雪女
な…なんか初めに考えていた着地地点とは異なってしまい、もやもや感が…。もしかしたら後で改稿するかもしれません。
私は、とある辺鄙な村を一人で訪ねていた。
大学で民俗学を専攻している私は、ある題材をここ何年も追いかけている。子どもの頃から不思議な話が好きで、妖怪や怪物の書物を読み漁ってきた。
大学進学だって、自分が調べたい題材を扱っている教授がいるとわかり選んだのだから筋金入りだ。そしてそんな 私にとって、まさに大学は楽園だった。
これまでは存在自体を知らなかったような本がたくさんあり、閲覧不可だった研究論文も読むことが出来た。入学してから毎日のように大学図書館に通いつめ、限度ぎりぎりまで本を借りた。よそから取り寄せてもらえる本は図書館へ頼み、国立国会図書館にいい本があると聞けば、時間をみつけておもむいた。
とても充実した日々だったのだが、次第に読むべく文献はなくなりだした。
確実に事実とは異なるであろう絵本も、卒業論文を書くにあたり自分なりの考え方をもつのに役立つだろうと読んでいた。―――だが、やはりそんな事をしていると読むべく文献がなくなりだしたのだ。
入学するまでは「大学生なんて自由にできてうらやましい」と思い、自分が花の女子大生になった暁には、いろいろしようと考えていた。けれどそんなことは幻想で、興味がなくとも必ず取らなければいけない講義と、毎日出されるレポート提出。時間をみて入れるバイトに追われる毎日だった。
そんな合間にも本を読んでいたのだが、三年にもなると多少うまい予定の組みかたが出来るようになりその題材に熱を注ぎ過ぎた。
三年の秋にもなれば、めぼしい文献はほとんど目を通しおえてしまった。その熱意は友人はもちろん、幾人かの教授にも太鼓判を押してもらえるほどだ。
そして、来年から本格的に卒業論文を書き上げるため、私は古くからの伝説が残る地に赴くことにした。
「って、ことで一緒に行こう?」
「それは…これまで楽をしていた罰が当たったんだって、遠回しに私をあざ笑っているの?」
友人にこの度の同行をお願いしたら、そんなひねくれた言葉が返ってきた。
「えぇー、ソンナコトナイヨ?」
「あっからさまに、片言でしゃべるな馬鹿っ!」
友人は入学当初からこれを取らなければ卒業できないという必須科目以外はろくにとらず、自分で選択する講義をことごとく後回しにしていたのだ。
多少もっていた余裕は、出席日数がたりなかったり、テストの成績が思わしくなかったようであっという間になくなった。なにせ、必須科目は落とせば次の年にもち越されてしまうし、そういう講義はたいていが一年を通して行われるのだ。
そうなってくると最悪、講義が被ったから今年取とらなければいけない分を蹴る。なんてことにもなってくるため、知らないうちに追い込まれていくのだ。
前期と後期が分かれている講義もあるが、おもしろそうなものは大抵必須科目とかぶっており、しょうがなし人気のない講義を取ってもやる気がないから単位を落とす…なんて悪循環だ。
どうせ、私とちがい資格を取らないからと油断していたのがバレバレだ。
「人が散々、注意してあげたのに」
「うぅ~うるさいっ」
必死に私がとったノートを睨みつけ、追試に向けて勉強する彼女をこれ以上誘うのは無理そうだ。なにせ、万年雪と呼ばれるあの村はほぼ一年中雪に覆われ、真冬になれば山に踏み入れば即遭難なんてことになりかねない。
出来れば冬期休暇になってからすぐ行きたいのだが、その時期は彼女の追試とかぶっている。それならばと相談にのっていただいている教授も誘ってみたのだが、運悪く予定があり一緒にはいけないという事であきらめた。
そしてとうとう、私は『雪女』伝説があるここまで一人でやってきたのだ。
女一人で山まで登るのに不安はあったが、地元の方はたいていが高齢であったため同行を断念した。案内してもらうのにちょうどよさそうな年齢の方は、大切な働き頭であるため、翌日に仕事があるのに学生の研究へつき合わせる…なんてことはできなかった。
地元の方は皆いい人で、「若い子がやってくるなど珍しい」といってこちらに着いてすぐ、いろいろ世話を焼いてくれた。昨日も到着早々、山にのぼろうとする私を止めて「今日は吹雪いているからせめて明日にしなさい」と忠告してくれた。
