昼夜逆転
シリアス皆無……とは、行きませんでしたが、暗くはないはず?です。
大勢の人通りがある街中で、一つの匂いを鼻が拾った。
あぁ、来るのかと思ったところで、腹に軽い衝撃が走り息を吐く。
「アール大好き!」
俺の彼女は、今日も頭の悪そうな事を言ってくる。
どうやらこの前に渡した髪飾りを、色々な奴に褒められたのが嬉しかったらしい。それは、お互いの瞳と同じ色の石を使い、並々ならぬ情熱を持ってつくらせたものだった。
「繊細なデザインで可愛いし、この新緑色の石と濃紺の石がとっても綺麗だってみんな褒めてくれるの!」
「あぁ、散々こだわっていた甲斐があったな」
「だって、なかなかアールの瞳とおそろいの色が見つからなかったんだもん」
「……そうか」
「アールの瞳は、本当に綺麗な青でね?たとえば……」
また、デアの溺れるような賛辞が降り注ぐ。
本気で思っているのか全く怪しい言葉たちは、必要以上に事を大きくして語られる。ちょっと道を譲っただけで、やれお年寄りに優しいだの、荷物を代わりに持てば力持ちだの。飽きることなく言葉を並べ立てられるのだ。
毎日のように彼女と逢っているのだから、これに日々付き合わっている俺は相当苦労をしていると思う。だというのに、周囲に言わせると「お前も大概だろ。彼女のことばかり責められないぞ」なんて口をそろえて言うのだから、全く納得いかないということだ。
ここは王都の中でも商人たちが集まるような街で、貴族たちが暮らす中心街とは区切られている。明確な仕切りや決まりがあるわけではないのだが、王宮をぐるりと囲むように貴族街はある。何でも、過去に敵国へ襲撃された際、民家や店などがある通りをさけて襲われたようだ。
昔から王城の裏には大きな川が通っている。
それまでは、まさかそこを渡って侵入されることはないだろうと、考えていたようだ。確かに人間がこの規模の川を渡ろうと思えば難しいだろう。―――この世界に、人間以外の存在がいなければ。
神の悪戯か、この世界には人間と獣人が存在している。
この獣人というのは、永い時でおきた異常現象だという者も、元々人間も獣人と同じような能力を持っていたのだという者もいる。
獣人は人間からすると、驚異的な力を持ち、特異な性質をしているらしい。おもに獣人の種類は、三種類に分けられる。
一種目は、狼のような耳に、狐のような太い尾をもつ獣犬。
二種目は、猫のような耳に、豹のようなしなやかな尾をもつ獣猫。
三種目は、鴉のような目に、鷹のような翼をもつ獣鳥。
獣人たちはみな、その見た目と似たような動物たちと同じ特徴を持つという。
それを恐ろしいという人も、浅ましいという人もいる。自らの性格や生まれよりも、本能が優先されることもある獣人。己の本質を考えると、そうして否定される気持ちも分かるし、自らの力をいたずらにふるって弱者を弄る趣味もない。
成人した人間と子どもの獣人で戦っても、獣人の方が勝つのだ。
そんな獣人が法を破った際に、人間により厳しく罰されるのは当然のことと言えるだろう。
斯くいう俺自身も、両親ともに獣人で周囲も獣人というある意味生粋の生まれだ。
王城をぐるりと囲うように貴族街があり、その周囲には庶民がくらし、商人たちが店を設けている。さらにその周りには、俺たちのような獣人たちや貧しい者たちが暮らしている。
幾ら貧しくても、人間が俺たち獣人にかなうわけなどなく、賊の類も敵ではない。
幸い人間より身体能力に優れ、体が丈夫なため二、三日の徹夜も苦にはならない。こうした特徴は人間たちにとっても欠かすことの出来な労働力となるため、獣人たちはさほど金に困っていない。
貴族と呼ばれる獣人こそ少ないが、馬鹿じゃない人間たちは、正しく俺たちの利用価値を知っていて、無体を働く存在から守る防御壁のように捕えられている。
「それがどうして、こんな事になったかなぁ」
「なぁに、何か言った?」
人の正面に張り付いて、きらきらとしたまなざしで見つけてくる娘にげんなりする。
どうして俺は、こいつの押しに負けてしまったのかと後悔しない日はない。俺の彼女になったこの娘は人間で、商人の娘とはいえ先祖に獣人の地が混じったこともないようだ。
「君は……、獣人の血が全く混じっていないのだったか?」
「えっ、う、うん。そうだよ」
「ほらっ」と、緩くまとめられた三つ編みを持ち上げ、見えやすいように耳を見せてくれる。
そんな事しないでも、彼女が獣人ではないことは分かっている。指で触れた耳は丸いし、これだけ感情的になった俺に近づいても警戒する様子も見せない。きっとこれが同じ獣人だったら、話は変わっただろうにと、ため息を禁じ得ない。
昼の明るい日差しは、獣鳥である自分には少々強すぎるようだ。
