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ツマにもなりゃしない小噺集  作者: 麻戸 槊來
過去を読み解く蛇
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守護霊?


車のクラクション音が至近距離から聞こえたと認識した途端、グイッと重心が後ろに傾き目を見開いた。


今まさに私が進もうとしていた目の前を、一台の車がすごい速さで通過していく。

通勤中に鳴った携帯の着信音に気を取られて、よりによって道を横断しようとしたときに気が散々になってしまったようだ。車に対する申し訳ない思いよりも、あと一歩進んでいたらどうなっていたかと肝をひやした。


心臓がどくどくと鼓動し、嫌な汗をかいてしまったが……。それすら自身の無事を確認する要因となり、わずかに震える両手を胸の前で握りしめた。

幸い、あんなに近くを通ったのに掠ることもなかったようだ。



ふっと下に顔を向けたことで、鳩尾のところに回された太い腕に気づき思わず驚きの声が漏れた。動揺を隠せない私に対し、その腕の主は微動だにすることなく私を拘束し続けている。

あわてて後ろを振り向くと、どうやら男性が私を恋人同士の様に抱えている状態であるらしかった。スーツ姿の私の体に、男性の腕が絡みついている。


その体勢と車のクラクション音がようやく頭のなかで合致し、私はこの男性に助けられたのだと理解した。周りには他に人は見当たらない。



「すっ、すみません!

助けていただいてありがとうございます」


「―――いや」


平均的な身長の私に対し男性は背の高い人であったようで、少し目線を上げただけでは彼の顎のラインしか見えなかった。髭の剃り残しなどない顎としっかりとした首筋は至近距離で見つめても不快ではなかったが、見知らぬ男性と此処まで接触していることに改めて驚き後ろに跳び退る。



残念ながら私には恋人などいなかったため、ここまで気安く男性と触れあうことに慣れていないのだ。


第一、見上げた彼の顔は比較的整っていたため、乙女的な恥ずかしさも感じていた。いくら仕事の電話かと焦っていたとはいえ、道を渡ろうとしている時に油断した自分に舌打ちしたくなる。信号のないこの道は別段危険なわけではないが、先程

のように飛ばす車が皆無なわけではないから馬鹿をやってしまった。


ばつが悪くて謝罪やらお礼やらを捲し立てる私に対し、彼は名前すら告げる事なく去って行った。



そんな色々な意味でドキドキの体験をしてしまった私だったが、数日もすれば助けてくれた人の記憶もあやふやになりかけていた。

もう一度目にすれば直ぐに彼だと分かるだろうが、考えていたよりもパニックに陥っていた私は轢かれそうになったという恐怖の方が勝り、恩人の顔をよく確かめる余裕がなかったのだ。

覚えていることと言えば、スーツ姿の私に対し相手は私服であったという事くらいだ。朝の忙しい時間帯に私服であるという事は、普通のサラリーマンではないのかもしれない。もしその予想が当たっていたら、家の近くとはいえ滅多なことがない限り会う機会はないだろうなと考えていた。




―――しかし、私は不本意な形で再び彼と出会う事となった。


車にひかれそうになった出来事から数週間後。

私は営業先との待ち合わせ時間がせまり、ヒールをカツカツ鳴らしながら歩道橋を小走りで進んでいた。片手に書類を持ち、腕時計を確認しながらあとどれくらいで到着できるか確認する。


道すがら焦っていた甲斐あり、待ち合わせの時間には何とか間に合いそうだが余裕はない。前後に人はいなかったため階段を急いで駆け降りたその瞬間、中ほどまで来たところで私はカクリと足を踏み外した。手すりをつかもうと手を伸ばすが、もう少しのところで手が届かない。なすすべなく諦めた私は、衝撃に備えて硬く目を

瞑った。




しばらく待ってみたが、なかなか痛みが押し寄せることはない。

それ所か、体が傾く感覚も中途半端なところで止まった。おそるおそる目を開けて確認した私の目に飛び込んできたのは、見覚えのある腕と以前よりかなり近づいた彼の横顔だった。


「まっ…また助けてもらっちゃいましたね」


「……気を付けないと、危ない」


彼の言葉にうっと言葉を詰まらせ、すみませんと平謝りをした。

無口であろうこの人は、必要なことしか言わないため逆に居た堪れなくなる。普通だったらもっと怒ったり注意されてもいいはずなのに、何とも冷静に正論を言われてしまいまぬけな自分が情けなくなる。再び、絶妙なタイミングで助けてくれた彼に『今度こそ何かお礼をしなければっ』と意気込んだが、この前同様彼が連絡先を教えてくれることはなかった。




