長所
あと数秒が間に合いませんでした、すみません!
朝練が終わって、すぐに着替えを済まし教室へ駆け込む。
授業にはまだ間に合う時間だし、身体強化という名の部員いじめなマラソンの後は大概辛いが、俺は彼女見たさに一秒でも早く教室に入る。きっと、おしゃれに余念がないのだろう。彼女が来るのはたいてい遅いが、もしも早く来ていては損をしたような気分になるから、できるだけ早く教室に来るようにしている。
今日も朝から可愛いなぁっと件の彼女を見ていると、俺の席のお隣さんであるクラス委員がやってきた。
「あっ、委員長おはよー」
「はい、おはよう。また松浦さんのことみてたの?飽きないねぇ」
挨拶のついでにちくりと嫌味を貰ってしまったが、全く気にすることなく笑って返す。
俺が毎日飽きもせず彼女を見ているのは確かだし、委員長にはちょくちょく恋愛相談という名ののろけを聞かせているから、こういう言い回しには慣れてしまった。
「委員長も、コンタクトにして髪垂らせば負けないくらい可愛いよ」
「―――見たことないくせに。本当に佐々木君は口がうまいよね」
褒めるとも貶すとも取れる言葉に、へらりと笑って返す。
俺は上に二人姉がいるせいか特別こういったことを気負わず言えてしまうのだが、それは珍しいことであるらしい。時々友達には「お前にはイタリアの血が入っているのかっ」なんて言われたりする。
けれど、本当に委員長の染めていない黒髪はきれいだと思うし、跳ねるのを気にしてか何時も結わいてあるその首筋に「あれだけは悪くない」なんてオヤジくさいことを言う友達もいる。きっちりと絞められた襟元なんて、見ているだけでも窮屈に思うのに、それのどこがいいのか全然わからない。
まぁ、奴は女子大生と毎日いちゃついている野郎だから、同年代の男とは感性が違うのかもしれない。女子大生のおねーさまなんて響きはいいが、俺の姉貴のようにすぐ年上ぶったり、馬鹿にするに決まっているのだ。それならば、年下か最低でも同年代の子の方が絶対に良い。
そんなことを考えていたのがバレたのか「佐々木君。何か、いやらしいこと考えている?」なんて言われて、やましい所はないはずなのに肩がはねた。
「馬鹿なこと言うなよ、委員長!」
「そうだよ委員長っ。こいつがエロいこと考えていない時なんて、ある訳ねぇじゃんっ」
「そうそう、今さら言うまでもないって」
「うおぉい!お前らさりげなく、貶してんじゃねぇよ」
仮にもダチだと思っていたが、人間関係を見直した方が良いかと迷うほどに酷い発言だ。……特に、気になっている子がこちらをみてくすくす笑っている時なんかは。本気でこいつら、一発絞めてやらないと我慢ならない。
さぁ、如何黙らせるべきかと思案する俺へ対し、更に「小せぇことで、キレるなよ。そんなことじゃモテねぇぞ」なんて笑う奴らに、やっぱりここで息の根を止めてしまおうと一歩踏み出したところで、思いがけない待ったがかかった。
「―――私は、佐々木君が座高高いの気にして、一生懸命体を丸めながらノートとったり、果ては一番下の見にくいところとか、読みにくい文字をわざと後ろの人にも分かるように確認するところとか嫌いじゃないよ」
一瞬、何を言われたのか理解できなかった。
しかし、此処で黙り込んではいけないととっさに判断して、すぐに否定した。
「なっ、なぁーんの事だか、さっぱりわからないな!」
必要以上に気合のこもったごまかしに、周囲は苦笑いするばかりで突っ込みを入れてはこない。むしろここまで下手にしらを切って見せたんだから、いっそ「もう少し演技力を磨けよ」なんて言葉でもいいから、笑って欲しかった。嫌に向けられる眼差しが生易しくて、いたたまれない。
追い込まれた気持ちでいる俺に、冷静な彼女は再び攻撃を仕掛けてくる。
「しょっちゅう消しゴム使うから、消しカスが机の下に集まるの気にしてわざわざごみ箱へ捨てに行っちゃうところもいいと思うし」
