ぼんくら 後編
流れていく夜の闇に、さびしそうに微笑む男爵様の顔をおもいだした。
あの何とも言い表しがたい独特の表情は、叶わない相手へ想いを寄せる者、共通なのかもしれない。
どこか既視感を覚えると思えば、毎朝鏡で見るそれと似ていたのだ。
何度か馬車のなかに虫が入ると、御者に注意されたけれど。慣れない馬車の中で一人じっとしているのも辛くて、暗い道のりを眺めていた。がたがたと揺れて、荷馬車よりも早いとはいえ乗り心地は微妙なところだ。そろそろ村へ着くかという所で、村の入り口に人影らしきものを見つけて目を凝らす。
日暮れにあんな所へいるなど、親とケンカした子どもか酔っ払いかと思うけど……村の看板と比較して見る限り子どもではなさそうだ。おまけに、酔っ払いにしては危なげなく立っている様子でもないし、誰が何をしているのか分からない。
嫌に胸騒ぎがしてしまい、よくよく目を凝らして驚き声をひっくりかえす。
「な、何しているのっ」
見間違いなどではなく、一人立ち尽くしていたのはジェムだった。
近くに来て、御者に礼を述べてから宿の場所を教える。泊まっていけばいいと言われたのに、無理やり送ってもらったのだ。この村の宿が満杯になることなんてまずないけれど、もし泊まれなそうだったら我が家に来るよう伝えておく。
さて、『これで気兼ねなく彼を問い詰められる』と声をかけると、考えていた以上に幼馴染はオドオドしていた。
「か、帰ってくるような気がしたから」
何の根拠があって、そんな事を思ったのか。
いっそ、そんな確証がなく危ない事なんてするなっと、怒鳴り散らそうと息を吸い込んだところで、思わず口を噤む。これまで視線をあわさず、きまり悪そうにしていたのが顔を上げた途端に収まったのだ。
あまりに凝視してくるジェムに不信感を抱く。
これまで、突飛な行動に驚かされるのは私ばかりで、まるでありえないものを見たというような表情にかすかに傷ついた。
何せ、今日は滅多になくめかしこんでおり、半日以上経過しているが、結構な自信があった。面食いなこの男に『可愛い』なんていわれるとは思っていなかったが、最悪馬子にも衣装くらいの言葉はもらえると思っていた。
「期待なんて…するんじゃなかった」
ぽつりと、足元へ言葉を落とした。
下げた視線には、この場では不釣り合いな程ひらひらとしたスカートと、かかとの高い靴が映し出される。男爵様のお屋敷ではみすぼらしく思えたとっておきの衣装も、この村では土で汚されるだけだ。
きっと帰れば、早速汚したのかと母親にどやされてしまう。
男爵様のお屋敷でもこの村でさえも馴染めないこの格好は、まるでどっちつかずの自分の心のようで惨めに思える。……どうして私は、お世辞一つ言えないこんな男のために、あんな極上の結婚相手を振ってしまったのだろう。
決して『なし崩しのまま、結婚してしまえばよかった』などとは、思ってやしないけれど。
初めて会った彼が言ってくれた言葉は、どうにも私にとって印象的で。実りのないまま守り続けてきた恋心が、近頃むなしく思えてしまう。所詮、私もあの『話題の麗しの乙女』に感化されたうちの一人なのだろう。
たくましく格好いい騎士様に助けられて、あっという間に恋に落ちる。
それはまるで、子どもの頃に強請ったお姫様が幸せになる夢物語のように思えて。それまでどんなに努力し、苦労してきたのか見て知っているはずなのに、堪らなく羨ましかった。
彼女を村へ迎えに来た騎士様を思い出して、思わずふっとため息をこぼす。
感傷的になった私へ、思いがけない言葉を落とされたのはそんな時だった。
「―――その、首元はどうしたんだ?」
言われた瞬間、バッと首を両手で覆った。
別れの挨拶をしたときに、たしかにラファイエット様は「ただで帰すにはあまりに惜しいから」などといって首元に噛みついてきたのだ。
あの時は、歯とはまた異なる感触に何をされているのか分からなかったが、ちくりと痛みを覚えたのは記憶している。きっとあの時の跡が残っているのだ。
思わずその時のことを思い出して、赤面する。
彼は、互いに持ったランプしかないような状態でも見えるような跡を残すなど、何を考えているのかと改めて恨めしく思う。
「なっ、何でもないわよ!」
「いや、だって赤くなって、」
「どうせ、虫にでも刺されたんじゃないっ?」
今さっき、何でもないって言ってたのは何なんだと、もっともな事を言われて言葉を失う。
悔し紛れに唸り声を上げるが、空気の読めない幼馴染は「何だか様子が可笑しいぞ?」なんて、追い打ちをかけてくる。―――そうなのだ。この男に空気を読むや、口にされずとも察するなんて芸当ができたら、私はこんなにも苦労することはなかった。
本当に、どうしてこの男なんかを好きなのだと、今では心の友になった男爵様へ頭のなかで問いかける。
もっとも、この気まずい状況を招いた原因は彼にあるのだけれど。騎士様のように美丈夫な訳ではなかったけれど、彼は紳士的でとても話しやすかった。
正直、この鈍い男と接するのに慣れてしまった私には、些かやり難さを覚えたりもする。だけど、ぽんぽんと言葉の応酬ができるのは、女友達とはまた違った感覚で楽しかった。
「そんなことよりっ、何でこんな所で帰るとも知れない私を待っていたのよ!
