颯爽と駆け抜ける、その横で
それは、この街で有名な早駆けの大会が行われた日のことだった。馬に乗ってスピードを競う早駆けは珍しくないものの、街中を走る我が国の大会は珍しいものだ。国民の多くが観戦する早駆けは、国の端から端まで人が集まり大にぎわいだ。
いつもは両親と一緒に後ろの方で見物するだけだったのだけれど、その年は初めて友だちと見物しに来ていた。
「えっ、早駆けはその風や鼓動を感じるのがだいご味なのに、その良さを知らないの?」
「う、うん。何時も人に押されたら危ないからって、うしろで見るばかりだったから……」
友だちはそんな風に、私が彼女のいう所の『醍醐味』を知らないと知るや否や、知り合いのオジサンたちをかき分けて、特等席に陣取ったのだ。
「ここなら、折り返し地点だし少しでも長く、かっこいい騎士様たちの姿を見ていられるわ」
「散々、早駆けの良さを知らないのかって言ってたのに、狙いはそっちなのね」
「やだ。馬がいなければ、普段と違う騎士様たちの姿も、見ることが出来ないじゃない」
友だちの様子に呆れつつも、初めての感覚にドキドキしていた。
この街の名物である早駆けは、街外れにある小高い丘から始まり、王城を目指して行われる。名目上は、騎士の能力と馬の扱い方の向上を願って行うとのことだけれど、他国へのけん制の意味もあるのだろう。
丘の方はもちろん草地なのだけれど、王城近くの街は石畳になっている。
馬への負担が大きい石畳は、本来なら忌避される場所だ。他の国では馬のことを一番に考えるべきだと、我が国での早駆けを野蛮だというものもいる。けれど、王へ急な知らせを伝えなければならない時や、確認の急がれる書状などはまだまだ馬で届けられることも多い。そういった時に突然馬を酷使するよりいいだろうと、わが国では一年に一度、こうして街中を使って行われている。
これは裏を返せば、「他国と戦争になった際も、城へまでこんなに早く押し入ることが出来るのだという意味も含んでいる」と子どものことに教わった。確かに、他国も城の近くは石畳だろうし、国の中枢まで踏み入れられればただでは済まない。
「だから、この国の早駆けはみんな本気で行っているし、その新鮮なまなざしがたまらないのよ」
「おー嬢ちゃん、目の付け所が違うね!」
「そうそう、この国の早駆けは八百長なしの、真剣勝負だからな」
やんややんやと、近くにいたおじさんたちと盛り上がった友だちは、こちらへ目を向けることもしない。私はと言えば、簡易的に作られた柵に持たれながら、今か今かと三番隊の登場を待ち受けていた。
一番隊は中堅の騎士が多く、馬さばきにさすがと思わされるものがあった。
二番隊は新人の騎士がほとんどだ。まだ慣れていない騎士たちの早駆けは、一番隊と比べると迫力不足だ。けれど、顔の整った騎士様が選ばれることも多く、女性たちの人気は高い。友だちは例にもれず、今回の二番隊にお目当ての騎士様がいたらしく、「そろそろ、後ろに下がる?」なんて聞いて来て慌てて柵に齧りついた。
私は昔から早駆けが好きで、実はこれだけ近くで風を感じるのなんて初めてで、嬉しくてしょうがなかった。いつも直線ルートの安全な場所から見ていた。だから、カーブで失速する馬と、うまく体をそらして早いスピードのまま駆け抜ける馬の違い。こちらに向かって走ってくるような馬の振動に、ドキドキが止まらなかった。
この地域は海に近く、潮風による影響で白い外壁にする家が多い。
専門外なので詳しくはないけれど、外壁に使われている素材は潮風にも強く痛みにくくする役割を果たしているらしい。また、海に出た漁師が夜でも港が分かるように、願いを込められているとも言われている。月明かりが弱い日でも、心なしか白い外壁の街中は明るく思える。旅好きのおじさんに言わせると、「こんなにも白い街並みは、ここでしか見られない」なんて言っていたほどだ。海が近いだけで、取り立てて名物や娯楽があるわけじゃない。時々行われるお祭りなどを抜いてしまえば、退屈な場所で平和だけが長所だとみんな言う。
そんな白い建物が多い街中を、黒馬や茶の馬が駆けてくる。
