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ツマにもなりゃしない小噺集  作者: 麻戸 槊來
あちらこちらへ跳ね回る兎
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体に刻みこまれた記憶

しばらくパソコンの調子が悪く、作品を投稿できなかったストレス?で、昔の作品をあげてみました。その為、他のものと少し作風が異なるかもしれません



私のまぶたにキスする人はもういない…。


もう、春なんて穏やかなものじゃない。

もう、夏なんてにぎやかなものじゃない。もう秋なんて…。冬なんて…。



日本が誇る季節なんて、もう素敵じゃない。何かが変わっただけで、こんなことを思うなんて馬鹿としか言いようがない。そんな事は分かってる。


―――でも、確かにここに記憶があるのだ。


口下手なあなたの、少し変わった愛情表現であるまぶたへのキスも。

些細な事にも激しく動揺してしまうような、愛しい記憶がありありと浮かんでくるのだ。春は一緒に『春眠暁を覚えず』何て笑いあって、ごろごろ寝転がっていたよね。夏は慣れない浴衣を着て、一緒に花火を観に行ったよね。

秋は?冬は?あの頃は…。



私はとても臆病で、異国に旅立つ貴方の背中をずっと追いかけるなんて事とてもじゃないけど出来なかった。

絵を描いて食べていこうだなんて、夢みたいな事を言うあなたの背中をずっと信じているなんて…できなかった。






大学で初めて会った時に、私へ放ったあなたの言葉は衝撃的だった。


「死んだ目をしている…」


大した感情も浮かべていない、初対面の男性にそんなことを言われ戸惑う私を置いて、あなたはさっさと踵を返してしまった。


あの時のことは今でも忘れられない。

なんて失礼な奴なんだ!というか、そう言う事を初対面の人に言うなんて、人間としてどうかと思う。―――けれど今考えてみると確かに、私はそんな目をしていたのかもしれない。

屋上の手すりで、空を睨み付けるように眺めていたのだから…。


それでも、あなたには一つ訂正しておかなければならない事がある。

私は決して自殺なんて考えていた訳ではなくて、ただ青く広い空が少し憎らしくなって、睨み付けていただけなのだ。

青くて広くて、何より自由で…。羨ましくってたまらなかった。




そんなやり取りも忘れかけていた頃に、私は一枚のある絵に出会った。

出会ったなんて言うと、あなたはいつものように…


「大袈裟なやつだ」


そう笑うかもしれないけれど、私にとったらそれだけの衝撃があったのだ。


黒などの暗い色を使っているのに、それは絶望どころか、未来への希望を表現しているように思えて。…なんというか、今の私にはぴったりだったのだ。すべての事に絶望なんてしていない。

だからと言って、夢を素直に語れるような心境でも、性格でもない。


それをうまく絵という形で表現してもらったようで嬉しくなった。名前も一応チェックしておいた。大学で人を捜すなんて無謀だとは思うけれど、ただ再びこの人の絵を見れたのならば、私は意味もなく幸せになれるだろうという、奇妙な確信を持ったのだ。







そして、この作者が以前に会った失礼なあなたであると知った時、私は本気で落ち込んだ。


「なんでよりによって…」


思わずそう呟くくらいには、ショックを受けていた。今だから正直に認めるけれど、確かに私は少し、運命的なものを夢見ていたのだと思う。友達にわざわざ聞いてまで捜すのではなかった―――。最初は本当にそう思って後悔していた。



そんな私を知ってか知らずか、あなたとはよく顔を合わせていたね。

会うたび、会うたび、あなたを意識していた。でも私はそんな自分自身ですら無視して、分からないふりをしていた。


何といっても、私は今まで自分からちゃんと人を好きになった事がなかったのだ。

第一、こんな不器用な優しさしか知らない人を、好きになるなんて思いもしなかった。


―――それでも、私の意志など全く関係ないというように、私はあなたに惹かれていった。あなたがあの時に告白してくれなかったら、私は何も出来ずに大学も卒業し、職に就いていただろう。適度に合コンをしたり、恋人が出来たりもしたと思う。


けれど、あなたを想うほどに人を好きには…なれていなかったと思う。




あなたは少し言葉足らずで意地悪だったけれど、しっかりとした意思を持ち、本当の優しさを知っている人だった。

ただの甘やかしではない、欲しい時にある腕と言葉。


「泣くなって」


「うるさい、泣いてない」


なんて会話、日常茶飯事だった。

それだけで私は幸せだったのに、あなたはさらりとそんな日々を捨ててしまった。

あなたは…あなたの夢をとってしまった。私の夢は、あなたとでなければ叶えられないものばかりで、あなたの夢は、私なんていなくても大丈夫で―――。


私はあなたが四年の春に、海外に行くと言った時に目のまえが真っ暗になってしまった。思考も止め、少しでも最低な結末を迎えないように耳をふさぎ。只管あなたに縋りつくか、罵るかしかしなくなってしまった口を動かし続けていた。



辛さと疲労が頂点に達した時、私はもう何もかもを止めてしまった。

…あなたの事は、もう諦めなければいけない。

あなたが海外で成功し、幸せになる事を心から願わなければならない。

―――例えあなたの隣にいるのが、私でない誰か(・・)だとしても。


私の選択の中には、あなたと共に海外にいくという選択肢がなかったのだ。



…いや。もしかしたらずっと気付いていて、わざと無視をしていただけなのかもしれない。

あなたを信じ切れずに、あなたのことばかりを責めていた私を、とても醜くて汚い生き物のように思ってしまうよ…。





あなたは夏にはもう海外に旅立っていた。

自分を責めるだけで、話も聞こうともしない私にさぞ嫌気がさしていた事だろう。

…あなたが居なくなってから聞いたのだけれど、『あの黒い絵』は私に会ってから描いていたのね。



それを聞いた時、私は嬉しくて悲しくて涙を流したよ。

嗚呼、あなたはあの日、私がどんな気持ちでいたのかを理解してくれていた。口で言うのは簡単だけど、違うやり方でその事を…。『理解している』と伝えようとしてくれていたのね。

私はなぜそんなことに気付かずにきてしまったのだろう。後悔……なんて言葉じゃとても足りない。




今でも雑踏の中であなたを捜しているの。居る訳ないのは分かっているのだけれど、そうせずにはいられなくて…。


いつか私も、あなた以外の人を愛する日が来るかもしれない。

でも、せめて私のまぶたに残る…あなたの温もりが。決して忘れ去られる事のないようにと、願っているよ。だからもう。



私のまぶたにキスする人はもういない…。






不器用なあなたの愛情表現は、いつしかあなたの癖になっていた。

「そんなことじゃ誤魔化されない」とあの頃は怒っていたけれど、

今は、そんな癖すら愛しくて恋しくて堪らない。

ねぇ、お願い。

もう一度困ったように微笑んで、私のご機嫌取りをして…?



(叶わぬ願いを、今も捨てられずに私はいる)


次話は、不思議なお人形と病弱な女の子の話になります。

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