……何かあったの?」
特別意味もなく口にしたというのに、声に出した途端本当に悪い事でも起きたのではないかと不安に駆られた。何せ、こんな時間まで私を待っているなんて普通じゃ考えられない。どうせ隣に住んでいるし、突然用事ができたのだとしてもこんな所で待っている理由にはならない。
何時まで待っても返事がないのに不安を覚え、開こうとした口は次の一言で阻まれた。
「男爵様と結婚するのか?」
「っどうして、ジェムにそんなこと報告しなきゃいけないの……」
勘弁してほしいと思いながらも、突き放すような言葉を口にする。
そうでもしなければ、震える声をごまかせそうになかった。確かに、彼にわかりやすく気持ちを伝えた事はなかったけれど、さすがに少しくらい察してくれてもいいのではないかと不満がわき出る。男爵様に会って、多少欲が出てきてしまったのかもしれない。
「お前もいい年だし…好きになれそうなら、結婚とかするのかと思って」
歯切れ悪く言われ、とうとう堪えていた感情が爆発した。
「私が好きなのはっ。男爵様でも騎士様でもなく!馬鹿で物知らずで、周囲へ酷いことを口にしているくせに、全く自覚のないダメッダメな幼馴染よ!」
男爵様のように、大人ではないし身分もない。騎士様のように強くもないし余裕もない。えばり散らすことでしか、感情を表現できない臆病で不器用な馬鹿な奴なのに。いざ私が困っていたり苛められていたら、泥だらけになりながら助けてくれるような人が私の想い人なのだ。
これまでも、ジェムが何気なく口にした言葉で幾度となく傷つけられてきた。
早く男を見つけろ?余計なお世話だ。
口喧しいと嫁の貰い手が無くなる?誰のせいだと思っている。
正直、彼の母親のことは苦手だし。
お金がない人を馬鹿にするのも、嫁は飾りか子どもを産むための手段だという考え方も理解できない。……それでも、にこにことまぬけだと言われながら彼女に愛想よくしていたのは、どうしても嫌われたくないという気持ちがあったからだ。
「もうっ…本当に、ばかみたい……」
ラファイエット様へいった言葉に、嘘はない。
私がもう少し賢かったら、間違いなくあの手をとっていた。綺麗で、ジェムとは違って頼れる手にすがってしまいたい気持ちは確かにあるのだ。真っ直ぐな瞳や、一途な気持ちがこちらに向いてくれたら、それこそ理想の夫になることだろう。
それなのに―――。
「あの…俺、なにも知らないで、ごめん」
弱弱しくつぶやかれた言葉に顔を上げると、声同様、弱り切った情けない顔をした男がいる。そんな到底格好いいとは言えない姿にすら、阿呆になった私の胸はときめくのだ。男爵様のときとは違う脈の刻み方に、どうせこの想いを捨てることなど不可能だとあざ笑われている気がする。
「ジェム、が…好きよ」
顔を見ずに、地面へそんな言葉を落とす。
ここのところ、今まで以上にジェムの顔を見るのが辛くなっている。失恋した彼へ取り入るなんて容易いはずなのに、意気地がない私はそんなことして彼に軽蔑され関係が変わることを恐れているのだ。その晩、不格好な告白がしっかり届いたのか確認することはなく、私は彼とその場でわかれた。
翌日から、何故か彼は商売に目覚めてしまったようだ。
あんなに嫌がっていた『麗しの乙女』の結婚式は商売時と、同年代の娘たちを標的にいろいろ売り込むつもりだと忙しそうにしている。
彼の母親は拍子抜けしつつも、大好きなお金を稼げるとあって乗り気だ。何せ年頃の娘たちにとって、騎士なんてあこがれの存在だ。
これまで苦労してきた村娘が燃えるような恋をし、騎士の妻になる。
庶民のみならず、貴族の女性にも好まれるような二人のエピソードは、女性の心をがっつりと掴んだ。ただでさえ見目麗しい二人の恋物語だ。少しでも二人の幸せにあやかりたいと、飛びつく人が後を絶たないらしい。
