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ツマにもなりゃしない小噺集  作者: 麻戸 槊來
哭くを良しとしない戌
78/132

閉じ込めた、深い夜空

この作品では、紀元前2000年より前のエジプトを意識しております。

いろいろ調べましたが、作者の知識不足のためありえない表現などありましたらすみません。


飼い猫を腕から逃がして、ゆっくりと立ち上がる。

珍しく自慢の黒い毛並を撫でさせてくれていたのに、気位の高い彼女はやっぱりあの男を主人と認めているらしい。ふりふりと尻尾を振りながら、あの男が寄越した使いに「ついていけ」と素っ気なくされてしまった。


一年中暑く、乾いた土地では喉が乾いてしょうがないのだろう。

水を美味しそうに飲む音が、ピチャピチャと響いてようやく歩きだす。こんな砂まみれの場所でも、彼女の毛並みは艶やかで頭が下がる思いだ。


「せっかく撫でさせてくれたのに、振られてしまったわ」


「奥さま、旦那さまがお待ちです」


「そんなに急かさないでも、ついていくわよ」


自分の、長くなってきた髪を触りながら、気の重い足を何とか運ぶ。

無駄に長い廊下と調度品だけでも財力が分かるし、そこの主の寝室が奥にあるのは致し方がないことなのかもしれないけれど、何も人がようやく食事をとろうかという時に呼びつけなくてもいいではないかと、苛立つ気持ちを抑えられない。


男も女も、皆等しく髪を短く刈り込んでいるここでは、気違いと言われるほど長い髪はそろそろ肩にかかりそうだった。一年中暑いこの場所で、「不衛生だ」「見苦しい」などと陰口をたたかれるのも分かりながら、「好きでこんな場所にいる訳ではない」と反発から始めた事だった。


「失礼します、旦那さま。奥さまをお連れしました」


「入れ」


私を呼びに来た使用人は、男の許可が出るとさっさと部屋を出て行ってしまう。

病床の男の横には団扇で仰ぐ女たちがいたのだけれど、彼女たちまで追いだして人払いされてしまえば、ただでさえ重苦しかった空気が一段と重くなったように感じる。



この男との始まりは最悪で、たまたま父親の職場に忘れ物を届けに来た私を、「気に入った」なんて攫うようにここまで連れてきて、無理やり婚姻を結ばせたのだ。男に雇われていた父に拒否権などあるわけがなく、顔を見るたび「ごめん」と謝れることに嫌気がさした私は、家族に会わせてほしいと我がままを言うこともしなくなった。


ずっと平民らしく裸足で生活していたのに、いきなり平底のサンダルを履けと言われても戸惑ったし。これまではワンピースにせいぜい組みひもを腰に巻いたり、少しビーズを通した程度だったのに、幾何学模様が染められた衣服や、煌びやかな色ガラスのついたショールなんて肩が凝ってしょうがなかった。


「悪いけど、話があるならとっとと済ませてほしい。こっちは早く戻って食事をとりたいの」


「なんだ。お前はこんな時間に、まだ食事も澄ましていなかったのか?」


「……わざわざ呼びつけるから来てやったのに、喧嘩するつもりなら帰る」


こちらは、弱気になったこの男のお蔭で、墓の手配などいろいろ忙しいのだ。

この男はその偉そうな態度に違わず、それなりに資産や権力を持っているため生前から死後の対処のため契約を結んでいる。一昔前までは王族しか許されなかったが、最近は側近なども死後の世界で王族に不便をさせないようにと、ミイラ化への許可が下りているのだ。



「死んでも尚、手がかかる奴だ」とため息をつきそうな自身を叱責して、膨大な量の契約書に目を通し、本人のサインをもらっているのだ。少しくらい愚痴をこぼしてもばちは当たらないだろうに、彼の周囲にそんな事を言おうものなら、こちらの首が危ういと弱音すらはけない。


「いい加減、話がないなら帰るわ」


しばらく待っても、無言を通す男に嫌気がさして、踵を返す。

いつも以上に眉間にしわを寄せた姿は威圧的で、顔色は悪いものの、弱気になっていることが信じられないほどだ。この男は殺したって死にそうにないのに、どうして私がこんなにも奔走しなければならないのかと腹が立ってきた。


今日は、見舞いやら業者やらの出入りが激しくて、朝から果物を少し口にしただけなのも悪かったのだろう。空腹を訴えるお腹をさすりながら、やはりこのワンピースの飾りはシャラシャラうるさいと眉をひそめる。


「どうやら、周りはお前を殉死させようとしているらしい」


「なに、私じゃご不満?」


今さら何を言っているのかと、呆れてしまう。

いくら仲のよい夫婦ではなくても、夫が墓に入るのを黙って見送る予定はない。力あるものが黄泉へ旅立てば、妻や使用人が共に墓に入るのは自然なことだろう。


この男は金儲けに忙しく、余所に女をもうけたという話も聞かない。使用人などは、「それだけ奥さまを愛しているということですね、羨ましいです!」などと言ってきて困惑する。