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深夜、街も眠りにつくころ。
俺は自宅よりも、心落ち着く場所で過ごしていた。部屋は狭くて、ベッドがひとつあるほかは小さな机がある程度だ。いくら貴族御用達の店でお針子として働いていても、無駄な出費を嫌う彼女はつつましやかな生活を送っている。そんななか別にシャワー室があることが、奇跡に思える質素な部屋だが、大した問題ではなかった。
俺の目当てはこの部屋の主で、彼女がいるだけですべて完璧に思えてしまう。
「はぁ……デア」
「さっ、触らないでくださいぃ」
涙目で見上げてくるその瞳は、まるで昼間とは変わっている。
こいつの目はいつか溶けてなくなるんじゃないかと思えたのに、今はとめどなくきょろきょろと動くそれに誘われてしょうがない。これもすべて仕方がないことだろう。夜になれば獣人としての本能が表に出やすいのは、常識であり覆すことのできない事実だ。
「なぜだ。何時も昼間は、君からベタベタ触ってくるじゃないか」
まるでこちらの忍耐力を試すような振る舞いに、何度「もうやめてくれ」と叫びそうになったかしれない。奔放に触れてくる彼女は、無邪気さを通り越して悪獣のようだった。悪獣とは昔話に出てくる存在で、番いを亡くした獣人のなれの果てだという。
その話は、人間と獣人がまだ仲たがいしていた頃の実話をもとに作られた。
人間と獣人がまだ別々の国で暮らし、争うなか英雄とされていた獣人が主人公だ。その獣人は、戦争によって家族を亡くしたため人間を憎んでいた。しかし、ある日敵に捕えられた親友を助けようと、潜入した敵国でそれは起こった。
ずっと焦がれてやまなかった番いを、何と人間の中で見つけてしまったのだ。
しかも、それはなんとその国の第一王女であった。彼女に恋い焦がれるあまり、英雄と呼ばれた獣人は、何度も人間の国に攻め込んだ。
時には単騎で、時には大勢の仲間を連れて。獣人の方が、明らかに力が強く身体能力が上なのだ。番いを得ようとする英雄に仲間たちも手をかし、何としても人質として第一王女を攫おうとしていた。戦いは激化し、十数年の時を経て徐々に、人間の国は衰退化していった。
そこで焦ったのは人間の王だ。
他国に助けを求めようとも衰退し、獣人と争う国と同盟を願う国はない。親交を深めるため王族を他国に嫁がせようにも、四人いる王女はすでに国内の貴族に下げ渡された。そのおかげで国内のつながりは強くなったが、残った第一王女を嫁がせようにも獣人国が許しはしない。
第一、そんなことを続けているうちに、第一王女は適齢期を過ぎ、いわくつきの王女は人間の国にとってただただ負担であった。さぁ、もう少しで城に攻め込まれるぞという段階になり、「すべてはお前のせいだ!汚らわしい獣人に奪われるくらいならばここで死ねっ」と激高した人間の王は、その憤りのままに王女を自ら手にかけた。……よりにもよって、彼女を愛している獣人の前で。
それからの獣人は、狂ったように泣き叫び、まずは王を殺し。
その国の半数近くの国民を手にかけたところで、ようやく仲間に討ち取られこと切れた。たった三日で行われた一方的な殺戮は後世にまで残り、暴れる姿は歴戦の戦士が震えあがるほどだったという。この事から学んだ人々は、それ以降人間たちは獣人との結婚を許可し、獣人たちは悪戯に暴力を振るわないよう法を作った。
この話は、今となっては人間たちには都合の良い悲恋として語られている。
物語の中では第一王女も獣人を愛していたが、周囲や王の反対にあい結ばれなかったということにされている。だがその実、獣人たちの間では、一つの教訓として語られている。
それは、どんなに運命の番いでもうまくやらねば結ばれないし、下手をすれば永遠に失う危険もある。「番いの恐怖に歪む死に姿を見たくないのなら、狡猾に計画性を持ってやれ」というのが常識だ。
その教えに習い、俺も運命の相手が人間なのだと知った際、これまで以上に頭を回転させて「絶対にうまくやる」と心に誓った。人間より強い力も、良すぎる嗅覚や聴覚も、存分に生かしてやる。
「君は俺の番いだし、それを了承したから恋人になってくれたのだろう?」
「うっ、は、はい……」
「最初の頃に、事情は全て話したはずだ。俺は獣人で君を愛している。なんとしても君を手に入れたいが、君の意思を無視するつもりはないし、好かれる努力はするつもりだと」
「だっ、だってまさか憧れの対象から、告白されるなんて夢みたいで……」
頬を赤く染める彼女から、濃密なにおいが漂ってくる。
我々獣人にとって、番いの匂いは猫に対するマタタビに近い。くらくらと酔わされて、まともな判断が出来なくなってしまう。特に彼女の場合、自分から近づいてくるときより、こうして俺から近づいた時の方が色濃くなる。
