異端児
ごめんなさい、後数分が間に合わなかったぁー。
数か月前までは裸だった木々がいきいきとし、太陽がギラギラと存在感を主張する季節がやってきた。仕事が休みだから一日中家でダラダラしているつもりだったのに、そろそろ座っているだけでも熱くなったからと、つっかけ一つで蔵へ向かった。
我が家の敷地には、小さいながら庭があり土蔵≪どぞう≫がある。もっとも、ちょっと田舎なこの辺りでは珍しいことではないのだが、そこそこな大きさがある蔵は下手をすると我が家よりよっぽど豪華に見えるかもしれない。
瓦屋根に、焦げ茶色の格子。一昔の日本ではそう珍しくないから特別目立つわけでもないが、我が家のそれはずっと昔からあり家よりも年季が入っている。私たちの居住スペースは祖父母の代で改装などをしているため、これよりも比較的新しい。『ザ・日本』という蔵の姿と我が家はアンバランスだ。いくら新しい物好きだったとはいえ、もう少しバランスを考えて改装すればよかったのにと、物心ついた頃から思っていたが、使い勝手の良さゆえ祖父母の趣味を否定できないのは難しいところだ。
今となっては慣れてしまった違和感を無視して、扉を開けた私は凍りついた。
「なんだ、その珍妙な格好は……」
ガッと蔵の扉を閉めて、つっかえ棒をして私は叫んだ。
「…………。
お母さーん、家の蔵に変な人がいるー!」
扉のまえで思いっきり台所に向けて叫ぶと、蔵のなかからは「なんだっ?何故閉じ込めるんだ小娘!」と、不法侵入者が扉をガタガタ揺らすのが分かった。
私はただ扇風機を取りに来ただけなのに、まったく勘弁してほしい。
入社したての頃は何もせずとも若いとちやほやされていたのに、社会人も数年たつと都合のいい雑用係ぐらいの扱いしか受けなくなる。最近では若いと言ってくれるのも近所のおばあちゃんと会社のお局様くらいの女からすれば、小娘と呼ばれて悪い気はしない。
小娘とよぶ相手が自分とさほど変わらない年齢だというのはいただけないが、少しくらいなら話を聞いてやろうと話し掛ける。
「お宝目当てなら期待を裏切って悪いけれど、蔵に入っているのはガラクタばかりよ」
「なに?ここはクラァという部屋なのか?」
高いところに一つ明り取りがあるだけの倉庫は暗くて怖いだろうに、男は気丈にもボケてみせた。いくら聞き間違ったとしても、蔵を部屋とは苦しいボケだ。私にしてみれば、よく悪い事をしたときに閉じ込められていたため、お仕置き部屋にすら思える。そこまで考え、ふっと男の容姿を思い出した。
「ねぇ、貴方の髪と瞳の色を教えてもらえるかしら?」
「ん?何故いきなり、そんな事を聞く?」
「いいから答えなさいよ」
「うっ……か、髪はコーラルレッドで、瞳はリーフグリーンだ」
「何それ?」
ずいぶん洒落た名前を出されたものだが、分かったところから推測するに髪はそんなに色味の強くない赤で、瞳は少し薄めの緑を思い浮かべればいいのだろうか?正直、色に対してそんなに詳しいわけではないのでよく分からない。
「とりあえず、それはエッグとかカラコンではなく、生まれついた色と考えていいのかしら?」
「お前は、どこか辺鄙な土地の生まれなのか?ところどころ分からない単語が出てくるのだが……」
「うーん、髪と瞳の色から考えると外国の人なのかぁ……。もしかして貴方、日本の漫画に影響されて観光に来たくち?」
だとしたら、やけに堅苦しい言葉を使っているのもうなずける。
多少失礼な言葉が入っていたことも、茶目っ気のある日本人にヘタな言葉を教えられたのだと思えば我慢できる。まるで騎士のような格好をしていたのも、何かのキャラクターをまねたのかもしれない。
「でもさぁ~、いくら日本のものに興味があるからって、ひとんちの敷地に入っちゃまずいでしょう?」
これくらいなら、国は違えど共通した考えだとおもう。
アメリカなんかだと、強盗に押し入った人間を撃ち殺してしまっても無罪になるどころか、英雄騒ぎになることからかんがえれば勝手にはいるなど有り得ない。
いくら平和ボケしている国とはいえど「そこまで言葉を覚えられたのなら、多少は日本のルールも学んで来いっ」という話だ。
「ん?ここはお前の領地内なのか?
それはすまないことをした。どうやら何らかのトラップに引っ掛かり、ここまで転移させられてしまったのだ」
「えっ、やだ……何かこみいった話なの?」
仕事仲間によるものかは分からないが、罠にかけられて日本に飛ばされたなんて軽々しく無関係な人間に話してもいいのだろうか?