どれだけ、自分は学習能力がないのかと落ち込んでいたが、同じ人に二度も三度も助けられれば不安になるものなのだと初めて知った。歩道橋で落ちかけた事故から数日後、私は三度彼に助けられることになった。


―――甲高い音が真後ろから響いてビクリッと体を震わせる。

何か物が壊れる音よりも、今の状況に恐怖を覚える。


「大丈夫か?」


「………」


何を言うことも出来ず、顔をひきつらせながらかばってくれた彼を黙って見つめた。ちょうど営業先から帰るところで、昼とも夕方ともつかない微妙な時間帯であるため周囲に彼以外の人は見られない。


……よくテレビや本の中では、頭上から植木鉢が落ちてくることもあるだろう。

しかし、現実でそんなことが起こったなんてまず聞かないし、あったとしてもサスペンスものの二時間ドラマのなかくらいの話だ。その上、後ろを振り向いて落ちていたのは植木鉢なんて可愛いものではなく、丈夫そうな陶器でできた置物だった。


「すっすみません!ご無事ですかっ?」


「どうやら、二階の店から落ちてきたみたいだな」


「―――どうして、あんな両手で持っても重そうなものを窓際に置くのよ」


つい、窓から覗いているおじさんに殺意が湧く。

というより。あんなもの早々降ってこないだろうに、それにぶつかりそうになった自分の運のなさに泣きたくなる。


そもそも、この人はなんなのだろうか?

助けてもらっておいて非常に申し訳ないのだが、こう何度も重なると男性に対しても恐れを抱いてしまう。この男性は私を助けてくれているのではなく、実は私に『何らかの恨みを持っていて危険な目に合わせているのではないか』とまで疑えそうだ。月の初めに恩人とまで考えていた人を、今となっては悪人かストーカーのように考えだしていた。


一度目に助けられた時は、家が近所なのかと考えていた。

二度目に助けられた時は、たまたま何らかの用事で通りかかったのだと考えていた。……けれど、三度目ともなればうまい理由が思い浮かばない。ここまでいけば都合がよすぎるのだ。大怪我をしそうになったら毎度彼に助けられるなど、おかしいとしか言いようがない。




目の前にいる彼の顔がなまじ整っているがゆえに怖くなる。

ほとんど動くことのない顔に淡々とした言葉。私だったら他人事ながらパニックに陥りそうな状態であるにもかかわらず、もはや彼は呆れを滲ませたため息を、一つ吐くだけだ。

訳もなく怖くなった私はそろそろと彼から離れ、「何度もすみません、ありがとうございましたっ」そう叫んだ途端走って逃げた。もう二度と彼の手を煩わせることがないようにしよう。何より、今度彼に助けられるようなことがあれば色々なものに負けてしまいそうだ。


御祓いにでも行った方がいいのだろうか?

私は自分の思考にとらわれながら、会社へ急いだ。



会社に戻ってからは散々だった。

報告書は連続でミスするし、大事な書類にお茶は零すし。日ごろからそんなに仕事ができる訳ではないが、私のあんまりな駄目さ加減に上司から早退するように言い渡された。ここの所の災難を、聞かせていたのが良かったのかもしれない。

重い足を引きずり、ありがたく家路についた。






家に帰って化粧を落とし着替える。そんな普段の行動をとっていても、頭ではずっと同じことを考え続けていた。こんな状態でゆっくり落ち着くことなどできず、休むことなくキッチンへ立つ。だがそれでも、もやもやした気持ちのまま手の込んだものなど作れるわけもなく、適当に目についた食材をとり、火をつけた。



あんなモテそうな人が自分のストーカーだとは考えにくいが、続くようなら対処も考えなければいけない。

昨今ではその手の事件もよく聞くし、早めに対処するに越したことはないだろう。


「火をつけたまま呆けていると危ない」


横から突然あらわれた手に、私は凍りつく。ここ最近で聞きなれてしまったその声がきこえたことで、私はぞくりと背筋が凍った。私は所詮一人暮らしで、この部屋の合鍵をもっているのは田舎の両親くらいだ。



第一、聞こえた声はあまりにはっきりしていて、気のせいや聞きまちがいというにはリアルすぎた。何度瞬きしても手は消えず、落ち着かない頭でも後ろにある存在をはっきり感じることが出来る。―――間違いなく、あの人が後ろにいるのだ。


「っな…なんで、此処に」


バッと体をひねる後ろに跳び退った私の前には、やはり予想通りの人がいた。確かに少し不信感を抱いていたし、見張られているようで気持ち悪いとも感じてしまった。―――だが、まさか家にまで侵入してくるとは思わなかった。


「なぜ貴方がっ此処にいるんですか!

