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ツマにもなりゃしない小噺集  作者: 麻戸 槊來
互いの想いを推しはかる羊
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スティンガー  前編

スティンガー……※1ブランデーベースのカクテルである。ミントの味わいが特徴。※2今世紀初めに生まれたカクテル。「スティンガー」とは、針のこと。


※1『ウィキペディア フリー百科事典』より抽出。

※2『weblio辞書』より抽出。

初めてバーへ行ったのは、二人目の彼と一緒のときだった。

成人したばかりの私は、大衆居酒屋とはまた違う独特の大人っぽさに憧れて、当時の彼へ強請って連れて行ってもらったのだ。七歳年上の彼は、まだ学生だった私にはひどく大人に思えて、指で氷を回す様にすらドキドキしていた。相手も、ずいぶん粋がって選んだのだろう。今にしても思えばなれていない店へ、必死に案内してくれたのだろうと思う。けれど煉瓦をはめ込んだ内壁や、古びたカウンターや机などは異国に迷い込んだ雰囲気を味わわせ、薄暗い店内にドキドキしっぱなしだった。



記念すべき一杯目は、無理を言ってアルコール度数の高いものを頼んだ。

しかし、名前や由来に憧れていただけの私に、その味は美味しく思えず。彼は苦笑しながら、飲みやすく色鮮やかなカクテルを注文してくれた。


「これ、飲んでみる?」


バーへ続く階段を降りるのも緊張しなくなった頃、彼がそんな事を言いながら一杯のカクテルを進めてくれた。大抵私はノンアルコールのものか色鮮やかなものを進められていたので、出てきたものに驚いた。ベースがブランデーという事もあり、慣れたカラフルなカクテルとは全く異なるものだった。それは食後酒だといい、先に食事を済ませてきたからちょうどいいだろうと彼は笑う。たばこのせいなのか、少し荒れた唇に目を奪われながらそっとグラスへ口をつける。


甘くミントのさわやかさがあるのにピリッと刺激があり、喉が渇いていたのに彼がどうしてこれを勧めてきたのか分からない。いくら甘口だと言われても、飲みなれていない私にはおいしく感じられず、求めていたお酒だとは間違っても言えなかった。まるで噛み合わない最近の私たちを表しているようなそのお酒が、『毒舌家』という意味があるのだと知った時にはもう、私たちは別れを決めていた。今にして思えば、あれは彼の分かりにくいシグナルだったのかもしれない。






✾  ✾  ✾  ✾  ✾  ✾  ✾  ✾






それがどうして、こんな女に成長してしまったのか。

確かに昔から口が達者と言われてきたけれど、まだあの頃のほうが可愛げがあったと我ながら思う。


今では、バーに一人で行けないどころか、さびれた定食屋や少しお高めのレストランだってひとりで楽しむことができてしまう。我ながら、女らしさや可愛さはどこへ置いてきてしまったのかと思考を巡らせるが、ちょうど二人目の男と別れた頃から何かが変わっていった気がする。


お肌のはり艶や髪質が変わったことなど、いろいろ年齢を気にする部分は端々にあったけれど、まさかこんなところでも年齢を実感させられるとは思っていなかった。世では『おひとり様』なんて言葉が流行ったこともあったけれど、こっちとしては必要に迫られているだけで、何も望んでこんなに逞しくなったわけではないと、誰にともなく唾を吐きかけてやりたい気分だ。




そんな詮無いことに想いを馳せるのも阿呆らしいと、もやもやした気分を吐き出すように煙を吐いた。思いきり灰色の煙を吐き出す感覚は、存外悪くはない。別段煙草なんておいしくないとは思うけど、この感覚はやめられない。一人席で煙草をふかす私に向かって、彼は分かりやすく眉を寄せる。