一瞬みてすぐ扉を閉めてしまったが、腰には剣らしきものを下げる力の入れようだ。
日本に来たことを悲観はしていないようだが、仕事の失敗がきっかけでコスプレにはまってしまったのだとしたら不憫すぎる。
「同僚に嵌められたショックで人間不信になり、ヲタクへの道をひた走った外国人……」
その筋書きだけで涙が出そうだ。
数年前の私だったら、なんて軟弱なんだと叱り飛ばしたかもしれないけれど、もっと脆弱な人間とかかわっている今は、こんな彼にも同情的になれる。
「ん?なんだ、娘。どうして涙声なんだ?」
「だって……」
先ほどまでは「突然泣き出すなんて、気の病でも患っているのか?」なんて言われたら怒鳴り返せただろうけれど、むしろ自分がつらい状況なのにこちらを気遣うなんて、どれだけ優しいのかと感動してしまう。多少の失礼な言動がなんだ。
うちの職場にいる、新入社員にもその根性を分けてあげてほしい。
二人配属された新入社員の一人は、日常業務を教えた途端「私には、この仕事向いてなかったみたいですぅ」なんていって早々に辞め。
もう一人は、「希望していた部署と違うし、忙しすぎて体壊して医者に仕事休めって言われました」なんて、マジでふざけんな。新入社員が入社後の研修をしている数か月間、私はずっと一人でその忙しさを耐えてきたんだぞ。地獄のような忙しさは、なんとか期限やノルマを達成するのに必死になるばかりで、転職するという考えすら浮かばなかった。
今はなんとかパートを増やしてもらって堪えているけれど、人が休憩時間すら削っているのに余計な雑用を増やす上司には……本っ当に、嫌気がさす。
「真面目に、新しい仕事見つけよう……」
「お、おい、本当に大丈夫なのか?」
「ん?ああ、ごめん。ちょっと考え込んでた」
「泣いたかと思えば、突然怒り出して……もしや、何かに祟られていたりする訳ではないよな?」
「ちょっと、誰が呪いレベルの情緒不安定ですって!」
思わず、文句を言おうと扉を開ける。
勢いよく開けた音に驚くその体は、現在では見かけないほどがっしりとしていた。服はコスプレにしてはやけに色褪せ、ところどころにほつれを直した跡がある。……でも、一番存在感を放っているのは、間違いなく腰に下げている大きな剣だった。
「もう、いっそすがすがしい程のゲームヲタクなの?」
「オタク?ゲームは分かるが、なんだオタクとは」
「あれ、その道の人には結構一般的な日本語だと思うけれど、知らないの?」
「嗚呼、申し訳ないが知らないな」
見れば見るほどに違和感があり、聞けば聞くほどに怪しく感じる。
さっきまでは、素直に反省し出て行ってくれれば、警察には連絡しないでおこうと考えていた。でもこれは、通報レベルの相手かもしれない。
「ん?娘、何故じりじりと後ずさる?」
「い、いえ私のことは御気になさらず」
「なんだ、急に畏まったりして。第一、そのように距離を開けられていては、会話がしにくい」
「いやいや、本当に御気になさらないでください」
「無礼でも、畏まっていても話がしにくいな……」
失礼な発言に、思わず怒鳴ろうと考えたけれど、何とか抑える。
いくら人の家に不法侵入した外国人ヲタクとはいえ、変に刺激するわけにはいかない。ギリギリと歯を食いしばりながら抑えた感情は、声にせずとも伝わったようで目の前の男も心なし後ずさっていた。
「な、なんだ。何か言いたいことがあるのならば、言えばいいだろう」
「君子、危うきには近寄らず……」
私は決して利口ではないけれど、あからさまにいっちゃってる人間を挑発するほど、愚かではないつもりだ。
先ほどまで感じていた感動はとうに消え去り、頭で鳴り響く警戒音に素直に従う。都会ではないここでは隣家まで距離があって、助けは望めない。大声を出したはずなのに、母親は様子を見に来てすらくれないようだ。
危うく忘れかけていたけれど、私がここに来たのは扇風機を出すためで、スマホは家に置いてある。扇風機を必要とするほどの気温なのだから、勿論ここは暑くて汗が出る。
涼しいのは蔵の中だけで、強い日差しにさらされている私は、どうしてせっかくの休みにこんな思いをしなければならないのかと苛々する。
「……もう、とりあえずこんな暑いところにいたくないから、家で話しましょう」
「おっ、それなら申し訳ないが、茶を一杯もらえると助かる。朝から戦場に赴いていたせいで、まともに水分すらとれていないんだ」
「あー、はいはい。そういう設定なのね。茶でもご飯でもあげるから、早くついて来て」
先ほどまでの警戒心は確かに残っているけれど、人間何時までも緊張しっぱなしではいられない。私は自分で思っていた以上に短期だったらしい。
それから数時間後、いくら苛々していたからと言っても、決して怪しい他人にうかつに近づいてはいけないのだと、深く実感するとは思いもしなかった。
次話は、とても長い距離を離れて過ごす恋人たちのお話です。