表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ツマにもなりゃしない小噺集  作者: 麻戸 槊來
懐古に溺れる酉
71/132

左手

この作品には、個人の意見と少ない知識で描かれた描写が多々ございます。

一般論ともいえないものですので、この作品はこういう事もあるのかぁ程度の認識で呼んでくださると嬉しいです。




きっと、人からすれば大よそどうでもいい事や、理解しがたいことで私は……時々、酷く孤独になる。






同棲している彼が、私の腕を見て眉をしかめる。

あえて何も言わなかったのに、どうやらうっすらと出来た青タンに気付かれてしまったらしい。


「また、ぶつけたのか?」


「うん」


何てことないように答えたのに、青タンを作った私よりも彼は苦々しい表情を作る。

気にかけてくれているというのは有難いのだけれど、あまり過剰に毎度反応されてしまうと、こちらとしても心苦しく辛くなる。


「……ごめん」


「なんで、お前が謝るんだよ」


呆れたようにシップを差し出す彼に、今度は「ありがとう」と言ってリビングを後にした。自分の鈍さや間抜けさは理解しているし、ここまで何とか折り合いをつけてやってきた。それなのに、急に同棲を始めた彼から日々注意されてしまうと、ひどく疲れてしょうがなくなる。




―――私はどうやら、もともと左利きだったのだという。

幼いころはまだまだ右利きが普通で、左利きの人はひどく生活しづらかったそうだ。母親も元々は左利きだったのだけれど、努力して何とか右手も使えるようになったのだという。


だから、みんながみんな私のように不器用になる訳ではないし、むしろ両利きという事で有利な面も少なからずあるようだ。




私がそれに気づいたのは、ほんの些細なことがきっかけだった。

体育の授業である日、クラウチングスタートという物を習ったことがあった。それは陸上選手のようにしゃがんだ状態から助走をつけて走る方法なのだけれど、どちらの足が軸足かと聞かれた瞬間にひどく戸惑った。立った状態から、倒れる動作をするときに咄嗟に出る足が利き足だというのだけれど、私は何度やってもわからなかった。こちらの足が軸足なのかと意識した途端に、違う足が出るのだ。



その日は一応、みんなに合わせて行動してみるのだけれど、よくよく意識してみるとどうにも不思議な感覚に襲われた。とっさに挙げる手、鞄をかける向き。考えれば考えるほど違和感を覚えるのだ。



何せ、咄嗟に体を守ろうとするときは左手が動くのに、物を取ろうとするときは右手になる。みんなが利き手を開けるため左肩へ鞄をかけるのに、私だけは利き手であるはずの右がかばんや荷物でふさがってしまうのだ。


今思い起こしてみれば、本能や咄嗟の反応の時には左手が動き、習慣になったことや何かをしようと意思が働いたときは右手が動いていたのだと分かる。……けれど、みんなと同じであるはずなのに、『みんなとは異なる』ということは私をさらに混乱させた。


「えー、自分の利き手がどっちかわからないなんて、変なの!」


「えっ、そ……そうなのかな?」


「うん、絶対変だよっ」


友達が口にする、そんな何気ない言葉にも戸惑い、今まで当たり前のように思っていたことが、すべて異常だったのだと知る。

これまで疑いもなくしてきたことに違和感を覚え、酷い時には左右さえ意識しなければ咄嗟に判断できないことには恐怖した。何せ、「大変そうだ」と他人事に感じていた左利きの人よりも、自分はさらに厄介な体質になっているのだと自覚したのだから。後で調べたことだけれど、ときどき私のように利き手を矯正すると似たような症状が現れる人がいるのだという。


「あっ、ちょっと気を付けてよ!」


「ごめんなさい」


駅の改札で、人にかばんをぶつけてしまって怒鳴られた。

普段は、人に当たらないよう気を付けているのだけれど、少し考え事をしていたせいで距離を測り損ねてしまった。ここ最近、彼氏とは気まずい委雰囲気だし、いろいろついてなくて嫌になってしまう。


いくら改善されつつあると言えど、公共の場所は大多数の人間に合わせて作られているのだ。右利きであるという有利性は理解できるし、利き手を変えてくれたことには感謝している。何より、今更左利きに合わせようとしても、幼いころから身についた習慣を変えることは困難だった。






✾  ✾  ✾  ✾  ✾  ✾  ✾  ✾






果たして本当にそれが影響しているのか分からないけれど、私はしょっちゅう物にぶつかった。ドアを開ける時や道の感覚をはかるときなど、右利きとしての意識があるのに、動いているのは左利きとしての感覚だったりして、微妙に誤差が生まれるのだと勝手に思っている。

むしろ、そうとでも思わなければ、彼に怒られるたびにどうすればいいのかわからなくなってしまうのだ。


「お前、いい加減気をつけろって……」


「―――ごめん」


物を壊した時や、落とした時などは素直に謝れるのだけれど。

そうでないときは……自分が痛い思いをしたのに、どうしてその当人である私が怒られなければいけないのか分からず納得いかない。そんな、納得のいかない感情を抱えた分だけ、些細なあざや傷痕は増えていく。



