表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ツマにもなりゃしない小噺集  作者: 麻戸 槊來
哭くを良しとしない戌
76/132

間男

ちょっと久しぶりに、シリアス皆無と相成りました。


遅い昼ごはんを食べおわり、スマホを開いてみて目を見開く。

今日は仕事もないし、けたたましい目覚まし音に振り回されることもなく、ぎゅーぎゅーの満員電車に乗る必要もない。特別予定もないからと、のんびりしていたらとんだ訪問者がわが家を目指してきているらしい。バッと時計を見ると、連絡が来てからずいぶん経過している。気づくのが遅れたせいで、到着まで残すところあと数分ということに、焦りが募る。


「げっ、やば!ちょっと人が来るから、そこに隠れてて!」


「なに?どうして隠れなきゃ……って、いたたたた!髪引っ張るな!」


「いーから、早く!」


バタンッと、クローゼットの扉を閉めたところで、呼び出しブザーが鳴った。

私の家は女の一人暮らしだし、一応それなりのセキュリティーがあるのだけれど、相手にしてみればそんなものは何の役にも立たなかったらしい。文句があるかのように、ガタガタ揺れる扉へ「うるさいっ」と怒鳴りつけると、少し隙間を開けて食べかけのお菓子とペットボトルを放りこむ。


「……どのくらい、ここに居ろというんだ」


こもったような、絶望的な声が聞こえてくるけれど、心を鬼にして片付けを始める。

何せ、相手がエントランスからエレベーターで上がってくるまでの間に、ある程度片付けとかなければならないのだ。私に一時の猶予もない。今にも靴音が響いてきそうで、ドキドキが止まらない。


『女の一人暮らし』だと信じている相手は、何かと私の世話を焼きたがる。

下手に乱れた部屋を見ようものなら、これ見よがしに嫌味を言われ片付けが始まってしまうだろう。一番開けられたくない扉を開けられないために、些細なことに惑わされている暇はないのだ。彼に聞かれたら「俺の嘆きは、お前にしてみれば些細なことなのか」と肩を落としそうだが、すでに気落ちした様子の彼が再び口を利く様子はない。多少防虫剤のにおいがしても、黙っていてくれることを願うばかりだ。


そんな詮無いことを考えている間に、玄関のチャイムが鳴らされた。


「はーい!ちょっと待ってっ」


バタバタ『二人分』用意された物を片づけながら、目についたものを片っ端から隠していく。知らず知らずのうちに、こんなに彼物が増えていたのかと、ほっこりする暇もない。早くしろと急かすように、チャイムが連打される。わずかにリズム感のあるその鳴らしかたに、若干イラっとしながら慌ててチェーンと鍵を開けた。


「か、かあちゃん、いきなりこっちに来るなんて珍しいね!」


「まあーた、あんたはドタバタ片付けして!日ごろから綺麗にしておきなさいって言っているでしょっ」


「うっ、うん。ごめん、かあちゃん。そんな事より、どうしたの?」


挨拶もそこそこにズカズカ入り込む母親は、部屋を見渡し「あら、思ったより綺麗じゃない」なんて言いながらキッチンに立った。1DKである我が家は、キッチンといえどそんなに立派なものではない。一応簡単に仕切られるよう扉はあるものの、何時も開きっぱなしになっているため今さら閉めることも出来ない。


「ちょっと、こっちに越した友達に会いに来たんだけど、旦那さんが骨折していろいろ手がかかるって言うんで、早々にお開きになっちゃったのよ。どうせなら、あんたの顔でも見て行こうと思ってね」


「そ、そうなんだぁ」


「ほら、これあんたが好きなお煎餅持ってきたわよ。おまけに、駅ナカっていうの?あれで美味しそうなワッフルが売ってたから、一緒に食べようと思ってね」


「あ、これ気になってた東京駅限定のやつだ。カラフルで可愛いし、美味しそう。ありがとー」


「あんまりにも美味しそうだから、お父さん用にと思っていくつか買ってきたから好きなの選びなさい」


「えっ、いいの!」


そんな話をする間も、勝手にお湯を沸かし、滅多に使わないティーポットに茶葉を入れている。おしゃれなデザインが可愛くて選んだは良いものの、茶渋がつくのが面倒であまり使っていない。久しぶりに嗅ぐ茶葉の香りは、食欲も一緒に刺激したようだ。お腹はいっぱいだと思ったのに、今からケーキ皿に飾られたデザートが待遠しくてたまらない。