その様はちょっと現実離れしていて、ルートに設けられた柵を取り囲むように街中の人々が興奮気味にはやし立てている。次は目玉のグループということもあり、周囲の人々の声も大きい。元々ぎゅうぎゅう状態だったのが、一番手が通り過ぎたことでピークに達する。
「おらっ、行けぇー!!」
「もっと気合い入れろー!」
「ちょっ、おじさん痛いから、押さないでよ!」
「嬢ちゃん邪魔だっ。そんなとこにいたんじゃ見えねぇよ!」
ドンッと体に衝撃が走った時には、気付けば柵の内側にいた。
自分に何が起こったのか理解できず、呆然とする。ちょうど継ぎ目の所にいた私は、どうやら柵を壊して中に入り込んでしまったらしい。ビリッと嫌な音がしたと思ったら、スカートのすそをひっかけていた。お気に入りの物だったのにと、なかなかショックだ。そんな私に見えたのは影のできた石畳で、それを捕えた直後に鈍い痛みが走った。
「馬っ鹿野郎っ!落馬したらどうしてくれるっ」
大声で怒鳴られた時にはもう、どきどきと胸が嫌な音を立てて騒がしかった。
いきなり目の前が暗くなったかと思えば、微かに重い風が頬をかすめた。びっくりした私はその場に座り込み声も出せず、泳ぐ瞳で何とか馬上の存在をとらえた。
相手は今回の早駆けで一二を争うのではないかと期待されていた存在で、三番手に落ちたと隣のおじさんが騒いでいたのを思い出す。
「ご、ごめ……ん、なさ」
「なんだ、人を危険にさらしておいて、謝罪ひとつできんのかっ!」
思いきり恫喝された私は、びくりと体を揺らす。
どもってしまった謝罪は認められず、あのスピードで走る馬から落ちたら、彼自身もただでは済まなかっただろう。けれど恐怖に縮こまった私は、相手の無事や自分の無傷を喜ぶ余裕すらなかった。ただひたすら先ほどの状況が恐ろしく、大きな声に目を瞑ったのはもはや反射行動だった。
「お前っ」
「おや、ロークさん。馬の無事を確かめたら、先を急がないと離される一方ですよ?」
ぎゅっと目を瞑ったから見えないけれど、ふいに影が差し恐る恐る目を開く。
はじめに視界へ入ったのは、男性物の靴だった。細身の足に、筋の張った手の甲が見えたところで、ようやく誰かが近くで先ほどの騎士様と会話しているのだと気付いた。
「ほら、お嬢さんも。何時までもそんな所に座り込んでいないで、ロークさんに謝ってしまいなさい」
「あっ、ご、ごめんなさい。本当に」
「そんなっ、謝罪ごときでっ!」
「―――嗚呼、言わんこっちゃない」
凄い音がしたかと思えば、だいぶ距離の空いていたはずの後続が、少しスピードを落として横を通り過ぎる。それを見て、ロークと呼ばれた騎士様は舌打ちを一つし、慌てて馬を走らせ去って行った。
「さて、お嬢さんは押された時に足などひねっていませんか?」
グイッと二の腕をつかまれたかと思えば、これまで重かった体が嘘のように立ち上がることが出来た。まるでふわりと浮くかのような感覚は、恐怖で固まっていた体を開放するかのようだった。
「おっさんたちも、早駆けを楽しんでくれるのは嬉しいけれど、騎士やうら若いお嬢さんにまで迷惑をかけちゃあ、いけませんぜ」
「あっ、嗚呼……悪かったよ」
「あまり酷いと、賭け金を全額没収させていただきますよ?」
「ちょっ、それは勘弁してくれよっ!そんなことされたら、仲間内で半殺しにされちまうっ」
「没収が嫌なら、節度をもった観覧をお願いしますよ」
「分かった分かった!レースはこれで仕舞だし、退散するさっ」
相当おじさんは焦ったのだろう。
バタバタと重そうなお腹を揺らしながら、人波に消えて行った。
「ちょっとゲムゼ、本当に大丈夫なのっ?」
「アンヤ……」
友だちの顔を見た途端、ほっとしたのか足が震えているのに気付いた。
半ば抱き着くように足を向けると、ずっと支えていてくれたのだろう。そっと腕からぬくもりが消えて寒さを感じた。彼は取り立て整った顔をしているわけではなかったが、口元にできるえくぼが印象的だった。
「馬とぶつかりそうになるなんて、さぞ怖かったでしょう。もし後で怪我など見つかったら、どうぞ早駆けを取り締まっている我々にご連絡ください」
「あ、ありがとうございました」
「もし個人的に話したいようなら、『ヨストを呼べ』と言ってくれれば、俺がすぐ駆けつけますから」
情けなく思いつつも、友達に支えられた状態で礼を述べる。