どんくさいだけだ。

注意力が散漫なだけだと言われてしまえばそれまでだけれど、考えても見てほしい。

いちいち、普段の生活で常に集中していなきゃいけないストレスを。仕事をしている時や、道を歩くときに集中しろと言うだけならまだいい。ただ、立ち上がる動作や物を取る時でさえ、その動作に神経を集中させている人など、どれほどいるだろうか。


もちろん、体が不自由な人や病気の人からすれば、何を言っていると鼻で笑われることだろう。こんな感覚が存在するという事すら知らない人間にしてみれば、「よくもまぁ、そんなくだらない言い訳を思いつくものだ」と軽蔑すらされるかもしれない。

だけれど、こんなこと人に話しても理解されないし、頭が弱いだの言われるのも癪で、誰に話すこともできず「間抜けなんだ」と、笑ってごまかすしかない気持ちは少しくらい汲んでもらいたいと願ってしまう。


「ほらっ、傷が残ったら大変だろ?特に、右手は利き手なんだし気を付けねぇと」


「…………」


傷なんて、色々なところにたくさんあるとは言えなかった。

宗教上の問題から、右手を清潔にしていて左は不浄とみられ、両利きにしようとする人々もいるのだと知った時は驚いたけれど。じゃあ、どっちつかずの私はどうしたらよいのだろうと、意味のない憤りを感じる。こんな風にイライラするのも、夏の暑さのせいなのだろうか?


「んだよ?なんで、そんなに不機嫌そうな顔なんだ」


「こんなに、いっつも丁寧にしてくれなくていい」


「は?傷が残った方がいいってか?」


「違うけど……、いつも怪我しているから、自分で対処の仕方は知っているの」


「でも、そこはちょうどひじを曲げるところだから、分かりにくいだろう?」


「っっそれでも、いい!」


せっかく心配してくれている彼に、こんな事しか言えない自分が嫌でしゃがみ込む。

今日はせっかくお互いに仕事を早く切り上げて帰ったのに、のんびりした雰囲気なんて全然味わえていない。何時ものように、怪我を見つけられて怒られるのが、今はたまらなく嫌だった。



何も、周囲の評価をすべて否定している訳ではない。

自分の努力が足りないという面も、充分あるだろう。ただ……まぬけだ、怠けていると決めつける前に、どうか『何かしらの理由があるのかもしれない』とだけ思って欲しい。


パソコンや公共の施設のみならず、ペンの一本でさえ右利きが使いやすいように設計されている世の中だ。利き手を矯正された親の危惧も、分かるようになった。




ただ、左利きの人間だと脳の使い方も異なってくるようで、芸術家や天才と呼ばれた人間にも左利きが多くみられると言われると、己の持っていないものを思いうらやましく思える気持ちもある。クロスドミナンスと呼ばれる、自在に使いやすい場面ごとに使う手を変える……いわば両利きの人を思えば、どうしても左利きも悪くないのではないかと思ってしまう。


もっとも、自分はただでさえ不器用なのだから両利きなんてことをできるかどうかは、怪しいところなのだけれど。所詮、ない物ねだりなのだろう。


「あーあ、もう何泣いてるんだよ」


「だって、最近うまくいかない事ばっかりで!」


「はいはい、何時ものように動けないから、イライラしてやけに怪我してたのか」


「ちがうっ!」


「あー、もう、分かったからそんなに落ち込むなって」


私はグラフィックデザイナーをしているのだけれど、最近はなかなか良いデザインが浮かばないし、当然自分ですら気に入っていない案はなかなか通らなくて苦しんでいた。私は上司から「お前には才能がないっ」なんて罵られているのに、彼は同じ職場でぐんぐんと才覚を表していた。



入社当時は私の方が上だったのに、今ではぐんぐんと急成長を遂げた彼の足元にも及ばないのではないかとおびえている。どうして、こんなに差が空いてしまったのだろうと思ったとき、くだらない学生時代の言葉が頭をよぎった。


「もともと、左利きだから」


そんなくだらない理由で、今も左利きである彼をうらやむなんて、勘違いも甚だしい。

自分自身、こんなのは上手くいかないやつあたりだとわかっている。そんな訳のわからないことで当り散らす私に、彼は数日前と同じように笑って見せた。


あの時はリビングから逃げ出してしまったけれど、今度は彼に体当たりするように抱き着いて見せる。


「今日の馬鹿なクライアントは酷かった!泣いとけ、泣いとけっ」


「あのハゲ、今度会ったらぎゃふんと言わせてやるー!」


「それでこそ、デザイナーだ!自分の作品で、奴のうるさい口を黙らせてやれっ!」


それから、お酒を飲んだ私たちは、しばらくぎゃーぎゃー言い合ってめちゃくちゃなデザインを描いては馬鹿笑いした。思い切り本音を言い合ったのが良かったのか、私の次に出したデザインは、一発でOKをもらった。


なんだかんだ言いつつも、利き手は関係ないという事なのだろう。

ついグチグチ言ってしまうけれど、今あるものでどう動くのかが大切なんだと実感した出来事だった。



次話は、運命にあらがおうと必死になる学生のお話です。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