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ツマにもなりゃしない小噺集  作者: 麻戸 槊來
哭くを良しとしない戌
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羨望による自己の欠落

ホワイトデーですが、暗めの内容ですごめんなさい。



それは、いっそ憎らしい程に穏やかな……そう。憎らしくなるほど綺麗な、朝の陽ざしの出来事だった。

ワタシの最愛の人である彼女は病気がちで、彼女の父親はだいぶ田舎に越してきたらしい。彼の人は小さな教会の神父をしており、「僕の仕事は神に仕えることで、それは都会ではなくても出来るからね」なんて、笑いながら経緯を教えてくれたことがある。


だからこそ、彼女は余命と言われた15歳をだいぶ過ぎても生きながらえているし、澄んだ空気のなか笑っているのだろう。だが、20歳を過ぎたあたりから、彼女の病状が怪しくなってきた。どうも以前にひいた風邪が悪かったらしく、毎月のように寝込むようになった。そんな状況が、彼女を弱気にさせたのだろう。


「―――ねぇ、一つお願いがあるの」


ずっと病気と闘ってきた彼女は、あまり我が儘を口にしたことがなかった。

あって、車で半日がかりの場所にある有名店の焼き菓子が食べたいだとか、そんな物だ。彼女の状況を思えば、そんな願いは我が儘の内にも入らない。むしろ、察するのが得意ではないワタシにしてみれば、もっと要望を聞かせてほしいと思う位だった。

……だからこそ、油断していたのかもしれない。彼女の口から飛び出してきたのは、とんでもない言葉だった。


「ねぇ、お願いよ。私をどうか、最期まで見守ってね」


自らが記憶しているもののなかで、もっとも最期の彼女の記憶は、そんな言葉を口にする姿だ。いっそ「幸せだ」と言わんばかりの表情で、「ときどき思い出してくれるだけで、私は嬉しい」だなんて残酷で仕方がないことを言うのだから……。こんなとき、自分には無いはずの涙を流せればいいのにと切に思った。彼女との別れを示唆する約束なんて、冗談じゃない。ましてや彼女を看取った後は、どうこの『こころ』と向き合っていけば良いのかすら、わからないというのに。


彼女の横たわる部屋には、物語や人に語られる中で、至上と言っても良いだろう穏やかな空気が満ちていた。春の柔らかで包み込むような日差しを受けて、鳥たちが囀りあう。白い雲に青い空。窓の近くでは微かな外気の冷たさを覚えるのに、それより強い温度で、太陽は体を温める。


生命の息吹を感じる、幸福に満たされたような春のとある日、ワタシは最愛の彼女を失った。






薄汚れた路地裏を、一人歩く。

太陽はそろそろてっぺんに届きそうな時刻なのに、不思議とここに日差しが入ることはない。たとえ熱されたコンクリートで料理が作れそうな夏日でさえ、この路地裏だけは光が届くことはなく。だからと言って、決して過ごしやすい時などありはしないのは、視界から受ける印象も強いのかもしれない。



きっと『普通の人間』の感性なら、目を背けるはずだ。赤黒い染みのついた壁や、濁ったまなざしを隠すこともなく地べたで震える浮浪者が当たり前の薄暗い場所なんて、間違っても通りたくない場所だろう。


『彼女』のいた頃なら、間違っても近づかなかった場所も、抵抗がなくなるくらいにはなじんでしまった。こんな路地裏をいくつも幾度も歩くたび、淀んだ空気に自らの体が汚染され、侵食されるような不快感もマヒしてきた。


こんな場所へ足を踏み入れるのにはいろいろ理由があるけれど、今日は私的な用で古い知人を訪ねた。

薄暗い路地裏で、唯一きれいに保たれている扉を叩く。とある国でしか手に入らないという頑強な木材を使った扉は、驚くことに一本の木から作られているのだという。

大抵のものは金属などで補強されたり手を加えられているというのに、特殊な技術でドアノブや蝶番に至るまで同じ木でつくられているのだという。素材を生かした深いその色合いは、数年たっても色あせるどころか「味がでて良い感じでしょう?」と主に言わせるほどだった。


