縁遠い玉座と、求婚者は甘め
今回は、グリム童話『えんどう豆の上に寝たお姫さま』のアレンジしたお話になります。
それは、とある王国のある日のこと。
壁や柱は、有名な彫刻家によって繊細な細工が施され。天井からつるされた巨大なシャンデリアには、宝石がちりばめられている。くらくらする原因が煌びやかな調度品のせいなのか、現在の状況のせいなのかは定かではない。
そんな豪華な広間に、様々な人間が集められていた。正直、その知らせを受けた時は「何を馬鹿なことを」と呆れたものだ。けれど、実際にその時はやってきて、訳の分からない状況に恐怖していたから、やっとそれから逃れられると思えば気分は悪くない。
「―――えー、みなさん。明確な説明もないまま、長いことつき合わせて申し訳ない」
涼しげな声が、広間を支配する。
ゆくゆくは、この国を背負う存在と言われればいささか頼りなく思えるが、カリスマ性で言えば十分だった。プラチナブロンドに、深海を思わせるような青い瞳。百人中百人が『理想の王子様だ』と認める彼は、不思議と人を引き付ける魅力を兼ね備えている。
「これまで長くとどめてしまったのは、君たちが理想の妃に成り得るか知りたかったんだ。これは、みんなに明かしてしまうと確かめられないことだったから、秘密裏に進めさせてもらったことはすまなく思っている」
彼がお妃候補を、各所を巡り探していることは知っていた。
王都からは遠く小さな領土の生まれとはいえ、私だって貴族の端くれ。一時は、この大国の妃になれるかもしれないと聞いて嬉しくない訳がない。……けれど完璧な彼が求めるのは、いつだって完璧な相手だった。
「私が結婚するからには、完璧なお姫様を妃にしたい」
そんな言葉を偶々耳にした私は、一気に興ざめした。
何せ彼が散々各所を巡って探していたのは、最愛の人などでもなく『完璧な妃』なのだ。理想が高すぎてファンタジーの世界にもいないような女を探しても、この世のどこにもいる訳ないだろうと、一刻の王子でありながら全く決意が足りていない事は明白だった。
本音を言えば、彼の容姿や振る舞いに、のぼせあがりそうになったこともある。
でも私が欲しいのは、夢の世界に足を突っ込んだまま帰ってこない王子様ではなく、現実を見据えて一緒に頑張ってくれる旦那様なのだ。もっと年齢の低い頃なら「私が彼を変えてみせる!」なんて言ったかもしれないけれど、彼の理想の女性像を聞いてから、ずっとドン引きしている私はとっとと王宮から帰れる日を心待ちにしていた。
「だが、それだけ努力した甲斐あって、ようやく私は理想の妃を見つけることが出来た。彼女は何十にも重ねたマットレスの中に入れた、小さなえんどう豆にまで気づく繊細な人だ。……そう、君だよ」
まるでスポットライトを当てるかのように、小柄な少女に注目が集まる。
皆が見守るなか、王子はゆっくり高台から降りてきて手を伸ばす。まるで物語の一場面のような光景に、「嗚呼、彼はこういう事がしたかったのね」と、思わずつぶやく。話の内容はさておき、その表情はキラキラと輝き胸やけがするようだった。
「まぁ!あんなに重ねたマットレスの中へ、たった一つ入れたえんどう豆に気が付くだなんてっ。なんて繊細な感性の持ち主なのかしらっ」
「そうとも。彼女こそ、妃にふさわしい」
わーわーと騒ぐ人々を、若干引きながら眺める。
正直なところ、あんな集団の中に混じりたくはないから、少しでも離れたいのが本当の所だ。けれど、周囲にいる元お妃候補の姿を見ると、ここはハンカチをかみしめ悔しがる場面らしい。間違っても、「この方たちのお頭は、はたして大丈夫なのかしら?」と、街で見かけた変質者を避けて通るような行動はしてはいけないらしい。
じわじわと背中を伝う冷や汗は、「こんな集団に見初められなくて、本当に良かった」という思いが強いだなんて、この場の誰とも共有できそうにない。きっと、お針子仲間の親友がここに居たら、違ったのだろうと何度目かのため息を吐く。
