですが、倍近くになるとは……。お付き合いくださり、ありがとうございました。
次話は、カフェをこよなく愛する人々のお話です。