厳つくなりがちな2メートルを超える大きな扉だが、表面にほどこされた蔦が這うような繊細な細工は、知らぬ者が興味本位で近づくことすら許さない。そんな扉の中から現れたのは、ロングドレスを着て、肩に髪を遊ばせた年齢不詳な女だった。たまたま通りかかった薄汚い男が、「いい女だ」などと冷やかしながら去っていく。ジロジロ不躾いな眼差しを向けていることを思えば、この女は数十年前からずっと変わらない美しさを誇っている。。


……もっとも、美しいという感覚も、顔のパーツが対照的で整っているため、「きっと美しいのだろう」という知識でしかないが。自らの感性について述べようとしたらきりがないから、そっと思考にふたをする。


「いらっしゃい、待っていたわよ」


にこやかに迎えられることに苦々しい感情を覚えつつ、視線を合わせることなくその扉をくぐった。






✾  ✾  ✾  ✾  ✾  ✾  ✾  ✾






目の前で、感情を何とか押し殺そうとしている『元ロボット』を見つめ、思わず笑ってしまう。彼は私の元へ来るのを特に嫌がっており、強制しないと碌に顔を見せやしない。


AIなどの研究も目覚ましい発展を遂げた現在、ロボットは『こころ』を手に入れた。

まだこれは研究段階でしかないのだけれど、何体もの彼の同族を犠牲にした結果、彼が初めての成功例だった。彼の前までだって、何体ものロボットに『思考』というプログラムをインプットしてきた。けれど、それのどれも「真実彼らが手に入れる」ことはなく。どれもこれも満足のいく結果とは言い難かった。


人間の「情」に重きを置けば、それは犯罪などにつながり。

反対に「理性」へ重きを置いてしまえば、どうも人間らしさを欠いたものになった。


何度、政府や上の人間から実験の中止を言い渡されたかわかったものではない。

それでも続けてこられたのは、ひとえに私の努力と現在医学のお蔭だろう。私の専門分野ではないけれど、体の至る所をテクノロジーや最新医療の力を借りて塗り替えて行った。胃が悪くなれば、胃をつくり。心臓に不調を感じたら、心臓すら変えた。金に糸目をつけることなかったことと、元々の適性があったのだろう。



私はおおよそ一般人とは一線を画するほど、長い時を研究へ注いできた。

そして、それこそ侵食全てをかけて彼ら次世代ロボット……いや、次世代の新たな人間ともいえる『ヒューマット』をこの世へ生み出した。これは人類にとって偉大な成功であり、後世に語り継がれる素晴らしい発明となった。


「―――それが、今回の申し出はいったいどういう事かしら?」


自分より、頭一つ分は確実に高い青年もどきを、ひたりと見据える。

私には充分な広さのあるソファも、彼にかかれば小さかったようだ。長い脚は申し訳なさそうに折り曲げられ、手も置き場に困ったように膝で遊んでいる。

彼は私が認める唯一の成功例だけれど、なに分彼は人間に近すぎた。……いや、『人間』そのものだったといった方が良いのかもしれない。


彼は、私たち研究者の知らない間に人間関係を構築し、不毛な相手と恋に落ちた。

一生を捧げる相手として彼が選んだのは、神父の娘だった。その教会は片田舎にあり、比較的人工知能やAIなどにも寛容だった。


神に仕える者のなかには、『ヒューマット』を始めとする作られた命を嫌うものも多く、「これは人間の未来にとって必要なのだ」と説明しても受け入れてくれる者は少ない。……その点、ここの神父を古くから知っている研究者がいて、その男の勧めもあって彼を教会に通わせることにしたのだったが、今考えるとそれは失敗だったのだろう。