「お前、また来たのか」


「あら、御挨拶ね」


ホストだというのに、その愛想のなさでどうやって人気を維持しているのか不思議でならない。可愛いカモが逢いに来てあげたのだから、いらっしゃいくらい言ってほしいところだ。きらびやかで清潔な店内に似合わず、どこかやる気のないけだるい雰囲気の男は、悔しいほどに存在感がある。



夜を思わせるこの男を前にすると、先ほど挨拶してくれた新人の子がずいぶん可愛らしく思える。

心から笑って出迎えろなんてわがままは言わないから、形だけでも笑って見せてほしいものだ。こちとら高い指名料を払っているというのに、その半分も元を取れないといっそ笑ってしまいたくなる。




どうして、こんな男にわざわざ会いに来ているのかと言えば、こたえられる自信がない。

ただ、たまたま気晴らしに来たホストクラブで男の子たちにちやほやしてもらおうかと思ったら、意外と年を食った男が席についてくれて。何度か顔を出したことのあるホストクラブとは全く異なるその男から目が離せなくなっていた。存外、傍に座っていながら放っておかれる感覚が心地よかったのかもしれない。現在では、派手に着飾ったキャバ嬢と思わしき他の常連さんとも、気軽に挨拶を交わすほどに慣れ親しんでしまった。



彼に逢いに来るのはまるで、それなりに付き合った男と家で話しているのとさほど変わらない感覚で、恋愛の疑似体験をしているような気持ちだったのだと今なら分析できる。時々情報番組や雑誌なんかで、レンタル彼氏なるものがあるという知識はあったけれど大して興味は抱かなかった。どうして、『わざわざお金を払ってまで飲みもせずそんなことをしなければならないのか』と思ったけれど、今はお金を払ってまで男と過ごしたいという人のことを笑うことが出来やしない。


今では、ちょっといい気分になれる贅沢な飲み屋というより、彼に逢いたくて来ているようなものだった。




―――だというのに、今日も売り上げトップの彼はなかなか捕まらない。


「もう一杯お願いできる?」


そういってグラスを差し出すと、隣に座った男の子は困ったような顔をした。


「美希さん、少し飲みすぎじゃないですか?」


「あら、せっかくたくさん飲んでお店へ貢献しているのに、そんなこと言っていいの?」


ヘルプで入った新人の子をつかまえて、いたずらに微笑んだ。

こんな初々しい子をからかって遊ぶなど、我ながら意地が悪いことをしている。そもそもここは男の子との会話を楽しむべきところで、こんな風にどんどんグラスを傾ける場所ではない。……それは分かり切っていることなのに、どうしても飲みたくてしょうがない私は、心配しながら注文通りにウイスキーを作ってくれる子の髪を撫でた。


こんなことをしたら、せっかくセットしているのにと不愉快かしらと顔色を窺う。

そもそも、咄嗟にしてしまったことだとはいえ、店の子たちに軽々しく触れるものではないと自嘲の色を深める。


「心配してくれたのに意地悪言ってごめんね?……でも、この一杯で終わりにするからお願い」


こちらへグラスを渡すべきか迷っていた彼は、ため息を一つ吐き出すと「約束ですよ」とグラスをくれた。自分自身でも今日は飲みすぎてしまったと自覚があったから、さっきの言葉に嘘はない。


「うん、約束」


まるで子どもがするように小指を絡めてから、グラスへ手を伸ばした私の手は空を切った。

止める暇すら与えられず、そのグラスは別の大きな手に奪われる。酔ってうまく回らない頭で、その大きな筋張った手をたどっていく。


手、腕、肩、のどと視線を走らせたところで、自分のそれとは異なるたくましいそれが音を立てて液体を飲み干していく。お客さんに断わりもいれずこんなことをするのは、この男くらいしかいない。そう頭のどこかでわかっているはずなのに、改めて顔を確認して驚いた。じんは指名が多くて、今日はこれで終いだと愛想なく席を去っていったのに。そんなホスト、他で見たことがないと不満を言いつつ諦めたのも記憶に新しい。