謎の招待状が届いたのは、今から数か月前のことだ。
差出人は国王陛下で、その内容はきれいな時節の挨拶などで濁されていたが、要するになかなか決まらない息子の嫁さがしの一環であろうことは明白だった。この国はとてもおおらかなお国柄で、小国で目立った敵がいないのをいいことに、他国との縁組を持とうと躍起になっていない。
そんな国のトップに一抹の不安はあるものの、下手に好戦的でしょっちゅう戦争している国よりいいだろうと楽観的に考えていた。何せ、こちらは何とか貴族の端の方にぶら下がっている程度の男爵家の娘で、いつ没落してもおかしくない家の娘だ。正直、政なんかより明日の家計の方が気になる。ただ、そんな風に貴族としてはありえないほどふわふわしている間に、国がトチ狂った御触れを出したと情報を仕入れるのが遅くなってしまった。
何と国王陛下は国内外問わず、「才覚のある素晴らしい女性なら、未来の妃候補と成り得る」なんて余分なことを発表しやがったのだ。
お蔭で、パーティーや贅沢が大好きな義母はこれまで以上にお金を使い、更でさえ余裕のなかった家計を切迫した。
どうやら義母は、元々格式高い侯爵家の娘だったらしい。それなのに日ごろからの散財が災いして、家を追い出されそうになった所に家の父親と出会い結婚に至ったらしい。義母も10歳年の離れた父に嫁ぐなんて、相当焦っていたのだろう。大してお金のなかった我が家に来た彼女は、「お金がないなら金の卵を産ませればいいのだ」と考えを改めたらしい。
まぁ、金の卵役に任命された私はたまったものではないのだけれど。
彼女の誤算は、大金持ちに嫁げなかったことだけではない。彼女のわがままを叶えるべく、父が早々に過労で倒れてしまったのだ。
そこで私は覚悟した。
下手をすれば、病に苦しむ父親にまで鞭を打ちそうな義母をなだめすかし、何とか借金を返すために動き出したのだ。まぁ義母の第二の誤算は、私が玉の輿相手を探すより先に、針仕事を見つけてきたことだろうけれど。
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るんるんとしながら、荷物をまとめる。
おきさき候補に選ばれてから。ずっと王宮に足止めされてなかなか仕事が進まず大変だった。ノルマは変わらずあるというのに、王子との親睦を深めるという理由でお茶をしたり特技を披露してみせたり。食費が浮くことと空いた時間では静かな場所で心穏やかにお針子の仕事を進められること以外では、あまり有意義な時間とは言えなかった。
ここで得たお針子の仕事はなかなか実入りがいいし、いくら義母でも頭っから否定はしないだろう。うまくいけば有名な店で働き口も出来るかもしれないし、そうとなれば報酬も上がる。こんな道は、王宮に来なければ得られなかった。鼻歌さえ歌いそうな軽い足取りで、荷物片手に扉を開けた瞬間に笑顔は凍りついた。
「首尾よく運んで、よろしかったですね」
「……何の事でしょう?」
内心、やっぱりかと思いながら微笑んで返す。
この男には気づかれているだろうと思っていたが、腹黒宰相はあの広場で人に囲まれていたからうまく逃げられるのではないかと期待していたのに。彼は今回の茶番を仕組み暗躍したひとりであり、間違いなくこれからこの国を牛耳るようになるだろう男に、目を付けられたくはない。
私にはまだやることが山ほどあって、正直、国の今後を背負う王妃選びに駆り出されたと分かった時は舌打ちしたものだ。
「本当に、貴女は興味深い方ですね」
「まぁ。王子に選ばれなかった女を捕まえて面白がるだなんて、宰相様も人が悪いですわ」