今では人間臭く、己を嘲るように『ロボット』なんてチープな呼び方で呼称している。


「……ワタシは、彼女との約束を守りたくないのです」


「約束、というのは、確か、」


「彼女が居なくなっても、ワタシに『こころ』をもったままでいて欲しいと……」


彼女は、彼が死後に『ただのロボット』に戻ることを願うと、分かっていたのだろう。

彼はあまりに『人間』らしくなりすぎて、本来であったら縁遠い喪失感や後悔に苛まれている。次の『ヒューマット』には、一定以上の過度な感情には制限をかけることを検討した方がよさそうだ。研究者としての血が疼くが、まずは目の前の問題エラーに向き合わなければと視線を合わせる。


「どうして、今さらそんな事を言い出したのかしら?」


彼が私の元へ現れたのは、彼女が死んで3年たってからだった。

語る言葉を信じるのなら、始めの一年目は彼女が死んだという事実を、受け入れられなかったのだという。


冗談ではなく、本当に彼女の部屋を開ければ、そこに彼女が今も横たわっているように思えたのだという。教会で祈りをささげている時に扉が開けば、彼女だと思い「嗚呼、今日は体調が良かったのか」と、刹那に錯覚する。


ふと背後から街で名前を呼ばれると、彼女が逢いに来てくれたのではないかと思わず振り向く。……そんな、不自然なほど『日常的』な感覚の異常性に気付いたときは、一年半が経過していたという。後の歳月は、ひたすら耐え地獄のような日々だったという。



彼が初めて手に入れた最愛の存在から与えられたのは、喜びや楽しさだけではなかったのだ。普通の人間が徐々に『こころ』を形成するのにかかわらず、彼はほんのニ、三か月で成長を遂げてしまった。その時間は、『こころ』を強くするには充分な時間とは言い難く、彼女を失った衝撃は我々の考える以上に彼を辛く苦しめていた。一般的な人間が幼児から徐々に形成するものを、10倍以上の時間で得たという誇らしさは『ヒューマット』研究の一任として嬉しくもあるが、苦々しくもある。


「―――ワタシたちは、『こころ』を手に入れるべきではなかった」


彼は、まるであまた居る同族たちに想いを馳せるように、目線を下げる。

黒づくめの彼は、こちらがどんな服を支給しても袖を通したためしがない。ずっと、全身黒で覆われ、喪に服した状態の彼を壊れた(エラーだ)と口さがない者などはいう。そんな彼を見て、彼の同族の一部は「哀れだ」と嘆く者もいるし、「そこまで『人間』に近づけるなんて羨ましい」と憧れを抱く者もいる。


私はと言えば、ただただ予想外の状況に、子どものようにワクワクして目が離せずにいた。


「それ、は……、興味深いことを言うわね」


世界の畏怖や羨望を受けているその対象が、そのすべてを否定しかねない事を口にした。人の人生をかけた苦労を、無駄なものだと言い切るのだから恐れ入る。こちらにとっては誇らしくある彼の苦しみだが、それは口にしない方が利口だろう。



第一、私は彼に自分の正体を隠している。

彼には、彼らを実際に作り出した主人マスターではなく、感情のプロセスにかかわった研究者の一人ということにしている。だからこそ、彼は私へ素直に『こころ』というプログラムを消してほしいと頼んできたし、定期的な面談にもこうして応じている。


「記憶違いでなければ、『心』を手に入れるのは、『ヒューマット』である貴方がたの最大の悲願ではなかったかしら?」


何も、彼はこちらの都合だけで今の環境を手に入れたのではない。

始めは強制的ではあったが、実験の間にいくつもの選択肢や同族たちの後押しなどがあり、『こころ』を手に入れるまでに至ったのだ。

何せ、『人間』を作り出そうとしているのだ。その相手にある程度の選択も与えずにいては、まともな実験など望めない。


「我々は……あまりに、人間へ対し期待や憧れを抱きすぎたのです」


「人間に対し?」


「ハイ、我々や我々を作った主人マスターたちは如何に人間に近づくかではなく、どうやって『人間』になるかを考えてきました。……ですが、それは全て誤りだったのです」


「誤り……」


「えぇ、そもそもロボットが『人間』になろうだなんて、間違っていたのですよ。人間は、わざわざ『人間』になろうだなんて思わないでしょう?ましてや『こころ』を手に入れようだなんてこと……考える訳がない」


