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ツマにもなりゃしない小噺集  作者: 麻戸 槊來
盲目的なハイカラ猪
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山深い人の踏み込まない土地で、ひっそり私は生活していた。

村の者より大きな身の丈に、色素の抜けた銀色の髪。頭からわずかに出た固い突起をみて、人は私を『鬼』だとよんだ。



正直、気付いた時にはこの状態で、爪は磨かずとも鋭くとがり、口からのぞく牙は猪の太い首にすら噛みつけた。周囲には常に人ならず者が侍り、何かと世話を焼いてくるので別段生活に困ることもなかった。山菜は探さなくともそこらじゅうに群青し、鹿に猪などの生を食らうのも珍しくない。山深いだけあって、自然は豊富なのだ。人が二人、手を広げても余りあるほどの川幅を誇る川も流れている。せせらぎと呼ぶには厳しいながら、この自然を守るためには必要な要素を担っている。


いつだって頭を悩ませるのは、身勝手な理由で搾取し争う人間共で。これまでは谷底に近い所で十にも満たない家屋があるのみだったが、徐々にその数を増やすと我々の住処にも侵略せん勢いだ。


幸い、周囲の人ならず者は人間一人にやられるほどか弱くはなく。

私に至っては、人の子が何人来ようと圧されないだけの『妖力』があった。この妖力というのは実に面白く、物を浮かすことも水や風を操ることも造作もなくできるのだった。これをやると周囲は喜び、人は「鬼だ」などと尻尾を巻いて逃げていく。


「なんだ、こんなもので逃げていくのか」


(くわ)やら斧やら持ち出すものだから、もっと抵抗するものと思って拍子抜けした。

そんな風に人の子らが数十年に一度、山を我が物にしようと襲ってくる。あれだけ怯えていたというのに、実際に脅してやった者らが死んで数を減らすと忘れてしまうらしい。そんなことを数百年と続けていくと、いつしか人間共は『貢物』と称して様々なものを置いていくようになった。


山を二つ越えたところにしか、生息していない甘い果実。

保存が難しく、滅多に口にできない種の生肉。

人間共が作った酒を、「面白いものをつくるもんだ」と笑って口にしだしたころに、何と人間は一人の姫君を送り込んできた。


「なんと、珍妙な……」


木漏れ日を受けて輝く黒髪は、まるで満天の星を散りばめたようで。

白い頬は、山に降る新雪よりも透き通り。唇は熟れた山苺より赤くて、瞳は光が零れ落ちてしまうのではないかと心配するほど、きらきらと眩しかった。


先の言葉にビクリと肩を震わせたのは、こちらの見た目が恐ろしいのか、はたまた身に宿した欲がそうさせたのか?彼女を見て初めて気づいたが、私はどうやら人の肉すら好んで食す種族だったらしい。これまで人間共が勝手に「食わないでくれ」などと命乞いすることはあった。……だが、一度として人間の血肉に興味を持ったことがなかったから、「誰がそんなまずそうなものを喰うものか」と憤慨するほかなかった。それがどうだ。この美しい姫君を前にすれば、柔らかそうな頬や薄い腹にくらいつくことを想像せずにはいられない。


「も、申し訳ありません。あたしのようなみすぼらしい村娘では、貴方様のお役にどれだけ立てるか……。た、ただ、精いっぱい尽くさせていただきますから、どうか何とぞっ」


「みすぼらしい……?」


この姫君は、なにを言っているのだろうか。

今までの数百年、こんなにも美しい存在を目にしたことは一度もない。どこを勘違いして『生け贄』などというものを寄越してきたのかと、山を下りるまでは考えていた。ただ彼女を目にした途端、今後もこのように美しい存在が傍にいるのかと思えば、滅多に意識しない鼓動が騒ぎ出すのを覚えた。


「は、はい。あたしは村では器量よしと言われており、図々しくもここまで来てしまいました。ですが、このように素晴らしい貴方様を前にして、そんな自惚れはすぐ捨て去りました」


「…………」


「どうか、どうかあたしを、お傍に置いていただけませんでしょうかっ」


姫君の言葉が、半分も理解できなかったのは、これまで人の子にかかわらないようにしていた弊害か?いろいろわからない事はあったが、そんな中でも彼女がいくつかの村の代表として贄に選ばれ、親兄弟を既に失っていること。親代わりとしてきた村長は、彼女が私の元にいるだけで長く望んでいた地位を得ることは分かった。どうやら彼女はこれだけ美しいのに、本物の姫君ではないらしい。


カタカタと小刻みに震える肩のほかは、深い謝罪をするかのように伏せられた体勢によってうかがえない。昔、山を侵略しようとやってきた男どもはもちろんのこと、ここ最近貢物だといろいろ運んできた男たちの半分もないのではなかろうか。あやつらでさえ私より小さく思えたのだから、彼女からすればこちらを見ることすら恐怖なのかと、こっそり息を吐く。