掴めない相手の表情をじっと伺いながら、少しでも話を早く切り上げようと内心焦りを募らせる。この男には城に呼ばれた時からなぜか目をつけられていて、日々やりにくくてしょうがなかったのだ。他の娘同様、あからさまなアピールはしないものの、王子の相手に選ばれることを夢見る貴族の令嬢を演じていたのに。時々、周囲に馴染むようにと黄色い声を一緒に上げるたび、この男は心底馬鹿にしたように私を見て笑うのだ。まるで、すべてを見透かしたような表情が癪に障り、何度「何をじろじろ見てるんですか」と怒鳴り散らしたくなったかしれない。
「何をおっしゃいますやら。貴女は選ばれた女性の中で、もっともその座に興味がなかったでしょう」
本当にこの男は、うまく人の神経を逆なでしてくる。
政治では絶大な効力を発揮するだろう腹黒さと、必要とあればすぐに人を切り捨てる冷酷さ。そのうえ、計算高くて口までたつとなれば、憎たらしさ以外に何を感じればいいのか分からない。
「宰相様ったら、面白いことをおっしゃりますね?王子のお相手に選ばれるだなんて、例え婚約者がいる身でも女性全ての憧れですわ」
にっこり笑って口にした言葉は、我ながら空々しかったかもしれない。
けれど、嘘ではない。例え情を交わした長年付き合っている相手がいて、口では「私には恋人が……」なんてしおらしくしていてもどうなるか分からない。現に、選ばれた娘の中では、秘密裏に付き合っている相手がいたはずの娘も、王子に気に入られようと必死になっていた。
あの身分で中性的な綺麗な顔をした王子にかかれば、そこらへんの小娘を落とすのはさほど難しくないのだろう。きっと私も、環境が許せば似たようなことをやっていた気がする。
「しかし、貴女は数年前に婚約破棄してからずっと、特別な相手はいなかったかと思いますが?」
「えぇ、だからこそ幸運なことに、今回のお妃様候補に選ばれたんですもの。けれど、やっぱりそんなにうまく幸せはつかめないものですね」
正直、うまく目にかけてもらえて侍女にでもなれたら儲けものだったのだけれど、そろそろ結婚適齢期を過ぎそうな私にはそんな御声すらかからないで終わりそうだ。
―――にしても。この男はやっぱり嫌な物言いをすると、内心怒りが収まらない。人の不幸を肴に酒を飲むタイプには見えなかったけれど、意外と俗物なのかもしれない。どちらかと言えば、食事ひとつにすら会を催して政治的策略を張り巡らしそうだと思っていたのに。
まぁ、どちらにせよ人の古傷を抉って楽しむような奴からは、とっとと逃げるに限ると踵を返したい。
「誠に申し訳ありませんが、そろそろ家の者が迎えに来るころですので、失礼させていただいてもよろしいでしょうか?」
本音を言えば、こんな迎えに馬車など出したくはない。
それでも、王宮まで娘の迎えすら寄越せない家なんて噂されれば、家計はもっと切迫することだろう。どんなに節約したくても、そこはうまくやるべきだとわきまえていた。第一、もしかしたら他の候補者の中の兄弟や血縁者に見初められ、婚約の話が舞い込むことだって考えられるのだ。
あんな馬鹿王子の相手は御免こうむるけれど、家計の切迫した我が家に出資してくれそうな相手ならやぶさかではない。
おまけにまっとうな考えの持ち主で、商売っ気のある相手なら家族一同どころか、使用人や我が領に住まう人間みんな大喜びすることだろう。それくらい、我が家は追い詰められていた。
「―――私では、いけませんか?」
「はい?」
「貴女が求める条件に、私は意外とはまっていると思うのですが」
確かに彼は三男で、結婚経験もないから面倒な跡継ぎ問題に巻き込まれる心配は少ない。
その上自分の実力で確固たる地位を築きつつあるから、突然一文無しになる心配もしなくて大丈夫だろう。
考えれば考えるほど、こんな好条件の存在はいないと思うのだけれど、一つ大きな問題があった。
「だって貴方、私のこと嫌っているでしょう」
ぽろりと、普段の口調が出るくらいに、さきほどの言葉は衝撃だった。