あのまま彼が現れなければ、うまく謝罪することも出来ず、騎士様へ失礼を重ねていたことだろう。その上、私が飛び出すきっかけになった人へ注意までしてくれて、アフターフォローまでしてくれる。ぎゅっと縮まったままの心と体が元の柔軟さを取り戻し、ドキドキと違った音を刻んでいく。
「はい、お嬢さん」
「えっ……?」
ポンッと、どこからともなく出された一輪の花に、目を見開く。
「これに懲りず、また早駆けを見に来て下さいね」
「あ、はい。ありがとうございます」
「いえいえ、ではまた」
「友だちを助けてくれて、ありがとうー!」
ブンブンと手を振る友だちの横で、私はただただ彼の去っていく後姿を見ているしかなかった。
✾ ✾ ✾ ✾ ✾ ✾ ✾ ✾
早駆けから、十日ほど経過した。
他の人に聞いた話では、私に花をくれた彼は早駆けの管理担当の人だったらしい。普段は王族が使う馬を世話したり、他国から訪れる国賓の馬車馬を世話したりするのが仕事らしい。もともとは騎士様だったらしいけれど、腕の怪我を理由に引退。かねてから好きだった馬の世話をする立場に就いたらしい。
これらのことを聞き出してくれたのは、すべて友だちだったのだけれど。
本当に、少し彼を見ていただけで、私が彼に惹かれていると気付いてしまうなんて恐れ入る。あの日だって、「その手の震えがおさまったら、すぐに挨拶に行きなさい」なんて言われていた。だというのに、なかなか逢えずじまいでいる。
「で。ゲムゼは、あの時のヒーローに逢えたの?」
「その呼び方、やめてよアンヤ」
「あら、いいじゃない。あの時のヒーローは顔なんか関係ないって思わせるほど格好良かったわよ」
「まぁ、最後の花は余分だったけど」なんてアンヤは呟くけれど、私にしてみたらあれさえ心がかるくなって、少しくすぐったかった。
石畳の町中を歩くだけで、彼がくれた道端の変哲のない花を思い出す。
馬車馬のいななきを聞くだけで、巻き起こすのは恐怖よりも彼の広い背中に隠れた安心感だった。
あの時は色々混乱していて気付けなかったけれど、彼は騎士様との間にわざと割り込んでその厳しい視線を遮ってくれていた。だからと言って、変に庇いたてすることもなく、わざとその場で私を注意することで、騎士様や観衆の不満をぶつけられないように考慮してくれていたのだろう。
「―――彼は充分、格好良かったよ」
「あーはいはい。そうね、確かにゲムゼを助けてくれた人を馬鹿にするようなこと言って、悪かったわよ。たとえ鼻が低くてそばかすがあっても、好きになった人がタイプってね」
「目はぱっちり二重だったし、彼の腕は逞しかった!」
「それもう、顔で褒めるところがないからいっているみたいじゃない?」
「そんなことないってば!言葉にできないくらい、彼は素敵だったのっ」
しばらくそうして話していると、友だちは「この後用事があるから」と言って帰って行った。もともと私の状況が気になっていたようだし、無理やり時間を割いてくれたであろうことが申し訳ない。
どうせ直接逢う勇気がないなら、手紙でも書いてしまおう。
そう考えて便箋を開くのだけれど、なかなか言葉は出てこない。どうせなら少しお茶でも飲んで気分展開しようと思ったのに、一向に言葉は浮かばなくて困ってしまう。
「―――おや。また逢えたね、お嬢さん」
ここ数日、ずっと聞きたかった声が聞こえて耳を疑う。
一瞬、あまりに逢いたすぎて、幻聴が聞こえたのかと思った。何度もあの時のことを思い出して、恐怖と同時に彼の優しい新緑のような瞳を思い出す。柔らかな稲穂色の髪がふわりと遊んで、頬をくすぐっていたのも目に焼き付いている。
震えるほど怖がっていたはずなのに、我ながら現金なものだ。あまりに恐ろしい状況に立たされて、助けてくれた彼が神からの使いか何かのように思えた。感謝する気持ちは強いながら、感じたドキドキが恋へ変わるのは容易かった。
「あれ?もしかして、俺が誰かわからないかな……」
「えっ、本物っ!」
「あっ、こっち見てくれた」
ほっとしたように、和らげられた目じりにすらキュッとときめく。
どうしてこうも、簡単にときめいてしまうのか。彼は私の胸を、ドキドキさせる特殊能力でも持っているのではないかと疑いたくなる。