「ほら、早くお皿出して」


「はーい」


先ほどまでの不満もさておき、ウキウキしながらお皿を選ぶ。

どうして到着の30分前に連絡してくるのかとか、そのティーセットは傷つけるのも洗うのも嫌なのにとか、そういうことはどうでもよくなった。……そう、扉の向こうで息をのんでいるはずの人間のことも、一瞬忘れるほどに。


さあ、いただこうかと席に着いたところで、ガタッと物音がしてヒヤリとする。

そうだ。ちょっと美味しいワッフルに夢中になっていたけれど、忘れてはいけない。ヨーグルトとピーチの絶妙なバランスなんて、素敵すぎるものに惑わされている場合ではないのだ。席について早々かじりついたそれは、珍しさから選んだのだけれど、あたりだったようだ。これなら、次に食べようとお皿においている、自分の好きな味の物も期待が出来る。


「あんた……」


「な、なに?」


母親にまじまじと見つめられ、まさかバレたかとどきりとする。

最近は母の耳も遠くなったようだし、あれくらいの物音セーフだろうと思ったのに、まさか聞こえてしまっただろうか?ドキドキしながら続きを待つ。


「あんた、やけに眠そうだけど、最近寝れてないの?」


緊張していた分、予想外のこと過ぎてがくりとする。

母の中では、私が自活していないのが当たり前のようだ。確かに少し前までは自由気ままに生活していたけれど、最近は随分改善されたのにと口をとがらせる。


「仕事が忙しいからって、まともな食事もとらずにいると駄目よ?野菜とりなさい、野菜」


「それなりに、野菜食べてるし」


「そんなこと言って、サラダとかばっかり食べているんでしょう?調理しないと取れない栄養素もあるんだから、きちんと自活しないと駄目よ?外食何てお金がかかってしょうがないし、栄養が偏るんだから」


「分かってるって……」


「まぁ、あんたが自分で作ったところで、大して品数作れないんだから、偏りは解消できないかもしれないけど」


カラカラと笑う母親に、反論したいけれど反論できない。

本当に最近では品数も増えたし、それこそ料理レシピのアプリをインストールして色々挑戦している。さすがに、ずっと好きなように言われ続けるのはつらいから、唇を尖らせ反論する。


「いや、たまたま昨日は、ちょっと夜更かししちゃっただけで……」


「あんた、いい年してそんな事してんの?そろそろ年考えなさい、年」


「かあちゃんに、言われたくない」


ぼそりと呟いた言葉に返ってきたのは、あと一口分残っていたワッフルの消失という復讐だった。


「ああー!私のワッフルっ。何すんのよ、かあちゃん」


「うーん。年取ってから、耳が遠くなっていけないわね」


「嗚呼っ、それは次に食べようと思っていたワッフル!」


どんどん母の口に消えるワッフルを、恨めしい気持ちで見つめる。

私が好きなものを、なかなか食べないでとっておく性格なのを知っていて、わざと食べるのだから悔しい。


口の中は、すっかり次に受け入れるワッフルを期待していたのに、突然奪われて消化不良を起こしてしまう。食べ始める前は、おやつを食べるには少し早いかと思ったのに、思ったより食べやすく、もう一つに手を伸ばす。


さぁ、食べるかという所で、ふっとクローゼットの存在が気になって手を止める。

ここはひとつ、さっきのお詫びのためにとっておくべきだろう。一度手にしたものとは別の物を手に取ると、ラップを取りに立ち上がった。


「あれ、あんたもう食べないの?」


「うん。ちょっとお昼遅かったから、あとで食べるわ」


「昔は大喰らいだったのに、ちょっとは考えるようになったのね」


「大喰らいは余計っ!」


大口を開けて笑う母親同様、クローゼットの中の存在まで笑っているような気がして殺気を送る。人が馬鹿にされているのに、笑うなんて失礼してしまう。こちらの苛立ちが正確に伝わったのかは疑問だけれど、心なしか雰囲気が怯えたようなものに変わった気がする。

押し込んだのは自分のくせに、人を陰で笑うからいけないのだと鼻息を荒くしたところで、思いもがけないことを言われて固まった。


「―――あんた、外国人のお友達なんていたの?」


母の指につままれた、私より長い赤い髪にビクリと震える。

それは確かに外国人の友達と言われてもおかしくないものだけれど、正確にいうと『外国人の友達』のものではない。だからと言って、そんなにサラサラとした綺麗な赤い髪、作り物でもないし。勿論、私がちょっと前までそんな髪色をしていた……なんて事実もない。

