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契約不履行




―――彼はよく、私との約束を破る。


「ねぇ、またご飯食べなかったでしょう?」


こちらは憤りも抑えきれずに彼を見据えるのに、ゆっくりと振り返った彼は、しばらく視線を空へやった後に「あぁ、そういえば忘れた……かも?」なんて言っている。


彼は気を付けていないと、すぐに食事や睡眠を忘れる。

私では到底理解できない感覚だけど、一度仕事に夢中になると途端にいろいろ見えなくなってしまうらしい。救急車で運ばれたことこそないけれど、何度かお医者のお世話になっている。いうところの、アウトオブ眼中というものだろう。


彼は十代の頃から、芸術関係の仕事をしている。

絵を描いたり、彫刻を掘ってみたりいろいろ手を出したということだけど、結局は油絵の魅力に取りつかれてそれ一本に絞ろうかと考え始めているのだと話してくれた。正直、そういった職業がまかり通るのなんて一昔前のことだと思っていたから、こんな生き方をしている人間を目の当たりにして驚いたものだ。私の貧相な想像力の中では、ベレー帽をかぶったそうが、お貴族様に無理難題を押し付けられている姿が浮かぶ。



作品の価値や彼の才能なんて私に計るすべはないけど、喰うに困らない程度にはうまくいっているようでなによりだ。いくら好きだとはいえ、『夢を追う恋人を養う』なんて貴族のごとし振る舞いはできないのでほっとした。


そもそも、どうして普通のOLである私がそんな人間の恋人になろうと思ったのかと聞かれれば、『幼き日の私は、ロマンチストで面食いだったから』という説明しかできる気がしない。自分の残念な思考回路に悔しがればいいのか、十年以上たっても変わらない彼に呆れればいいのか分からないまま、煮え切らない感情をため息でごまかす。


「なっちゃんと約束したんでしょう?」


「……そう。なっちゃんと約束したんだぁ」


へらりとしまりなく笑った顔が、どうしてか時々ひどく憎たらしく思える。

『なっちゃん』というのは、彼の小学生時代にあったという友達のことだ。転校が多かった彼は、小学三年生の夏休みに一緒に過ごしたという友達のことをえらく気に入って、それきり会ったことがないというのに大人になった今もずっと特別な存在として頭に残っているらしい。ぼんやりした彼にはあまり友達が多くなくて、男友達が出来てとっても嬉しかったのだという。―――そして、それは何を隠そう私のことだったりする。



あれは、暑い夏のことだった。

外の日差しはひりひりするほど強く、過去最高記録を毎日更新するのも珍しくなくなっていた。アイスを食べようとプールへ行こうと、どうにもこうにも暑くてしょうがなくて、「ぐだぐだしてないで、遊びに行ってきなさい」なんて母親に家から追い出された時は、「鬼ババア―!」なんて叫んで叱られたりもした。


いつも宿題をギリギリまで残してしまう私には、図書館へ行って宿題をしようなどと思えるはずもなく。無理やり追い出された上に、そんなお母さんが喜ぶようなことをしてなるものかと、涼しい所を探してさまよった。


そこで、滅多にいかない神社に足を踏み入れようとしたあの時の私を、今では褒めてあげたいと思う。当時、理科の授業でコンクリートより酸素を吐き出している木の影の方が涼しいと知ったばかりの私は、少しでも涼しいのではないかと廃れた神社の境内に足を進めた。石畳が照り返す日差しを受けるたびに何度階段を上るのを諦めようと思ったかしれないけれど、中ほどまで来たら、「水道で水でも貰わなければやっていられない」と見当違いの怒りにより足を進めた。心のどこかで、ホラーなどでも神社は出てくるし、少しでも涼しくなるんじゃないかという気持ちも持っていた。




赤い鳥居を潜り抜け、はぁはぁと呼吸さえも揃わないまま階段を上りきった私を迎えたのは、きらきらと木陰から降り注ぐ光のなか、やしろの前で一人たたずむ美青年だった。


「にん、げん……?」


思わず、呟いた言葉を聞きとがめられ、「当たり前でしょう」と眉を寄せる姿にすら私は見とれた。

あの頃の創くんはそれこそ中性的な美しさがあって、赤鳥居ごしに見るとまるでここの主のようにすら思えた。まぁ、そんなのは子どもの馬鹿な幻想でしかなくて、実際の彼は生活能力もないいろいろダメダメな男だったのだが。


当時の私は、悲しいことに年中ねんちゅうさんにもなって自らの服すら満足に着れないところすら魅力に感じてしまったのだ。ただ無頓着なものぐさな人間なだけだったのに、ボタンをしょっちゅう掛け間違っているのは、和装が多いからだと誤解していたのも要因と言えるが。どうも私は神社で出逢ったことで、神秘的なものと結び付けたかったらしい。