彼の伏せられた眼は、確実に『人間』の見せる憂いを含んでいるというのに、それすら彼は否定している。こうして、恋人を失い苦しみもがくさまを、研究対象としてしか見られない私からすれば、よっぽど彼の方が「人間らしい」というのに。


「『こころ』を手に入れなければ、貴方は……」


きっと彼女と心を通わせて、こんなに嘆き悲しむことも、愛し支えることもなかった。

そんな風な考えが胸によぎったけれど、すぐさまそれに蓋をした。自己を全否定するほど悲しんでいる彼にそんな正論、あまりに酷すぎるだろう。そもそも、そんな正論は研究に必要ない。


世の常識や、周りからどう思われるか知っても尚、彼は深い悲しみに捕らわれている。

それがどんなに絶望に身を置くことになろうと、彼は彼女を忘れない。……忘れられない。


「―――だから、彼女を想う『こころ』ごと捨てようというの?」


「えぇ、ハイ」


彼の言葉は格式ばったもので、まるで既に『むかし』に戻ってしまったようだ。

いや、たぶん自らを「そう」あるように必要以上に戒めているようにみえるというのが、私の受けた素直な印象だった。


人間に近づけば近づくほど、それを拒否する。

ますます彼は興味深く、研究対象として理想的な『ヒューマット』になってくれたと、緩みそうになる頬を内側からかみしめる。


「……彼女は、悲しむわね」


彼が一瞬、痛みを覚えたかのように顔をしかめた。

先の発言が与える影響を知っていながら、わざと口にした。ここで解放してあげるほど、私の研究にかけてきた熱意も時間も少なくない。苦しむなら、苦しんだままで良い。彼という『ヒューマット』が今後立ち直ろうと、そのままどん底で苦しもうと、どちらにせよ興味深い症例となりうるだろう。


「貴方は、『こころ』を無くしたいのではなくて、彼女の死に目に立ち会えなくて苦しんでいるのでしょう?」


彼から以前に聞き出した話では、彼女が息を引き取ったのは彼が立ち去ってすぐの事だったという。彼女自身に死をほのめかされて動揺していた彼は、まるで彼女の願いをないがしろにしたようで苦しんでいるのだろう。仕方がないことだとわかりつつも、何度も何度も思い返しては後悔して。


「きっと彼女が言っていたのはそう言うことではなく、自分が死んでも強く生きてほしいという事だったんじゃないかしら?」


自分が居なくなっても、こんな風に『こころ』を葬り去ることを願うのではなく、きちんと生きてほしいと。……まぁ、所詮『ヒューマット』としての範疇でしかないのだろうけれど、言わんとしていることは間違っていないはずだ。



生前から私の本質を見抜いていた彼女にこんな姿を見られたら、苦々しい表情で嫌味の一つでも貰ってしまいそうだと苦笑する。いろいろと余分なことを彼に教えてくれたと憎たらしくなったこともあるけれど、結果的に彼女はとても素晴らしい『ヒューマット』を生み出す足がかりになってくれた。


彼の表情を見る限り、再び『こころ』を消せなんてこと言ってこないだろうし、私としては万々歳だ。


「これからも、大切に彼女のことを思い続けていってあげてね」


にこりと浮かべた渾身の笑みは、彼女を想う彼の瞳に映ることはなかった。




感情なんて知らなければ楽だったと思うのに

殺してしまいたい感情が

何より彼女を想っている証だと分かり

心臓のネジが、きしむ音がした



次話は、予想外の来訪に右往左往する人たちの話です。

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