「あ……、」


小さく上げた声が消えたお酒への執着なのか、彼の行動を非難したものなのか分からない。

ただただ、突然現れグラスを勢いよく傾けた仁に驚いて見上げる。


「客が飲みすぎだとわかってんのに、まんまとこんな奴に負かされてんじゃねぇよ」


冷たい視線が、隣の男の子を鋭くにらみつけた。

その表情と言葉に浮かんだ不快感に、どんな意味が含まれているのか私は知りたくなかった。自分を『こんな奴』と表現されたことへの憤りなのか、『お客様』である私へ全く視線を向けないことへの虚しさなのか…。本当に、時々どうしてこんな男を指名しているのか分からなくなる。


「私のおさけ……勝手に、のまないでよ」


酔ったせいなのか、思いのほか呂律のまわっていなかった口調に、舌打ちを殺す。

これではまるで、この男へ媚びているようではないか。ほかの女の子たちを見てみると、最大限自分を可愛らしく見せようと頑張っている子たちも少なくない。けれど、同時に仁がそういう子たちを瞳の奥で冷やかに観察しているのを知ってから、絶対に同じことをするものかと心に決めていた。彼はこんな仕事をしているくせに、あからさまに媚びてくる子たちが好きではないのだ。


同性である私からすると、彼らに好かれたくて頑張っている彼女たちの姿は可愛らしく思えてしまったりもするのだけれど。自分の中で彼女たちと同じような行動は、絶対にするものかと考えてしまっている時点で、仁と同類なのかもしれない。思えば学生時代も、こんな風にあからさまな態度をとる同級生を横目に見ているような女だった。


「そいつと、これで終わりにするって『約束』したんだろ?これ以上酔っ払いに出す酒はねぇよ」


「わたし、のんでない…」


やけに約束の部分を強調した彼を、恨めしくにらむ。さっきは、本当にあの一杯で終わらせようと思っていたのに……あんまりだ。そもそもここには客も従業員たちも、その程度に差はあれど、みんな酔っ払いみたいなものではないか。


最後の一杯を飲めずに席を追われ、不満が募る。

普通、こちらから男の子たちにお酒を振る舞うことはあっても、あんなにも強引にお酒を奪って責められないのは、彼くらいのものだろう。いくらお酒をのんでいいかという申し出を断ったことがないからと言って、これはあんまりだ。


「酔っぱらいは、とっとと帰れ」


「何よ、飲みすぎてあんたに迷惑かけたことはないでしょう?」


こちらだってそれなりに飲みなれているのだから、自分の限界くらいわかってる。

そもそも、客がべろべろになるまで酔っぱらうなんて、相手の男にだって問題があるだろうと悪態をついたら、存外彼の気に障ったらしい。


「確かに店ではどうとでもできるが、お前だって一応女なんだから、一歩外に出れば飢えた馬鹿野郎どもに何をされるか分かんねぇぞ」


凄んでくるその顔は、あからさまに私の格好を見てあざ笑っていた。

他の子たちが小奇麗ない恰好をしているのをよそに、最近ではすっかりラフな格好になった。本当は少しでもこの男へ気にかけてほしいのに、意識すればするほどがむしゃらに努力する自分が滑稽に思えて駄目だ。狙いとは逆に、おしゃれの『お』の字もない私の格好は悪目立ちして、ときどきこうやって彼に笑われるのも珍しくなくなった。



―――そうだというのに、アルコールに浸かった脳みそは嫌に私を無防備させたらしい。


彼の不躾な視線にも傷ついてしまい、思わず気持ちを隠すようにうつむいた。

「なんだ、吐くならトイレにしろよ」なんてデリカシーのない言葉も辛くて、普段では到底考え付かないようなことが、頭を支配した。



一度浮かんだ考えは、酔った頭にはとても素晴らしい案に思えて、心を決めた。

もうそろそろ、こんな馬鹿なことを続けるのも辛くなったし。正直、将来のためにと蓄えてきた貯金も少しずつとはいえ、減ってしまっている。気持ちの面でも金銭的にも、余裕がなくなってきた私は、ここが引き際だろうと一人頷く。