「どちらかと言えば、よその女にくれてやる金も惜しんだドケチと言った方が当たっている気がする……」


「そんな事はありませんよ、奥さま自信をお持ちになって!」


「いや。本当に本人がそんな風なことを言うのを、目のまえで聞いたんだよ」


あれはたしか、結婚して数か月たったころの事だった。

夫の商売相手が、この近くに評判の良い娼館はないかなんて私がいる目の前で夫へ聞いたのだ。そんな事を聞く相手の神経も疑ったが、その後の夫の答えも酷かった。


「どうして妻がいるのに、わざわざよその女に金を払わなければならない」


なんて。まるで私には金を払う価値がないか、節約をしたいがためにこちらの相手をしてやっているんだと、言わんばかりの表現に頭に血が上った。そのあとつい夫と怒鳴りあいの喧嘩に発展したのだが、それ以降、夫の仕事相手に挨拶以上の会話をする機会はとんとなかった。


大体、この男の仕事に関する場所に近づくと碌なことがないと、ぶつぶつ心のなかで言っていると、何事か相手が呟いているのが耳に入り注視する。


「―――後生だから、死なないでくれ」


思わぬ言葉に、目を見張る。

何を急に呼び出したのかと思えば、そんな事かと呆れてしまう。いくら数週間前から体調を崩しているからと言って、弱気になりすぎだろうと呆れすら浮かぶ。


「なんだ、いつもの偉そうな姿が、ちょっと怪我をしたからって情けない」


「いいから、聞け」


突然愁傷になるなんて、気味が悪くてしょうがない。

普段だったら、こんな風に命令されれば即反論してやるところだけれど、覇気のない様子に思わず口を閉じた。


見下ろされることはあれど、こんな風に彼を見下ろすのは初めてだった。

何時だってこの男は傲慢で、自分の思ったようにいかなければ気が済まない性質だった。言葉を話し出す前から帝王学を学ばせたと、彼の乳母が胸を張るのもうなずける。出会った瞬間……いや。出会う前から偉そうで、こちらの意思なんてないものとされ。


そんな、最低な奴がこんな一丁前に顔を青ざめさせて床に伏していると、普通の人間のように見えて戸惑ってしまう。もしかしたら、普段つけている仰々しい首飾りなどをつけていないから、こんな風に力なく見えてしまうのかもしれない。


まるで、罠にかかって数日たった虎のようだと、驚きを隠せない。


「……お前を攫うように妻としたこと、今でも申し訳ないと思っている」


左の薬指には心臓へ続く血管が通っており、その指を無理やり縛られた私は、旅をして色々な場所を見て回りたいという夢を捨てざるを得なかった。もっとも、父親もそんな夢を持つ私を持て余していたから、この男が用意した支援金やらを受け取ったのだろうけれど。どうして私が、この男にずっと縛られなければならないのかと抵抗した。さんざん、抵抗して抵抗して、ついにはこの男に、むりやり象牙でつくられたリングをはめられてしまった。



一度結婚してしまえば、別れることなどは考えられない。

そんな事をしてしまえば、神への冒涜として厳しい罰が下されるだろう。だからこそ、私は契約が交わされ、自らの指へリングがはめられるのを絶望的な気持ちで眺めていたのだ。


「少し、『キフィ』を焚きすぎたんじゃないか?」


日没後に焚く香にいくら心を落ち着かせる働きがあるとはいえ、この男をここまで弱気にさせるとは、いくらなんでもやりすぎとしか言いようがない。使用人に注意しなければと思ったところで、男の静止にあい視線を戻す。


……この男は、こんなに力なかっただろうか?


覇気がない様子に、自分はここについてからずっと、まともに男の顔を見ていなかったのだと初めて気づいた。見ていたのはその黒い星空のような瞳だけで、彼の顔色や体の動きなんかに注目していなかった。もっと早くに注目できていたのなら、乾いた唇やかすかに震える腕なんかにも気づけたのにと、わずかによぎった後悔には目を瞑る。


今の私に返せる言葉なんて、きっと一つしかないのだろう。


「―――ふん。あんたに言われなくても、誰が大人しく死んでやるもんか」


思わず、結婚以来ずっと指に収まっているリングに指を這わす。

少しきついくらいのそれは、結婚してから一度も外すことを許可されていない。少しでもそんな動作をしようものなら、すぐに彼へ忠実な使用人たちが止めに入ってリングの跡を掻くことすら許されなかった。


これだけこちらを犠牲にしておいて、何を勝手なことを言っているのかと笑ってしまおうと思った唇は、不自然に歪んだだけで終わる。こいつの事はいろいろ気に入らないけれど、唯一好きな星空が曇る姿は、見たくなかった。


「あんただって、鼻から脳みそを引きずり出されたくなければ、せいぜい長生きするんだね」


「―――何だそれは」


「知らないなら、そのほうが幸せさ」


「っお前は、本当に生意気な奴だな」


「あんたが、いつも偉そうだから言い返したくなるだけさ」


こんな弱音を吐く奴の墓には、ウシャブティと呼ばれるミイラ型の小像でもたくさん詰めてやればいいのだ。きっとこいつの事だから、たくさんの金品や、せっかくの人材を早々に冥界まで連れて行ってしまうのは、もったいないとでも言いだすのだろう。