「ふーん。あんまりにも綺麗だから、妖怪かなんかかと思った」


「何それ、全然褒め言葉になってないから」


「まぁ、いいじゃん。ねぇ、そんなことより一緒に遊ばない?」


「……別にいいけど、僕同年代の男の子とあまり遊んだことないよ」


「…………そう」


「嗚呼、でも女の子は苦手だから、一緒に遊ぼうとすら思わないけどね」


男に間違われたことは、ほんっとうに悔しく腹が立ったけれど、彼が女の子を苦手だと聞いて考えを改めた。都合よく彼が勘違いしてくれているのだから、もうこのまま友達として仲良くなってしまおうと考えたのだ。それで、自分が女だと分かってからも友達でいてくれるほど交友を深めてしまえば、こちらのものだ。端から近づけないよりも、性別を間違えられてでも一緒にいられる方がいい。意外と自分はミーハーなのだと思いながら、当初の狙いどおり創くんと毎日遊んですごした。



ある日は虫取りをして、またある日は抜け道を探しては探検をした。

一人だったら目も向けない柱のシミも、二人だったらお化けに見えたり秘密の暗号だったり物語が生まれた。―――それはまるで、これから新しい環境に身を置く私に対するご褒美のように考えて一日一日を満喫していた。




過去はいつも美しく彩られてしまうものなんだなぁと思いながら、何度目かしれない言葉を彼へ投げかける。


「ねぇ、ちゃんと睡眠もとるって約束したんでしょう?」


色々納得がいかない面はあるけれど、彼は自分でもいうように、本当になっちゃんとの約束を守ろうという意識はあるらしい。遠い昔にほんの少し会っただけの『男友達』との約束は守ろうとするくせに、『彼女』が心配する声は無視なのかと思えば腹も立つけれど、もとを正せばどちらも自分だと考えれば、責める訳にもいかない。


「うーん、一応眠ってるよ?」


「嘘言わないの」


「ほんとだって。いつも気づいたら筆持ったまま眩しくて起きるもん」


「それ、数時間も寝てないじゃない」


呆れてため息を吐く私に、「それもそうだね」なんて平然と笑って見せる顔を、何度殴ってやろうと思ったかしれない。夜行性の彼にとって、夜に創作意欲が湧くというのだから死活問題なのかもしれないけれど。だったら昼に眠っているのかと言えばそうでもないのだから、口を出さずにはいられない。


まったく、昔はもう少し可愛げがあったというのに、どうしてこんな変わった人間へ成長してしまったのだろうと内心首をかしげていた。






✾  ✾  ✾  ✾  ✾  ✾  ✾  ✾






―――彼女はずっと、俺との約束を守ってくれない。


まだ二人が小さい頃、神社で時間をつぶす俺に『なっちゃん』は話しかけてきた。

いきなり見ず知らずの子どもに話しかけられて、内心はひどく焦っていた。ぼんやりしていると同性の友達から疎まれることが多かった当時の俺は、あまり同年代の子供と接するのに慣れておらず、知らず緊張していたのだ。だから、何かと構いたてる新しい友達にうんざりしつつも興味を持ったのは不思議としかいうしかない。



夏休みの中ごろに出会ったから、一緒に過ごした時間は数週間しかなかった。

けれど、確かになっちゃんはこれまでの子とは違って、一緒にいても楽しくて何でも話せる唯一の存在だった。同じ小学校ではないかもしれないけれど、きっと学校が始まっても時々は会えるのだろうと漠然と考えていた。そんな予想がとんでもない間違いだったと知ったのは、珍しくなっちゃんと遊びながら居眠りをしてしまった午後のことだ。


「あれ……?」


なっちゃんと川で拾った丸い石に絵を描いて遊んでいたが、連日の暑苦しさで睡眠不足になり眠くてしょうがなかった。彼女との穏やかな時間は楽しくも心地よくて、暑い日差しから逃げるように駆け帰った自分の家でうとうとしてしまった。


『彼女』は、きっと熟睡していると思ったのだろう。

それに反して、小さな手が肩に触れた時点で目を覚ました俺は、油断しているなっちゃんを驚かせようと目を開けずにいた。


「創くん?寝ちゃったの……?」


前に、遅くまで起きていることを怒られるのが嫌で寝たふりをした時、両親に「息を止めていたらバレバレだ」と笑われた経験から、寝たふりには自信があった。ギリギリまで近づいてから驚かせようと内心わくわくして、なっちゃんの吐息がかかる距離まで待っていた。


俺が眠ったふりをしている傍ら、彼女はこっそりささやきを残す。


「もっと、女の子らしくなって逢いにくるから。ふりふりとした可愛いスカートとか似合うようになって貴方に『好き』って言いに来るから……。そしたら、ずっと一緒にいてね?」