「わ、私っ、わた……し、」
「はいはい。時間ならあるので、ゆっくりで構いませんよ」
ポンポンと撫でられた頭に、何ともこそばゆい気持ちが湧いた。
近所のおじさんに撫でられてもなんともなかったけれど、好きな人にされるとこんなに違うのかと我ながら感心する。
「わたし、この前のことでお礼を言いたくて」
「えぇ、知ってますよ。俺を訪ねてきてくれたんでしょう?仲間に聞いて探してたんです」
「私を、探して……?」
その言葉だけで嬉しくて嬉しくて、たまらなかった。
逢いたくてたまらなかった人が、私を探してくれていた。お礼をする立場だというのに、それだけで天にも昇るような心地だった。これまで教会には惰性で行っていたけれど、今なら心から神様にお礼を言える気がする。
「明日にでも、教会へ行って来よう」
ぽそっとつぶやいた言葉に、「教会?」という尋ねる声が返ってきたこともうれしい。
「何でもありません」
「そう?」
微かに笑いながら答えた私をいぶかしむでもなく、軽くかわしてくれてほっとする。
どうしても、ずっと逢いたかった人が目の前にいるから、嬉しくて顔が崩れてしまうのだ。本音を言えば、もっと前髪を整えたかったし、紅だって引き直したかった。……けれど、何度か尋ねても逢えなかった日々を思えば、逢えただけで嬉しい。当初の、できればこの前のお礼を伝えて、あわよくばお近づきになりたいなんて雑念も、消えそうなほど嬉しい。きっとこのまま帰れば後悔するし、アンヤにも駄目だしされるのだろうけれど。
「あの、このまえはしっかりお礼の言葉も伝えられず、申し訳ありませんでした」
「いえいえ、何のあれしき。むしろ、我々が開催していたのにもかかわらず、お嬢さんを危険な目に合わせて申し訳ない」
「どうか、私のことはゲムゼと」
「それでは、俺のことはヨストと呼んでください」
お互いに自己紹介してから、何とか次に繋げられないかとそればっかり考えていた。
満開の花を背に、私の好きな人が微笑んでいる。
高台に植えられたこの巨木が葉を沢山茂らせていた頃に彼と出逢ったのかと思えば、考え深い。
「―――これが、私たちの馴れ初めです。まだ夫婦として歩み始めたばかりで、皆様には色々とご心配ご迷惑色々おかけすると思いますが、どうぞ温かく見守ってください」
「妻ともども宜しくお願いします」
挨拶を終えた私の手を、ギュッと握って微笑んでくれるヨストに笑顔を返した。あの出会いからいくつかの季節が巡り、私たちは結婚することにした。これまでいろいろ泣いたり笑ったりしてきたけれど、どれもキラキラ輝いている。
「えー。新郎新婦の、長い長い惚気まじりのご挨拶でしたー。まだここから交際編、婚約者編と続いていきますが、強制終了とさせていただきます。もしも砂糖を吐く覚悟があるという猛者がいましたら、個人的に聞きに行ってください」
「アンヤ、いくら司会を任せたからって、好き勝手言い過ぎよ。私たちの結婚式なのに」
「この式を準備したのも、ゲムゼのながぁーい惚気に付き合ってどんな挨拶にするか決めたのも私なんだから、ちょっとくらいの茶々は許してよ」
アンヤの言葉にみんなが大笑いして、みんなが思い思いに祝福してくれる。
珍しく正装したヨストさんは、驚くほど格好良かった。馬に乗る姿を見せてもらえた時も惚れ惚れしたけれど、今日はまた違う良さがある。
徐々に私たちをそっちのけで、騒ぎ出した参列者たちの顔を見る。
青空の下で結婚式を挙げたくて、知り合いの牧師様に頼んできてもらった。この牧師様はヨストさんの知り合いの方で、名付け親ですらあるらしい。ヨストさんの話によると、彼が怪我をして騎士としてやっていけなくなったときに、叱咤激励してくれたのも牧師様だったという。そんな方に祝福をいただけるなんて、本当に私は幸運だった。
「まさか、早駆けで一生の人を見つけられるなんて、思いもしなかったなぁ」
「私はあの日から、ずっとドキドキしてるよ」
「そりゃあ、俺だって同じだけど」
いつかのように、ポンッと出された花に笑う。
私たちはこうやって、小さな幸せを積み重ねていくのだろう。
次話は、不思議な夢と不思議な存在に振り回される、女の子の話です。