「本当、しょうもない男なんだから……」


それが自分の夫と話した、最期の言葉だった。






✾  ✾  ✾  ✾  ✾  ✾  ✾  ✾






ラクダに無理やり乗ろうとしている子どもたちを見つけて、思いっきり怒鳴ってやる。

凄みを聞かせて睨んでやると、きゃーきゃー言いながら逃げていくのだからまだ可愛い方だ。貴重な労働力であるラクダに問題がないことを見ると、縫い物を教えていた子どもの元へ戻った。


「婆様、旦那さんに対してもそんな喋りかただったの?」


どうやら、先ほどの説教の仕方が衝撃だったらしい。

ちょっと言い過ぎたかとも思ったが、やんちゃな男の子たちにはあれくらい言ってやらないと効果がないのだと笑う私に、とりわけ大人しい少女にとって刺激が強すぎたようだ。

ただの乱暴者と思われるのも面白くないから、ほんの少し思い出話を聞かせてやったら、少女は目をキラキラさせて話に聞き入った。


こんな婆の昔話のどこが面白いのか疑問だけれど、自分の生まれた地域から出たこともない少女には、『知らない場所の物語』のようで興味をそそられたらしい。


「あの頃は、周りに押しつぶされないように必死で、一番負けたくない奴に飲まれないようにと頑張っていたんだ」


「……そんな、すごい人だったの?」


「嗚呼、あいつは偉そうなだけあって、近寄っただけでオーラがあってね。当時はただ威圧されていると思っていただけだったけれど、今にして思えば相手も必死に虚勢を張っていたんだろうね」


当時はそんな事を理解できる余裕がなく、態度も酷いものだったと思う。

若い時分に父親を亡くし、偉大すぎるその背を追いかけるのには、彼はあまりに若すぎた。そんな彼を支えるには、同じ貴族の女性を娶った方が良かっただろうに、どうしてあんな形で私を妻に迎え入れたのかという謎は、とうとうあの世まで持ち越しとなってしまった。


「で、でも……でも、婆様」


「なんだい?」


「婆様の旦那さまは凄い方で、周りの人は婆様がこういう風に長生きするのを、邪魔しようとしたのでしょう?」


必死に、言葉を選んでいる幼い少女の頭を撫でる。

何十年とたった今でも、殉死という考えは生きていて、みんなそれに否定的な考え方を持っている人間ばかりではない。村の中でさえかたよった考えが植えつけられているのだから、もっと栄えた場所にいけばその声は強くなることだろう。……けれど。けれど、あの意地っ張りが最後に託した願いくらい、聞いてやるのも悪くないかと思ったのだ。


「―――あの。意地っ張りで、いつも偉そうな人が必死に頼むから、しょうがないから叶えてやることにしたのさ」


「そんな……」


「ん?どうした」


小さな手が、恐る恐る私の頬へ手を伸ばされる。

嗚呼、この小さな女の子は、私を傷つけないように必死に気を付けているのかと分かり、思わず笑った。


「だって、婆様の片目が見えなくなったのって、その時の怪我がきっかけなのでしょう?」


夫が息を引き取った途端、逃げ出そうとした私をあらゆる人間が追いかけてきた。

これまで良くしてくれた使用人や、彼の部下たちまでこぞって私を捕えようとする。「夫に寂しい思いをさせても平気なのか」と言われた。「自分一人で、幸せになるつもりか」とも聞かれた。可愛がっていた飼い猫が心配になったけれど、猫は神の使いとしてどこでも大事にされるから問題ないだろう。幸い我々の間に子どもはまだいなかったから、自分一人が逃げ延びれば問題なかった。


お金に変えられそうなものをいくつか掴んで、片目が見えなくなるだけですんだと自らを納得させた。


「婆様がいつも身に着けている首飾りって、旦那さまの物なんだよね?」


「どうしても、あの人の持ち物がひとつ欲しくてね」


本当は、彼の身の回りの物はすべて、墓に入れられる予定だったのだろうけれど、これだけは許してほしい。夫にはめられた象牙のリングは、彼の組まれた指の下にそっと忍ばせてきた。

あれさえあれば、再び迷わず逢える気がして、祈るようにおいてきた。少し老け込んでしまったが、私を分からないとは言わせない。あの人の言いつけどおりに生き延びたのだから、今度の迎えくらいは自分で来てほしいものだ。


「きっとあいつのことだから、あの世でも偉そうに周りをこき使っているんだろうよ」


何せ、散々豪華な家具や調度品から、化粧品に至るまでが墓に納められたというのだ。

それで不自由しているなんて言ったら、「冥界にいってまで、寝言みたいなこと言うな!」と怒鳴りつけてやりたい。


「さぁ、そろそろ続きを始めるよ」


「はーい、婆さま頑張るから教えてね!」


「任せておきな」


元気な子どもたちに負けないように、終の棲家で私は笑った。





参考資料

「香りの歴史【古代エジプト編】」

https://ameblo.jp/aromadedekiruotoko/entry-12188036038.html



次話は、予想外の出来事に右往左往する存在のお話です。

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