「人は、私を鬼と呼ぶ」


「はい、存じ上げております。とてもすごい奇術を操る、偉大な存在なのだと古くより聞かされて、大きくなりました」


「それが、どうして今さら貴女を送ってきたんだ?」


「手前勝手な理由で恐縮なのですが、去年から続く干ばつや害虫の大量発生により、最近では今日食べるものにも困る始末」


「嗚呼、たしかお前が来たのは、一つ山向こうの土地だったか?」


「はい。すでに今ある蓄えでは、冬を越せません。なんとしても、この秋に食べるものを確保しないとみんな死んでしまいます」


あまりに切実に語るものだから、これまで興味のなかった人間の営みにまで思いをはせる。

確かにここ数年は山の実りも控えめだった。ただ、人間と違い我々はさほど食事を重視していない。一種の娯楽と、妖力を手早く高めるのに利用しているに過ぎない。そんなに困っているなら、この山の実りを分けてやっても良い。いつもあれこれとやかましい狐の妖怪が「そんな事をしては、人間共が付け上がりますよ!」なんて耳元で五月蠅いが、ぺしりと肩から払い落として黙らせる。


「この山は私が管理しているからな。多少他の山より実りがいい。それに引き寄せられて鹿だの猪だのもやってくるし、人間が食べる量などどうとでもなる」


「ほ、本当にございますかっ!」


「嗚呼。ましてや、放っておいて人間がここまで来ても煩わしい」


「寛大なご配慮、感謝いたします!」


「ただし、私は最低限しか手出しをしないから、採取などを行うのは貴女一人にしてくれ」


ここに来たときは白かった頬に、血が通ってうっすら桜色に染めていく。

彼女の瞳は、以前に人間が持ってきた宝玉よりもきらめいて。先ほど感じた美しさを、さらに凌駕するのかと驚きを隠せない。


何時までもしつこい、人間の相手をするのが煩わしかっただけなのだが……。こんなにも眩しい笑みを見せられれば、悪い気がしないというのが本心だ。その時の私は、これまで散々遠ざけてきた人間を傍に置くのがどういうことなのか、全く理解していなかった。






―――声がする。


「何と醜い異形の姿だ」


臓腑を冷やすような、憎しみに満ちた声がこちらを責める。


「あんな無残に人を殺すなど、鬼は情の一つも持ち合わせていないらしい」


ぱちりと目を開くと、いつの間にか眠りこけていたらしい。

まだ左程経っていない様子で、蝋燭はまだ赤く燃えている。手酌していた徳利が畳を転がり、彼女がきれいだといった青い紋が傾いている。


彼女と暮らし始めて、数か月が経過した。

始めこそ広い屋敷に慣れぬ様子だったが、存外彼女は新しい環境に適応している。屋敷にいる物の怪の類ともうまくやっているようで、こちらが妬くほどにじゃれあう姿を見かけもする。特に鞠ほどの大きさしかない狐のあやかしとは仲が良いらしく、しょっちゅう奴が髪を結ったり解いたりするのに対し、彼女自ら小さめの甚平をこさえてやって羽織らせたりしている。


あれにはさすがの私も悋気(りんき)が抑えきれず、「屋敷の主である私には、何も作ってくれないのか?」などと聞いてみたら、その晩は好物ばかりが食卓を彩り内心落胆した。なにせ、妖狐には形に残るもので、私は食べれば終わりなのだ。その事実だけでも、充分切ないものがある。あまりに落ち込んで見えたのだろう。彼女の村に伝わるという、組み紐細工でできた黒い髪留めを貰い溜飲(りゅういん)を下げた。


「素人の手遊び程度の腕ですが、気に入っていただけて良かったです」


これまで自身の髪になど頓着したことなどなく、腰まで届く髪を結うなんて発想にすらなかった。髪留めを貰ってからもしばらく手で遊ばせるしかなかったのだが、あまりにずっと眺めているから見るに見かねたのだろう。


「あたしが、一度結って見せましょうか?」


などと言って、私の頭に手を滑らせた。

彼女の細く少し冷たい指が首筋をくすぐるたび、疼く牙をこらえるのに苦労した。こんな風に、突然の触れ合いで欲を刺激されることは珍しくなく、まさか人を食らいたい衝動に悩まされる日が来るとは思いもしなかった。




どうして、よりによって彼女なのだろう。

障子をゆらゆらと揺らす蝋燭の光にすら、こみあげるものがあるだなんて滑稽でしかない。それはたとえば、彼女が控えめに笑うさまだったり。またあるいは、こちらの体調を気遣う声音だったり。そんな他者から向けられたことのない優しさを向けられるたびに、どうしようもない衝動を飼い馴らせずにいる。