さあ、これの訳をどう説明すればいいのかと悩む私の口から出た第一声は、言葉とも言えないものだった。


「へ……へっ?」


「やーね、変な声を出して。あんたまさか……」


「な、なに?」


どんな言葉が出てきても、動揺しないようにしなければならない。

母に知られる訳にはいかないのだと、ごくりとつばを飲みこむ。とっさに良いごまかしも浮かばないし、生半可なものではすぐに母にばれてしまうだろう。嗚呼、神様お願いだから、どうかバレないでほしいと思ったところで、母の追及するような眼差しが強くなる。


「あんた、若い派手な友達でも、できたんじゃないでしょうねぇ?」


「ち、違うよぉ……」


「本当にぃ?」


「本当、本当!それは前に、ちょっと友達とふざけて買ったカツラの一部だよ、ほらっ」


自分が恐れていた言葉とは違って、安心した。

それと共に、ちょうど良いものを見つけて頭にかぶる。母が持っているのはとは違っているけれど、オレンジ色のアフロ型のカツラをかぶって見せたところで、とりあえず納得してくれたらしい。


まさか、去年の忘年会で無理やりやらされた出し物が、こんな所で役に立ってくれるとは思いもしなかった。こんなカツラをかぶらなきゃいけないと思った時には、数日はふさぎ込んだままだったけれど、あれもこの時のためだったのかと阿呆なことまで考える。

何度かハゲ面の上司に、「こんな物、お前がかぶっとけ!」と投げつけたくなったが、耐えた甲斐があった。


「ふーん、ならいいけど」


母もこのカツラを見て、散々愚痴っていたのを思い出したのだろう。

それ以上の追及はせずにいてくれた。しばらく父親の愚痴や、地元にいる弟たちの事を話したかと思えば、あっけなく母は帰って行った。


「ねぇ、本当にもう帰るの?」


クローゼットの中の存在が原因で、ちょっと母を泊めてあげることは出来ないけれど、こんなに早く帰るなんて追い出したようでばつが悪い。

普段なら「もっとこまめに連絡を寄越せ」とか、「仕送りなんていらないから、顔を見せに来い」とかいろいろ言ってくるのに、それがなくて拍子抜けする。


「あんたも『いろいろ』忙しいみたいだし、遅くなると父さんがまた五月蠅いからもう帰るわ」


いやに含みを持たせた言葉に、どういう事かと聞き返そうとしたところで、ずいっと先ほどまで食べていたワッフルの袋を押し付けられて、目を白黒させる。


「私はもう帰るから、アーモンド好きの『彼』と一緒に食べなさい」


「えっ、かあちゃん何言って……」


「だって、あんた半年前に見た時より生き生きしているし、ソレは男物でしょう?」


完全に隠したと思ったのに、一つだけ靴を隠し忘れていたらしい。

明らかに大きく、ここいらではまず見かけないタイプの靴に、母は訳知り顔で「異文化恋愛なんて大変かもしれないけれど、そのうち紹介しなさいね」なんて確信を持っていう。悟りきったその顔は、もう言い訳ひとつ聞いてくれない顔だった。


「いや、あの、それは……」


「今さら隠さないでもいいわよ。アーモンド嫌いのあんたが、自分の食欲抑えてまでデザートを分け与えるなんて、早々あることじゃないしね」


「ごめん、かあちゃん」


正直なことを言えなくて。

すぐに事情を説明しろと詰め寄らず、そっとしておいてくれる母親にしゅんとなる。そんな私の心を読んだのか、にこやかに手を振りながら帰って行った。散々駅まで送るといったのに、「まだそんなに、年を取っていないよ!」なんて言って一人で行ってしまった。母の姿が消えたところで、慌ててクローゼットの扉を開く。


「ずっと閉じ込めていて、ごめんね!」


私が扉を開けるまで、大人しく座っていたらしい彼に思わず笑ってしまう。

途方に暮れたような情けない表情は、少しかわいそうで……可愛かった。


「もう、お母上は帰ったのか?」


「うん。こんな所に入れて、ごめんね」


「いや、俺を紹介するのが簡単ではないのは、分かっているから問題ない」


言葉は違えど、母と同じようなことを言うから、尚のこと笑えてくる。

のっそりと起き上った彼は、何時もよりゆっくりとした動作で伸びをした。

私より頭一つ分は高い彼にとって、狭苦しくてしょうがなかったのだろう。ボキボキと良い音をさせて、体のコリをほぐしている。


伸びた拍子に見えた腹部には、くっきりとした切られたような跡がある。

その他にも、大小さまざまな古い傷があって、彼が只者ではない事は明白だろう。


肩まで伸びた赤い髪を揺らしながら、ゆっくりと彼はこちらを向いた。

彼は奇抜なロックバンドをしているわけではないし、いい年をして羽目を外しすぎているわけでもない。むしろその性格は堅物と言ってもいい程で、『彼の国に』帰ればそれなりの地位も持っている人だ。