 そ、そもそも、鍵を閉めていたのにどうやって入ったんですっ?」


「火をずっとつけっぱなしだったから、危ないから消そうとおもって」


「何処かで盗撮でもしてたんですかっ?

 これまで助けてくれていたのも、原因は貴方だったの!?」


どもりながら、問いただす。恐怖で震える足では、この距離ではとても逃げられる自信がない。何とか追い払えないかと声を荒げているつもりだが、まるで野生動物を相手にしているような不安感が押し寄せている。言葉など伝わらず、ともすれば直ぐにでも喉元へ牙を突き刺されそうな…。


嫌な汗が背筋を流れ、ヘタレこんでしまいそうだ。


「そんなに怯えずともいい。俺はあなたの守護霊だ」


突然落とされた爆弾に、へっぴり腰のまま口を開ける。

どう考えれば、そんな言い訳が通ると思うのか。ちょっと顔が良いと思って調子に乗るなと言えば、逆上されてしまうだろうか?


いくら美形だからと言って……いや。美形だからこそ。

こんな冴えない女を狙う真意がわからず恐ろしい。いざ警察に助けを求めて、「気のせいではないか」と言われそうだと考えるのは、あまりにうがった考えだろうか。しかし、私の目にはなぜか冷笑交じりに鼻で笑う、警察官の様子しか思い浮かべられなかった。



警察官ですらそんな反応なのだ。隣室の人に助けを求めても、ろくな助けにはならないだろう。むしろ、ここまで思ってもらえて嬉しくないのかと、怒られそうだ。見当違いの思考が回りきって、私の目からは混乱のあまり涙がこぼれだした。


「これまで、辛い思いをさせてすまない」


どこか辛そうに言われた言葉に、ピンと来るものはない。もしかして知らず知らずのうちにされていた、ストーキング被害についてなのだろうか。だけどそれだとしたら、一刻も早くここから立ち去り二度と私にかかわらないでほしい。

そんな願いが頭を占めている。―――けれど、今回もまた私の予想は裏切られる。


「なぜか俺は、昔から女性の目を引くらしくて……。

 もう二度とあんなことさせないから、許してくれ」


斜め上を行く展開に、当事者であるはずなのについていけない。

彼の説明によると、本当に彼は実体のない…所詮、幽霊と呼ばれる存在で、ここのところ私に起こっていた不思議現象はすべて、彼が原因だったらしい。



幽霊である女性たちは、彼を独占している私に怒りを覚えて危害を加えようとしていたらしい。

これまでフリーだった彼が、『いきなり私に思いを寄せて守護霊になるなんて許せない』という、こちらからすれば全く訳の分からないことが原因であるという。



中には、彼の気持ちを応援するために私を同じ状態…にしようとしたとんだ迷惑な考えを持つ者もいたらしいが、それで嗚呼、よかったなどと思えるわけがない。

どうして恋人すらいないのに、実体のない存在へ勝手に惚れられ、殺されかけなければならないのか。

男のいうことを信用できず彼に触れようとしたが、するりと手が空を掻いたことであきらめた。この理不尽且つ、非常識な現状をどうしても打開できないのだ。


「他の奴に、君を傷つけさせたりはしない。天寿を全うしたら、改めて告白する」


それまではずっと守り続けると宣言されたが、胸をときめかせるどころか青ざめる。要約すると、彼が四六時中くっついていなければここの所の危険は、追わずに済んだのだ。こんなの、今後も一生危険と隣り合わせでいなければいけないと宣言されているようなものではないか。おまけに「その間に恋人を作らないでくれ」と、やけに血走った眼で懇願されて頬が引きつる。


霊感なんて全くなかったのに、どうしてこうなってしまったのか。

私はそれからしばらく美形恐怖症と化し、幽霊と戦う日々が続いた。



きちんと疑問形にしました。

いくら彼が主張していても、これは守護していることになるのかどうか…。


次話は、空耳ってよくあるよね…という話です。

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