「なぁ妖狐、鬼とは人を食らうものだったのか……?」


部屋の近くにいたのだろう。

どこからともなく、ふさふさとした毛をもつ妖狐がひょこりと姿を見せる。


これまで獣の生肉すら好んで喰らったことのない身としては、彼女に向ける思いが信じられないもので。気づけば絶対的な力を有する者として、周囲のあやかしから傅かれていた。私と同等程度の力を有するあやかし相手に、死闘を繰り広げたこともあるが、こんな感情は覚えがない。


「すまん、忘れろ」


ずっと、私を肯定するようなことばかり言うこやつに聞いたところで、答えなど得られるはずがない。なんと無意味なことをしてしまったのかと首を振ったところで、どこか呆れたまなざしを向けられていることに始めて気づいた。


「まさか、あれだけ顕著に反応しておいて、無自覚だったのですか?」


「なんだ、何が言いたい」


「貴方様は、あの娘を好いていらっしゃるのですよ」


だから、それは食欲とはまた違った欲でしょうと笑われ、あまりの衝撃に数秒、(しん)の臓が止まった気がした。






✾  ✾  ✾  ✾  ✾  ✾  ✾  ✾






良く晴れた大安の日、あたしは村の生け贄に選ばれた。


あたしが生まれた村は閉鎖的なところで、滅多によそとの交流をしてこなかった。

村長は世襲制で、「鬼のいる山が近くにあるこの村は、災いすら避けて通る」と言って、作物の実りが悪くなっても対策を練らずにいた。


たまに立ち寄る旅人のなかには、「他では近くの村とうまく交流し、生活しているぞ」なんて助言してくれる者もいたけれど、うちの村では聞く耳を持たなかった。そうしているうちに、被害は拡大。気づけば知らない間に、村長が取りまとめていたという隣村の青年との婚約はなかったことになり、あたしは古くから禁忌とされた「鬼の山」の山頂へと登ることが決定していた。


何も対策を練らずついに選んだ道が、「身寄りがなく寂しいお前を、鬼の花嫁として献上してやろう」だなんて、まったくどれだけ人任せなのかと呆れてものも言えない。……けれど正直ここまで来てしまえば、あたしたちにできることなんて、神頼みくらいという段階になってしまった。



去年から続く干ばつや害虫の大量発生により、最近では隣の家すら怪しく見える。

いくらみんなで助け合うのが常とはいえ、こうも食料がなければ穏やかにはいられない。空腹に耐えかねた子どもがつまみ食いすれば、それだけで隣人が盗んだのではないかと疑う始末だ。

あたしは数年前に家族をみんな亡くし、殺伐とした空気に一人耐えかねていた。そんなころに持ち上がったのが、『鬼の生け贄』にならないかという、拒否の許されない打診だった。






自らを『鬼』だと名乗る彼へ、自分の髪色と同じ髪留めを贈ったのは、表すことのできない好意の証だった。

あの方は本当に慈悲深くて、あたしのような無理やり押しかけてきた者にも優しくしてくださる。



初めて彼に会った時、挨拶も忘れて「嗚呼、こんなにも美しい存在がこの世にはいたのだ」と感動に震えた。自らの痛んで少し色の変わった黒髪など、比べ物にもならない。

ぽーっと見惚れてすぐに、礼を失した行為だと気付き傅いたけれど、伏せた頭の上に振ってくるのは困惑した気配だけだった。だから村長たちが言ったように、「鬼が生け贄を求めて悪さをしている」というのは、でたらめか勘違いかのどちらかだろうとすぐにわかった。


ああ、それならばどうしてあたしは。

こんなにも素晴らしい存在の目に、晒されていなければならないのだろう?もしもこの生き物が人を食らうのだとしても、村で器量よしと言われた程度の月並みなあたしでは、彼の足元にも及ばない。いや。それどころか、あたし程度の女しか寄越さないのかと、怒りを買ってしまうのではないかとしばらく震えが止まらなかった。




実際に接した彼は、聞かされていたよりもはるかに優しく穏やかだった。

嗚呼、彼と本物の夫婦になれたら素敵なのにと、望まなかったことはない。最近では優しさの中に、どこか熱のようなものを感じる時があるけれど、まさか彼ほどの存在があたしを想ってくれることなどないだろう。


白銀の髪に、群青色の瞳。

こんな綺麗なのだから、貴族が纏うという贅を尽くした羽織りですら劣って映るだろう。


「あっ、ごめんなさい……」


「な、なんだ?」


珍しく焦った様子の彼を面白く思いつつ、謝罪する。

いくら美しいからと言って、突然彼の髪へ触れようなんて失礼だったかもしれない。日の光を受けて、キラキラ輝く彼は出会った時のように目を奪われる美しさなのに、頬を染めるその色は全く異なるものだった。彼のような慈悲深く素晴らしい存在に好かれることはないだろうけれど、今はそんな方の隣に居れる幸福に感謝の笑みを浮かべた。





次話は、ケンカっ早いお嬢様と、それに振り回される男のはなしです。

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