「委員長は、俺に何か恨みでもあるのかなぁ!」
「ただ、ユニホームをめったに洗わなくて部員の人に言われてようやく持って帰った次の練習日に、色が全く変わっているのには……どれだけ洗ってなかったんだって思うけど」
「委員長が、なんっでそこまで知ってるんだよ!っていうか、もう勘弁してください」
若干泣きが入りつつも、悔し紛れに声を上げた。
ただ、動揺しまくりの俺に構わず「マネージャーやってる子、中学の時の後輩で仲いいの」なんて軽く返されてしまったが。教室へは徐々に人が集まりだしたが、教師はまだ姿を見せない。こんなにも担任が来るのが楽しみな時はないのではないだろうか。
以前に、ちょっとホームルームに遅れてしまったことを部活の顧問に言いつけられた時、仕返しに奴の大事にしている愛車へ向けて用を足したことも、いまなら誠心誠意謝罪してもいい。『誰でもいいから助けてくれ』と思いながら、何とか委員長の言葉を否定する。
「とにかく、そういう細かい気遣いできるところ、素敵だなって思うよ?」
「ちょっ、それ誰のことっ?おぉおおお、俺は、そんなっ、そんなみみっちい事はしないし、そんな小さい男じゃない!」
「あれ?褒めてるのに……」
うん、これほど嬉しくない褒められかたは初めてだよっ!まったく嬉しくない初体験、どうもありがとねっ。なんてこと、到底言える訳がなく。我らがマドンナのドン引きした顔が心に刺さる。
前に『マドンナって、お前親父かよ』なんて呆れられたこともあるが、みんなの憧れという点からいえば、間違いなく彼女は俺のマドンナだ。……そんな彼女が、これまでに見たことがないような心底。そう、「うげぇっ」という顔をして、こちらを見ている。
そんな顔で見られるくらいなら、まだ嘲笑って欲しかった。心の汗を大量に流したい気持ちになりながら、必死に否定する。
「う、うそ!今の全部嘘だからっ」
「いやあ。お前が、授業中やけに姿勢が悪いと気になっていたけれど、そんな気遣い屋だったとは初めて知ったよ」
にやにや笑いながら、悪友が茶化してくる。
お願いだから今は黙っていてくれと思うのだが、他の連中もここぞとばかりに俺をからかう。何せ、マドンナに想いを寄せている奴は多いのだ。少しでも周囲を蹴散らす機会があれば、これ幸いと利用されるのは明白だ。
「みんな、からかったら可哀想だよぉー」
「うん。松浦さんが一番楽しそうだけどね」
「えぇー、委員長ひどぉーい」
冷静な委員長は、マドンナに対して冷ややかなまなざしを送っている。
華やかな彼女と委員長ではタイプが違いすぎるというのは分かっていたが、委員長がそんな目を向けているのは初めて見たかもしれない。
幾分驚いて意識がそれたが、委員長が言っていたのはこっそり非常階段とかに呼び出して伝えてくれるものであって、決して大衆の前で堂々と語られるようなことではない。俺だって、こんな周囲から引かれた目で見られてさえいなければ、相当かわったときめきポイントを持った子なんだなぁ程度で済ませられたのに。かすかな憧れを抱いていたマドンナにあんな目で見られたとあっては、恨みすら抱いてしまう。
理由も知らない担任が姿を現したのは、数分もしないうちだった。
「おっ、なんだ楽しいことでもあったのか?いやにみんな笑顔じゃないか」
「せんせぇー、今の佐々木君は落ち込んでいるのでそっとしておいてあげてください」
「ん?何かあったのか佐々木」
「―――先生。悪いけど今は、本気で放っておいて」
その日の授業は、とにかく最悪だった。
ずっとクラスメートにはにやにや観察されてしまうし、昼休みになった頃には他のクラスにも話は伝わっていた。
放課後、やるせない気持ちになりながら委員長を呼び出した。