―――まぁ、その国はどこにあるかもわからない、遠い所なのだけれど。


「まさか同棲している恋人が異世界人なんて、いくら君でも言えないだろう」


「ちょっと気に障る言い方だけど、物分かりが良くて助かるわ」


暗にいつもの頑固さを非難すると、軽く肩を上げてとぼけてみせる。

眉を軽く上げる表情にどうしようもなく苛立って、肉の少ない頬を引っ張って見せる。彼はどこもかしこも筋肉質で、無理してつまもうとするとこちらが痛い思いをするのだ。


「いひゃい」


「あーら。自慢の筋肉も、頬までは守ってくれないようね」


「ひゃめへ、ふへ」


両脇に腕を入れられ持ち上げられる。

子どもが良くされているこの格好は、意外と辛いものだと最近知った。一点で全体重を支えられるのは非常に無理があって、痛みがある。わきに変な痛みが走るし、落とさないようにされているのだろう。ギュッとつかまれているだけでも、地味に痛い。しばらく意地で頬を引っ張り続けていたけれど、ここは痛み分けとしようと手を放した。


分かればいいんだというように一つ頷くと、彼は私を下すことなくお尻に手をやり子どものようなだっこに切り替えた。

こんな格好、人生で早々されるものではないし、そもそもできる人間も限られているだろう。彼は異世界人なのだから、そもそもの体のつくりが違うのかとも思ったが、トレーニング馬鹿なところをみると、努力のたまものなのかもしれない。


「堂々と紹介できるような恋人ではなくて、申し訳ない」


「あら。そんなこと言ったら、貴方のご両親からふしだらだ!と責められてもしょうがない女で、ごめんなさいと謝らなきゃいけなくなるわ」


彼の世界では未婚の男女が一緒に暮らすどころか、密室に二人きりということもあり得ない話らしい。ましてや、国の騎士団に所属する高名な騎士である彼とこんな風に同棲しているだなんて、何と言われるか分かったものではない。


「いや。家の親なら、俺が噂の一つも立たない朴念仁だと嘆いていたから、きっとこんな美人をよく連れてきたと喜ぶだろう」


ここは、やっぱり地元でもそんな感じだったのかと笑う所なのか、さらりと『美人』と褒められたことに照れればいいのか。

何時もより近い距離から見つめた瞳は透き通るように青くて、からかっている訳ではなさそうだと頬が熱くなる。




ある日突然、この部屋に現れた彼は、いつ帰るかもわからない。

そもそも、こちらにずっと居ても体調などに問題はないのか、病気になったりしたら治せるのかと不安は尽きない。


そんな、何もかもわからないことだらけの関係でも、一つだけ確かなことがある。


「大事な娘さんと、お付き合いさせて頂いているんだ。いつか、正式に親御さんへ挨拶に伺おう」


時々説得するのに時間がかかるけれど、こんな生真面目な彼を、私は大好きだということだ。


「じゃあ、こちらの正装であるスーツでも買ってあげましょうか?」


「いや、お前に教えてもらった株で多少儲けが出たから、自分で購入する。どういうタイプのものがいいかだけ、一緒に選んでくれ」


まさか、気晴らしになればよいと思って教えたものを、こんなに習得しているとは思わず目を丸める。日本語を読めるようになっただけではなく、彼はその勤勉さで私も基礎ほどしか知らないのに、立派に株取引を成功させているだなんて思いもしなかった。

純粋にほめると「騎士として多少参謀に関わっていたからな」なんて、見当違いの照れかたをしているが、それがどれほどの者かも私にはよく理解できない。


「……出逢いかたといい、貴方は本当に予想外ね」


少しの呆れを含ませながらそういうと、彼は片眉をあげて「その方が魅力的だろう?」なんて珍しくニヒルに笑って見せるのだった。




「とりあえず、もうそろそろワッフルを食べていいだろうか?」

「まだ駄目」


次話は、理想的な王子様の、とんでもない欠点が露呈されるお話です。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