「それでも君は、獣鳥である俺を選んでくれたのだろう?」
「そ、それはそうですけど。ちょっと近すぎて、心の準備が出来てないって言うか」
「時間なら、だいぶやったと思うんだが?」
何せ、俺たちが付き合い始めてもう一か月たったのだ。
普通獣人同士のカップルなら、とっくの昔に夫婦としての誓いを立てていておかしくない。この抗いがたい衝動に耐えた悪獣は、話に語られるような愚かで無慈悲な者なんかではないと身をもって知った。例え相手がこちらを向いてくれなくても、俺なら十年近く耐えられる自信がない。きっとどんな妨害や仲間をものともせず、番いだけを求めて欲望のままにふるまうことだろう。
だから、ずっと獣人たちの間では畏怖と尊敬をこめて悪獣の話を、子どもに語り継がせているのだと理解した。
彼女のトクトクと常より早い鼓動も、耳にしているだけで心地よくなる。
獣人専用ではない薄い壁は、常なら隣近所の気配すら気になる。だが、デアを前にすれば、粗末な事に思えるのだから彼女は偉大だ。
「で、でもちょっとこの時間に、くっつかれるのは……」
「昼だろうが、夜だろうが俺たちは恋仲なのだから、関係ないはずだ」
「こ、恋仲だなんて」
俺は通常では絶対に使わないであろう言葉に、彼女は目に見えて動揺してみせる。
明るい時間帯であれば「なんて単純なんだ」と鼻で笑った振りも出来るが、今はこの胸に湧き起こる愛おしさが隠せない。
そもそも、昼には自分にできる最大限の我慢をしているのだから、ちょっとくらい夜にくっついたところで、責められるいわれはない。
「たっ、たたた、ただ、私ちょっと、虫とかミミズは苦手でっ!」
「そうなのか……」
普段は自分からくっついてくる彼女が、嫌にはなれようとする理由が分かった。
確かに俺たち獣人は、夜にはその本性を隠すことが難しくなる。獣犬や獣猫は、特徴的な耳や尻尾が出るだけで可愛がられるが、獣鳥は話が変わってくる。
俺たちは、夜は背中部分から生えた羽が邪魔になるため、その大きな羽で自らを覆うようにして眠りにつくし。なにより、求愛給餌をしたいという欲求を、抑えることが出来なくなるのだ。
「安心してくれ。いきなり君に虫を食べろなんて、そんなことは言わないから」
「じゃ、じゃあっ!」
「ただ、それでは果物しか口にできなくて栄養が偏ってしまうから、この特製ジュースを飲んでくれるな?」
どんっと、枕元に用意してあったボトルを乗せる。
これは昔から伝わる獣鳥秘伝のジュースで、虫などを食べたがらない子どもの栄養が偏らないようにと考えられた、特別性なのだ。
慎ましい彼女は、これまで夜には何だかんだと理由をつけて帰ろうとしたが、今日は彼女の家に来たから急ぎ帰らないといけない事情もなくなった。例えこの秘伝のジュースが『多少体に合わなくても』ここでなら、思う存分看病できる。
「いやいやいやいや、私は好き嫌いしているわけじゃないですし、別の物から栄養を取っているので大丈夫です!」
「だが、そんな事を言ったら、俺が出来ることが無くなってしまう」
本音を言えば、栄養価の高い食事を用意するのも、獣人にとって甲斐性の一つだと言われている。ましてや、耳や尻尾がでる獣犬や獣猫にくらべ、昼に獣鳥が翼を出すわけにはいかないから、感情をコントロールできるよう厳しくしつけられている。
普段の鬱々とした気持ちを解消するには、どうしても求愛給餌をせずにはいられなかった。
「君は立派に働いていて、こうして一人でも問題なく生活できている。俺は何をしてやれる?」
貴族御用達のドレスの仕立て屋で働いている彼女は、こんな性格だが腕はいいらしい。
その筋には、てんで詳しくない俺も伝え聞いているくらいなのだから、相当なのだろう。王家専用の運び屋を生業としている俺は、緊急の伝令から荷物運びまで何でもこなす。そのため、俺が彼女と出逢ったのもデアが働く店でのことだった。
日も暮れ始めたころに、王女様の「明日私が着るドレスを、新しく仕立てて頂戴」という頭の悪い要望。それに応えるべく、それが唯一可能であろう彼女の店へ要望を告げ、完成次第王城に届けたのだ。
あの時デアに逢った衝撃は、今でも鮮明に思い出せだせる。
「いっそ、求愛ダンスでも踊った方がいいか?」
「いえっ、これだけ大切にして頂ければ、充分です!」
「いやいや、まだ足りない。獣人の本気はこんなものじゃない」
「ちょっ、そんな立派な翼広げられたら、家具がすべてダメになるのでやめてくださいっ!」
その後、必死な形相の彼女に負けて、求愛ダンスは断念した。
彼女が獣人の特製に慣れるには、まだまだ時間がかかりそうだ。
次話は、こちらの作品で扱った世界の過去のお話になります。
こちらがこんな話なので、極力暗さは押さえたつもりです。