どうして突然あんなことを言い出したのか、理由を知りたかったのだ。当初考えていた通り、非常階段に呼び出してみた。内緒の話とはこうするのだと、苛立ち交じりに示したかったのかもしれない。
「……委員長、どうして突然あんなこと言ったんだよ」
あんなの、嫌がらせでなければ考えられない。
今日はからかわれていた分だけ、文句を言ってやるつもりだった。最初にしかけてきたのはそちらだと、散々恨み言をぶつけてやろうと呼び出したのに、向き合った彼女はむっすりと仏頂面だった。
「私だって、あんな性悪女が相手じゃなければこんなことしなかったよ」
「えっ?」
ぽそりと呟かれた言葉に、目が点になる。
悔し紛れにそんな事を言っているのかと思えば、どうやらそうでもないようだ。第一、わざわざ言われずとも、委員長がいたずらに人を貶めるようなことを言う奴ではないと分かっている。
「あれ?」
それでは、何故こんなことを突然言い出したのかと疑問は尽きない。
何せ、彼女は比較的はっきり発言するタイプだが、空気がよめずひんしゅくを買う子でもない。
考えれば考えるほど答えは出なくて、悩んだ俺は悩むのをやめた。
何の因果か、それから我らがマドンナ松浦さんは、デキ婚で高校を中退。
その数年後に離婚し、俺らが大学を卒業した年には資産家の男と再婚し、現在はその相手とも離婚調停中なのだという。同窓会に出てきた彼女は相変わらず綺麗だったけれど、既に相手がいる俺にはどうも色あせて見えた。
「憧れてたのになぁ……」
あからさまに新しい相手を物色しに来たのが見え見えな彼女は、魅力的に思えなかった。むしろ女豹のような眼差しに話しかけられるだけで不安を覚えたのは、男としては間違っているかもしれないが、生存本能として間違いではないと思う。
何せ、彼女の元夫は散々金を搾り取られたあげく捨てられ、現在離婚が確定しそうな夫もだいぶ慰謝料を持って行かれそうなのだ。同じ男として共感してしまうのは、無理からぬことだろう。いろいろ搾り取られ、すっからかんになってから捨てられるなど悲惨すぎる。エステなどに金をかけているだけあって腰まわりや胸も垂れることなく、髪は整えられ装飾品の類も豪華なものだと女たちが羨んでいた。
「見る目がなかったのよ」
少し膨れた様子で、彼女が言う。
何も、見惚れていたわけではないのに、こんなことくらいで焼いてもらえるなど驚きでしかない。女房焼くほど亭主モテずという所なのか。不機嫌そうにグラスを煽っているのは、慣れないコンタクトにイラついているのが原因ではないだろう。
「あんまり酒強くないんだから、それくらいにしておけよ?」
「うるさいなぁ、散々人のこと口喧しいだの言っていたくせに。最近じゃあ、私より細かいじゃない」
眉を吊り上げるその顔は、本気でイライラしているのが読み取れる。
こういう時は、どんな正論を言っても聞き入れてはもらえない。それがわかっているから、本音に交えて彼女が笑ってくれそうな言葉を口にするのだ。
「……そりゃあ、可愛い奥さんが心配なんだからしょうがないじゃないですか」
左手をもちあげ、優しく指輪へキスをする。
昔ならまず考えられない気障な振る舞いも、俺以上に彼女の方がはずかしがって面白いと気付いてから抵抗は少なくなった。言葉だけなら昔から抵抗がなかったから、これで彼女が笑ってくれるなら安いものだ。狙い通り、酒とは違う熱が彼女の頬へ宿ったのが分かる。
「おいっ!いくら新婚だからって、そこでいちゃついてるなよ」
「うるせぇ!ひがむなよ」
にやりと笑って彼女の腰を取れば、そこかしこから囃し立てる声が上がる。
委員長と昔呼んでいた少女は、いまでは俺の奥さんとなった。あの衝撃的なホームルームからこんな関係になるだなんて思ってもみなかったが、まぁこれも縁というものなのだろう。
とりあえず一つ言えることは、彼女を選んでよかったということだ。
次話は、ドラゴン退治の勇者となった青年と、幼馴染の少女が登場します。