『麗しの乙女』が愛用していた物と言えば、皆こぞって買っていくらしい。決して嘘をついている訳ではないのだけれど…どこでも手に入りそうなものが、故郷の村で作られたというだけで、どんどん売れていくのにはしょっぱい気持ちになった。
お蔭で、村全体がこれまで以上に余裕ができたということで大喜びだけど、複雑な気持ちに変わりはない。これまで普通に作っていた物が倍近くの値段で売れていくことに、疑問を覚えない方がおかしいだろう。
複雑と言えば、ジェムの行動も理由に挙げられる。街へ行っても、私の好物を時々おごってくれる程度だったのに、最近はやけにプレゼントをくれるようになった。彼が街に行く頻度が高くなったから、ついて行く事が減ったのも原因かもしれないけれど。
まさか強請ってもいないというのに、あの幼馴染から花や可愛い小物などの贈り物をもらう日が来るとは、思いもしなかった。
今日も、前回とは異なった花束を持って家へやってきた。
欲しいとお願いしても村はずれから摘んでくるのがせいぜいだったのに、こんなにもちょくちょく貰っては、狭い我が家では飾るスペースが無くなってしまう。街でわざわざ売られている上等な花も、所在なさげに見えるのは戸惑う私の心が見せる幻かもしれないけれど。
お礼を伝えつつもどうしていいのかと眉を下げる私に、仏頂面でジェムは言う。
「……これ、男爵から」
「あ、ありがとう」
初めて会った日から、ラファイエット様との交流は続いていた。
何が気に入ってもらえたのかは不明だけれど、時々お屋敷にお邪魔してはとりとめのない話を交わしていた。会えない時などはこうして手紙をくれたりもして、何気ない愚痴を聞いたり村での様子を聞かせるだけで気分展開になるのだという。
私としても彼へ緊張しなくなったし、お見合いの様子や夜会での失敗談なんて早々聞けるものではないと楽しみにしている面もある。
―――だから決して、ジェムにこんな顔をされるような事ではないのだけれど。
「男爵に、付きまとわれているのか?」
見当違いの心配に、ため息を殺す。
どうして迷惑している相手からの手紙を、喜んで受け取らなくてはならないのか。変に気をきかせるジェムに、参ってしまう。
「男爵様は、私の友達よ」
だから心配される必要はないと伝えるけれど、納得してくれない。私もはじめは、男爵様と友達だなんて畏れ多いと感じていたけれど、ここまで分かってもらえないとしつこくてうんざりする。
「どうしていきなり、過保護になったのよ?」
「おれが…俺が頑張っているのに、誰も見ていてくれないなんて悔しいじゃないかっ」
顔を赤くしながら叫ばれ、戸惑いしか湧かない。
それと過保護さと何の関係があるのか、全く分からないのだ。
「別に、心配しなくてもジェムが頑張っているのは、村のみんなも認めているよ…?」
とりあえず、余分な心配をすぐに取り消そうと言葉にすると、みるみるうちに顔を赤く染め震えだした。そんなに、長年確執があった村人との和解が目前で嬉しいのかと唖然としたが、思わぬことを言われ更に謎は深まった。
「お前に、見ていてほしいんだよっ!」
ジェムはそう叫ぶと、どこかへ走り去ってしまった。
何を思ってそんな事を言うのか分からず、とりあえず変わろうと努力していることだけ認めておくことにした。
ぼんくらと言う言葉は、先に記述したのとは別に「がんばれ」と言う意味でつかわれることが稀にあるそうです。フランス語のボン・クラージュと似ていることからきているのだとか。まぁ、一般的ではない使われ方ですが。
次話は、とある日本妖怪が災難に見舞われるのお話です。