「じゃあ……そこまでいうなら、賭けをしましょうよ」


「賭け?」


左の眉を器用にあげてみせる彼に、餌に食らいついたと内心ほくそ笑む。

こんな仕草をしたときは、大概興味を持ってくれた時なのだ。彼が面白がってくれなくても、くだらない賭けの延長だと言えば無謀なことも出来る気がした。


「おい、賭けって……」


「ちょっと、考え事しているんだから待って」


「はぁ?」


呆れた様子の彼のことも放置して、必死に頭を働かせる。


クリスマスも近くなってきたことだし、こんな生活は今年の内に区切りをつけたい。それをするには、賭けの内容はどんなものにしようか。長くこじらせた気持ちに区切りをつけ、生活を正すのにふさわしいものにするには、彼に少しでも私を女として見直してほしい。


そんな風に考えたはいいけれど、それなら彼の好みはどんなタイプなんだと想像してみても、一向に浮かばなかった私はいっそ本人に聞いてみることにした。


「そう……じゃあ、今度来た時に貴方が指定した通りの女性を演じて見せるから、本当にうまくできてるか賭けをしましょう」


「そんなの賭けになるかよ」


いきなり出した私の突拍子のない提案に、彼が乗ってくる様子はない。もちろんこうなることは分かっていたため、わざと人の悪い笑みを浮かべる。


「勝つ自信がないの?」


「ああぁ?」


目に見えて機嫌の悪くなった仁に、ちょろいものだとほくそ笑む。

こうやって煽れば、噛みついてくることは分かっていた。少々凄まれても、引きはしない。


「たとえば、幼児とか男装とかは不利になるから却下」


こんな、日々異性をメロメロにさせようと頑張っているプロを前に、男装する勇気はない。どうしても私ではなよなよしくなるだろうし、本物相手には不利だ。幼児なんてものはもってのほか。


そんな事を考えていた私に、「俺はロリコンじゃねぇ!」なんて吠えてかかってくる彼に目を見開く。そこまで過剰反応されると、勘繰りたくなるのが人の常だというのに。


「そんなに怒るってことは……未成年とか、相当年下に手を出したことがあるの?」


私も彼よりはいくつか若いが、あまりの想像にくらくらする。

もしや、これは勝ち目のない勝負に出てしまったのだろうか?彼のことだから、どうせ私とは正反対に見える悩殺系を選択すると思ったのだけれど。もしも、実家のクローゼットへしまいこんでいる制服を出さなきゃいけなくなったら、なかなかのダメージを食らうことになる。


「馬鹿いうなっ!」


「じゃあ、どんな女がいいのよ」


「お前とは正反対のタイプだ!」


「ふーん」


自分で水を向けていながら、返ってきた言葉に傷ついていた。

私たちの会話はいつもこんな感じで。この人を指名するほかの女の子は、うまく彼をいなすか三歩下がってついていくような子ばかりで私には到底まねできない。


「じゃあ、妖艶で大人の魅力あふれる人……とか?」


「そうだな。お前は妖艶さどころか、魅力も大してないからなぁ」


にやにや笑ってそういう男は、此処がどこか分かっているのだろうか。

甘い言葉と優しい態度で女の子を気分良くするのがホストクラブだと思っていたのに、たまに褒めたり笑いかけるだけできゃーきゃー騒がれるこの男を見ていると分からなくなる。



私もいろいろ間違っているけど、この男も大概だ。


「―――楽しみにしていなさい。賭けに勝つのは私よ」


「ふん、望むところだ。俺がお前なんかに負けるかよ」


片頬をゆがめて笑う姿に内心ときめきながら、さぁ明日から忙しくなるぞと酔った頭で考えていた。





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