卒論をしあげるのにぜひともこの山には登っておきたかった私は、村の人が心配するのを押して一人で山に登ってきたのだ。
一年中雪に覆われていると言っても、この山はさほど標高がある訳ではない。
谷川などの影響でこのあたり一帯の気温が低く、雪の降りやすい環境が整えられているのだ。なにより、私は頂上まで登りたいわけではなかったため「大丈夫です、そこまでこの村から遠ざからないように気を付けますので」といって昼前に山へ登ってきた。
「吹雪いていたのが嘘みたいに、今日は穏やかだなぁ」
これが自然かと、感嘆の息をついた。
視界も比較的クリアで、積もった雪をザクザクと踏みしめながら歩く。雪が酷ければ、最悪出直さなければいけないかと考えていた。それなのに、今日はパラパラと降る程度で風すら穏やかに感じる。
「もしかして、昨日この土地の氏神様にお参りしてきたのがよかったのかな?」
なんと、即効性のあるご利益だと心のなかで感謝する。
もう何年もあこがれ続けた土地だけあり、考えも一塩である。
「これで雪女に関することが少しでも分かれば、すっごい成果なんだけどなぁ」
「はい、何か御用?」
ぽつりと思わずつぶやいた言葉に答えが返り、私は慌てて下げていた視線をあげた。
すぐ目の前には、白い着物姿の人がいた。私はその光景を目にした途端、はっと息をのんだ。その人はきらきらと輝く長い絹のような白い髪の持ち主で、整った顔立ちをしていた。それだけも驚きなのに、白い着物を着た人はまったく寒そうではなく、何より息がみえなかった。
幾ら天気がいいとはいえ、微かながら雪が降る気温のなかで息が白くならないなんてありえない。全身真っ白で、この出で立ちと言えば…
「ゆき、おんな…?」
「どうもぉ~。こんな山奥までよく来たね!
ここら辺では雪女と呼ばれているけど、俺は男だよー」
……なんだこいつ。
先ほどまでの厳かな空気は消え去り、後にはどこか白々しい雰囲気が残った。
今さっきまで、ありえない。いやでも……もしかして本当に、伝説の雪女?などと混乱の中でふしぎな存在にあえたと感動してもいたのに、一気にシラケて冷静になる。
これがどんな狙いなのか分からないが、彼の言葉を信じればずっと探し求めていた存在が目の前にいるという事になるのだろう。そして男だと言われたことを考えれば、訂正せねばならない。
「雪男?」
もっとこう…毛が、モコモコした姿じゃないのか?などと疑問は湧くが、そうだと言ってもらえた方が何かと有難い。主に私の長年の夢とか、やり場のない憤りなどの面から。
「いやいや。たまに言われるんだけど俺、毛皮も着ぐるみも持ってないから!
何せ、この姿になってからまったく寒くないんだよ」
「……はぁ」
「うっわ、何そのうすい反応。折角女の子が来るって聞いて吹雪とめたのになぁ」
さみしいなぁなどと呟く、構ってほしそうな眼差しを敢えて流し質問する。
「吹雪を止めた?…そんな事で、できるんですか?」
とても信じられそうにない言葉だった。もしもそれが本当なら、この山の名物である万年雪もこの男が原因という事になる。
「もち、そんなの楽勝だよぉ。
……だって、お腹が減るたびに人が来れるようにしているし」
後半の言葉はぼそぼそと呟かれたため聞こえなかったが、考えていたよりもすごい存在だったらしい。たとえ彼が本当にこの世のものではなくても、そんなことをできるというなら相当接し方に気を使わなければならない。
おもわずザッと後ずさると、純粋なまなざしで自称雪女は「どうしたの?」と問いかけてくる。すこしの行動にも注目されている事実に、頭をかきむしりたいような気持ちになる。真面目に勉学に励んでいるだけなのに、どうしてこんな面倒な事態に巻き込まれなければいけないのか。たしかに趣味の部分も強いが、現地を訪れることで思わぬ発見もあるだろうと来たのだ。
普段の授業だって、そりゃあ興味ある分野とは情熱の向け方が違うだろうが、他の科目で手を抜いているという事もない。そんな真面目な学生をつかまえてひどいではないかっ。
「あれー?