何せ私は、ここに来てからずっと彼にチクチク嫌味を言われ続けてきた。やれ品がない笑い方をするなだの、もっと知性の感じられる話題を振れだの。この男に事細かに注意されるのが嫌で、王子にもまともに近づけなかったと言っても過言ではない。
本当は、王子の寵愛なんていらないから、良い職場でも紹介してくれないかと狙っていたのだけれど、そんな個人的なことはこの男の前では決してできるものではなかった。お涙ちょうだいの身の上話などしようものなら、「貴女の同情を買おうとするお芝居が見たくて、王子の貴重な時間を割いたわけではありません」などとバッサリ切られそうな雰囲気だった。
現に、「病に伏せる父のために、立派な結婚相手を見つけて安心させてあげたいのです」と王子に抱きついた令嬢は、「そんなにお父上の容態が思わしくないのでしたら、早く家に戻って看病して差し上げた方が良い」などといって、冷酷なまなざしで見下ろしていた。
それでもなお言いつのろうとした令嬢にこの男は、「幸い貴女は王子の心を射止めることはなさそうですし、例外として先に帰っていただいて構いませんよ?」と早々に城を追い出していた。正直、その後に彼女について回る悪い噂を思えば、ちょっと同情を引こうとしただけであんな目にあって、本当に可愛そうな目にあってしまったと他人事ながら涙が出そうになった。家のような貧乏貴族など、国中の令嬢が呼び出されるなか帰されたとあっては、「どれだけ彼女に問題があるのかしら」なんて言われるのは目に見えている。
何せ私も、似たような技を使おうと思っていたのだ。
いくら狙いが王子ではなくても、早々に追い出されただろうことは想像に難くない。むしろバカな行動を先に起こしてくれて、彼女には感謝したいくらいだ。
「幸い私は庶民上がりとはいえ、貴族の位も持っています。いくつか自分の店も持っていますし、商売のセンスも多少あると思いますよ」
「……宰相様が『多少』しかセンスをお持ちでないというのなら、我が家の者はみんな無能です」
「そうですか?」と不思議そうに首をかしげているけれど、彼が手がけている他国からの輸入品を扱う店は大成功しており、現在は他国に支店を置いて、我が国の物を売り出すこともしている。もちろん彼はオーナーとしての立場で、実際に店に立つのは別の者だ。でもだからこそ、彼の能力は我が家が口から手が出るほどほしいものだった。
「いかがですか?お買い得だと思いますよ」
「私の疑問には、お答えいただいていませんが?」
じっと見据えた感覚は、まるでこちらを丸呑みしようとしている蛇を必死に威嚇しているネズミの気分だ。目の奥は決して笑っていないのに、仮面のようににやりと笑う。この男の、こういう所が苦手なんだと思いつつ言葉を待つ。
「―――貴女は、えんどう豆に気付いていたでしょう?」
「…………何故?」
いま口にするには、あまりに不適格な言葉だった。
その証拠に、面白くてたまらないといった風に、今度こそ彼の目が三日月形に歪んだ。
「あのえんどう豆は、ごまかしがきかないように私が隠したんですよ。それが僅かながらずれていましてね」
「でも気づいたのはたまたまで、『あの』ベッドで寝ても私は決して分からなかったと思います」
何せ、柔らかすぎるベッドは家とは違いすぎて、逆に睡眠不足になった程なのだ。
あまりにふわふわなベッドは違和感があって、寝やすく整えようとしたところで、たまたま見つけたに過ぎない。
「それでも、慣れない寝具で無防備に眠りこけない野生の勘の鋭さは、賞賛に値します」
「まさか、そんな理由で私を気に入ったとでも?」
「国を背負うにはある程度強さが必要なのに、『繊細な女性を妃に望む王子』がいる国の宰相ですよ?こんな始まりもありでしょう」
さっきの笑い方は目じゃないほどに、優しい笑みに視線がそらせない。
打算だらけの婚約者探しは、私の胸に少しのときめきを残してこうして終わった。
次話は、少し進んだ世界で、最愛の存在との生活を守ろうとする青年の話です。