秘密で打ち明けられた告白の内容があまりに衝撃的過ぎて、思わず息を止めてしまう。


なっちゃんが女の子だと気付いたのは、割と最初の頃だった。

いくらパッと見では判断がつかないと言えど、こまごまとした小物は女の子らしい可愛いものだったし、発言からも自分とは違うのだと察することが出来た。それなのに、どうやら本人は意識して女の子であることを隠そうとしていたようだから、あえてあからさまな女の子扱いをしないように心掛けていた。


「―――なっちゃん?」


ぱたぱたと走り去る音を聞きながら、追いかけることも話しかけることも出来ずに体を起こした。どうしてそんなことを寝ている時に言われるのかわからなかったし、友達だと思っていた彼女がそんなことを考えていた事実も衝撃だった。第一、それならばどうして性別を隠すようなことをしていたのか、疑問ばかりが頭を絞めた。そんな風に戸惑って彼女を避けている数日間のうちに、なつりの連絡先を聞くことすらできずに彼女とは二度と遊ぶことが出来なくなってしまった。




当時はよくわからなかったけれど、今のなつりを知っている俺ならわかる。

男と間違えられてしまったことが、恥ずかしくも悔しくて。それならば今度は間違いようのない『女性』になって、姿を現そうとしたのだろう。


負けず嫌いで臆病な、なつりらしい。

再会した今なら笑える話だけれど、当時の俺は混乱するやら寂しいやらで大変だった。その上、どうやら自分と交換に福岡へ転校していったという少女が『なつり』だったと知った時にはだいぶ打ちひしがれた。遊ぶことにばかり夢中で、ろくに彼女について知ろうとしなかったことが悔やまれた。唯一知っていた彼女の家は、気づけばもぬけの殻で。まるで大切に育てていたさなぎが、自分が知らないうちに孵化して飛び去ってしまったような虚しさに駆られてしまった。






皮肉なことに、彼女が突然目の前から去った行き場のない感情をキャンパスに移した作品は、ことごとく評価され自らの名を広めるに至った。怒りやむなしさなどの感情を吐き出し終わると、楽しかった思い出を気ままに描き出した。朝も夜もなく創作を続ける僕を心配した両親は、「なっちゃん」の名前を出すことで僕にともな生活を送らせようとした。彼女はやけに色々僕の面倒を見ようと頑張っていたから、「創くん、ちゃんと寝なきゃダメだよ」、「きちんと食べないと、一緒に遊べないよ」なんて口癖のように言っていた。彼女がいなくなってもその約束を利用する両親にひどく腹が立ったけど、他のどんな忠告や心配よりも逆らってはならない気にさせられた、


「もっと、女の子らしくなって逢いにくるから。……そしたら、ずっと一緒にいてね?」


あんなことを言っていたから、成長した彼女が目の前に現れた時は、それこそ柄にもなく興奮した。ふわふわとした長い髪を結わって、女らしく成長した彼女はどこからどう見ても女の子……いや、立派な女性だった。ようやく、ずっと待っていた俺に逢いに来てくれたのだと喜んだのに、彼女はすっかり俺のことを忘れている様子だったし。それが単なるごまかしなのだと判明してからも、一向に告白してくれる様子はない。


動きやすい恰好を好む彼女はめったにスカートをはかないし、俺がふわふわとしていると思った物を勧めてみても「そんな少女趣味な物、私には似合わないわよ」なんて嫌そうな顔をする。どうやら努力家のなつりにしてみれば、まだ彼女が望む『可愛らしい女の子』に届いていないようで、あの時の約束を果たしてくれない。



こちらは随分と前から、可愛らしく頬を染めた彼女にプロポーズされるのを待っているというのに酷い話だ。

告白はつい俺からしてしまったけれど、プロポーズこそは彼女からしてもらいたい。

なんせ、こちらはずっとあの言葉を信じて待ち続けていたのだから。


「―――約束は、破っちゃいけないものだよね?」


「そうよ。何当たり前のこと言っているの?」


不思議そうに小首を傾げる彼女に、そちらこそ何を言っているのだと詰め寄りたくなる。

あの約束を忘れたとは言わせないし、いくら直接言われずとも約束は約束だ。彼女が物の合間にその話題を持ち出すたびに、『勿論なつりも約束を守ってくれるよね?』なんて考えていることを、彼女はきっと知らないだろう。なっちゃんが一日も早く約束を守ってくれることを願って、俺は今日もキャンパスに向かった。






ここまでお付き合いいただき、有難うございました。

(追記)うわぁーたまには少し変化を持たせようと、のんびり口調男性の一人称を『俺』にしようとしたら、度々間違っていたので直しましたぁー(汗)私は比較的口調とかはっきり使い分けるのが書きやすいし好きなのですが、試してみて玉砕してました、すみません!


次話は、少し不思議な夫婦の日常を描いた話です。

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