そんな涙目にならなくても、野郎どもみたいに氷漬けにしたりしないよぉ?」
「ひっぃぃ」
「そんなに、この姿はこわいかなぁ?」
ぼりぼりと頭をかいて私を眺める彼は綺麗な顔で、その顔に似合わない明るい様子が恐ろしかった。少し前に、アイスマンと名付けられた男性の死体がみつかったというニュースを思い出す。氷河期から氷漬けになっていたという男性とこれを一緒にしてはいけないだろうが、私の貧困な頭ではそれぐらいしか映像として浮かばなかった。
雪女だとよくある話だが、目の前の存在も同じことをするらしい。
本格的に危険を感じて、顔が引きつってきた。―――何とか、バレずに逃げる方法はないだろうか?必死に目をきょろきょろさせるが、この状況を打開できるよい策が浮かばない。
とりあえず距離を置こうと後ずさった所で、なぜか私の意識はブラックアウトした。
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ぱちりと目を開けると目の前には、なぜか巨大な氷の柱があった。
ゆるゆると視線を動かすと、どうやら私は洞穴と思わしき所に寝かされているらしい。寝起きでだるい体を持ち上げると、下には布のようなものが敷かれていた。
薄すぎてごつごつした感触を直接体に伝えてくるが、風を防げるここならばさほど寒さを感じない。
「あっ、起っきたぁ?」
「え…えぇ」
彼の話を信じるならば、あまりの驚きとストレスにより、突然倒れてしまったらしい。緊急避難として、この場所へ運んでくれたことに本当ならば感謝しなければいけない。……のだが。先ほどから非常に気になることがあって、うまく話が頭に入ってこない。
「どうしたの?」
彼の顔と壁を行ったり来たりする瞳を、『ある部分』へ注ぐのが非常に躊躇われてしょうがない。乾き震える唇を軽く濡らし、手を伸ばせばと説きそうな距離にいる彼へ問いかけてみた。
「そ…それは……」
「嗚呼、これ?やっぱ気になっちゃうかぁ」
軽く笑いながら彼がパシパシ叩いた氷の柱には、よく見ると人が閉じ込められているのだ。
男性と思わしきそれはぴくりとも動かず、座って見える範囲で三つは同じものがありそうだ。そのすべてに人が閉じ込められているのではないかと考えると、恐ろしくて震えが止まらない。こちらはめいいっぱい怯えているというのに、相手は気にした様子もない。
「いやぁぁ。
女だと勘違いしている上に、いきなり襲いかかってくるから凍らせちゃった」
性犯罪者なんだから、自業自得だよねぇ?などと、明るく言い放つ。
肯定も否定もできずに、引きつる口角を何とか持ち上げてみる。気絶する前よりも更に、追い込まれた気がして目に涙すら浮かんでくる。
「……いつも、氷漬けにしているんですか?」
「見た目が気に入った人間の場合はねぇ。しばらくはオブジェみたいに放っておくんだけど、氷だとなかなか処分も出来ないから飽きた順に砕いて壊していくんだ」
意外と簡単に壊れるし、砕いた瞬間の結晶はきれいだよ。などと笑っている彼の顔は、こんな話をしているとは思えないほど朗らかだ。いとも簡単に命を奪える彼にしてみれば、特別なことではないのかもしれない。
それ所か、自分自身も食料にされるのではないかと恐ろしくて、彼の言動を責めることすらできない。
「ただでさえ野郎のオブジェなんていらないのに、その上みーんなだらしない体しているし」
言われてみれば、氷のなかの男性はお世辞にも引き締まった体をしているとは言い難い。
「こちらとしては、野郎の精気なんて奪いたくないんだけど。今は高齢化とかで、若い人が少ないんでしょう?しょうがなし有り余ってそうなやつを捕まえて、食事していたんだ。だから―――」
氷の柱を眺めていた彼が、こちらへ視線を移した。その眼は感情の読めないアイスブルーなのに、射抜かれた気がして目線をそらせない。
「今後はいつ食事ができるかわからないから、非常食を用意することにしたんだ」
すっと目の前にしゃがみ込んだ彼が恐ろしくて、ぐっと上半身をそらした。
腰が抜けたのか、足に力が入らず逃げられないのがもどかしい。たとえ無駄な抵抗だとしても、せめてこの瞳から逃げてしまいたいのに。まるで恋人同士の語らいのように顔を近づけられ、最終宣告をされている気分になる。
「大丈夫、たとえお腹が減ってもちまちま食べるし、こことは他に隠れ家があるんだ。そこならもともと人間が使っていた民家だから暮らしやすいし、非常食とはいっても君の衣食住は整えてあげる」
すっと寄せられた唇が額に触れた途端、私はふたたび意識を失った。
「これからよろしくね」
優しい声なのにそれはまるで、死刑宣告のように感じた。
次話は、ゲームをする姉弟の一幕です。